No.0959 オカルト・陰謀 | 心理・自己啓発 | 心霊・スピリチュアル 『超心理学』 石川幹人著(紀伊国屋書店)

2014.08.02

『超心理学』石川幹人著(紀伊国屋書店)を読みました。
今年5月に刊行された『「超常現象」を本気で科学する』の著者の代表作です。ちなみに2012年9月に刊行された本書の方が先行しています。著者は1959年東京生まれで、現在は明治大学情報コミュニケーション学部教授、同学部長も務めています。認知情報論、科学基礎論を専門としますが、日本における超心理学研究の第一人者でもあります。

 「これは科学である。」と書かれた本書の帯

本書のサブタイトルは「封印された超常現象の科学」で、帯には「これは科学である。」と赤字で大書され、続いて「テレパシー、透視、念力などの解明を目指す学問の第一人者による、渾身の書き下ろし。」「付録『用語集』『統計分析の基礎』『読書ガイド』」と、これも赤字で書かれています。

本書の帯の裏

また帯の裏には、これまた赤字で、ウィリアム・ジェイムズ『心理学の諸原理』(1890年)の言葉が以下のように引用されています。

「我々が手探りしている暗闇がいかに大きいか理解すること。我々の出発点になった自然科学の前提は暫定的なものであり、改定可能なのだということを忘れてはならない」
それに続いて、「超心理学の研究内容や成果を解説するとともに、それらが学問として受け入れられない背景を明らかにし、科学のあるべき姿を問う」と書かれています。

「超心理学・超能力に関する七つの誤解」が冒頭に掲載

本書の冒頭には、「超心理学・超能力に関する七つの誤解」として、誤解の内容が解説とともに以下のように紹介されています。
誤解1 超心理学はオカルト研究である
誤解2 超倫理学者は超能力の存在を信じている
誤解3 超心理学はずさんな実験をしている
誤解4 超心理学の扱う現象には再現性がない
誤解5 超心理学は130年間の研究にもかかわらず成果がない
誤解6 超能力があるとすれば科学が崩壊する
誤解7 超能力があるとすればカルト宗教を擁護してしまう

本書の目次構成は、以下のようになっています。

序章
第1部 超心理学の実態
第1章 テレパシーの証拠をつかんだ
第2章 米軍の超能力スパイ作戦
第3章 超能力の実在をめぐる懐疑論争
第2部 封印する社会とメディア
第4章 奇術師たちのアリーナ
第5章 能力者と称する人々
第6章 マスメディアの光と影
第3部 封印は破られるか
第7章 心の法則をもとめて
第8章 予知―物理学への挑戦
第9章 意識に共鳴する機械
第10章 霊魂仮説について考える
終章
あとがき
付録■用語集■統計分析の基礎■読書ガイド
索引

序章の冒頭、著者は、テレビで放映される超能力番組のほとんどがトリックのあるパフォーマンスであることを明かします。その上で「では、超能力はすべてニセモノなのだろうか?」と読者に問いかけ、次のように述べます。

「超能力らしい現象がたびたび起きるのであれば、それがほんとうに超能力と言える現象なのかどうかを、科学的に究明することができるはずだ。げんに『超心理学』という研究分野では、130年にわたってそうした研究を続けており、低い割合ではあるが、超能力らしき現象が実際に起きているという実験結果を得ている」

しかしながら、それで超能力の存在が科学的に認められるたかというと、そうではありません。続けて、著者は次のように述べます。

「その成果は科学的方法を踏襲して得られているにもかかわらず、『非科学的だ』などのいわれのない批判にあい、本流科学分野から黙殺されている。したがって超心理学の研究者は、なかなか公的な研究費が得られず、私費とプライベートの時間を削って研究に没頭するが、研究ポストもほとんど得られない厳しい生活を強いられる。アプローチとしては正しいはずなのに、理解されない。超心理学は、こうした悲しい現状にある」

それでは、「超心理学」とは何か。著者いわく、「テレパシー、透視、予知、念力、ヒーリングなどの『超心理現象』を研究する科学分野である。超心理現象という用語は、通常の物理学では説明のつかない現象、いわゆる超能力を指すのだが、個人が発揮する『能力』だという先入観をさける意味合いで、学術的に使用されている。超心理現象には、UFOの飛来やネッシーの生息、ピラミッドパワーなどは含まれないので、超能力を含めたより広い『超常現象』という名称とは区別されている。なお、霊魂の作用とされる『心霊現象』も、基本的には超心理現象には含まれないが、その現象がたとえば交霊会などの参加者による透視やテレパシーと解釈できる場合は超心理現象とされ、超心理学の研究対象となる」

第3章「超能力の実在をめぐる懐疑論争」の冒頭に、著者は次のように書いています。

「科学とは、仮説を実証すること、また仮説が反証されたならば、それに代わる新しい仮説を打ちたてることを、絶え間なく繰り返す営みである。どんな主張に対しても、ときには自らの主張に対しても、懐疑的な姿勢で取り組むことが望まれる。超心理現象の証拠を批判的に検討する正統的な懐疑論者は、総じて超心理学の発展に寄与してきた」

本書には、各種の超能力をはじめ、さまざまな超常現象が取り上げられていますが、特に興味深かったのが第7章「心の法則をもとめて」の中の「ポルターガイスト」についての記述でした。一般に心霊現象とされているポルタ―ガイストについて、著者は以下のように述べています。

「ポルターガイストとは、ある特定の場所で報告される特異現象であり、通常、短い時間のあいだに顕著な現象が起きる。たとえば、物品が宙を舞ったり、激しい物音がしたり、電灯の点滅や電話の着信などの機械的・電気的変化が起きたりする。ときには幽霊が目撃されたり、寒気が感じられたりもする」

続いて、著者は以下のように、この不可思議な現象の正体を探ります。

「ポルターガイストが幻覚や詐欺、あるいは自然現象ではない場合は、ウィリアム・ロールによって、多くの場合、特定の人物が超心理現象の源となった『反復性偶発的PK』であると解釈されている」

つまり、ポルターガイストの周辺には通常、鍵となる人物が見られる。その人物が外出していたり、眠っていたりすると現象が起きない傾向性から、比較的容易に特定できる。そして、現象を発生させていると疑われる人物は、典型的な特徴をもっている。(すべてではないが)ほとんどが未成年であり、6、7割が女子であり、大部分は家庭環境に問題を抱えている(両親の離婚、再婚、養子にされるなど)。そして多くは、親から精神的に疎外されていて、親への敵意をもっている。
その人物にとってポルターガイストは、周囲の注目をひく手段であり、怒りと敵意のあらわれのようだ。そのためPK能力を発揮したあとは、一時的にしろ、気分がよくなるらしい。能力の発揮は、多くの場合意識のうちに行なわれるが、それが起きることに罪の意識もあり、起きたことの責任を回避しようとする傾向がみられる。また3割ほどの例では、てんかんの傾向も見られており、発作の一環としてポルターガイストが発揮されると見ることもできる」

ポルターガイストは元来、ドイツ語で「騒がしい霊」を意味し、心霊現象とされていました。1982年の映画「ポルターガイスト」でも、おどろおどろしい霊の仕業として描かれています。それが一転して、最近では人物が核になった超心理現象として解釈されるようになりました。そういった視点は、内観の心理分析によって一部裏づけられてきたと言えるでしょう。さらに第10章「霊魂仮説について考える」では、心霊現象が超心理現象として解釈できる別の例が議論されています。いずれにせよ、「超心理学では、こうした心理要因の検討が生産的なのである」と著者は述べます。

また、第8章「予知―物理学への挑戦」の中で「予知も透視のひとつか」という問題が取り上げられています。そこで、著者は「心的時間旅行」という非常に刺激的な考え方を以下のように紹介しています。

「最近、『想像』に関する心理学の研究で『心的時間旅行』という見方が広まっている。過去を想起するときと、現在を想像するとき、未来を予想するときに脳の同じ領域が活性化することから、従来別々に扱われていた想起と想像と予想が、同一の心理過程ではないかと考えられるようになってきた。自発的想像傾向がESPを高めることが知られているくらいなのだから、ことによると、透視は想像の仕組みの一部と重なっているのかもしれない」

オカルト研究家としても世界的に有名なイギリスの作家コリン・ウィルソンは、かつて『時間の発見~その本質と大脳タイムマシン』(竹内均訳、三笠書房)という本を書きましたが、そこで示した「大脳タイムマシン」と「心的時間旅行」は明らかにつながっていると感じました。あまりにも興味深いテーマですね。正直言って、わたしの大好物です! また、「心的時間旅行」というコンセプトは、愛する人を亡くした人の悲しみを癒す「グリーフケア」にも大きく関わってきそうな予感がします。

第10章「霊魂仮説について考える」では、「詰め込み理論から拡がり理論へ」として、サイバネティック・モデルが取り上げられます。サイバネティック・モデルは、社会の中での個々人のふるまいを簡略化して理解するための素朴なモデルです。わたしたちは、日常生活でそれにもとづいて他者を理解しています。また、それにもとづいて自分の行動を律しているわけです。このような、多くの人々にとって認知の基本となっているモデルを否定するのはなかなか難しいです。かのスタンフォード大学さえも、このモデルからの脱却をあきらめたとか。

しかし著者は、「サイバネティック・モデルを脱却することこそが、超心理学の前進に必要」だして、以下のように述べます。

「サイバネティック・モデルを、『心』という用語を使って言い換えれば、『脳という情報処理の拠点に存在する心が、人間を動作させている』となる。いわば、身体に入っている心によって、人間は動いているとされるのだ。これは心を、あたかも物のように思い描き、個物化して身体という箱に入れた『詰めこみ理論』に相当する。
しかし、現代の哲学、心理学、そして認知科学は、この種の『心の見方』に問題を提起している。心を成立させる要件は環境世界に拡がっているのだから、世界と身体を一体にしたうえで心を論じる必要がある。そうでなければ、たとえば人間らしいロボットも開発できないという主張だ。心の『詰めこみ理論』を脱却し、心の『拡がり理論』に展開していくほうが、現代科学の研究動向に沿っていると私は考える」

この「拡がり理論」というのは、わたしが『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で展開した主張とも一致します。同書の「脳から生まれる心」で、わたしは「脳から心が生まれ、心の源が脳であることは疑うべくもないが、やはり脳だけではないと思う。脳イコール心ではないということだ」として、アメリカのペンシルヴェニア大学において、医学部と宗教学部の双方で教鞭をとるアンドリュー・ニューバーグの考え方を紹介しました。彼によれば、脳と心の関係は、海と波の関係に似ているといいます。波の実体をなす海水と、海水に形と動きを与えるエネルギーのどちらかが欠けても波が存在しえないのと同じ意味で、ニューロンの機能と実体のどちらが欠けても心は存在しえないというわけです。脳と心のアナロジーは多いですが、わたしには、これが一番しっくりきます。

また、『ハートフル・ソサエティ』の「超人化のテクノロジー」では、わたしは次のようにも述べています。

「ロボットの役割に対する期待は、産業のみならず、レジャー、教育、災害救助、看護、医療とその幅が大きくなる一方である。『労働』のために生まれてきたロボットが、『労働』から解放され、今では人間を遊ばせ、教え、救い、癒す。しかし欧米でも日本でも、工業社会の終焉後に、彼らが生き残る道は、戦争の道具になる以外にはないという声があるのも事実である。サイボーグにしろロボットにしろ、テクノロジーが社会を超人化させるという側面は同じだ」

今後は運輸交通や情報通信のみならず、遺伝子コントロールによるバイオテクノロジーが間違いなく人間の身体と精神に未知の影響を与えていくでしょう。また、極小の世界をもデザインできるナノテクノロジーなどの社会への影響も図り知れないほど大きいでしょう。まさにコンピュータ、バイオ、ナノという3つの究極のテクノロジーは「情報」「生命」「物質」を自在に編集する驚異の技術と言えるかもしれません。

さまざまなテクノロジーによって、わたしたちはESPを獲得します。それは、核やハッキングといったネガティブなPKへの対抗策であり、アメリカの未来学者ジョン・ネズビッツのいう「ハイテク・ハイタッチ」相互補完の法則でハイテクノロジー社会とともにやって来る「心の社会」を迎え入れるためのものでなければならないでしょう。そして、万人が超能力を獲得する「超人社会」とは、漏尽通としての悟りが広く遍在していなければならないのではないでしょうか。

その意味で、著者の次の言葉には深く共感できました。

「超心理現象があるとすると、それは人間が発揮するのでも、霊魂がひき起こすのでもなく、世界という場(環境)に拡がった心、およびその集合体が全体として、そして個々にも調和を求めた結果のように思えてくる」

最後に、本書の序章に書かれている「予知かそれとも偶然か」というエピソードには考えさせられました。2001年8月初旬、米国ニューヨーク市マンハッタン島の南端部を散歩していた著者は、アメリカの繁栄の象徴であるワールドトレードセンターのツインタワービルの展望階にのぼろうと思ったそうです。しかし、ビルの1階ロビーに入ったとたん、「なにやら重苦しい雰囲気」「陰気な感じ」がしたとか。それで結局、展望階にはのぼらなかったのですが、その1か月後、あの9・11の悲劇が同じ場所で起こったのでした。

著者は明治大学の現役の教授にして学部長ですが、「もしかしたら私は1か月前に、このテロ事件を『予感』していたのではないだろうか」と率直に述べる姿勢に好感を抱くとともに、大いなる「勇気」を感じました。やはり、「勇気の人」こと矢作直樹先生と対談していただきたい!

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