No.0940 哲学・思想・科学 | 国家・政治 | 社会・コミュニティ 『知の英断』 ジミー・カーター、フェルナンド・カルドーゾ、グロ・ハーレム・ブルントラント、メアリー・ロビンソン、マルッティ・アハティサーリ、リチャード・ブランソン著、吉成真由美[インタビュー・編](NHK出版新書)

2014.06.19

『知の英断』ジミー・カーター、フェルナンド・カルドーゾ、グロ・ハーレム・ブルントラント、メアリー・ロビンソン、マルッティ・アハティサーリ、リチャード・ブランソン著、吉成真由美[インタビュー・編](NHK出版新書)を読みました。
この読書館でも紹介した『知の逆転』の続編です。帯にも「『知の逆転』に次ぐ第2弾!」と書かれています。また「『エルダーズ』が語る、これが世界の設計図だ」とも書かれています。

『知の逆転』に次ぐ第2弾!

ここに書かれている「エルダーズ」とは何か。本書の冒頭には、この「エルダーズ」についてのネルソン・マンデラの以下の言葉が紹介されています。

「このグループは、しがらみもなく自由に大胆に発言し、公の場でも舞台の裏でも活躍する。彼らは一緒になって、恐怖があるところに勇気をもたらし、紛争のあるところに協調をはぐくみ、絶望が支配するところに希望を生む」

「エルダーズ」のメンバーたち

「エルダーズ」について、次のように説明されています。

「およそ人間が集団で暮らすようになって以来、英知や勇気をもたらす相談役として、どの村にも『長老たち』がいた。2007年7月ロンドン、ますます密につながっていくグローバル村の「長老たち」としての活躍を期待され、『エルダーズ』が結成された。リチャード・ブランソン(ヴァージン・グループ総帥)とピーター・ゲイブリエル(ロックバンド『ジェネシス』の元リード・ヴォーカリスト)が、ネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国初の黒人大統領)をリーダーとして、世界的な問題に対する、国境を越えたダイナミックな活動ができるメンバーを集めたのである。デズモンド・ツツ元大主教をはじめ、みな大統領級の重鎮で、常にグローバルな視点に立つ12人の志士たち。
彼らは全員「知恵者」であるのはもとより「実践者」である。
彼らが立ち向かうのは、パレスチナ、シリア、クリミア、朝鮮半島、南スーダンなどの国際紛争や、少女結婚慣習の根絶といった女性問題、言論の自由の確保や衛生の向上、貧困からの脱出、環境問題など、世界の『最も困難で扱いにくい問題』(マンデラ)ばかりである」

本書の目次は、以下のようになっています。

序文「ネルソン・マンデラの教え」 ジミー・カーター

まえがき

「エルダーズ」 グローバル村の長老たち

心を開く

第一章 戦争をしなかった唯一のアメリカ大統領 ジミー・カーター

第二章 50年続いたハイパーインフレを数か月で解消した大統領 フェルナンド・カルドーゾ

第三章 「持続可能な開発」と「少女結婚の終焉」 グロ・ハーレム・ブルントラント

第四章 「人権のチャンピオン」と「世界一の外交官」 メアリー・ロビンソン&マルッティ・アハティサーリ

第五章  ビジネスの目的は、世の中に”違い”をもたらすこと リチャード・ブランソン

本書の序文「ネルソン・マンデラの教え」の冒頭で、ジミー・カーター元米国大統領は次のように述べています。

「ネルソン・マンデラからは、大きなインスピレーションを受けました。南アフリカ共和国の白人統治者たちは、彼を、人生の4分の1あまり―27年にもわたって投獄しました。抑圧的でしばしば暴力的な当時の政権に対して、彼が、黒人市民として果敢に抵抗したからです。ネルソン・マンデラは、1990年に釈放されてから、思いがけない行動に出ました。自分を捕らえた人たちを許して、南アフリカ共和国初の黒人大統領となったのです。南アフリカ国内のひどい対立を緩和し、国家として融和するよう助けたわけです。
ネルソン・マンデラは、肌の色、性別、富の多少にかかわらず、社会がすべての人間を受け入れることを求めていました。しかも素晴らしくうまくいった。間違いなく、ごくわずかな特別な人間だけがなしうるようなスケールで、未来の世代の人々をインスパイアし続けていくことでしょう」

本書に登場する5人の「長老」の中でも、特に輝きを放っているのがジミー・カーターです。たとえば彼は、北朝鮮問題について次のように述べます。

「北朝鮮が欲しいのは、この地球上の他の国々と同じように接してもらうということです。ご存じの通り、朝鮮戦争の終結からすでに60年ほど経っていますが、その間和平協定も、平和条約もない。単に停戦があるだけです。その停戦は、北朝鮮への厳しい過酷な経済制裁と抱き合わせで、そのせいで、北朝鮮は自国の人々を十分に養っていくことも、経済的な繁栄を望むことも、また近年では国際銀行に預金することすら、ほとんど不可能になってしまっていて、全く過酷な状況になっているのです」

また、「戦争と軍備」についてもカーターは大いに語っています。

「われわれは『戦争』というものを何としても避けるべきなのでしょうか。それとも国家の主権あるいは独立が脅かされるような危機の際には、戦争も覚悟する必要があるのでしょうか」というインタビュアーの質問に対して、次のように答えています。
「私の主な経歴の1つは、アメリカ合衆国海軍の潜水艦将校としてのものです。必要があれば、ということは、もし自分の国が戦争になったら、自分の命をささげる覚悟もしていました。強力な自衛力を持っていること、また必要とあらばそれを行使するにやぶさかでない、しかし自ら攻撃をしかけないことが、戦争を避ける、あるいは防止する上で、最も効果的な方法であると感じていました」

そして、第二次世界大戦以降、アメリカはほとんど絶え間なく戦争をしてきました。その相手はベトナムであり、ボスニアであり、イラクやアフガニスタンでした。その行為を「アメリカ政府の行なった大きな過ちの1つである」と述べるカーターは、以下のように非常に重要な発言をしています。

「そのほとんどすべてのケースにおいて、当事国同士の基本的なモラル原則や権利や国家の安寧といったものを犠牲にすることなく、戦争を回避することが可能であったと確信しています。われわれは全く不要な戦争をしてきたと思います。われわれは戦争に対してもっとはるかに慎重になるべきだ。対峙する相手国と直接あるいは信頼できる仲介国を通して、誠意ある話し合いをはじめとする、他の考えうるすべての和平工作がし尽くされた後の、唯一の最後手段としてのみ戦争がありうるのだと思います」

カーターへのインタビューの最後に、インタビュアーの吉成氏は折あらば一度訊ねてみたいと常々思っていたということを以下のように質問します。

「1980年の大統領選挙の際、ロナルド・レーガン候補とジョージ・ブッシュ副大統領候補が、あなたの大統領再選を阻むために、イランの最高指導者アヤトラ・ホメイニ師と秘密裏に交渉して、兵器提供と引き換えに、イランに人質として抑留されていたアメリカ人52人の釈放を76日間遅らせるよう工作したと言われています。いつその裏工作について知りましたか。また、イラン人学者ファラ・マンスールによると、イラン革命そのものさえ、あなたへの復讐と反共産主義を目的としたCIAの裏工作だったということですが」

それに対して、カーターは大きな笑みを浮かべて「そのことについてはコメントしないことにしているんです」と述べます。吉成氏は「OK。では、あなたは人生の中で、いったいどうやって失望やひどい批判といったことに対処してこられたのですか」と質問します。その質問に対して、カーターは以下のように答えました。

「大統領としての最後の3日間は寝ずに過ごしました。捕虜釈放のすべての詳細についてアヤトラ・ホメイニ師と交渉していた。押さえていたイランの資金120億ドルも没収しました。正午に大統領を辞めることになっていましたが、その日の午前10時には、すべての捕虜は飛行機に搭乗しており、離陸準備が整っていました。しかしホメイニ師は、私が大統領でなくなった12時5分過ぎになるまで、飛行機の離陸を許さなかったのです。それでも、シークレット・サービスが私の耳に『飛行機は離陸しました』とささやいて、とうとう捕虜たち全員が無事に釈放されたと知ったときは、まさに人生で最高に幸せな瞬間の1つでしたね」

カーターからその答えを聞いたとき、吉成氏は「驚きです」と述べていますが、わたしは心からジミー・カーターという人物にリスペクトの念を抱きました。吉成氏は「本来の目的さえしっかり達成できていれば、それ以外には怨恨を持たず」という姿勢で対処してきたカーターを称賛しますが、彼はもはや「聖人」の域に達しているのではないでしょうか。

リチャード・ブランソンのインタビューも興味深かったです。吉成氏はブランソンについて次のように書いています。

「人生に対するあふれるような好奇心とエネルギーに満ち、少年のようなはにかみを残した人である。1年365日のうち250日は機上にあるという。実際旅行が多いけれども、自分のやっていることをエンジョイしているので文句は言えないと」

冒険家としても知られるブランソンは、以下の思い出を語っています。

「いくつもの冒険をしてきましたが、そのうちの1つ、ミヤコノジョウ(宮崎県都城市)から出発して、熱気球に乗って太平洋横断を決行したときほど、ありとあらゆる困難に陥ったことはありませんでした(1991年1月)。都城市の人たちは素晴らしく、子供たちや老人まで何千人という人たちが凍てつく夜に出かけてきて、われわれの離陸に声援を送ってくれた。持っていったらいいと、いろいろ素敵な物を渡してくれたりして、人々の温かさが心にしみました」

結局、その熱気球の旅の最後は以下のような結末でした。

「われわれはロサンゼルスを目指していたのに、3000マイル(約4800キロ)も北の、吹雪の北極圏に不時着しました。気球で太平洋横断を果たした第1号となることができて、やりがいはあったんだけれど、あの飛行がもう過去のことでホントによかったよ!(笑)」

そんな話を聞いた吉成氏が「人生の見方が変わりましたか」と質問しますが、それに対してブランソンは次のように答えます。

「起業家であることと冒険家であることは似ていると思います。起業家であるということは、それまで誰もやっていなかったことを、既存の方法よりも優れたやり方でやろうとすることです。冒険家であるということは、それまで誰も成し遂げられなかったことを成し遂げようとすることです。いずれの場合も、必ず家に帰って話を土産にするわけですね。両方ともサバイバルの問題で、起業家ならビジネスが生き残るようにと、冒険家なら自分自身が生き残るようにと」

「あとがき」の冒頭で、吉成氏は次のように書いています。

「解決のアイディアを思いつくことと、それを実行に移すこととの間には、想像を超える隔たりがあるようだ。国境を越えて八面六臂の活躍をする『エルダーズ』の面々からは、実践者が発する静謐なるパワーと抜群の直観力をひしひしと感ずる」

そして、インタビューに応じてくれた「エルダーズ」の面々に対して、吉成氏は以下のように述べています。

「『エルダーズ』のいずれも、声なき人々に代わって発信し、忘れられた人々に手を差しのべることを旨としている『基本的人権』の概念を基にして人類全体のことを考えれば、おのずと国境に縛られた紛争やそれに端を発する戦争がいかに不毛なことであるかがわかろうと。この時代にまだ戦争をしていること自体がおかしいのであって、民衆は誰1人として戦争などしたくはなく、すべての戦争は避けられるし、避けるべきだし、避けるために全力を尽くすべし、と。そして彼らは、『恐怖があるところに勇気をもたらし、紛争のあるところに協調をはぐくみ、絶望が支配するところに希望を生む』というネルソン・マンデラの言葉を胸に、世界中の最も困難な問題を抱えているところに出かけていく」

わたしは、本書を読みながら、かつて上梓した『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の内容を連想しました。もちろん、5人の「長老」たちの発言集とは比較のしようもありませんが、同書もまた「人類のより良き未来」について思いを馳せた本でした。最後に、人類の未来に大きな希望を与えてくれた5人と、『知の逆転』のときと同じく彼らの偉大な思想をわかりやすく伝えてくれた吉成真由美氏に心からの拍手を贈りたいと思います。

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