No.0891 宗教・精神世界 『みんなの寺のつくり方』 天野和公著(雷鳥社)

2014.03.19

 『みんなの寺のつくり方』天野和公著(雷鳥社)を読みました。
 著者は青森県十和田市生まれ、東北大文学部(宗教学)卒。仙台市内の葬儀社で勤務したこともそうですが、現在は宗教法人「みんなの寺」の坊守(自称・寺嫁)をされています。「みんなの寺」は浄土真宗の単立寺院で、住職は著者の夫である天野雅亮氏。天野夫妻ともに実家はお寺ではないにもかかわらず、檀家、コネ、スポンサー、土地建物など、すべてありませんでした。それでも、四苦八苦の末に寺院を立ち上げられたのです。その情熱と行動力に感服します。

   「仏教交流シンポジウム」のようす

わたしは、パネル・ディスカッション「仏教交流シンポジウム」で著者と共演させていただきました。飛行機のトラブルで到着が大幅に遅れ、著者の参加は第2部からになりましたが、著者はミャンマー仏教の魅力を大いに語って下さいました。パネル・ディスカッションの終了後は、著者を含めた出演者全員で日本で唯一のミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」に参拝しました。

 いま、そのシンポジムの内容をまとめた単行本を出版する計画が進んでおり、間もなく上梓できるのではないかと思います。

「世界平和パゴダ」を散策する仏教交流シンポ出演者たち

 本書には「檀家ゼロからでもお寺ができた!」というサブタイトルがついており、帯には著者のファミリー写真とともに、「『一緒に、お寺をつくらない?』それは突然のプロポーズからはじまった!」と書かれ、さらに以下のように続きます。「お寺って新しくつくれるの? 手続きは? 檀家さん集めは? 資金は? 場所は? 建物は? 日本一の寺嫁を目指す著者が語るはじめてのお寺づくり」

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
第一章 「お寺をつくりたいあなたへ」
第二章 「一緒に、お寺をつくらない?」
第三章 「どうやって食べていくの?」
第四章 「今日からここがみんなの寺」
第五章 「寄付金・年会費ゼロのお寺に」
第六章 「そうだ、インドに行こう!」
第七章 「え、みんなの寺がもうひとつ!?」
第八章 お寺の奥さんになんか、なりたかったんじゃない」
第九章 「再び、お寺をつくたかったあなたへ」
「おわりに」

 途中、「お寺をつくりたい人へ このぐらいは知っておこう」として、以下の3つの項目が並んでいます。

 その1 僧侶の資格とは何か?
 その2 観光寺・信者寺・檀家寺の違い
 その3 宗教法人について

 また、本文中には以下のように6本のコラムが散りばめられています。

 「お寺には、二種類あるの?」「お寺の収入はどこから?」「みんなの寺設立にかかったお金は?」
 「宗教法人を取るには?」
 「どうすればお坊さんになれるの?」「お寺の仕事って何?」「みんなの寺の課題は?」「みんなの寺の現在の檀家数は? 収入は?」

 本書には、実家がお寺ではない夫婦が助け合って試行錯誤しながら寺院を開基し、運営に成功していくさまが感動的に描かれています。2人は500軒の檀家を持つに至りますが、本書は実務的な情報が満載で興味深かったです。コラム「お寺には二種類あるの?」の冒頭には、次のように書かれています。

 「宗教団体は、まず大きく『包括宗教団体』と『単位宗教団体』に分かれます。
 包括宗教団体というのが、いわゆる仏教でいう『宗派』の部分。同じ教えを信奉するグループです。単位宗教団体というのが、礼拝の施設を備えて布教活動を行う団体、つまり『お寺』です。そのお寺には2種類あります。『包括寺院』と『単立寺院』です」

 包括寺院とは、各宗派に所属しているお寺で、単立寺院とは、どこの宗派にも所属しない一匹狼の個人商店です。「みんなの寺」のように全くのゼロから立ち上げたお寺もあれば、もともとどこかの宗派に所属していて離脱したお寺もある。

 また、「宗派」とひとくちに言っても、規模やカラーは千差万別です。文化庁編の『宗教年鑑 平成21年度版』によれば、1940年、宗教団体法が成立した際にそれまでの伝統宗派『13宗56派』が28宗派にまとめられました。その後多数の仏教教団が分派・独立し、平成20年8月現在で文部科学大臣所轄包括宗教法人として、仏教宗派はなんと155もあるそうです!

 現在、お寺専業で家族全員が悠々自適に暮らしている例は少ないそうで、『お墓博士のお墓と葬儀のお金の話』(横田睦・光文社新書)で引用している「曹洞宗宗勢綜合調査報告書」によれば、お寺以外の仕事と兼業していると答えた僧侶は6割を超えていたそうです。
 また同書によると、ある雑誌の行ったアンケートで「お布施だけで寺院の維持運営ができている」と答えた寺院は4分の1弱で、「できていない」との回答は4割強だったとか。代々の檀家さんがいて、地縁血縁があり、宗教法人の税制優遇を受けているお寺でもそうなのです。ちょっと意外ですね。

 お寺がどこから収入を得るかというと、それはもう檀家以外にはありえません。檀家がつかなければ、お寺は収入を得られないのです。葬送を考える行政書士、勝桂子氏は一般的なお寺の経営について「檀家300件、葬儀が年間15回でほぼ維持できるギリギリのライン」と試算しているそうです。

 このように実務的というか現実的な話も興味深いのですが、本書の面白さというのはそれだけではありません。著者の夫である天野雅亮氏が霊能力の持ち主であり、そのエピソードのくだりが非常に魅力的でした。雅亮氏は、あるとき、先のことがわかるようになったり、幽体離脱をしたり、見えるはずのないもの、聞こえるはずのないものが次々に「わかる」ようになってきたといいます。

 著者は、夫の神秘体験について次のように書いています。

 「96年の、ある初夏の日。
 自転車に乗り坂を下っていた夫に、ある神秘体験が訪れました。突如まばゆいばかりの光に包まれ、頭の中に「何かが」とめどなく流れ込んできました。
 溢れ出す喜びに涙が止まらなくなり、そこで自然に『ああ、旅に出る時だ』とわかったそうです。三蔵法師の歩いた道をたどって、インドに行こう、と」

 そのインド修業がまた波乱万丈なのですが、雅亮氏は南インドではサイババに会い、北インドのダラムサラではダライ・ラマ法王に会い、カルカッタでは亡くなる2週間前のマザー・テレサにも会ったそうです。これは、すごい! インドに関連する三大カリスマにすべて会っているではありませんか!

 ここで再び、現実的な話題に戻りますが、「僧侶の資格とは何か?」について述べられた以下のくだりが勉強になりました。

 「現在、僧侶の資格は各宗派が独自に定める方法で与えている。当たり前のようだが、奈良時代は僧侶は公務員であり、国が定めた戒壇で受戒しなければならなかった(『戒名』の起源もここにある)。しかし、当時この受戒の正式なやり方がわからず、日本独自のやり方でやっていた。そこで中国に渡った留学生たちが僧として認められないというトラブルが頻発した。困った仏教界は、中国に頼んで鑑真に来日してもらい、東大寺大仏殿前の戒壇など日本各地に戒壇院を建て、受戒をしていったという訳である」

 「一緒にお寺をつくらない?」のひとことで結ばれた若い夫婦は、さまざまな荒波にもまれながらも、なんとか自分たちのお寺を開きます。その後、マスコミの報道によって、「みんなの寺」は一躍有名になったそうです。著者は、そのときの様子を次のように書いています。

 「メディアが堂々と『新しい「お寺」ができました』『若い「僧侶」夫妻が独立して開山』と明言してくださったおかげで、『みんなの寺はお寺である』という大前提が一気に出来上がったのです。包括寺院ならいざしらず、単立寺院を新規につくるときの最初にして最大のハードルを、軽々と乗り越えることができました。これほどラッキーなことはありません」

 結婚後、著者のコミック『ミャンマーで尼になりました』にも描かれているように、著者はミャンマーへ単身修行に行きます。ミャンマーといえば、国民の90%が仏教徒の国です。著者は、そこで生涯の師と出会い、「ありのままを受け入れる」ことの大切さを知ります。そして、ブッダが教えてくれた「幸せに生きる」ためのヒントに想いを馳せます。

 ミャンマー仏教といえば「瞑想」で有名ですが、本書にはミャンマーの瞑想センターについて以下のように書かれています。

 「瞑想センターの朝は3時の鐘から始まります。真っ暗闇に鐘の音が響く中で起床し、身支度を整えると、瞑想ホールへと移動します。
 4時から”座る瞑想”スタート。
 瞑想は”座る瞑想”と”歩く瞑想”が1時間ごとに交互に行われ、合間の食事や移動、シャワーも全て瞑想しながら行うように指導されます。
 5時から朝食です。上座部仏教の国では戒律どおり正午までしか食事をとらないため、食事は5時と10時の2回です。
 午後は飲み物のみ。黒砂糖や飴、蜂蜜を摂るのは許されます。
 6時から9時まで瞑想。10時に昼食。12時から夕方5時までまた瞑想。
 少し休憩して、6時から九時までまた瞑想。そして就寝です」

 ミャンマーから帰国した後、著者は夫と一緒に「みんなのお墓」というものをつくります。「みんなの寺」の墓だから「みんなのお墓」なわけですが、これがなかなかユニーク。そのシステムが以下のように説明されています。

 「共同墓の永代使用料は、ご家族単位の『個別埋蔵部』が30万円。『骨壷収蔵部』が15万円。みなさんと一緒に合葬する『合祀散骨部』が5万円と定めました。納骨以降の年会費や管理費などはかかりませんし、もちろん承継者も必要ありません。仙台市営墓地にも共同墓はあり、費用は30万円弱です。しかし、経済的な事情や故人との関係から埋葬にあまりお金をかけられないという例を今までに多く見て来ました。そのようなケースでは、30万円は決して安くない額です。できればもっと安価にできないものかと検討して、額を設定しました。
 おそらく市内で最も安価であると思います」

 さらに、「みんなのお墓」について、次のように述べられています。

 「安価であること、維持管理の面でも合理的であることのほか、お寺が管理する共同墓なので、お彼岸やお盆の法要を始めずっと供養してもらえるのはありがたいという声も多かったです。特に『個別埋蔵部』が人気で、42あった区画が3年ほどでいっぱいになり、2011年には新たに『個別埋蔵部』メインの共同墓を同じ霊園内にもう1基建てました」

 サンレーグループでは、あらゆる方々の”永遠の棲家”をご用意する樹木葬の霊園をつくる「鎮魂の森プロジェクト」計画を進めています。「無縁社会」や「老人漂流社会」を乗り越えるための試みの1つですが、わたしは、ミャンマー仏教の力をなんとか借りたいと考えています。

 この読書館でも紹介した『アップデートする仏教』には、「仏教3.0」というものが提唱されています。「仏教3.0」は制度疲労を迎えた日本仏教を再生させることであり、それがそのまま「アップデート」ということになります。

 でも、仏教に必要なものは「アップデート」とともに「初期設定」でもあります。わたしが『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)にも書いたように、仏教の「初期設定」とは開祖であるブッダの考え方にほかなりません。そのブッダの考え方に最も近いミャンマー仏教などの上座部仏教(テーラワーダ仏教)、すなわち「仏教2.0」の存在も無視することはできません。

 ヘーゲルの弁証法にならえば、「仏教1.0」としての現存の日本仏教とともに「仏教2.0」の上座部仏教も取り入れれば、正・反・合で「仏教3.0」が誕生するのかもしれません。それが日本人の精神生活のベースとなれば、葬儀や墓の問題も新たな展開を見せ、無縁社会をも乗り越える道筋が見える気がします。

 「みんなの寺」の歩みを本書で知ったわたしは、まさにここには仏教の「初期設定」と「アップデート」の両方があるのではないかと思いました。わたしもまた「仏教3.0」の誕生を夢みる者の1人ですが、本書『みんなの寺のつくり方』には仏教再生のためのヒントが溢れていると感じました。

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