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No.0939 マーケティング・イノベーション | 幸福・ハートフル | 社会・コミュニティ 『幸福の風景』 谷口正和著(ライフデザインブックス新書)
2014.06.17
『幸福の風景』谷口正和著(ライフデザインブックス新書)を読みました。
「未来を照らすライフデザイン構想」というサブタイトルがついており、表紙カバーには「生活者の幸福感はより本質的な領域に到達した。それは、家族とともに過ごす時間や自然の中に身を置き過ごす時間、芸術作品を愛でている時間など様々。日常のスライスが新しい幸せのシナリオとなる。日々を幸せにするライフデザインが今、求められている」と書かれています。
著者の写真入りの本書の帯
わたしが大学生の頃に、著者の『第三の感性』という本が出ました。とても分厚い本でしたが、活字が大きくて読みやすかったです。この本で、「コンセプト」という考え方に衝撃を受けたのを記憶しています。
わたしがプランナーの道を歩みはじめてからも、『ザ・貴族』とか『大観光産業時代』とか『幸福への階段』など、刺激に富んだマーケティングの本を次々に世に問われ、わたしはそれらの本を片っ端から読んでいきました。膨大な数の著書を上梓された著者ですが、新著を出されるたびに送って下さいます。いつも興味深い内容ばかりですが、今回は「幸福」がテーマということで一気に読了しました。
谷口正和氏とともに
本書の目次は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1章 幸福な生き方
第2章 幸福なメディアのあり方
第3章 幸福と貧困の因果
第4章 幸福なコミュニティーの作り方
第5章 幸福な日常に目覚めよ
第6章 幸福は愛を育てる
第7章 幸福なシニア社会の生き方
第8章 幸福なグローバル・タウン
「おわりに」「参考資料」
「はじめに」の冒頭には、次のように書かれています。
「『幸福の風景』と題されたこの本の冒頭でまず問いかけたいのは、物理社会の行き着いた果てに我々は果たして何を得たのかということである。工業社会によって我々は様々な物を得て、様々な物を所有した。しかし物欲は留まるところを知らない。大きな家、大きな冷蔵庫、たくさんの洋服や貯金を際限なく求める。結果たどり着くのは積み上げられた『もの』としての幸福だ。しかし現実的には物質としての豊かさは昨今の社会では我々とのミスマッチを起こしているということは明らかだ」
第1章「幸福な生き方」では、「いい死に方はいい生き方の結果」という項に深く共感しました。著者は、「死」について次のように述べています。
「死は循環構造の中の最後のバトンタッチであり、生涯をもって次世代に何を伝えたのか、何ができたのかが問われる瞬間でもある。それが生きるということの持つある種のロマンと言ってもよい。生ききることによる次世代への礎を大事にしていきたい」
また著者は、「良い生き方」について次のように述べています。
「良い生き方というのは他者貢献の視野を次の世代にまで広げ、それを考えて生きるということ。その生を全うし、死という最終到達点に笑顔で着地できるよう、生きていることへの感謝、生涯を生ききったら笑顔で死を迎えられることへの感謝を忘れないようにしていきたい」
「言葉と幸福」という項にも共感することができました。著者は、以下のように述べています。
「我々はめぐりめぐって大きな全体という1つの単位を生きている。我々は100年足らずという短い人生の中で歴史と社会の中にある1点を預かった。そういうものを自分の中にある幸福の種として発見する。このような見方をするとすればその認識を強めるものは、哲学や思想や概念であり、その入り口となるのは言葉なのだ。言葉が我々を突き動かす。言葉が生涯にわたるスタンスへの出発点である」
第2章「幸福なメディアのあり方」では、「チームプレーとして」の項が考えさせられました。著者は次のように述べています。
「最近は偽造や偽装が非難され、塗り固められた嘘を暴いてそれを非難することがある。しかしそれはチームプレーということを作り手が明確にしなかったからである。優れた政治家もスピーチライターによって書かれたものを予習し、政治家としての資質を形成するのである。広告業界のコピーライターは、商品を造ったメーカーとは別の人だ。むしろ大衆や顧客の目線の人がキーワードライターとしてすてきな伝え方、幸福の言葉を代理クリエーションしてくれるのだ。それは仕組みとしてのゴーストライターである。建築家が自分の手で家を建てないのと同じようにファッションデザイナーも自分では服を作らない。ビジネスによるチームプレーは、すてきなことを幸福の為に実現するプロジェクトを稼働させる」
この文章を読んだとき、わたしは「その通り!」と思いました。
第3章「幸福と貧困の因果」では、「サービス精神が幸福をもたらす」の項が心に響きました。著者は次のように述べています。
「我々が幸福になろうとしたときに重要なのは、幸福をまず他者に与えなさい、それだけの技量を身につけなさい、ということだ。そのためにあなた自身が修行し訓練するということ。自己を向上させることが我々に与えられた新たな幸福論である。どのような場合もその主軸にあるのは他者に与えるサービス精神である。他者にサービスするということはあなた自身へのサービスになるということを覚える。サービス精神を鍛えようではないか。サービス精神は周りに笑顔や喜びを振りまく。花咲じじいそのものを生き抜く。助けた亀に連れられて竜宮城に行くのも、正義感による結果なのである」
第4章「幸福なコミュニティーの作り方」では、「身の丈にあった生活」という項が良かったです。著者は次のように述べます。
「長く生きることを価値付けるためには、生きることと、社会幸福のために働くことを重ねることだ。日本の中だけを見ても収入は減り、不安は増える。ストックは使いたくない。そういった時、それをどのように乗り越えるか。
一番重要なのは自分のできることを増やし、出費を減らすことだ。収入が10万円であっても8万円で暮らすことに満足があれば不安はない。しかし20万円もらっていても30万円がなければ生活できないなどと言っている人はその瞬間から不幸なのである」
また、「愛を交換し合う」という項も納得できました。
「自らが幸福でありたいのなら誰かを幸福にしなさい。それによって小さな幸福がコミュニケーションの単位として空気の中を伝播する。見えざる連鎖は起こり、それによって我々は想像力が大変な力を持っている社会にいることを理解する。今日の幸福のドラマメーキングにおいて、1人ひとりは既に多彩な幸福の中にあることを認識しよう。それを前向きにつむぎあっていき、全員で心理的なクラウドを形作っていく。その幸福のビッグデータを、データアナリストではなくマインドアナリストとして分析していこうではないか」
第6章「幸福は愛を育てる」では、「愛は無償」という項に共感しました。
「親が子を愛するような構造の中に愛の原型はあるのではないか。漫然とした幸福に浸っているだけではなく、母が何があっても子供を守ろうとする意思に見られる強い力。あらゆる災いに対して母が子供の盾になり、子供が命を失うような危機に直面すれば自分自身の命を代わりに差し出してでもわが子を守ろうとするような無償で自らをかえりみない愛」
また「愛はバリア」という項で、著者は次のように述べます。
「愛というものが誰かの表現や自己を守るものだと認識したときに、愛に生きるということは文化や芸術の課題そのものを生きることであると言える。愛は芸術にとっての最大のテーマである。文化にとっては最大のコアである。すぐれた芸術は時を越えて愛され続け、時を越えた感動を人に与える。それによって我々は無限の愛を感じ、人類の歴史そのものに感謝をするのである」
さらに「愛は敵対をしない」の項では、著者は次のように述べます。
「愛の原則論としては敵対をしないこと。相手に対して常に肯定的で前向きな光を降り注ぐという点で愛は太陽や星の光そのものである。数億光年の先から無限の輝きを放つ恒星ということになるのだ。こういうような意味合いの中でその光を直感的に表現するのは日々の中での共感でありそれを呼び起こす感性である」
だんだん愛についての考察が深まっていく一方ですが、「愛の地球経営」という項では、次のように述べています。
「愛の学びを助けるのがポエムや文学、哲学という概念であり、それらを更なる共感と感性の中に落とし込んだものがアートである。アートを通じて感性と第六感の中で区別を踏み越えていくことの重要性を学習していくことができる。愛そのものが我々が生きる未来への大きな志なのである」
続く以下のくだりは、「隣人祭り」を連想させました。
「愛を交換し合うことの習慣づけをしていかなければならない。隣近所の人と助け合うという小さな輪から広げていこう。ご近所という関係の中で果敢に助け合っていく。それを不備不足が原因による貧困のためであると、ネガティブさや経済的なコストやリスクの認識で捉えてはいけない」
「愛をもって助け合う」の項では、以下のように述べています。
「助け合いというのは、コストやリスクという認識を超えているところにある。助けてあげる為にどうすればいいのかという課題の解決にお互いに知恵を出しながら自らの労働も含めて向かっていく。助け合いのハピネスワークと呼べるようなものが一番小さな単位で稼働してそれが根付いたときに、愛は我々の足元にしっかりと根を張りお互いに助け合うことができる」
第7章「幸福なシニア社会の生き方」も共感できる内容でしたが、特に「高齢社会が教えてくれるもの」という項の以下のくだりが良かったです。
「生涯をどう考えるかという問題のヒントを高齢者が教えてくれる。生きがいや生き様を含めて長きにわたって自らの生涯を価値付けられる取り組みは何か。そしてその中軸にあるのは健康な肉体であり、それをどのように活性化するかという生涯現役の理論である。更に重要なのは、人はいつか来る死を恐怖や不安ではなくむしろ一種の楽しさを持って捉えるという認識論である。高齢社会というのはそういう認識への死生観を含んでいる社会であり、生涯を問いかける社会が来ている」
続いて、著者はシニア社会について次のようにも述べています。
「シニア社会の最大のメリットは体験としての幸福が大量にストックされているということである。シニア1人ひとりの思いの中にある過去が、彼らの人生に重要な感謝とロマンを与えている。同時に後悔と怨念や恐れ、ネガティブな反応も蓄積されているが、幸福論はそれをどのようなときにでも喜びの中で受け止めるという心の鍛錬でもあるのだ」
「成長戦略ではなく成熟戦略」の項では、著者は「高齢社会という認識は老人を国家の負担として語っているが、むしろ老人たちがお互いに助け合う構造を確立し、それによって彼らが自分自身の立脚点を得ることが大事だ。貢献は他者への関係の中にあり、高齢者の生涯のスタンスが問いかけられている」と述べています。
また、シニア社会の経済について以下のように述べます。
「経済はマネーの問題からライフスタイルの問題へと移行している。お金をもらうから働くというモチベーションから、他者の役に立ちたいから働くというモチベーションへの転換。そこに達して高齢社会の経済は活性化していくのである。高齢社会は積みあがってき文化の中で成熟を形成する。
だからアベノミクスで積極的に進められている成長戦略という政策は、シニアが積み上げてきた文化や知恵という点から見れば現状とのミスマッチを起こしている。なおも金を稼ぎ物を積み上げようとしているのだ」
さらには血縁や地縁についても言及している以下のくだりは、最も共感することができました。
「更に言えば会社ではなくファミリーに。全体を家族貢献という意味合いで捉えて地域が家族になっていく。従来の血縁という関係を超えて一緒に時と場を同じくしているご近所を助けていく。そこにあるのは無償の貢献である。その結果としての循環や利益を考えれば、無償で自分の得意技を活かして人を喜ばせるというのが生き方の幸福を形成している」
わたしは、この文章を読んだとき、拙著『隣人の時代』(三五館)の内容を思い起こしました。考えてみれば、あの本も「幸福」についての本でした。
著者は、「シニア大国の幸福論を世界に」として、次のように述べます。
「我々は気づかずに幸福の中にいる。
人は生涯前向きに感謝と気づきの中で生きるということを覚えて、あらゆる課題を超えて能力や生命力を伸ばしていける。
長く生きてきたということは殺されることがなかったということ。戦後の平和を享受できたことを感謝し、それを心得て世界にその精神を広げていくことが我々のナショナリズムである。
我々は一時ではなく四季の変化に対応して生き、それぞれの季節の変化を楽しむ文化、自然の変化に柔軟に対応して生きることを知っている。それを平和主義と複合させて世界に訴えていくことによって地球社会に貢献することができるのである」
この文章からは、わたしは拙著『老福論』(成甲書房)の内容を連想しました。あの本は、まさに「シニア大国の幸福論」でした。
第8章「幸福なグローバル・タウン」の最後には、「地球は共生の森」として、以下のように書かれています。
「人間は必ず死ぬが、医療の発展によってそれをなるべく先送りにすることが可能になった。結果として長寿の人が増えた。そうすると、若年層や中年層、高齢者とそれらを区分けして考えるのならば、平均寿命が延びているのだから高齢者ばかりになっていくのは当然である。こういう意味合いの中で言うと年齢による区分けに囚われすぎてはいけない」
そして、著者は次のように地球について語ります。
「今までの個別の競争力は全体の共生力に置き換えられる。それが生涯幸福、幸福とは何か、という問いに対するヒントである。球体として理解された幸福論。生きることと死ぬことがつながっていく。次に生まれることと死ぬことがつながり、前世代と次世代がつながり1つの事柄として語り合うコアの構造に、幸福の星・ハピネスアースがある。
最後に、著者は次のように高らかに宣言するのでした。
「時代は自然と共生していく段階に入っている。歴史の中にある楽しみの文化の中で、世界を連鎖していく共生の森の住人として我々自身が次の宇宙に羽ばたいていけるような翼を持って生きていこう」
著者の本では、『顧客革命 3人の旅人たち』以来の書評となります。本書は100パーセントの幸福論であり、久々に谷口節を満喫できました。また、著者ご自身が幸福なシニアに向かっておられることがよくわかりました。
谷口さん、素晴らしい本をありがとうございました。