No.0919 メディア・IT 『ネットのバカ』 中川淳一郎著(新潮新書)

2014.04.30

『ネットのバカ』中川淳一郎著(新潮新書)を読みました。
著者は1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者にしてPRプランナーです。一橋大学商学部卒業後、博報堂で企業のPR業務を請け負いました。2001年に退社し、雑誌のライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至ります。主な著書に 『ウェブはバカと暇人のもの』 (光文社新書)があり、わたしも大変興味深く読みました。ちょうどブログ休止中に読んだのですが、同書を読んで「ウェブって、本当にロクなもんじゃねえな。ブログなんか、もう二度とやらないぞ」と思ったものです。ところが、しっかり今もブログを書いているオイラでした。(苦笑)

本書の帯はこんな感じ

本書の帯には、「99.9%はクリックする奴隷。―ネット階級社会の身もフタもない現実を直視せよ」と書かれています。また帯の裏には、以下のような言葉が箇条書きに並んでいます。

●金目当てにステマをやる芸能人
●課金ゲームに大金をむしられる中毒者
●レイプ犯を擁護して大炎上した大学生
●来店した有名人情報をリークする店員
●陰謀論に飛びつく”愛国者”
●ネットで一攫千金を喧伝するエヴァンジェリスト
●ネットの論理を理解せずに不興を買う企業
そして「・・・・・・このバカだらけの海をどう泳いでいくか?」とあります。

帯の裏はこんな感じ

さらにカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。

「ツイッターで世界に発信できた。フェイスブックで友人が激増した。そりゃあいいね! それで世の中まったく変わりませんが・・・・・・。ネットの世界の階級化は進み、バカはますます増える一方だ。『発信』で人生が狂った者、有名人に貢ぐ信奉者、課金ゲームにむしられる中毒者、陰謀論好きな『愛国者』。バカだらけの海をどう泳いでいくべきなのか。ネット階級社会の身もフタもない現実を直視し、正しい距離の取り方を示す」

本書の目次構成は、以下の通りです。

序 章 ネットが当たり前になった時代に
第1章  ネットの言論は不自由なものである
第2章  99.9%はクリックし続ける奴隷
第3章  一般人の勝者は1人だけ
第4章  バカ、エロ、バッシングがウケる
第5章  ネットでウケる新12ヶ条、叩かれる新12ヶ条
第6章  見栄としがらみの課金ゲーム
第7章  企業が知っておくべき「ネットの論理」
第8章  困った人たちはどこにいる
終 章 本当にそのコミュニケーション、必要なのか?

序 章「ネットが当たり前になった時代に」の最後には、以下のようなネットに対する基本姿勢がまとめられています。

【ネットに関する基本4姿勢】
●人間はどんなツールを使おうが、基本的能力がそれによって上がることはない
●ツールありきではなく、何を言いたいか、何を成し遂げたいかによって人は行動すべき。ネットがそれを達成するために役立つのであれば、積極的に活用する
●ネットがあろうがなかろうが有能な人は有能なまま、無能な人はネットがあっても無能なまま
●1人の人間の人生が好転するのは人との出会いによる

第2章「99.9%はクリックし続ける奴隷」の冒頭には、「ブログが先端だった時代」として、次のように書かれています。

「ネット上のツールは最初は一部のマニアや先進的な人が飛びつき、活用するが、最終的には『有名人』『芸能人』がそこに参入して、場を支配してしまう。基本的にネットの世界ではこのストーリーがリピー卜されていると考えていい」

著者いわく、芸能人とは「最強の個人」。2007年頃から、ネットに異変が起き始めました。芸能人がブログを戦略的に使うという意識を明確に持ったうえで参入するようになってきたのです。もともと芸能人は既存4マス(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)からもらえる潤沢なギャラを収入としていました。ところが、これら4マスの広告費が減少傾向にあり、それにかわってネット広告が台頭してきたのです。著者は、「そうしたネット広告の急成長と時を同じくして、芸能人とインターネットの関わり方も変わってきた。その先鞭をつけたのがサイバーエージェントが運営するアメブロである。過熱するブログの会員獲得競争、PV獲得競争において、芸能人に目をつけたのだ」と述べます。

芸能人のブログは、芸能人の仕事の仕方も変えることになったとして、著者は以下のように述べています。

「ブログがマスメディア化していくと、そこには自然と広告がつくようになる。芸能事務所は『CM出演+記者会見登場+ブログで報告』という仕事の取り方をするようになり、これこそがネット上での情報拡散をなんとしても達成したいクライアント企業のニーズに合致するようになるのである。となれば、PVの高い人気芸能人ブロガーのもとには仕事が殺到するようになる。ビートたけしやタモリ、SMAPといった大御所は相変わらず4マスでの仕事が多いためネットに参入する必要はないものの、中堅以下の芸能人はこぞってネットに活動の場を広げていった」

その後、芸能人・著名人は活発にネット進出し始めました。著者は、「その数が爆発的に増える契機となったのは、2009年夏に歌手・広瀬香美が勝間和代氏の指導のもとツイッターを使い始めたことにある。ガチャピンや浜崎あゆみ、有吉弘行、孫正義氏、篠田麻里子など芸能人、有名人が次々とアカウントを取得し、軒並み100万超えを果たした。1位は有吉の約244万フォロワーである」と紹介しています。

ブログでもツイッターでも同じような内容が多いですが、「何を言うか」ではありません。著者いわく、いくらネットが万人に開かれたツールであろうと重要なのは「誰が言うか」なのです。著者は、「残念だが我々はその事実を認めた方が無駄な夢を見ないで済む」と言い切っています。

さらに、著者は以下のように身も蓋もない言葉を吐きます。

「東京のショップで服を購入できない地方のギャル達にとって、もっとも買い物をしやすいのがネットだろう。ただし、元々の実績も人気もない人間が突然ネットでショップを始めたとしても、すぐに売り上げに繋がるわけではない。ここを勘違いして『ネットがあれば私も金持ちになれる!人気者になれる!』と思うのは大間違い。ネットはあくまでも、リアルの場で実績がある人をさらに強くするものなのだ」

「知名度は『格差』を生む」と喝破する著者は、次のように述べます。

「いくら権利や機会が平等に与えられているようでも、現実にはその『格差』が存在する。『影響力』という観点でみると、わずか一握りの芸能人やスポーツ選手、政治家、経営者たちがトップに君臨、その下にプチ有名人が連なって、ほぼ全体を占める一般人に一方的に影響を与えるというピラミッド構造になっているのである」

第4章「バカ、エロ、バッシングがウケる」では、次のような事例が紹介されています。

「最近、本を書いた人がツイッターで告知をするだけにとどまらず、書店で本が並べられている様子まで撮影してアップしていることが珍しくない。感想を書いている人がいたら、それをRTして紹介、ブログ等で書評を書いている人がいたらそのURLを紹介し、読者からの質問にもキチンと答えている。これまで、出版社による新聞広告や書店でのPOPに宣伝活動を頼っていた著者が、自らPRを開始できるようになったのはソーシャルメディアのお陰だろう。こうして、その本が話題になっているとの空気を作ることができ、ますます本が売れるのである」

物書きの端くれであるわたしにとって勉強になりますが、わたしもブログでは上記のようなことは実践しています。

第5章「ネットでウケる新12ヶ条、叩かれる新12ヶ条」は、そのものズバリ、ネットにおけるさまざまな法則のようなものがコンパクトに紹介されています。この部分を知るだけでも、本書を購入する価値はあると思います。その内容は以下の通りです。

【ネットでウケる12ヶ条】

(1)  話題にしたい部分があるものの、突っ込みどころがあるもの
(2)  身近であるもの、B級感があるもの
(3)  非常に意見が鋭いもの
(4)  テレビで一度紹介されているもの、テレビで人気があるもの、ヤフー・トピックスが選ぶもの
(5)  モラルを問うもの
(6)  芸能人関係のもの
(7)  エロ
(8)  美人
(9)  時事性があるもの
(10) 他人の不幸
(11) 自分の人生と関係した政策・法改定など
(12) 「ジャズ喫茶理論」に当てはまるもの

【ネットで叩かれる12ヶ条】

(1)  上からものを言う、主張が見える
(2)  頑張っている人をおちょくる、特定個人をバカにする
(3)  既存マスコミが過熱報道していることに便乗する
(4)  書き手の「顔」が見える
(5)  反日的な発言をする
(6)  誰かの手間をかけることをやる
(7)  社会的コンセンサスなしに叩く
(8)  強い調子の言葉を使う
(9)  誰かが好きなものを批判・酷評する
(10) 部外者が勝手に何かを言う
(11) 韓国・中国をホメる
(12) 反社会的行為を告白する

第8章「困った人たちはどこにいる」では、「エヴァンジェリスト」なる人種が紹介されます。これはネットで積極的に発言している人々で、もともとは「伝道師」という意味の言葉ですが、今では「先端を行っているイケている人」くらいの意味で使われています。彼らの発想は「ネットで情報収集&発信」に偏っていますが、そのときに彼らが自分のカネ稼ぎにあたっての決まり文句として、次のセリフを使うそうです。

「今の時代は情報量が圧倒的に多い。だから、その中で埋没しないためにも情報発信には工夫が必要なんです。1996年に比べ、2006年は530倍になっている」は多くの人が目にしたのではないか」

終章「本当にそのコミュニケーション、必要なのか?」の冒頭で、著者は「一般人レベルの話にすると、ネットというものは、『趣味が合う人と出会える』といった使い方がもっとも現実的かつ生産的なのではないか、と思う」と述べています。わたしも同感です。

ブログやツイッターは芸能人や有名人の「売名と営業」の場と化している。フェイスブックは「イケてる自分」を誇示し合う場であるとともに、「友達」を監視するツールになっている。著者は、そんな懸念を抱いているように思います。

「人間関係はリアルの中にある」と喝破する著者は、次のように述べます。

「人が最も重視する人間関係―それは『家族』と『仕事関係者』である。ニコ生主やツイッター中毒者、”愛国者”らにとってはネットの人々が最も重要な人間関係かもしれない。しかし家族との生活や仕事を最優先させると、そのほかの人間関係は仕事をしている普通の人間は、なかなか充実させることができない」

わたしの本業である「冠婚葬祭」は、家族や仕事関係者などの人間関係の上に築かれています。そして、冠婚葬祭はバーチャルを超えたリアルそのものの営みです。「冠婚葬祭とはひと言でいって何ですか?」と尋ねられたとき、わたしはいつも「人が集まることです」と答えています。結婚式にしろ、葬儀にしろ、冠婚葬祭とは生身の人間が実際に集まってきて、喜びや悲しみの感情を持ち、祝意や弔意を示すことにほかなりません。

ITばかり発達する社会では、生身の人間の心は悲鳴を上げてしまいます。ITとともに冠婚葬祭というリアルが共存する社会こそ健全だと思います。本書の最後には「まずは自分の能力を磨き、本当に信頼できる知り合いをたくさんつくれ。話はそこからだ」と書かれていますが、まったく同感です。

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