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No.0864 日本思想 『「永遠の0」と日本人』 小川榮太郎著(幻冬舎新書)
2014.01.23
『「永遠の0」と日本人』小川榮太郎著(幻冬舎新書)を読みました。
著者は昭和42年生まれ、大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修士課程修了の文藝評論家です。著書に話題を呼んだ『約束の日 安倍晋三試論』および『国家の命運 安倍政権 奇跡のドキュメント』(ともに幻冬舎)があります。
本書の帯には「特攻とは何だったのか?」「あの戦争をなかったことにしたいすべての日本人に告ぐ」と書かれています。また、カバーの裏には以下のような内容紹介があります。
「『妻と娘のために必ず生きて帰る』と言い続けながら特攻を志願した、『永遠の0』の主人公・宮部久蔵。その強烈な生と死は、『特攻とは何だったのか』『日本人はなぜあの戦争を戦ったのか』という、我々が向き合うことから逃げてきた問いをつきつける。映画『永遠の0』から、『風立ちぬ』『終戦のエンペラー』、小説『永遠の0』、そして特攻隊員たちの遺書へ。丹念な読み解きを通して、『戦後』という見せかけの平和の上に安穏と空疎な人生を重ねてきた日本人に覚醒を促す、スリリングな思索の書」
本書の目次構成は、以下のようになっています。
「はじめに」
第一章 戦争は単なる悪なのか―映画『永遠の0』が照らし出す亀裂
第二章 「戦後日本」の美しき神話―映画『風立ちぬ』のアンビバレント 第三章 偽りと不信の日米関係―縮図としての映画『終戦のエンペラー』
第四章 「戦後」からの決別―小説『永遠の0』の奇跡 第五章 特別攻撃隊とは何だったのか
「あとがき」
本書のタイトルに入っている「永遠の0」とは、小説と映画の両方を指します。ちなみに本書は、まさに映画が全国公開される直前に出版されました。私が映画「永遠の0」を観終わった最初の感想は、「原作を読んだときの感動とは、ちょっと違うな」でした。原作小説を読んだときは流れるようにラストまで一気に持っていかれたのですが、映画では少々引っ掛かるところがありました。著者も、「はじめに」で次のように書いています。
「映画『永遠の0』は、小説『永遠の0』の緊張感のない単なる引き写しではない。映画として桁外れの美と独創と強烈過ぎる感動を見る人に約束する。一方、映画を見た者が、あらためて小説を丁寧に読み直したとき、この両者の間に、実は重大なずれと埋め難い亀裂が走っていることに気づくはずだ」
その「重大なずれ」「埋め難い亀裂」とは何なのか。著者は、続けて次のように書いています。
「もし、そのずれは何なのかが気になりだしたら、その人はどうしてももう一度映画館に足を運び――公開期間が終わればDVDを借りるなり買うなりして―、映画『永遠の0』の感動がどういうものだったかを確かめ直したくなるだろう。
こうして、書物と映画とが互いに互いを補い合う、これは表現の世界で、実は非常に稀なことだ。そして、書物と映画との交点に、徐々に浮かび上がるのは『あの戦争は何だったのか?そして今なお、私たち日本人を強く拘束する何であり続けているのか?』という問いである」
映画「永遠の0」の冒頭では、アメリカの空母に1機の零戦が突撃する場面が出てきます。零戦に搭乗しているのは、物語の主人公である宮部久蔵です。その特攻場面から一転して、「終戦60周年」の前年となる2004年の火葬場がスクリーンに映し出されます。久蔵の妻であった松乃の火葬の場面です。そこから多様な人間ドラマが展開され、最後には再び久蔵の特攻場面が出てきますが、わたしは本書を読んで映画の冒頭シーンとラストシーンが重なっていることに改めて気づきました。著者は、次のように述べています。
「冒頭の突撃は、死を媒介にして、彼がたった1人愛した女、松乃に繋がると共に、ラストシーンに繋がり、映画全体を宮部の特攻突撃による死で覆い、構造化する。映画全体が、宮部の特攻突撃に挟み込まれていることを知って、映画のラストに接するのとそうでないのとでは、感銘の度合いは雲泥の差となる。不注意な私は、2度目に見たとき、ようやく気づいた。特攻機でアメリカ艦に突っ込む宮部の死の直前の数十秒に、映画の全時間が綴じ込まれていたのだ。宮部の妻子への愛、戦友や教え子への思い、戦争への葛藤―その全てを、この数十秒が綴じ込んで、今や彼は『永遠の0』となる―」
著者のこの映画の構造に2度目の観賞で気づいたそうですが、1回しか観ていないわたしは本書を読んで「あ、なるほど」と思った次第です。著者はまた、「構造化そのものが映画『永遠の0』の感動の最大の源泉なのだ、だから、この映画は、少なくとも二度は見ないと本当の感動に辿り着けない、そう言うと映画の宣伝めいてしまうであろうか。・・・・・」とも書いています。まったく同感です。わたしは、「特攻機でアメリカ艦に突っ込む宮部の死の直前の数十秒に、映画の全時間が綴じ込まれていたのだ。宮部の妻子への愛、戦友や教え子への思い、戦争への葛藤――その全てを、この数十秒が綴じ込んで、今や彼は『永遠の0』となる――」という文章に深い感銘をおぼえました。
わたしは、この文章を読んだとき、ラ・ロシュフーコーの「太陽と死は直視できない」という言葉を連想しました。たしかに、太陽と死は直接見ることができません。でも、間接的になら見ることはできます。太陽はサングラスをかければ見れます。そして、死にもサングラスのような存在があるのです。それを「愛」と呼びます。「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できると言えます。「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。
誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きることができるのです。その意味で、映画の冒頭シーン、またラストシーンに登場した特攻機でアメリカ艦に突っ込む宮部の心は「愛」というサングラスをかけていたのでしょう。そして、ここでは「永遠の0」は仏教でいう「空」にも等しく無限の時間と空間を指しているように思います。けっして「無」ではありません。「無」ではなく「空」です。 人間の魂が永遠に生き続けられる絶対の時空です。
著者も、宮部が乗った零戦が下降するラストシーンについて述べています。
「下降に入ったときに、カメラは操縦する宮部を捉える。決死の表情で突撃する宮部。強烈な爆音と共に艦突撃へ、顔を歪めながら、最後の、そしてコンマ1秒の世界。・・・・・・画面は暗転し、『永遠の0』という文字が浮かび上がる。
宮部久蔵という人生の時計の針が止まった瞬間だ。
それは単なる死ではない。その瞬間に敵艦は粉砕された。
そしてまた、その瞬間に、別の愛の成就が決まったのである」
映画「永遠の0」には空戦のシーンが多数登場します。そして、その空戦シーンはこの上なく美しく描かれています。最近のハリウッド映画のCGの多用とは異なった細部の美の完璧を狙う画面づくりについて、著者は次のように述べます。
「なぜ、空戦の場面は、ここまで微細な計量と膨大なカットを積み重ねて、美しくあらねばならなかったのか。それは、ここでの美しさが、それ自体、戦争、人類、自然をめぐる古典的な1つの思想だからではないか。
こんなに美しく静かな、ほとんど神のごとく輝く風景の中で、死闘が繰り広げられる。その死闘もまた人間的醜悪さの対極にある。若い命が、各々の限界を賭し、戦闘機を生き物のように扱いながら、崇高さの領域に限りなく近づく。世界中の英雄叙事詩の発生を見れば明らかなように、まさにこの戦士の崇高さこそが、文学の発生だ。映画『永遠の0』の空戦場面の美しさは、そのような文学の発生を思わせるのである」
空戦すなわち戦闘場面を美しく描く・・・・・。この行為に対して、浅はかな平和主義者たちは「しょせんは戦争ではないか」と顔をしかめることでしょう。しかし、著者は「戦争」を悪とみなすことについて述べます。
「戦争が絶対悪だという極端な思想は、実は新しいものなのである。第一次世界大戦が、本格的な反戦思想を生んだほとんど最初と言ってよいだろう。この戦争で空戦が初めて展開された。ロンドンやパリなどの大都市が爆撃にさらされ、東部戦線では毒ガス兵器が使われた。英雄的な戦いではなく、武装した一般市民兵が、戦場を駆けめぐり、塹壕戦を強いられた。アガメムノンもアレクサンドロスもナポレオンも出現しなかった。英雄叙事詩の代わりに、大量殺戮と戦場の悲惨さのみの際立つ戦争となった」
そして、日本人にとって戦争とは何であったか。著者は次のように述べ、零戦の存在意義にまで言及します。
「日本人にとっての戦は美を生きるということであった。死と一番接している戦争に、日本人は、敵の皆殺しを考えなかった。大量殺戮と無縁な、しかし世界一美しく強靭な刀を日本人は生み出した。戦は皆殺しをし、征服し、敵の所有物を奪うものではなく、日本男児にとって、最も美しく死に旅立つ儀式だったのである。だからこそ、武具は、合理的であると同時に、死装束であり、死に旅立つ男性の美学の粋でなければならない。刀はその象徴なのである。そして、大東亜戦争における零戦こそは、その美学が20世紀まで持続していることの象徴だった」
零戦はよく日本刀と比較されますが、著者もこう書いています。
「要するに、零戦とは、戦う勇士の、鍛え抜かれた心身の延長として構想され、実現されたものなのだ。刀剣がそうであるように、それは人を殺す道具であるには、あまりにも美しい繊細さに息づく」
第一章「戦争は単なる悪なのか」の終りに、著者は次のように述べます。
「映画『永遠の0 』は、こうして最後まで戦後ヒューマニズムへの傾斜と、それへの批判とに、鋭く亀裂して終わる。観客は涙に濡れながら、その感動の質が何によるのか、実は、深い混乱の中に置かれることになる。
この映画の中で裁かれているのは、一見戦争の悲惨さに思えるが、実は、本当にこの映画が問うているのは、戦争を完全に過去の遺物と思い込み、置き去りにしてきた戦後の平和が生み出した我々の人生の空疎さの方だからである」
第二章「『戦後日本』の美しき神話」の冒頭を、著者は「宮崎映画は戦後日本が生んだ最も美しい神話の1つである」の一文で書き出しています。そう、第二章は宮崎駿監督の最新作映画「風立ちぬ」について著者の論が展開されます。そもそも「戦後日本」とは何でしょうか。それは、大東亜戦争終結後の日本を指すとして、著者は次のように述べます。
「『戦後日本』は、日米安全保障条約を核とするアメリカの軍事力の庇護のおかげで、平和と繁栄を享受してきた。もし仮に、日本の領土からアメリカの軍事力が完全に姿を消せば、中国を始めとする近隣諸国の野心によって、日本の独立は――ウイグルやチベット同様――瞬時に終わる。アメリカが、中東への関与を放棄すれば、日本のタンカーは中東の石油を安全に入手することは不可能になる。要するに、アメリカ抜きに『戦後日本』は成立し得なかった。それにもかかわらず、我々日本人は、その、自らの生存に関する最も本質的な事実から目を逸らし、『平和憲法』のおかげで平和が続いたというフィクションを信じ込んでいる。なぜ自分たちが生存できているのかという基本的事実を頑なに見ようとしない意識――それを私は閉鎖的だと言うのである」
そして、著者自身も愛してきたという宮崎映画こそは「戦後日本」に守られて見続けてきた夢であるとして、著者は次のように述べます。
「戦後日本の平和という政治的ファンタジーの中で、それに対応し、そのイデオロギーを祈りと愉悦によって美化する神話―それが宮崎映画なのだ。
その象徴であり、最も高い達成が『風の谷のナウシカ』なのは言うまでもない。昭和59年に公開されたこの傑作では、未来と古代とが無媒介に接続され、目眩のするほど神々しく牧歌的な世界が展開する」
さらに「神話」としての宮崎映画について、著者は述べます。
「宮崎映画は『戦後』と『日本』という特殊な組み合わせから生まれた神話である。それは『神話』であり得るために、アニメーションという媒体を特に必要としたのである。それを象徴するのが、観客を無重力的な空間に遊ばせる飛翔シーンだ。観客は、映画を見るうちに、地上の現実から飛び立ち、無限定な空間へと自己を解放する。身体感覚としての無重力感が、心理的な解放感と直通する。この飛翔シーンは、宮崎映画にあって、作品世界が、あらゆる歴史的、国家的な拘束から解放されていることを観客に体感させる装置だと言っていい」
アニメに詳しい評論家・岡田斗司夫氏は「風立ちぬ」こそは宮崎映画の最高傑作であると絶賛しました。しかし、本書の著者である小川榮太郎氏の評価は厳しいです。小川氏は「要するに、愚かで頑迷な軍部と、それを適当にあしらいながら、その要求をはるかに超えた飛行機作りの夢へと我が道をゆくしなやかなヒーロー堀越二郎という図式である。これはフィクションとは呼べまい。歴史への冒瀆だ。堀越の激しい憤慨が墓の下から聞こえてくるようだ」とまで書いています。
ここでいう「歴史への冒瀆」に関して、さらに著者は宮崎氏を批判します。
「彼は零戦を生むに至る歴史を正視しない。自分の映画を成立させているアメリカの庇護による戦後の平和も直視しない。しないが、宮崎の心は、どこかで戦後の平和と鋭い不協和音を立てる零戦に惹かれる。老いた宮崎はある日『日本の少年』に立ち返って生涯の総決算をしようとする。そのとき、彼は、どうしても、フィクションではなく、彼自身の少年期を育んだ大日本帝国の歴史に立脚せねばならなくなる。彼は、惹かれつつ逃げ、逃げつつ、惹かれる」
著者は自身が最も好きだという宮崎映画の「風の谷のナウシカ」と「風立ちぬ」を比較しながら、次のように述べています。
「『ナウシカ』は文明否定の逆説を内深く孕み、緊張に満ちた世界を現出した。そういう意味では、映画『風立ちぬ』は、零戦否定の映画では全くない。それどころか、歴史的条件の中での零戦の魅力に惹かれている人の作った映画だ。
『ナウシカ』では、文明と非文明という主題が映画の中で葛藤していた。が、『風立ちぬ』が抱え込んでしまったのは、人間宮崎駿自身の心理的葛藤なのである。『ナウシカ』の爽快感は、主題の矛盾に切り込んだ宮崎の表現者としての果敢に由来する。『風立ちぬ』にその爽快感はない。彼がこだわっているのは、あくまで『歴史』であり、『零戦』だ。先の半藤との対談でも、菜穂子の恋の場面も、この映画の美しさも、全く話題になっていない。表現者として本当にこだわったのは菜穂子ではなく、あくまで零戦だったのだ。にもかかわらず、映画は歴史と零戦を徐々に消去し、最終的には菜穂子の恋の物語として完成する」
そして第二章「『戦後日本』の美しき神話」は、以下の一文で終っています。
「『風の谷のナウシカ』という緊張溢れる倫理的な神話に始まった宮崎映画が、自らの心理的葛藤と歴史とを隠蔽する傑作『風立ちぬ』という美しくも逃避的な終章でその環を閉じてしまっていいものかどうか。作品が美に打ち震えながら、作者その人を糾問している、私にはそう見える。・・・・・・」
わたしは、この文章を読んで震撼しました。作品が美に打ち震えながら、作者その人を糾問している」なんて文章、なかなか書けるものではありません。著者の本を読んだのはじつは本書が初めてなのですが、その文章の巧さ、美しさには感服することしきりでした。おそらくは著者も大いに意識しているであろう(実際、本書にも登場する)小林秀雄のイメージと重なりますね。
第三章「偽りと不信の日米関係」では、ハリウッド映画「終戦のエンペラー」が取り上げられています。この映画の主人公は、日米戦争と占領政策に深く関わったボナー・フェラーズ准将です。1945年8月30日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の司令官としてダグラス・マッカーサー元帥が日本に上陸します。彼は、日本文化に精通している部下のフェラーズ准将に極秘任務を下します。それは、太平洋戦争の真の責任者を探し出すというものでした。さらに言えば、天皇裕仁に戦争責任はあるか否かを判定するという重大なミッションだったのです。
著者は、この映画「終戦のエンペラー」を「見れば見るほど奇妙な映画」と表現します。原作は『終戦のエンペラー 陛下をお救いなさいまし』岡本嗣郎著(集英社文庫)という歴史ノンフィクションですが、著者は次のように述べています。
「この本で明らかにされているフェラーズの役割は対日心理作戦である。フェラーズの大学での卒業論文は『日本兵の心理』だったと言うが、フェラーズがマッカーサーの腹心だったこともあり、本書によれば、彼の心理分析が占領政策に与えた影響は大きいとされる。天応の戦犯訴追を退ける工作活動はあくまでその一部である。映画では、それが、日本人を恋人に持つ日本通フェラーズによる、天皇の戦犯訴追免除の物語に化ける。心理作戦の側面は消去され、善意のアメリカ人による日本救済の美談になっている」
著者はこの映画が俳優・スタッフたちの驚くべき無知から作られていることを詳しく指摘し、「正義のアメリカが日本軍国主義を裁く」という構図を暴き出します。そして、日本にはもともとアメリカに戦争を仕掛けるという野望はなく、その開戦が不可避だったことを歴史的事実に基づいて検証しつつ、大東亜共栄圏の真の意義について次のように述べます。
「日本の大東亜共栄圏の構想は、ガンディズムのような近代の否定ではなく、白人近代の暴力性を、建設と共存の論理に置き換えようとしたものである。
それはたしかに思想として充分練られたものでもなく、現実が理念を裏切ることは多々あった。だが、大東亜共栄圏構想を軽薄な後づけの理屈、きれいごとだとかたづけることはできない。そんなことを言えば、人類のあらゆる理想は皆後づけの理屈のきれいごとであろう。キリスト教を始め、宗教が救った人間と殺した人間とどちらが多いか。ドイツ観念論哲学やドイツ音楽の精華がナチスドイツの出現を代償し得るか。フランス革命の理念が五箇条の御誓文より高い普遍性を持っているか」
戦時中の日本の指導者たちは「狂気」の中にあったと、アメリカは断罪しました。しかし、著者は敢然と以下のように述べています。
「一般市民を緻密な爆撃計画のもと殺し続け、2発の原爆を投下して、一瞬で14万人、7万人を抹殺する。―これこそ狂気ではなかったのか。このアメリカの狂気の前に、日本の軍国主義など通常の戦意高揚の域を出まい。日本軍の軍規は一般に厳しく、無差別殺人は強く戒められた。国策として無差別殺人が計画されたこともない。原爆投下の正当化のために持ち出された南京虐殺や重慶空爆はその後、中国や日本国内の反日左翼が主導する反日プロパガンダにより極度に歪められてきた。まして、陸軍士宮が『鬼畜米英を撲滅せよ』と演説をぶち、『天皇陛下に捧げた命だ、潔く捨ててくれ』と訓示を垂れることが、50万人の一般市民を空中から殺戮したアメリカ以上の狂気だと言える者がいるなら、名乗り出るがよかろう」
この著者の勇敢な物言いは、本書に何箇所か出てきます。たとえば「あとがき」には、「右翼による戦争肯定」「特攻賛美」という類のレッテルを著者に貼りたい者に対して、「そんなにレッテルを貼りたいなら、私は逃げも隠れもしない。実際に面談に来て、私の背中にレッテルをシールでべったり貼ってみたまえ」と挑発したりしています。かの小林秀雄は「勇ましいものはいつでも滑稽だ」という言葉を残しています。でも、わたしは著者の勇ましい物言いを「滑稽」だとは感じませんでした。著者の魂の奥底から止むに止まれず噴出した言葉であると思いました。
映画「終戦のエンペラー」のクライマックスシーンは、マッカーサーと初対面を果たした昭和天皇が、あまりにも有名なツーショット写真を撮り終えた直後、マッカーサーに自身の偽らざる思いを述べる場面です。そう、戦争に対する自らの責任について心のままに述べるのです。このシーンを見て、わたしは涙がとまりませんでした。歴代124代の天皇の中で、昭和天皇は最もご苦労をされた方です。その昭和天皇は、自身の生命を賭してまで日本国民を守ろうとされたのです。昭和天皇が姿を見せるシーンは最後の一瞬だけでしたが、圧倒的な存在感でした。そして、実際の天皇の存在感というのも、この映画の「一瞬にして圧倒的」という表現に通じるのではないかと思いました。
しかし、この昭和天皇の行為を「事実ではない」とか「マッカーサーの創作」などと言う輩がいるそうです。このような声に対して、著者はこう述べます。
「そもそも、創作しようにも、西洋史の文脈からは、このような発言をする君主は想像できなかろう。欧米の近代史を通じて、このようなリーダー、特に君主は存在しない。指導者が捨身の覚悟を示すことは、むしろ、非常に日本的なことだ。日本人である我々にとってこそ、リーダーたる者は、いざとなればこのような責任の取り方をするものだと考える。欧米では違う。君主はしばしば命乞いをする。一方、強いリーダーはあくまでも自己の正当性を主張し、戦い抜く。つまり、命乞いもせず、強力なリーダーシップを打ち出すのでもなく、進んで静かに責めを負うリーダー像はいかにも日本的なのである」
それでも、著者は映画「終戦のエンペラー」を認めません。第三章「偽りと不信の日米関係」の最後を次のように締めくくっています。
「死闘からは尊敬と友情が生まれる可能性もあるが、洗脳からは侮蔑と不信を秘めた偽りの関係しか生まれない。無関心しか生まれない。結局GHQの占領政策は、戦後日本の精神を堕落させただけでなく、日米関係そのものの本来的な可能性を奪うことで、世界の秩序を毀損し続けているのではないか。
『日米関係の戦後』ほど、偽善だけでできたすれちがいの歴史はない、この映画の全てがその戯画だ。私にはそう見える」
第四章「『戦後』からの決別」では、百田尚樹氏の国民的大ベストセラー『永遠の0』が論じられます。冒頭で「永遠の0」の映画と原作小説との間に「重大なずれ」「埋め難い亀裂」があると書きましたが、著者は次のように述べています。
「映画では、妻子の顔が見たいがために、戦場で命を惜しんでいるという話に単純化され、しかもそれが無条件に素晴らしいことになっている。
が、原作『永遠の0』は、実は、作者によって『死にたくない宮部』が、最初から相対化されている。宮部の相対化を重ねて、むしろ、戦争忌避的な軍人だった宮部の実像が深められ、それによって戦争の実相もまた立体的に浮かび上がる。ここが映画とは根本的に違う」
それでは、「戦争の実相」とは何か。著者は次のように述べます。
「戦場での兵士・軍人たちの手記は、死と隣り合わせの中で平常心を養い、死を受け入れる心を練る日々を多く伝えている。戦友の死に自らの死を重ね合わせ、覚悟を深めてゆく彼らの心境は、おそらく、その場に身を置けば極めて自然なものだった。その覚悟に努めて背きながら戦場で生き続けた宮部―エンターテインメントの形を取りながら、この宮部像は非常にラディカルな思考実験の産物だと言えよう」
「宮部はなぜ特攻を志願したのか」についても、著者は述べています。
「激戦の中にいる兵士は、戦場で生き残っている限り、絶えずどこかで『俺の命は彼らの犠牲の上にある』という感覚抜きにはいられない。
だからこそ兵士たちは、『明日は俺が真っ先に散ってみせよう』と肚を決め、心のバランスを日々調整する。その緊張の中で、彼らは勇猛さと諦念と冷静沈着さを少しずつ身につけてゆく」
この兵士たちの心情を察した著者の考察にも感心しました。しかし、それに続く以下の文章にはさらに深い感銘を受けました。
「こういうことなのかもしれない。宮部とは、いわば小説1冊分をかけて、こうした兵士の日常の心境へと読者を導くための、傀儡なのだ。最初から軍人精神そのものを生きている主人公では、現代の読者には取りつく島がない。宮部は、葛藤する。葛藤を丁寧に重ね、行きつ戻りつする。読者は読みすすめるうちに、その宮部の葛藤に自らを重ね合わせ始める。こうして読書が終わりに近づくにつれ、読者は自ら、宮部の死の決断を、自然に受け入れられるに至る。
つまり、この小説は二重箱のような構造になっているのだ、大きな箱で、大東亜戦争の簡潔な戦史を描きながら、小さな箱で宮部の葛藤を通じて、軍人として死ぬという生き方に読者を導くという。
こうして外側で進む戦局の厳しさと、宮部の中での生から死への転換とが重なり、戦争の物語が、現代人に理解可能なリアリティを獲得するのである」
3本の映画と1冊の小説についての批評も秀逸ですが、本書の白眉は第五章「特別攻撃隊とは何だったのか」にあります。有為の若者に死を要求する特攻は、禁じ手ともいえる作戦です。なにしろ国家が「九死一生」ならぬ「十死零生」を命令するのです。この特攻は、アメリカ人ばかりでなく多くの日本人からも「狂気」そのものであると考えられてきました。かくいうわたしも「特攻は、日本人の歴史における汚点」であると考えていました。また、「特攻を敢行して多くの若者たちに無念の死を強いた大西瀧治郎中将だけは許せない」とも思っていました。
しかし、著者は特攻について「いかなる意味でも狂気ではない」と断言するのです。逆に特攻を「人間的狂気の最も対極にあった作戦」であると位置づけます。著者によれば、人類の集団狂気は数々の革命や虐殺の歴史が示すように忘我の残虐さと、殺意なき大量殺人として現れます。ところが、特攻作戦は、立案者にも志願者にも、静かな理性と諦念と勇気があるだけだったというのです。
特攻とは、作戦遂行の過程のすべてが狂的なものから最も遠い作戦でした。逆に、少しでも狂的なものを残していれば作戦として成立しなかった。そのように指摘して、著者は次のように述べます。
「特攻隊員の勇気は比類ないものだった。葛藤がなかったのではない。だが、葛藤の末、それぞれが自分の命に20歳前後の若さで積極的な意味を見出し、区切りをつけた。葛藤を乗り越えて判断する理性と、断ち切る強い意志、そして突撃する勇猛果敢さが、彼らにはあった。多くの隊員が、自己を捨て切って出撃した。―激しく悟りを希求する禅僧が生涯座っても滅多に得られない心境、死を活路にした究極の生であろう」
さらに、作戦の全体を通じても、特攻は、無差別な拷問、強姦、殺戮という人間的狂気の、最も対極にあったとして、著者は以下の3点を指摘します。
「第1に、特攻は敵を絞り込む。非戦闘員への無差別攻撃ではなく、最大の戦果を求めて、叩くべき極点を限定した戦術だった」
「第2に、ほとんど戦力を失いながら、終戦工作に入らざるを得なかった戦争末期にあって、最大効果が見込める作戦だった」
「第3に、その効果を上げるために、事前の研究と実験が短時日のうちに重ねられ、出撃者は、特攻に特化した訓練や作戦方針を立ててから出撃した。彼らは任務遂行の自覚を持って出撃したので、暗雲に死にに出たのではない。それはたしかに生ある者にとって極限的に残酷な理性の行使であった。だが、彼らはそれを完遂した。つまり、特攻は、逆上とは反対の精神で準備されたのである」
大西中将があえて特攻に固執した真意は何だったのか。大西中将についての書『修羅の翼』を書いた角田和男氏は、直属の参謀長であった小田原俊彦少将から直接に聞いた話として、以下の大西談話を紹介しています。
「これは、九分九厘成功の見込みはない。
これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。ではなぜ見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが2つある。
1つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。
2つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、5百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである」
小川榮太郎氏は、大西中将の真意を以下のように要約しています。
「日本には、もはや戦争遂行能力はないが、終戦工作は極めて困難であり、下手をすれば内乱により亡国に拍車がかかる。
インディアンやハワイの運命を思うと、無為のままアメリカの本土上陸を許して占領されれば、おそるべき奴隷化政策になる可能性がある。
終戦工作のために、最後の一戦でも勝ちたい。それには特攻しかない。 が、それでも99パーセント勝てない。
だが、勝てずとも、必死必中の特攻作戦は、若者の国を思う至情によって陛下の御心を動かし終戦の御聖断が必ず下るであろう。
その民族的記憶が、5百年後、千年後の、民族再興の灯となるはずだ。―」
特攻の成果についても、著者は従来の定説を覆しています。特攻攻撃がアメリカ海兵隊の兵士たちに与えた衝撃と恐怖があまりにも大きかったために、アメリカ側は極度に過小評価して事態を鎮静しようとしました。その結果、「日本のカミカゼ特攻は完全にその使命に失敗した」というニミッツ提督の談話や「体当たり攻撃は1パーセントしか効果的ではなかった」というミッチャー中将などのコメントがまことしやかに流布したのです。
しかし、実際の特攻作戦は圧倒的な戦果を挙げていました。アメリカ海軍が戦後公式に発表した『第二次大戦米国海軍作戦年誌』(出版協同社)によれば、全作戦合わせての10ヵ月間の特攻の戦果は、沈没32隻(護衛空母3、駆逐艦14、小艦艇およびその他15)、損傷278隻(正規空母16、軽空母3、護衛空母17、戦艦14、重巡6、軽巡8、駆逐艦143、小艦艇およびその他71)でした。まさに、圧倒的な戦果ではありませんか。
著者は、特攻作戦の持つ本当の意義について述べています。
「この特攻の脅威あってこそ、太平洋におけるアメリカの制海権は最後まで完全な自由を持てなかったのである。もし特攻がなければ、アメリカは大船団を引き連れて日本近海まで自由に到達し、作戦の拠点としただろう。そこから本土を蹂躙する自由をアメリカは手にしたことであろう。そして現在我々が知る以上に空爆を重ね、満を持して日本本土に上陸したであろう。
こうして戦争末期は、リンチのようなワンサイドゲームになったであろう。 有色人種である日本人が、一方的なリンチで敗北したら、敗戦処理はどうなっていただろうか。国家主権そのものが半永久的に剥奪され、世界は植民地から解放されたのに、肝心の日本は奴隷の国に落ちぶれなかったと言えるか」
わたしは特攻基地があった鹿児島県の知覧にある特攻平和会館を訪れました。そこには、1000を超える死者の遺影や遺書や辞世の歌などが展示されていました。遺書や辞世に書かれた字および内容はどれも立派で、現在の若者のそれとは比較にもなりません。わたしが直接見たどの遺書にも、「自分は死んでゆくけれども、残った家族や国民には健康で幸福な人生を送ってほしい」「どうか自分が死んでも悲しまないでほしい」といったメッセージが記されていました。わたしは、そこに「自己犠牲」という武士道の伝統を見た気がしました。南の空に散っていった神風特攻隊の少年や青年たちは、たしかにサムライでした。
しかし、これらの遺書にもケチをつける輩がいます。彼らは、遺書を書いた英霊たちは悪しき軍国主義に洗脳された犠牲者であり、もしくは軍部の検閲のために「死にたくない」という本音を書けなかったのだというのです。このような心ない意見に対して、著者は次のように述べます。
「あなたは夜、号泣した自分の姿を家族や恋人に知ってほしいか。
それが私の人間味で、真実の姿だと語り継いでほしいと思うか。
情は抑え難い。人であれば当然である。だがそんな自分を家族に語り伝えてほしいか。生き残っていれば、愚痴も出よう。だが、今まさに死ぬのである。
遺影が愚痴であり、号泣であってほしいとあなたは思うであろうか。
遺書に書いた通りの、立派な男児としていつまでも記憶してほしいのではあるまいか。最高の笑顔で飛行機に乗り込む勇姿を、生き残った戦友には語り伝えてほしいのではあるまいか。
死者をして自ら葬らしめよ、これこそが、極限の死を死んだ特攻隊員たちへの礼節ではないのか」
この「死者をして自ら葬らしめよ」という言葉には、心から共感しました。また、大空に散った若者たちの遺言について、著者は次のようにも書きます。
「言葉少なな遺言は万言に優る。『空からお別れすることが出来ることは、何よりの幸福』との文言は、両親に、庭先から、生涯何度空を仰がせたであろうか。『卓也は常にお側にあります』という言葉はどれほど深い実感で両親の晩年を支えることになったであろう」
この死者に対する敬意と愛情に満ちた著者の文章は、何度読んでも泣けます。
さらに、著者は次のように死者への想いを綴っています。
「若死が悲惨で中途で無念な死なのでない。彼らは、これ以上ないほど命を生き切っている。国への愛と強い信念と友情と家族への燃える感謝とに。蛇のように賢しらな人間が囁く、君らは体制に利用され、天皇制に利用され、軍部に利用され、財閥に利用されているだけだと。だが、無垢な命は何物にも利用されない。なぜなら命そのものが本当の意味で自足し、完全に燃焼し切っているからだ。彼らはそれを知っている。遺書の平常心がそれをたしかに伝えている」
特攻作戦の責任者であった大西中将は、敗戦の日に自決しました。彼の遺書が本書の最後に全文紹介されていますが、その前に次のように書かれています。
「生前特攻隊員に向かい『諸君だけを死なせはしない。自分も必ず後を追う』と訓示した上官は多かったというが、自決した者は少ない。大西は生前そういう若者に媚びることは一切言わなかったという。西郷隆盛に本当に私淑した、豪の者だった。言い訳せず、若者の顔色など1つも見ずに特攻の命令を下し続けたその人が、死ぬべき時を過たず、間髪容れず腹を切った。しかも大西は、駆けつけた者の介錯を拒んだ。有為の青年5千人もの死の直接の責任者として、死の苦しみを十数時間味わいながら、微笑を浮かべて絶命した。 大西の遺書は、全特攻隊員の遺文を受けて書かれた熟慮と断念と若者への激しい愛惜の血で書かれた絶唱である。百遍の熟視、味読に値する」
著者は「本書そのものが、読者がこの遺書を味読するための用意だった、そう言ってもかまわないとさえ思われる」とまで述べています。その大西中将の遺書は、あえてここでは引用しません。関心のある方は、是非本書をお読み下さい。わたしは、この遺書を読んで、大西中将という方に対する見方が一変しました。そして、これまでの誤解と偏見を心から詫びる気持ちで一杯になりました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という本が不世出の柔道家・木村政彦の名誉を回復したように、本書は大西瀧治郎の名誉回復の書です。あの世で大西中将も喜んでいることでしょう。そして、本書は331冊目の幻冬舎新書です。もちろん、わたしは幻冬舎新書をすべて読破したわけではありませんが、タイトル倒れの本が多い同新書の中において、本書は最高傑作ではないでしょうか。
最後に、本書は大いなる「引用」の書でもあります。くだんの大西中将の遺書をはじめ、膨大な文献が引用・紹介されています。中には数ページにわたる長い引用文もありますが、すべて著者の論考を輝かせる効果を発揮していました。一般に、長い引用などは良しとされない風潮がありますが、本書はそんな下衆の常識も打ち破ってくれました。意味のある引用は大いにするべし!
ということで、この書評でもたくさん引用させていただいた次第です。本書は、わたしの魂を大いに揺さぶった名著でした。著者の次回作にも大いに期待いたします。