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2014.03.18
『空の智慧、科学のこころ』ダライ・ラマ14世・茂木健一郎著(集英社新書)を再読しました。
本年6月に第10回福岡県仏教連合会主催「いのちとこころ」の講演会が開催されますが、その基調講演をわたしが務めることになりました。その告知ポスターにダライ・ラマ14世の写真が掲載されていましたが、その横に不肖わたしの写真も並んで掲載されており、恐縮しつつも本書の存在を思い出し、再読した次第です。
茂木健一郎氏と
もう1人の著者である茂木健一郎氏については、 奥田知志氏との共著『「助けて」と言える国へ』の書評スピーチを行った際にお会いしました。実際にお会いした茂木氏は、見るからに頭の良さそうな方でしたね。
帯には、著者2人が向き合う写真が・・・・・・
本書の帯には著者の2人が向き合っている写真とともに、「仏教と脳科学が、世界の現実を追究する。」「『般若心経』の教えと、論理的態度こそが、現代人の〈力〉になる!」と書かれています。本書には、ダライ・ラマ法王14世が2010年11月に来日した折、2日間にわたって新居浜で行われた3つの講演が収録されています。ダライ・ラマ法王と脳科学者である茂木氏の対談と、2回のセッションを通して行われた法王による『般若心経』の解説です。
本書の冒頭では「日本の読者の方へのメッセージ」として、ダライ・ラマ14世の言葉が述べられますが、特に『般若心経』についてのくだりが印象的でした。
「日本では、この経典は亡くなった人のために葬儀の際よく朗唱されますが、チベット人にとって『般若心経』は、すべての現象には実体がない、という空を理解するための生きた智慧なのです。そして、どうすれば私たちの日々の生活の質を改善し、よりよく変えていくことができるのかを説いているこの教えは、私たちに力と希望を与えてくれます」
すべての宗派の葬儀で『般若心経』が読誦されている訳ではありませんが、曹洞宗や真言宗などでは読誦されています。たしかに、日本においてはお経は、一般の方にとっては宗派を超えて葬儀を連想させるものとなっています。
本書の目次構成は、以下の通りです。
【序】困難な現代を生きる智慧 茂木健一郎
【一】空の智慧~『般若心経』の教えから ダライ・ラマ14世
(一)仏教とは
(二)「4つの聖なる真理」の教え
(三)『般若心経』の解説?
(四)空について
(五)『般若心経』の解説?
当日の主な質疑応答
註一覧/大本『般若心経』
【二】人間の脳と幸せを科学する
[対談]ダライ・ラマ14世/茂木健一郎
(一)心の平和を維持すること
(二)仏教の教えと科学
(三)瞑想と意識
(四)意識によって脳は変わるか
(五)仏教哲学と近代科学
(六)世界に出よ
あとがき マリア・リンチェン
【序】の「困難な現代を生きる智慧」では、ダライ・ラマ法王との2時間に及ぶ講演を終えた茂木氏がその感想について、以下のように述べています。
「ダライ・ラマ法王は、これまで多くの科学者と対談されてきたのだという。宗教と科学は対立すると思われがちである。それは、宗教を、無批判に信仰するものと考えるからである。そうではなく、宗教もまた、私たちが住むこの宇宙の『リアリティ』とは何かということを追究する営みなのだと、法王は強調された。私たちはいかにしてここにいるのか、生きるということはどういうことか? この、『リアリティ』にまつわる探究こそが、宗教の本来の姿なのだという。
リアリティを追究する際には、目上の者だからといって無批判になったり、経験的事実を無視してはいけない。ダライ・ラマ法王のお話を伺っていると、瞑想などの手法こそ違っていたとしても、貫いている精神は科学と全く同じなのだということが肌で感じられた」
科学に対する法王の真摯な姿勢については、わたしがWEBで連載している「一条真也の真心コラム」の「ダライ・ラマと科学者との対話」をお読み下さい。
法王との対談を終えた茂木氏は、以下のように述べます。
「本当の智慧を育むのは、哀しみの中でも共感と愛を忘れない強い意志である。祖国を離れて平和と共存を願い、毎朝3時に起きて勤行を続ける。その人の中に、困難な現代を生きる智慧が隠れている。だからこそ、私たちはダライ・ラマ法王から目を離すことができないのだ」
【一】の「空の智慧~『般若心経』の教えから」で、法王は述べます。
「最近の世界情勢をグローバルな視点から見てみると、環境問題、経済危機、国際関係などのさまざまな問題を解決するために、すべての現象は互いに依存しあって存在している、という『縁起』の考えかたは大変役に立ちます。
自分の健康のことを考えてみても、健康なからだは健全な心に大いに依存していますし、幸せな心を維持するためにも、からだが健康であるという条件が必要です。このように、自分ひとりの健康や幸せも、心とからだの依存関係によって成り立っています」
続いて、ダライ・ラマ法王は次のように語ります。
「私は最近、科学者と会って話をすることがよくありますが、科学者たちも、『健全な心、健康なからだ』と述べていて、からだと心は互いに依存しあっているという事実が科学的に裏付けられているのです。
つまり、空の意味は『縁起』であり、すべての現象は条件に依存して生じたものなので、『縁起』によって現れてくるさまざまな現象は、互いに依存しあって存在しているということが理解できれば、実体をつかむ心を滅するという空の目的を達成することができるのです」
ダライ・ラマ法王は、「空」について可能な限りわかりやすく語っています。しかしながら、この法王の言葉を即座に理解できる人が何人いるでしょうか。
やはり大乗仏教における「空」の概念とは難解であり、それを中心にすえた『般若心経』というお経も難解だと言えます。わたしも数え切れないほど『般若心経』を読みましたし、暗記さえしていますが、それが日々の生活を支える教えになっているとは残念ながら言えません。わたしが思うに、『般若心経』とは宇宙の本質を明らかにした科学論ではないかと思います。そこで、実際にわたしたちの「こころ」を支えてくれる教えとして上座部仏教の根本経典である『慈経』に注目し、わたし自身が『慈経 自由訳』(三五館)を上梓した次第です。
チベット仏教を含む大乗仏教を代表するコンセプトに「空」があります。ダライ・ラマ法王は、この「空」の本質について次のように述べています。
「空とは、言葉として『空である』と言うことはできますが、空について心に確信を得るためには、否定対象を否定したときの空っぽの状態を思い浮かべるしかなく、これが空であると思う心を起こすことはできません。
そこで、空には、『戯論のない空』という呼び名がつけられているのです。『戯論がない』とは、一切の妄想された虚構の概念がない状態のことであり、空を確信している心には、作り上げられた虚構の概念は何もありません。空の本質とは、このようなものなのです」
果たして、仏教とは『般若心経』の内容のように難解なものなのでしょうか。仏教そのものについても、ダライ・ラマ法王は次のように語っています。
「仏教とは、知性によって学び、智慧を育むことによって実践するべき教えなので、勉強するということが何よりも重要です。そのためにも、まず最初に教えを聞かなければならず、教えを聞かなければ、修行の方法を知ることはできません。仏教の修行は、教えを聞き、それについて考え、瞑想する、という3つの段階を踏まえて進めていかなければならないからです」
さて、本書には講演会における質疑応答も掲載されています。そこで、ある質問者が以下のような質問をダライ・ラマ法王に投げかけています。
「Q 日本では、『般若心経』は死者を弔うためのお経になっているようですが、チベットでは、生きている人間がより幸せになるための教えとして説かれていると聞いたことがあります。生きていくための『般若心経』の教えを、実際にどのように活用されているのか教えていただけたらと思います」
これに対して法王は次のように答えています。
「死者のためには、チベットでは阿閦如来のマンダラを捧げてお経を唱えたり、死者が来世で動物、餓鬼、地獄などの不幸な生を得ないように、マンダラの中に死者の骨を入れて、加持を得るためのお経を唱えたりする儀式があります。
『般若心経』には、苦しみを取り除き、より幸せに生きていくための教えが説かれています。空について考えると、煩悩の汚れをなくすことができるのであり、『苦しみの止滅の境地が存在するという真理』(滅諦)が示しているように、苦しみを完全に滅することは可能なのだと確信することができます」
【二】の「人間の脳と幸せを科学する」では、茂木健一郎氏との対談でダライ・ラマ法王は、次のように語っています。
「多くの科学者たちは、意識は脳とニューロンによって生じると信じています。ですから、脳やニューロンが機能を停止すると、意識も機能を停止すると考えているのです。しかし、科学者の中には、その逆に、心を訓練することによって脳に変化が起きる、と考えている人たちもいます。もし、すべての意識が脳の変化だけから生じているとすると、説明がつかなくなってしまうからです。
一方で、仏教的な観点から言うと、より微細なレベルの意識になるほど、それ自体で独立して存在する割合が大きくなるため、そのような微細な心を訓練することによって、脳に影響を与えることができる、と考えられています。仏教的な観点とはいっても、これは来世や前世についての宗教的な論議とはまったく関係がなく、そういったことに触れているわけではありません」
また両者の対談では、以下のくだりが非常に興味深かったです。
【法王】 仏教的な意識についての考えかたを説明すると、私たち仏教徒は、意識の連続体が存在するということを土台として、輪廻転生を信じています。つまり、微細なレベルの意識の流れは、はじまりなき遠い昔から数え切れないほどの生にわたって、途切れることなく連続した1つの流れとして現在まで続いている、という考えかたをしているのです。
【茂木】 そこで輪廻転生の思想と繋がるんですね。
【法王】 そこで、微細なレベルの意識が死後も存在し続けていることを示す現象として、1つの例をあげると、死んだあとも肉体が腐らず、新鮮な状態で1週間から3週間もの間とどまっていることのできる人たちがいるのです。
(『空の智慧、科学のこころ』p.164)
「あとがき」では、ダライ・ラマ法王の言葉を日本語に訳したマリア・リンチェン氏が次のように述べています。
「『瞑想』というチベット語は、『慣れる』という意味であり、今までの自己中心的で間違った考えかたを改めて、正しいよいものの考えかたに心をなじませていくことを意味する。たとえば、スポーツ競技なら、とてもできないと思えるような難しい技でさえ、少しずつ練習を重ねて慣れていくことによって、次第に簡単にできるようになる。それと同じように、空についても、自分なりに得た理解を、瞑想を通して心になじませていけば、少しずつ理解できるようになるのだ。そしてそれを、毎日の生活の中で次々と起きてくる問題や悩みを解決するために活用し、実践していけば、体験に基づいた理解となって育っていく。瞑想の修行とは、坐って目を閉じているだけではなく、日常の中にある」
ノーベル平和賞を受賞した世界的宗教家と現代日本を代表する脳科学者の対話は、それなりに興味を引かれる部分もありました。しかしながら、読書前の期待が高すぎたのか、正直言って物足りなく感じました。
それと、これは編集上の問題なのでしょうが、3つの講演会の時系列が乱れており、読んでいて混乱してしまう場面がいくつかありました。それぞれの講演ごとに日時をしっかりと明記したほうが良かったと思います。