No.0776 民俗学・人類学 『日本のしきたり 30の謎』 歴史読本編集部編(新人物文庫)

2013.08.12

『日本のしきたり 30の謎』歴史読本編集部編(新人物文庫)を読みました。
本書の帯には、「豆まき、桃の節句、お花見、七夕・・・・・に込められた日本人の心と伝統」と書かれています。また、カバー裏には以下の内容紹介があります。

「お正月から大晦日まで、日本では古くから伝わる年中行事がとり行われます。たとえば、豆まきやお花見、七五三、お月見などは、誰もが一度は経験したことのある年中行儀といえるでしょう。 ところが、そうした身近な行事であっても、その由来や意味を問われると、誰もが口ごもってしまうのではないでしょうか?季節の移ろいと共に行われる行事には、古来の伝統としきたりに根ざした由来があると同時に、重要な意味が込められています。なぜ成人式を祝うのか、どうして桃の節句に雛人形を飾るのか・・・・・。それらの由来や意味を知ることで、季節の行事がより身近なものになるはずです」

本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
Q&A 年末年始・正月のしきたり
食事編/食べ物から福来たる
行事編/すべきことと、いけないこと
縁起物編/意味を知ってこそのご利益
年中行事に隠された由来とまじない
ご利益別 全国神社仏閣図鑑

「はじめに」では、次のように「しきたり」について述べられています。

「成人式(元服)やこどもの日(端午)、七五三は、おとなになるための『通過儀礼』としての意味をもちます。また、花見や月見、秋祭りは人びとの生活を支える稲作と密接な関係にあります。その根本には、『子どもが無事に育つように』『長生きできるように』という、生活に根ざした人びとの想いや願いが込められていることがわかります。これらの行事は、年月が経つにつれて、社会や人びとの意識の変化とともに、その多くが廃れつつあります。しかし、本来の意味を知ることによって、先祖から日本に受け継がれてきた大切な文化であるとわかり、なにより、いまを生きるわれわれにとっても必要なことだと感じられれば、堅苦しいものと思わなくなるでしょう」

この「はじめに」の一文を読んでもわかるように、本書でいう「しきたり」は礼儀作法ではなく通過儀礼や年中行事を意味するようです。

通過儀礼といえば、まず「成人式」が思い浮かびます。成人式は「成人の日」に行われます。「成人の日」が祝日とされるようになったのは、そう古いことではありません。昭和23年(1948年)に「国民の祝日に関する法律」で1月15日に定められたのです。昭和21年(1946年)、現在の埼玉県蕨市で行われた「青年祭」をモデルにしたそうです。祝日の趣旨として、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ための日、だとされています。

成人式について、本書では次のように書かれています。

「成人儀礼といっても、公民館に集まって騒ぐわけではない。例えば相撲、闘牛などの競技。また現在、ゴールデンウィークのころに各地で『大凧あげ』がおこなわれるが、こうした凧揚げも競技として成人儀礼の一環であった。沖縄に行くと、ハーリーなどと呼ばれる舟競争も見られる。さらには「印地打ち」などと呼ぶ石合戦も昭和20年代までは、おこなわれていたらしい。川を挟んで石を投げ合うというのだから壮絶だ。こうした修練を経て、初めて1人前の男として認められたわけである。したがって、成人儀礼と武家の成長祝いとが混ざり合って、男子の節供という日本独特の考え方が生まれてきた、ということがわかる」

また年中行事といえば、七夕が思い浮かびます。本書には、七夕について次のように説明されています。

「タナバタとはなにか。これを漢字で書くと『棚機』となる。国文学者にして民俗学者の折口信夫は、これを水辺に張り出した棚の上で、機織りをする神聖な女性がいたからではないか、と考えた。七夕の1週間後、重要な祭りに訪れる神に衣を捧げるためである。ではその重要な祭りとはなんであろうか。それは『盆』――現在では都市部を除いて月遅れの8月のイメージが定着しているが、本来は七夕の1週間後にやってくるのが盆であった」

仏教的イメージが強まる以前、盆は正月と同じように祖霊神を迎える神祭りの行事ではなかったかと考えられます。つまり、七夕とは盆の準備をする日だったのですね。

その「盆」のルーツについて、以下のように説明されています。

「まず仏教の方から考えてみよう。盆の本来的な言い方は仏教では『盂蘭盆会』という。サンスクリット語のウランバーナを漢訳した言葉だという。この仏事は、地獄に堕ちた母を助けるために、僧侶に食べ物を供えたという故事から来ている。日本にも飛鳥時代から取り入れられているというから、相当に古い行事である。そしてやがて、この盂蘭盆会は『施餓鬼』とも結びついた。
施餓鬼とは文字どおり『餓鬼』に施す儀礼。
死んでから餓鬼道に堕ちた者は餓鬼となって苦しむが、その餓鬼たちに供物を与えてやろうということになったのである。これで、なんとなく亡くなった人との関わりが見えてきたが、まだなぜ『戻ってくる』のかがわからない。
それを考えるために、今度は日本の民間信仰から考えてみることにしよう。
柳田國男が唱えた『祖霊信仰』は、歴史学的には推測の域を出ない論ながら、日本文化の根幹的な信仰だとされている」

さらに「七五三」についての記述が興味深いです。本書では、「なぜ三歳・五歳・七歳なのか」として、七五三に隠された謎を明かしています。まず、「七歳までは神のうち」という言葉を紹介して、次のように述べます。

「神のうちというのは、7歳までは神の領域とのことだが、それは人間としての魂が不安定で、ともするとあの世に帰ってしまいかねない――つまりは子どもの死亡率が高かったということを反映している。ここまでは民俗的な観念としての話であったが、今度は歴史的に眺めてみよう。じつは七五三の行事が始まったのは、それほど古いことではない。多くは第二次世界大戦後のことなのである。関西では戦前からあったというが、それでも昭和に入ってからの話らしい。しかしその素地になる儀礼は、古くから存在していた」

最後に、付録として「ご利益別 全国神社仏閣図鑑」が掲載されています。「金運上昇」「恋愛成就」「健康長寿」「出世成功」「勝負必勝」「試験合格」「いろいろなご利益」に分かれて各地の神社仏閣が紹介されています。わたしは、かつて監修を務めた『開運! パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)を思い出してしまいました。

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