No.0783 エッセイ・コラム 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 村上春樹著(文春文庫)

2013.08.27

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』村上春樹著(文春文庫)を読みました。
「村上春樹インタビュー集 1997-2011」というサブタイトルがついています。カバーの裏には、次のような内容紹介があります。

「村上春樹が語る村上春樹の世界。19本のインタビューで明かされる、いかに作家は生まれたのか、創作のプロセスについて―。公の発言が決して多くない村上春樹は、ただしいったんそれに応じるや、誰にも決して真似できない誠実さ、率直さをもってどこまでも答える。2011年6月に行われた最新インタビューをオリジナル収録。」

本書は、作家・村上春樹氏のインタビュー集です。村上氏の発言の中で、わたしの心に残った発言部分を抜書きしていきたいと思います。
まず、「広告批評」1999年10月号に掲載された「『スプートニクの恋人』を中心に」で、著者は島森路子氏を相手に次のように語っています。

「小説を書くのは、僕自身にとっても救いなんです。心が固くなるときって、誰にでもあるじゃないですか。そういうのを自分で開いていけるのは、一種の自己治癒でもある。まあ、こういう言い方をすると今は癒しという言葉だけが強調されちゃうから、あまり言いたくはないんだけど、そういうことは少なからずありますね、やっぱり。そういう意味でも、小説を書くのは、僕にとってすごく大事なことなんです。それは自分の作品を生み出すことであると同時に、自分自身を変えていく、自分自身をバージョンアップしていくことでもあるわけだから」

「文學界」2003年4月号では、「『海辺のカフカ』を中心に」で、湯川豊氏、小山鉄郎氏に対して次のように述べています。

「人間の存在というのは2階建ての家だと僕は思ってるわけです。1階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話したりするところです。2階は個室や寝室があって、そこに行って1人になって本読んだり、1人で音楽聴いたりする。そして、地下室というのがあって、ここは特別な場所でいろんなものが置いてある。日常的に使うことはないけれど、ときどき入っていって、なんかぼんやりしたりするんだけど、その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんです。それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何かの拍子にフッと中に入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。それは前近代の人々がフィジカルに味わっていた暗闇―電気がなかったですからね―というものと呼応する暗闇だと僕は思っています。その中に入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです」

また同じインタビューで、著者はフランツ・カフカの文学について語ります。カフカは小説を書くときにシステムをどういうふうに描写していこうかということに神経が行くことを指摘し、彼の物語性と細密さに対するこだわりは恐ろしいくらいであるとして、著者は次のように述べます。

「カフカのエピソードでひとつすごくいいのがあるんです。ベルリン時代の出来事なんですが、カフカが恋人と一緒に散歩していると、公園で小さな女の子が泣いている。どうしたのかと訊くと、人形が無くなっちゃったという。それでカフカはその子のために人形からの手紙を書いてやるわけです。本物の手紙のふりをして。『私はいつも同じ家族の中で暮らしていると退屈なので、旅行に出ました。でもあなたのことは好きだから、手紙は毎日書きます』みたいなことを。それで実際に彼は、その子のために一生懸命毎日偽の手紙を書くんです。『今日はこんなことをして、こんな人と知り合って、こうなって』と3週間くらいずぅーっと書いていって、子どもはそれによってだんだん癒されていく。最後に、人形はとある青年と知り合って、結婚しちゃいます。『だからもうあなたにお会いすることはできませんが、あなたのことは一生忘れません』っていうのが最後の手紙になっている。それで女の子もすとんと納得するわけです」

結局、「癒し」というものは「物語」によってもたらされるのでしょう。「グリーフケアの文化装置」としての葬儀の癒しも、じつは物語の癒しです。そして、カフカの物語にも村上春樹の物語にも、人の心を癒す力があります。

「物語」といえば、著者は次のようにも語っています。

「物語というのは、世界中にあります。ギリシャ神話の物語性、日本説話文学の物語性、ディケンズの物語性、ドストエフスキーの物語性、いろんなところにいろんな異なった物語性があるんだけど、世界中の神話に共通する部分があるのと同じように、物語性の中にもお互い呼応する共有部分というのが、いっぱいあるわけです。そういうものをひとつの座標軸として活用していくしかないんじゃないか。それを妙なスーパーナチュラルな形、たとえばオウム真理教みたいな、即効的な、『こうやったらここに行けます』みたいな形で持ち出すんじゃなくて、もっと高められた物語として、心の深い部分に届く物語として提示していけるんじゃないかというふうに僕は思っているわけです」

フランスの雑誌である「magazine litteraire」2003年6月号では、「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」のタイトルで、著者は次のように述べています。

「書いているときには、主要な人物が感じていることを僕自身も感じますし、同じ試練をくぐりぬけるんです。言い換えるなら、本を書き終えたあとの僕は、本を書きはじめたときの僕とは、別人になっている、ということです。小説を書くことは、僕にとって本当にとても重要なことなんです。それはたんに『書くこと』ではありません。数ある仕事のうちのひとつというわけにはいかないんですよ。あなたがおっしゃったように、それは通過儀礼のひとつのあり方でしょう。さまざまな障害に直面する主人公とともに、僕も進化するんです」

アメリカの雑誌である「THE PARIS REVIEW」2004年夏号では、「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」のタイトルで、著者はジョン・レイのインタビューを受けました。

当時の新作であった短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』に収録されている「かえるくん、東京を救う」を取り上げたインタビュアーが、この巨大な虫の物語は日本製のモンスター映画とかマンガの影響を受けているのかという質問をします。それに対して、著者は影響を受けていることはないと明言するのですが、さらに「古い言い伝えについては?」と問うインタビュアーに向かって、著者は次のように述べています。

「子供の頃にはたくさんの日本の昔話や、言い伝えみたいなものを聞かされました。そういう物語は子供が成長するにあたっては不可欠なものです。たとえば『かえるくん、東京を救』みたいな話はそういう伝承の貯水池みたいなところからやってきたものかもしれません。あなたがたアメリカ人にはアメリカの伝承の貯水池があるはずだし、ドイツ人にはドイツ人の、ロシア人にはロシア人のそういうものがあるはずです。しかしそれと同時に国や民族を超えた共有の貯水池みたいなものもあります。たとえばサン=テグジュペリの『星の王子さま』や、マクドナルドや、ビートルズのような」

さらに続けて、著者は次のようにも「物語」について語ります。

「物語というものが、現代において小説を書く上で重要なものごとになっています。文学理論がどうなっていようが、ボキャブラリーがどうなっていようが、大事なのはその物語が優れた物語であるか、そうではないか、という点にあります。僕らは今このようにインターネットの社会が出現したことによって、新しい種類の伝承のようなものを手にしています。これはひとつの大事なメタファーになります。そういう機能がこれから先、大事な意味を持ってくるかもしれない。このあいだ『マトリックス』という映画を見ました。これなんかは現代人の精神の生み出したフォークロアのひとつのタイプだと思う」

2005年10月にアメリカで刊行された『THE BELIEVER BOOK OF WRITERS TALKING TO WRITERS』では、「小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことのできる、個人的作話システムなのです」という長いタイトルで、ショーン・ウィルシーのインタビューを受けました。インタビュアーは、『ノルウェイの森』のレイコ、 スプートニクの恋人』のミュウなど、村上作品に登場する女性のミュージシャンはクラシックの教育を受け、何かしら呪われていると指摘し、「どうしてあなたの描く女性のミュージシャンはそんなに苦しまなくてはならないのでしょう?」と質問します。それに対して、著者は次のように答えます。

「僕は、音楽においても、小説創作においても、集中力というものは等しく中心的な役割を担っていると考えています。ただその集中力の外見が違っているだけです。音楽においては、パーフォーマンスそれ自体が最終的な表現形態になっていることが多いので、その集中のありようはどうしてもより短期的で、より表現的で、よりtangibleな(手で触れることのできる)ものになってきます。しかし小説創作の場合、集中はより長期的で、より内省的で、より強い耐性を持つものでなくてはなりません。エモーションは、僕の観点からすれば、むしろ日常的でありふれたものです。誰の中にもそれは存在しています。エモーションを持たない人間はいないはずです(そうですね?)。しかしそれをしっかりと手のうちにとらえ、客観性のあるイディオムで正確に表現するためには、時間を一時的に止めることのできるほどの強い集中力が必要とされます。そしてその集中力を少しでも長く維持することのできる体力、耐久力が必要とされます。それらは誰もが手にできるというものではありません」

スペインの雑誌である「Que Leer」2008年11月号では、「ハルキ・ムラカミ あるいは、どうやって不可思議な井戸から抜け出すか」というタイトルのインタビューにおいて、聞き手であるアントニオ・ロサーノの「世界中の何百万という読者たちにこれほど受け入れられていることを、どのように説明しますか?」という問いに対して、著者は次のように答えます。

「優れた物語、力に満ちた物語をもっていれば、いずれそれにふさわしい読者と出会うということです。美しい文体や知的な筋に価値はあるけれど、最終的に重要なのは、次々に起こる何かを読者に期待させることなのです。次の展開がどうなるのか読者が想像せずにはいられない。それが優れた物語です。言語や国境を越えて」

また、「モンキービジネス」2009年春号の「るつぼのような小説を書きたい(『1Q84』前夜)において、古川日出男氏を相手に著者は次のように言います。

「最近、僕は漱石を読み直していて、あの人は本当に小説を、短い間に書いていて、『三四郎』と遺作の『明暗』の間だって8年ぐらいですよね。
よくもまあ、これだけの短い期間でこんなに違うものが書けるなあって感心するんだけど、あえてそれに即していえば、僕自身、もう僕においての『三四郎』みたいなものの書き方はできないよなという気持ちはあります。
作家としては当然のことと思いますが」

わたしは、もともと夏目漱石の文学的DNAが村上春樹に流れていると思っていますので、この発言には非常に感ずるところがありました。

そして、スペインの雑誌である「The Catalan News Agency」2011年6月号の「これからの十年は、再び理想主義の十年となるべきです」において、著者は聞き手のマリア・フェルナンデス・ノゲラに対して、「楽観的でいることは、ときにとても難しいことです。でも良い物語は、誰のなかにも前向きな思いを呼び起こすはずです。良い物語というのは、人の心を鼓舞し、喚起し、揺さぶり、そして愛がとても重要なものであることを信じさせるはずです」と言います。
この言葉には非常に感銘を覚えました。著者は基本的に言葉の力、そして物語の力を信じている人であることがよくわかります。

最後に、『村上春樹 雑文集』を読んだときにも感じましたが、小説のみならず、著者の書いたエッセイやインタビューでの発言もすべて超一流の文学の香りがします。まさに当代一の「言葉の達人」、いや、著者には「言葉のチャンピオン」という表現がふさわしいように思えます。600ページ近くある分厚い本書ですが、チャンピオンの繰り出す言葉のパンチの数々に酔いながら一気に読了、最後は気持ちよくノックアウトされた気分です。

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