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No.0866 日本思想 『ゼロ戦と日本刀』 百田尚樹&渡部昇一著(PHP研究所)
2014.01.27
『ゼロ戦と日本刀』百田尚樹&渡部昇一著(PHP研究所)を読みました。
わたしの父の恩師である樋口清之先生の往年のベストセラー『梅干と日本刀』を連想させる秀逸なタイトルです。ただし、「美しさに潜む『失敗の本質』」というサブタイトルには違和感を少々おぼえますね。
本書は、言うまでもなく国民的大ベストセラーとなった小説『永遠の0』の著者と「現代の賢人」と呼ばれる保守論壇の大御所が大いに語り合った対談本です。
カバー表紙にはタイトルにもその名が入っている「ゼロ戦」(零式艦上戦闘機)のイラストが描かれ、帯には「日本はあの戦争に勝つチャンスが何度もあった」「日本人の記憶と魂に触れる『永遠の0』の世界」と書かれています。
本書の内容は、「Voice」2013年4月号「憲法改正で『強い日本』を取り戻せ」、同9月号「0に懸けた祖父たちの思い」、2014年1月号「『永遠の0』で敗戦史観を超えよ」という3つの対談記事を元に大幅に加筆再構成したものです。その本書の目次構成は、以下のようになっています。
まえがき「奇跡の戦闘機が教えてくれたこと」(百田尚樹)
巻頭対談「ゼロ戦と日本刀」(百田尚樹×渡部昇一)
第一部 戦争の勝敗を分けたもの
第一章:真珠湾奇襲攻撃は騙し討ちか(渡部昇一)
第二章:アメリカは一度も宣戦布告をしていない(百田尚樹)
第三章:ミッドウェー海戦の敗因(渡部昇一)
第四章:ガダルカナル島でもチャンスはあった(百田尚樹)
第二部 二十世紀の歴史は石油が動かした
第五章:エネルギー革命が戦争を一変させた(渡部昇一)
第六章:石油を制する国は世界を制す(百田尚樹)
第三部 戦後の復興を支えたもの
第七章:敗戦を戦後の糧にした(渡部昇一)
第八章:原動力は働く喜び(百田尚樹)
第四部 強い日本を取り戻す
第九章:マッカーサーの証言を知ってほしい(渡部昇一)
第十章:国民の声なき声が聞こえるか(百田尚樹)
あとがき「日本人の記憶と魂に触れる『永遠の0』の世界」(渡部昇一)
巻頭対談で、いきなり百田氏が「ゼロ戦は、あらゆる意味で日本と日本人を象徴していると思います。資源の乏しい国がこしらえたゆえに、美しさと表裏一体のもろさをもっている。たとえるとその斬れ味は、日本刀に似ています。美しく強靭でありながら、同時に折れやすい」と語ります。
また、ゼロ戦を日本刀に喩えた百田氏は、次のようにも語ります。
「日本刀は、とにかく丈夫で強く重たい西欧や中国の刀とはまったく違います。日本刀がもつ美しさと表裏一体の脆さは、『盾』の思想がない日本そのものなのです。もともと『矛盾』という言葉があるくらい、矛と盾は同時にあるのが常識です。ところが日本には『矛』はあっても、『盾』の思想・文化がなくなってしまった。盾と矛が同時にある西欧人は、まず巨大な盾で相手の剣を防ぎ、そして剣で攻撃する。この戦い方が自然と身についているんですけど、日本人は違う。いつの間にか、お互い生身の体で斬り合うようになった。『攻撃は最大の防御』で盾の思想がないんです」
ゼロ戦は世界最高の戦闘機でした。それなのに、日本はなぜ負けた? 両者は「資源のない国が人を大事にしなかった」からであると喝破します。
ゼロ戦はその機能性のみで開発され、搭乗する人間のことを考えていませんでした。百田氏は彼らの思いを『永遠の0』の中で、主人公の1人であるゼロ戦パイロットにこう語らせています。
「8時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。8時間もの間、搭乗員は一時も油断は出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で、8時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。8時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」
渡部氏は「そうした実態を知っていたはずなのに、連日、下士官に出撃命令を出していた上官たちは、真の意味で堕落していたというべきです」と断じます。それを受けて、百田氏はさらに次のように語ります。
「ラバウル航空隊について調べると、とくに歴戦の搭乗員が何度も発進しています。経験の浅いパイロットは撃墜される可能性が高いけれども、歴戦のパイロットは簡単に墜ちない。つまり人よりも飛行機が大事という発想のもとで、優秀なパイロットが出撃を繰り返し、命を落としていったのです。日本海軍はとことん人間を大事にしませんでした。資源のない国が、モノを大事にして人を大事にしなかったことが敗戦を招いた、といってもよいでしょう」
続いて、百田氏は次のように日本人の国民性にも言及します。
「日本海軍の思想は攻撃一辺倒で、敵軍に攻撃を受けたらどう対処するか、という発想がもともとなかったのです。これは現在の有事立法にも通じる問題ではないでしょうか。他国から攻撃を受けることは考えない、ネガティブな状況ははじめから想定しない、という空気があって、予防の議論に至らないのです。いうなれば言霊主義みたいなものです。結婚式で『切れる、別れる』を使わない、受験生に『落ちる』といわないという忌み言葉と一緒です。しかし戦争に敗れれば即、国が滅びるわけですから、万が一を考えずにはおれません」
両者は、英霊たちが眠る靖国神社についても語り合います。まず、渡部氏が靖国神社について次のように述べています。
「ゼロ戦のパイロットたちは皆、『死んだら靖国神社で会おう』といって散華しました。英霊たちを顕彰するには、やはり天皇陛下がご親拝をされることが一番です。われわれも戦前、『神様には正一位稲荷大明神などさまざまな位があり、神社にも神宮や天満宮など種類があるが、天皇陛下が参拝される神社は別格である』と教わって育ちました。日本に神社は数あれど、伊勢の神宮などの皇室の先祖神を祀った神宮は別として、天皇陛下が深々と頭を垂れられるのは唯一、靖国神社だけである、と」
この渡部氏の発言を読んで、わたしは嬉しくなりました。わたしがいつも言っていることを渡部氏が代弁してくれたからです。わたしは昨年、『命には続きがある』(PHP研究所)という本を上梓しました。東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長の矢作直樹氏とわたしの「命」と「死」と「葬」をめぐる対談本です。その中でも靖国神社への首相参拝はもちろん、本来は天皇が親拝をされるべきであると訴えました。
ちなみに矢作氏との対談はPHP研究所の特別応接室で行われましたが、百田氏と渡部氏との対談もまったく同じ部屋で行われたようです。本書に掲載されている対談写真でわかりました。矢作氏は日本に強い誇りを抱き、『天皇』(扶桑社)という本も書かれています。ぜひ、いずれ百田氏や渡部氏との対談が実現することを期待しています。できれば、わたしも参加したい!
さて、靖国神社に眠る英霊たちについて、渡部氏は次のように述べます。
「散華した特攻隊員たちの魂は靖国の英霊となって、いまもこの国を護ってくれています。天皇陛下がご親拝をされれば、それだけで日本にとって50個師団にも相当するほどの力になるのではないか、と思います。兄よ、父よ、祖父よ。あなたたちはまことに勁かった。どうか安らかにお眠りください」
この渡部氏の発言を受けて、百田氏も「現代の日本人にとって、神道はあまり馴染みがないかもしれませんが、昔から日本には神社という存在や、お参りという行為を身近に感じる精神風土がありました。日本には広い意味における宗教が、仏教以前の時代から存在しています。だからこそ、靖国神社の参拝を政治問題にしてはならないと思います。まして日本人の信仰について、中国や韓国に干渉されるいわれはまったくありません」と述べています。
第二章「アメリカは一度も宣戦布告をしていない」では、真珠湾奇襲攻撃が取り上げられます。このとき、日本が宣戦布告をせずに真珠湾を攻撃したことをアメリカは戦後も糾弾し続けました。しかし渡部氏は多くの著書において、宣戦布告しなかった背景には外交官の落ち度や不手際があったためであり故意ではなかったと述べています。この渡部氏の指摘を認めた上で、百田氏は次のように述べます。
「20世紀の戦争で、実際に宣戦布告して行なった戦争がいくつあるのでしょうか。ほとんどありません。戦争は宣戦布告なしに始まるのがむしろ『普通』です。なぜ真珠湾だけ特別視されなければならないのでしょう。
日本人は真珠湾で騙し討ちをした。『原爆を喰らったのは、騙し討ちしたからだ』『東京大空襲で10万人が死んだのは、おまえらが騙し討ちをしたからだ』と、アメリカは徹底的に日本人の意識に植えつけました」
さらに百田氏は、宣戦布告なき戦争について次のように述べます。
「ドイツは1941年6月、独ソ不可侵条約を破ってソ連へ侵攻しましたが、宣戦布告はしていません。そのソ連は1945年8月に、日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告のうえ参戦しましたが、1941年4月に発効した日ソ中立条約の有効期間は5年間でした。一方的な破棄は国際法上許されず、ソ連の対日参戦は完全な騙し討ちです。
また、アラブとイスラエルは何度も中東戦争をしていますが、宣戦布告は一度もされていません。ベトナム戦争でも、それから2003年のイラク戦争でも、アメリカは宣戦布告していません。そもそも第二次世界大戦後にアメリカが宣戦布告して戦争をした例はないのです」
第七章「敗戦を戦後の糧にした」では、渡部氏が非常に重要なことを述べます。
「大東亜戦争でアメリカに大敗した日本経済が戦後、見事に復興を成し遂げられたのは、何よりまず、莫大な埋蔵量を誇る中東の石油を、安い価格で大量かつ安定的に輸入できたことが大きいでしょう。戦後に発見された中近東の石油の埋蔵量は、当時の常識を超える膨大な量でした。中東の石油輸入の先鞭をつけたのはもちろん、出光興産です。資源小国の日本が生きるも死ぬも、結局のところエネルギーが問題なのです」
第九章「マッカーサーの証言を知ってほしい」でも、渡部氏は以下のような大胆にして核心を衝く発言を行います。
「日本がアジアの平和を保つために、もっとも有効な抑止力は核兵器だと思います。もし原子爆弾が開発されていなければ、冷戦下でいつ第三次世界大戦が起きても不思議ではありませんでした。歴史上、2000年以上にわたって戦争が絶えなかったヨーロッパで、現在60年以上戦争が起きていないのは、1955年に西ドイツ(当時)がNATO(北大西洋条約機構)に加盟し、アメリカとともに核兵器を発射できる資格を得たからです。いわゆる『核シェアリング』があるのです。そのため冷戦下で対立していたソ連も、西側諸国には手出しができませんでした。逆にいま、もっとも戦争の危険性が高い地域はアジアです。日本が核兵器の使用をアメリカとシェアしていないからだと私は思っています」
日本が真の平和を獲得するためには、軍事力の強化が必要です。隣国である中国や韓国と微妙な関係にあり、ましてや北朝鮮が武闘化していく現状を見れば、危機感は募るばかりです。第十章「国民の声なき声が聞こえるか」で、百田氏はこう述べています。
「日本では、『自衛隊を強化せよ』『軍隊をもて』という主張に対して、拒否反応を示す人が少なくないと思います。そういう軍隊アレルギーの人に言っておきたいことがあります。いま世界には、およそ200ヵ国の国がありますが、軍隊をもっていない国は27ヵ国しかありません」
日本が軍隊を持つためには、憲法改正が必要です。百田氏は述べます。
「世間では、いまだに『神聖な憲法を改正するなんてもってのほかだ』という憲法改正アレルギーが蔓延しているようですが、世界中のどの国も、憲法改正はごく普通に行なっています。アメリカは18回、フランスは24回、ドイツは58回憲法を改正しています。メキシコに至っては408回も改正しており、世界最多の回数といわれています。国民の生活、文化、思想あるいは国際情勢によって憲法を変えていくのは当然のことです。
67年も変化していない日本国憲法は、すでに『世界最古』の憲法です。これほど長い時間が経てば、国民生活も世界の情勢もすべてが変わっています。にもかかわらず憲法を一文たりとも変えないのは柔軟性がなさすぎます」
まったく、百田氏の言うことは理が通っていると感じました。本書では、2人の賢人が熱く国を憂いています。それでいて、けっして感情的にならず、努めて理論的に日本が今後も存続し、かつ発展していくための方策を探っています。ゼロ戦の問題点をはじめ、先の戦争を検証することで、現代日本の長所と短所がよく理解できたように思います。
さらに「戦後の復興」「これからの日本」についてまで、日本人とは何かをテーマに論じた本書は、1人でも多くの日本人に読んでほしいと思います。