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2013.07.08
『僕の死に方』金子哲雄著(小学館)を読みました。
「エンディングダイアリー500日」というサブタイトルがついています。 著者の金子哲雄氏は、人気の流通ジャーナリストでした。フジテレビ系バラエティー「ホンマでっか!?TV」のレギュラー出演、「女性セブン」の連載などで知られていましたが、2012年10月、「肺カルチノイド」という急性の難病により、41才の若さで急逝しました。
1971年4月30日、千葉県生まれ。94年に慶大卒後、ジャパンエナジー(現JXホールディングス)を経て、コンサルタントとして独立。2008年頃からテレビに登場し、商品の値切りのテクニックなどで人気を集めました。
2012年6月、咳が出たため診察を受けたところ、肺カルチノイドと判明しました。 肺にできる腫瘍の1つである肺カルチノイドは、神経内分泌細胞が分化していく病気です。カルチノイドは、医学的に「ガンもどき」を意味するそうです。発症率10万人に1人という奇病ですが、早期発見、早期治療で治癒する可能性が高いとされています。しかし、発見が遅かったり、再発や転移があったりして、いわゆる三大治療(手術・抗がん剤・放射線)が受けられない状態の患者さんがいます。金子氏は、まさにその状態でした。もはや有効な治療法がなかったのです。
入退院を繰り返しながら仕事を続けてきた金子氏は、最期は「自宅で家族に看取られたい」と希望しました。
自分の死期を悟った金子氏は、自分の葬儀を自分でプロデュースすることを思いつきます。彼は、なんと会葬礼状まで生前に用意して、自らの葬儀をも「流通ジャーナリスト」としての情報発信の場にしたのでした。
そのプロ根性は「お見事!」という他ありません。
しかし、「今すぐ死んでも驚かない」と医師に告げられた金子氏が「余命ゼロ」宣告を受け入れて死の準備を整えるまでには、さまざまな葛藤がありました。
それは、仕事が順調であるにもかかわらず人生を卒業しなければならない悔しさ、夭折した姉や妹や弟たちの分まで生きることができなくなった悲しみ、そして何より、最愛の妻を残していくことへの葛藤でした。
ようやく死を受け入れた金子氏は、本を書くことを決心します。担当編集者には、「40代で死ぬということがどういうことか、妻に何を残せるのか、気持ちにどんな変化が起きるのか」といったことを書き残したいと言いました。
そして、死の1か月前から、最後の力を振り絞って『僕の死に方』を書き上げます。脱稿後の10月2日未明、妻の稚子さんが見守る中、金子氏は静かに息を引き取ったのでした。まさに”命の書”である『僕の死に方』には、死を迎える人間の心情が赤裸々に綴られています。
たとえば、以下のような文章を読んだときは胸が締め付けられました。
「正直、自分がなぜこんな目にあわなくちゃならないんだと、運命を呪ったことも何度かある。
『なんで、治らない病気にかかるんだよ。仕事も順調なのに、なんで、人生のチャンスをもらえないんだよ。なんで、すぐ死んじゃうんだよ。なんで、今すぐ死ななきゃいけないんだ。俺、なんか悪いことしたか? ねえ、俺が悪いのか?』
妻に何度もそう言ってみたが、でも、言葉に出すだけ虚しいことは、自分がいちばんよくわかっていた。
治せない病気なら、自分が治癒第1号になればいい。そんなことも考えた。しかし、それが叶わないことも頭のどこかでわかっていた。奇跡は起こらない。もうだめなのだ。死は、確実にそこまで来ているのだ」
宣告後の1週間はひたすら泣き、しまいには泣いていることさえわからなくほどだったそうですが、次第に金子氏は自らの運命を受け入れ、周囲の人々への感謝の念を抱くようになります。
かのエリザベス・キューブラー・ロスは、名著『死ぬ瞬間』(中公文庫)において、有名な「死の受容への五段階」説を唱えました。次の通りです。
否認→ 怒り→ 取引→ 抑うつ→ 受容
しかし、東大病院の緊急部・集中医療部長で『人は死なない』(バジリコ)の著者である矢作直樹先生によれば、非常に多くの患者さんが早い段階で「受容」に至るそうです。金子氏も、早い段階での「受容」に至ったように思います。
そうでなければ、葬儀や墓を手配を自分で行ったのみならず、『僕の死に方』というエンディングダイアリーを執筆することは不可能でしょう。
この本を読む者は、誰でも金子氏が、自らの死に備え準備をし、その過程を詳細に本に書くという覚悟に感銘を受けるはずです。
自らの葬儀の準備を、葬儀社の社長さんにお願いするシーンも心に強く残る場面でした。金子氏は、葬儀について次のように書いています。
「なぜ自分の葬儀に真剣になるのか。葬式は、あとに残された人間が、自分たちのためにやるものだ。任せておけばいいじゃないか。そう思う人もいるだろう。
でも本当にそうだろうか。
例えば、『結婚は一生に一度』と言って、誰もが張り切って結婚式をプロデュースする。結婚式を挙げた人ならば誰しも、パートナーとああでもない、こうでもない、と相談した経験があるはずだ。
けれども結婚は、実際には『一生に一度』じゃない。場合によっては、二度、三度することもある。結婚式だって、何回もする例が実際にある」
では、葬儀はどうか。これは間違いなく、「一生に一度」です。
しかも葬儀には、当の主役はいません。だから残された身内で揉めることがままあるわけですが、金子氏は「だから、主役の意思を生前に確認しておくことが大事なんじゃないか」と考えました。そして、「どうせ、意思をはっきりさせるなら、ついでにプロデュースしてしまえばいい」と思ったのです。
金子氏の葬儀は、10月4日、東京・港区の心光院で営まれました。 この日、金子氏が生前に用意していた会葬礼状が参列者に配られましたが、その冒頭には次のように書かれていました。
「このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません」
自分の葬儀について考えることは、自分の人生に責任を持つことです。そして、何よりも自分の「生」を肯定することです。
「終活」という言葉がよく使われています。今後は、金子氏の葬儀のように「あの人らしかったね」と言われるような葬儀が増えるような予感がします。わたしは2007年に『「あの人らしかったね」といわれる自分なりのお別れ』(扶桑社)という監修書を出しましたが、いよいよその時代が到来したように思います。大いなる勇気で後に続く人々に道を示された故・金子哲雄氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
なお、拙著『死が怖くなくなる読書』(現代書林)でも本書を取り上げています。