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No.0751 評伝・自伝 『わたしが出会った殺人者たち』 佐木隆三著(新潮社)
2013.07.01
『わたしが出会った殺人者たち』佐木隆三著(新潮社)を読みました。
著者は、実在の連続殺人鬼をモデルとした『復讐するは我にあり』で第74回直木賞を受賞した作家です。北九州市在住で、昨年の3月いっぱいまで北九州市立文学館館長を務められていました。「死刑」については『死刑絶対肯定論』という本を取り上げましたが、本書のテーマは「殺人」です。
本書の帯には「人間という不可思議な生き物の正体とは?」と大書され、「事件の裏で繰り広げられていた人間模様、甦る18人の息遣い」と記されています。
また帯の裏には、次のような内容紹介があります。
「幾多の殺人犯に取材を重ねてきた犯罪小説の先駆者が、古希を越えた今、40数年にわたる交流を回顧する。拘置所で大粒の涙を見せた無期懲役囚、『自分を小説に書いてくれ』と資料を寄越した家族殺しの知能犯、著者が喪主を務め見送った前科十犯・・・・・。日常に生活する『陰の隣人たち』のあまりにも人間臭い、その横顔」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「まえがき」
第1章 『復讐するは我にあり』の西口彰
第2章 『曠野へ 死刑囚の手記から』の川辺敏幸
第3章 『千葉大女医殺人事件』の藤田正
第4章 『悪女の涙 逃亡15年』の福田和子
第5章 『連続幼女誘拐殺人事件』の宮﨑勤
第6章 『別府3億円保険金殺人事件』の荒木虎美
第7章 『身分帳』の山川一こと田村明義
第8章 『108号 ―連続射殺事件』の永山則夫
第9章 『和歌山毒カレー事件』の林真須美
第10章 『オウム真理教事件』の麻原彰晃こと松本智津夫
第11章 『トビ職仲間と5人殺し』の木村繁治
第12章 『黒い満月の前夜に』の尊・卑属
第13章 『中洲美人ママ連続夫殺し』の高橋裕子
第14章 『奈良女児誘拐殺人事件』の小林薫
第15章 『深川通り魔殺人事件』の川俣軍司
第16章 『大阪池田小大量殺人事件』の宅間守
第17章 『下関駅通り魔殺人事件』の上部康明
第18章 『偉大なる祖国アメリカ』の安田幸行
「あとがき」
この「目次」では、著者の作品と実際の殺人犯たちの名前が並べられていることがわかります。「まえがき」の冒頭で、著者は「わたし『裁判傍聴業』を自称している。いろんな刑事裁判を傍聴取材して、フィクション、ルポルタージュ、ノンフィクションノベルなどを、ずっと書いてきたからだ」と書いています。また、殺人についての著作を仕事とするようになった経緯を次のように述べます。
「1970年代の前半、シリーズ『殺人百科』を小説雑誌に断片連載した。印象的な殺人事件の裁判記録を取り寄せ、なるべく関係者にインタビュー取材するよう心がけた。イギリスの評論家コリン・ウィルソン著『殺人百科』(1963年6月、彌生書房初版発行)は、15世紀から1960年までの欧米の有名な事件を収録したもので、序文で実行主義の立場から、『殺人者と他の人間との違いは程度の差であって、種類が異なるのではない』と述べている。まったく同感であり、わたしは『日常の陰の隣人たち』と呼んできた。そうして辿り着いたのが、書き下ろし長篇小説『復讐するは我にあり』(1975年11月、講談社初版発行)で、現実の事件にもとづいているから、裁判傍聴業を自称するようになった」
第1章「 『復讐するは我にあり』の西口彰」の冒頭で、著者は述べています。
「なぜ犯罪小説を書くのか、きっかけは何だったのかと、質問されることがある。そういうときは正直に、次のように答えるしかない。
『1972年1月、復帰直前の沖縄で、機動隊員殺しの首謀者とみなされて琉球警察に逮捕されました。当時34歳でコザ市に住み、沖縄の復帰問題に関心をもち、基地反対闘争のルポルタージュなどを書き送っていたころで、殺人者あつかいされてショックを受け、犯罪に目を向けたのです』」
著者は、普天間警察署に留置されたことがあるそうです。本書には、そのときの様子が次のように書いています。
「北九州市で暮らしていた母は、『佐木隆三逮捕さる/沖縄で機動隊員殺害容疑』との4段見出しの記事に半狂乱になり、公務員のいとこたちは累がおよぶのを恐れたらしい。まったく迷惑な話で、『名誉毀損で損害賠償を請求すべきだ』と、しきりに周囲からすすめられた。しかし、訴訟費用は高くつきそうで、いつ結論が出るかもわからない。むしろ奇貨として未経験の犯罪小説に挑み、4年後に書き下ろし長編『復讐するは我にあり』で、第74回直木賞を受賞した。
1966年、アメリカの小説家トルーマン・カポーティが、59年11月に中西部のカンザス州で発生した一家4人惨殺事件を取材し、『ノンフィクション・ノベル』と造語した『冷血』が、世界的なベストセラーになった。67年4月、邦訳が新潮社から出版されて、わたしも新鮮な刺激を受けていた。このとき思い浮かべたのが、『西口彰連続殺人事件』だった」
また、著者は次のようにも当時のことを書いています。
「わたしは高卒で八幡製鉄に就職して、20歳のころから小説を書いていた。北九州は同人雑誌のさかんなところで、せっせと発表しているうちに職業作家をめざし、27歳で退職してしまった。それが64年7月で、ちょっとした好奇心から小倉の裁判所へ行き、西口彰の公判を1回だけ傍聴した。あとで確認したところ11月16日の第7回公判で、被告人質問がおこなわれている」
第12章「『黒い満月の前夜に』の尊・卑属」では、今村昌平監督の映画『復讐するは我にあり』に著者が出演したことが次のように書かれています。
「わたしは原作者として『重要な役』を演じた。他ならぬ今村さんから、『重要な役を演じてくれ』と声をかけられ、東京・調布の撮影所へ出向いたら、なんのことはない浜松の貸席でコールガールを頼んだのに、朝まで待っても来ないので、烈火のごとく怒って帰る役だった。貸席のおかみ役の小川真由美さん、その母親役の清川虹子さんと並び、ドーランを塗ってもらって緊張した。テストが始まってから失敗ばかりで、2階から駆け下りるのだが、わたしがセリフを間違える度に、やり直さなければならない。余計にオドオドして、玄関先で怒って帰る男が、ペコンと頭を下げるていたらくである」
なんとも微笑ましい話ですが、このときの心中を著者は「山形新聞」に次のように書いています。
「68秒のシーンに3時間くらいかかり、くたくたになった。これはやはり、小説を書いたほうが楽だと、しみじみ思った次第だが、いい経験になったことは確かだ。いや、まったく、これから小説を書くとき、どんな些細な役柄の人物でも、『重要な役』と思わねばならぬことに、気づいたのだから」
本書には、18件もの殺人事件が描かれていますが、「西口彰連続殺人事件」のように、やはり自分が住んでいる街の近くで起こった事件ほど関心が強くなるのは当然でしょう。その意味では、第17章「『下関駅通り魔殺人事件』の上部康明」の内容も興味深かったです。
冒頭で、著者は次のように書いています。
「1999(平成11)年8月23日付で、わたしは東京都杉並区から住民票を移し、北九州市門司区民になった。1967年10月、30歳のとき東京へ出て、沖縄・埼玉・千葉などを転々としてきたから、32年ぶりの帰郷である。このとき62歳で、関門海峡に面した高層マンションの24階の1室を住居兼仕事場にして、『これからは年齢にふさわしい仕事をしたい』と、周りの人たちに話した。38歳で直木賞を受賞して、馬車馬のように働いてきたから、郷里で落ち着きたいと、東京を離れたのだった。『年齢にふさわしい仕事とは?』と問われ、『大事件が発生するたびに取材が殺到し、いそいそと応じる自分に疑問が生じたからにほかならず、歴史物とかにじっくり取り組みたい』と答えている。
それから約1ヵ月後に、『下関駅通り魔殺人事件』が発生した」
著者は、この事件の裁判を傍聴した後の様子を次のように書いています。
「閉廷後、わたしは徒歩で坂道を下り、唐戸港へ向かった。船を待つあいだ、対岸の門司港を見やると、超高層マンション『レトロハイマート』が目に入る。1999年9月24日の台風18号のとき、黒川紀章設計が売り物のマンションの地下室が海水に浸かり、大騒ぎになったことが思い出された。まさに『想定外』の事故だったが、24階の住人に実質的な被害はなかった。
しかし、160万円のローンを組んで軽貨物車を購入した上部康明は、屋根まで海水に浸かり絶望して、大量殺傷事件を起こしたのである。そうして死刑判決を受けたが、その前に山口地裁下関支部は、下関事件被害者の会のメンバーが起こした損害賠償請求訴訟に対し、上部康明に1億6千万円の支払いを命じている」
「あとがき」には、山口県光市の「母子殺害事件」のことが書かれています。記憶も新しい悲惨な事件ですが、次のくだりが心に強く残りました。
「99年4月14日には、山口県光市で『母子殺害事件』が起きた。新日本製鐵光製鉄所の社宅で、23歳の主婦と生後11ヵ月の女児が、強姦目的で美人妻を物色していた18歳の少年に、同時に殺害されたのである。わたしが八幡製鉄所の広報マンだったころ、光製鉄所を取材に訪れたが、およそ製鉄所の社宅で殺人事件など聞いたことがない。驚いて東京から駆けつけると、被害者の夫で父親の本村洋さん(当時23歳)が、取材に応じてくれた。
『佐木さんは、会社の先輩ですよね』
国立北九州高等専門学校から広島大学工学部に編入学し、弥生さんと学生結婚で夕夏ちゃんを授かり、新日本製鐵に就職して、社宅で平和な家庭生活を楽しんでいた。事件当日は午後9時まで残業し、帰宅すると部屋に電灯がついておらず、玄関のカギもかかっていない。北九州市門司区の妻の実家へ電話すると、『来ていないよ。おんぶバンドを探してごらん』と言われ、押入れを開けると弥生さんの足が露出した。
110番通報で所轄署が急行したが、『第1発見者を疑え』で警察へ連行され、明け方になって夕夏ちゃんの死体が、押入れの天袋から発見されたことを知ったという。わたしは息詰まる思いで一部始終をメモし、『食事に行きませんか』と誘うと、『酒を飲むでしょう?』と問われ、『もちろんそうです』と応じたら、『事件後は酒を断っています』とのことで、自分の無神経さを恥じた」
なんだか著者と北九州との関わりばかりに焦点を当てて、本書の内容を紹介した気がします。著者にお会いしたことはもちろん何度かありますが、まだじっくりお話したことはありません。共通の知人はたくさんおり、著者がお酒が好きな方というのも伺っております。ぜひ今度、著者とお酒を飲みながら、「人間にとって殺人とは何か」をお聞きしたいです。そして、おそらくは著者のライフワークになるであろう「北九州連続殺人事件」についての傑作を期待しています。