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No.0976 人間学・ホスピタリティ | 日本思想 『和の人間学』 吉田善一著(冨山房インターナショナル)
2014.08.28
『和の人間学』吉田善一著(冨山房インターナショナル)を読みました。
サブタイトルは「東洋思想と日本の技術史から導く人格者の行動規範」。
著者は1957年、兵庫県明石市生まれ。神戸市立工業高専機械工学科中退。筑波大学物理工学科卒業。京都大学電子工学教室研究員、松下電器産業株式会社生産技術研究所・中央研究所を経て、1995年、山梨大学機械システム工学科助教授。2000年、東洋大学機械工学科教授。同大学工学部長及び理工学部長を経て、同大学産学協同教育センター長。工学博士。専門はプラズマ、レーザー、イオンビーム。現在は、ナノテクノロジーとその医療への応用に関する研究に従事しています。
「日本的人間力の探究」と書かれた帯
本書の帯には「日本的人間力の探究」と書かれ、「東洋思想に立脚して、現在の社会や科学技術に役立つ『和の人間学』とはいかなるものなのかを究明する。また、そこから導き出せる人格者の行動規範を明らかにして、将来の人材育成指向を明示する」と続きます。理系の技術者が東洋哲学を渉猟し、人格者の行動規範を定義するという異色の一冊となっています。その焦点は、日本のモノづくりの根本となる考え方にあてられています。
帯の裏には「目次」が紹介されています
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第一章 江戸の商人道から導き出せる人間力
一.商人道
二.陽明学の人間
三.ここまでのまとめ
第二章 工人道から導き出せる人間力
一.商人道と工人道
二.日本製モノづくりの人間力
三.陽明学と開物学
四.具体的な日本のモノづくり精神
五.ここまでのまとめ
第三章 日本精神から導き出せる人間力
一.古来日本精神
二.すり合わせ力
三.共生き力
四.向上向下力
五.仁術力
六.ここまでのまとめ
第四章 行動規範を哲学する
一.キーワード
二.人工物を考える
三.自然を考える
四.社会を考える
五.人間観を考える
六.世界観を考える
日本における宇宙観
中国における宇宙観
インドにおける宇宙観
第五章 和魂洋才
第六章 日本における科学・技術の形成
第七章 「おわりに」
「人格者の行動規範」が本書のテーマです。そもそも、「人格者」とはいかなる人物でしょうか。「はじめに」で、著者は「人格者」について以下のように述べています。
「ここで著者が考える人格者とは正しい日本精神の継承者である。また、ここでの東洋思想とは、西洋に対する東洋という広い地域にわたって成立した思想をさすのではなく、狭義の思想である。その1つ目は、日本の主体的立場を重視し、古来日本人の精神を独立した東洋思想と考える。2つ目は、これに多大な影響を及ぼしてきた儒教、特に陽明学を人格形成のための東洋思想と考える。3つ目は、日本の近代化のために欠かせない商人道や家訓・口伝を近代東洋思想と考える。そして、『現在の社会や科学・技術は東洋思想とどう本質的に結びついているのか?』の問いに答えるために、この3つの思想と日本型経営やモノづくりとの結びつきを考え、そこから人格者の行動規範を導き出すことにより、日本的人間力を探究することができる。このようなアプローチを『和の人間学』と呼ぶことにする」
続いて、著者は儒教についても以下のように自説を述べています。
「儒教とは『天地の生成発展を体認し、これを人間と人間社会に実現する』ことであり、知的理論的側面と行的実践的側面とがある。この二面を一致させたのが王陽明(1472―1529)によって大成した陽明学である。陽明学とは、陽明学者の安岡正篤(1898―1983)によると『良心に生きる、心身を修める、その絶対的根底に立って経世する』ことである」
さらには、経営理念について、著者は次のように述べています。
「経営理念とは、パナソニック創業者の松下幸之助(1894―1989)によると『単に経営のことだけを考えるのではなく、広く深く、人生について、人間について、社会について、如何にあるべきか、何が正しいかを考え、さまざまな体験をする中から生まれてくる哲学、信念に基づいて生み出されるべきものである』と説明している。ここでの哲学や信念の基になるのが、儒教や日本精神である。そのようにして生み出された経営理念のひとつが、現代にも残っている商人道である。そこで、商人道からも人格者の行動規範を見い出すことができると考える」
第一章「江戸の商人道から導き出せる人間力」の一.「商人道」の冒頭には、「商人道とは、経営者の商売に対する、精神的なあり方や、経営のありようのことである。日本では、江戸中期の石田梅岩(1685―1744)を祖としている」と書かれています。
石田梅岩はわたしの尊敬してやまない心学者ですが、その講義方法とは以下のようなものでした。
(1)古典の難しい解釈を教えるのではなく、商家での日常生活に即して、古典を引用して具体的な問題の対応を教えたこと。
(2)教師が一方的に教えるものではなく、弟子と教師が一緒に学び教え合う環境を実現させたこと。
(3)教育の達成目標は、文字を覚え知識を得ることではなく、「心を知る」ことと定めたこと。
(4)学ぶことはおこなうことであると定義し、心とは何かを理解したならば、その本心に従って行動することを重視したこと。
梅岩の学問は「石門心学」と呼ばれました。「心学」とは心を修養する学問で、中国では新儒教の陽明学が「心学」と呼ばれています。陽明学の祖である王陽明が書いた『伝習録』は1600年頃には日本に伝来しており、梅岩は陽明学の影響を強く受けています。さらに著者は、次のように書いています。
「『石門心学』から大きな影響を受けたのが、現代において経営の神様といわれた松下幸之助であり、『商人道というものは、基本的には何が正しいかということを考え、実行することによって、共存共栄、繁栄に結びつくものなのである』といっている。すなわち、今も昔も、商人は不特定多数の相手と取引するため、その『道』とは、『何が正しいのか』や『人の心とは何か』を十分に考えることであると説いている。その結果導き出された商人道は、信頼の社会を築き上げるためのルールであるといえる。そのルールを明確に示したのが石田梅岩である」
すなわち、利益を得て万民の心を安んずるのが、商人の心得でなくてはならないということであるとして、著者は以下のように述べます。
「商人道の目的は、天地宇宙の正常な運行と同じ理想的経済社会をつくることとしており、これは商人の『理想精神』であるといえる。そのための心得は、流通は天命にまかせ、仕事に精を出し、身を慎む、そして儒学を学ぶことであると説いている。同様のことを、松下幸之助は『企業活動とは、世のため人のために働き、利益を出し、税金を納めることである』といっている」
梅岩が説いた精神や思想は、『論語』からの影響を強く受けています。その『論語』における思想について、著者は次のように述べています。
「万民の救済を強く説いた孔子の思想は、特に、豪商による『富者道』として、自発的に貧しき人々への救済活動が実践されていたのである。この富者道は、経済的な救貧だけではなく、貧民の人格を尊重し、自立を促すために勤労愛好の精神を培う仕組みをも合わせ持っていた。加えて、商人の家訓・社訓には、『自分の子孫も善良な人に育てる』という教育が大事であることも盛り込まれていた。すなわち富者の基本的な行動規範は、『誠意を持ってお客様に接し、いつくしみを持って万民を救う』ことであるといえる」
また、陽明学を開いた王陽明の思想について、著者は述べています。
「王陽明は『人欲中の条理も天理である』といっている。これは、商売や科学や技術は本来人欲であるが、功利主義を排除し、『万物一体の仁』を考えることにより、人欲も天の道理に適うということである。ここでの『万物一体の仁』とは、『陰徳』による社会貢献であると言い換えることができる。この言葉を基に、儒者の佐藤一斎(1772―1859)は『真の利益は義理に適うもの』といっている。その弟子の山田方谷(1805―1877)は『義を明らかにして利を図らず』といっている。また、その弟子で漢学者の三島中洲(1831―1919)は『天に於いては理は気中の条理(理気合一)、人に於いては義は利の中(義利合一)』といっている。そしてこの考え方は渋沢栄一(1840―1931)の『道徳・経済合一論』にまでたどり着く。そしてその結果、栄一は『論語』を『算盤』(商売)の中核に置き、江戸時代の賢明な商人が徹底的に儒学を学んだように、『論語と算盤』こそ、日本の経営者が求めた価値観であると定義し、道徳と商業の両立こそが昭和時代の新しい商人道であると説いた」
第二章「工人道から導き出せる人間力」の一.「商人道と工人道」には、「具体的な人格者の行動規範」として、以下のように述べられています。
「社会福祉事業の理念として『至誠惻怛』がよく掲げられている。ところで、福祉の『福』とは、富のことであり、神の恩恵によって豊に恵まれることである。『祉』とは、神がそこに足を止めるということである。よって、福祉とは、その字義から、神様に来ていただくためにその準備をしておくということである。また、百万人都市江戸の商人道を支えた共生の智恵は、『江戸しぐさ』と呼ばれ、町人たちが互いに気持ちよく暮らすための『思いやり』のしぐさであった。その基本的な考え方は、『出会う人すべてを”仏の化身”と考え、失礼のないしぐさを身につけておかなければならないという』ことであった。すなわち『至誠惻怛』の具体的な行動は、福祉であり、思いやりしぐさである」
ここで、いきなり「江戸しぐさ」が登場したので、ちょっと驚きました。そして、三浦梅園が登場します。ある意味で江戸時代最大の思想家であるといえる三浦梅園は、わたしの大学の卒論のテーマだったのですが、著者は以下のように述べています。
「三浦梅園は社会事業を起こすことも開物であると考えていた。それは『慈悲無尽講』と名付けられた相互扶助的システムであった。梅園は、1756年に。村民が財力に応じて拠出した金穀を原資にして、利子をつけて増殖させて、極窮の人を優先して貧民を救済するしくみを考案した。その時の呼びかけ書『慈悲無尽興行旨趣』に『一村のうちは、よき事あればうちよりて喜び、悪しきことあればうちよりて悲しむ事、たとえば一家兄弟のごとし。さるによりて、病人をばたすけあひ、貧人をばすくいあひ・・・・・・』と書かれている。この社会福祉事業は、万物を開発してあらゆる事業を完成させることの1つでもあった。梅園によってはじめて、日本の共催保険システムが構築されたといえるのであろう。
さらに、江戸後期の経済学者である佐藤信淵についても、著者は以下のように述べています。
「信淵は、梅園と同様に、社会事業を起こそうと、福祉・医療・教育施設を国に提案している。国家の主要機関の1つとして教化事業を重視し、一定の地域ごとに小学校を設け、教育はすべて国家の費用でおこない、その支配下に、以下に示すような5種類の公的機関を設置することを提案した。これらは採用されなかったが、その内容は、(1)『広済館』(災害時の救済と平素の土建や開墾をする)、(2)『療病館』(自国の人や他国の旅人のための公立病院)、(3)『慈育館』(貧困家庭の乳幼児を養育する公的入所施設)、(4)『遊児館』(昼間託児保護施設)、(5)『教育所』(7歳に達した男女すべてが学ぶ場で、優秀な子は小学校に送り、赤貧の子は慈育館に送り、疾病ある子は療病館に送り、罹災者を広済館に送る事務を司り、また、百姓の老若男女に人倫を教えるといった社会教育もおこなう場でもある)、など現在でも十分に有益な項目が含まれている」
第三章「日本精神から導き出せる人間力」の一.「古来日本精神」には、「向上と向下」として、なんと”妖怪博士”として広く日本中に知られた井上円了が以下のように登場します。
「井上円了は『向上するは向下せんがためなり』といい、哲学を学ぶだけではなく、これを現実の社会にいかに応用していくか、すなわち実学の大切さを説いている。仏教では、向上とは、絶対平等の境地であり、また、それに向かって進むことである。向下とは、衆生(生命あるものすべて)への思いやりと痛みを分かち合うことで教化と救済を実践することである。また、東洋哲学の代表である儒教とは、『天地の生成発展を体認し、これを人間と人間社会に実現する』学問であるとされている。ここでの体認とは身体で覚えることであり、教育では実習にあたる。すなわち、古来日本人は仏教や儒教を通じて、向上と向下とを同時に考えていたのであろう」
三.「共生き力」では、「自然の循環と一致した生活をする」の項で、著者は以下のように述べています。
「安岡正篤は、『科学精神とは要するに物と一になろうとする作用である』といっている。人間は、宇宙の一微塵に過ぎないが、宇宙で唯一の知的生命体であり、徳性を有している。古来の日本人の考え方に『宇宙のおこなっていることはすべて正しい』とある。この考え方から察すると、宇宙が生み出した人間も本来正しいものであり、自然と一体になろうとすべきものであり、それ故に徳性を有している。また、正しい社会とは自然と一体であることが重要である。宇宙は一大生命体であり、その方向性は、循環活動や万物一体であるということができる。この方向性と一致した仕事や生活をするためには、瓦石草木にいたるまで自らと一体であると考えることである。如何なるものでもそれが自分と一体であると考えた時点で、その弊害を正し、正しく方向づけようとする気持ちが湧いてくるものである。このように考え行動することによって、共生き力が身につくのである」
四.「向上向下力」では、「万民のために才能を発揮する」として、以下のように述べられています。
「王陽明は『学校では徳を養ってからのちに、生徒の才能に応じて職業教育を施せばよい』といっている。本来、高校、中学校、小学校は人間教育の場であり、旧制中学・高校では儒教と西洋哲学を中心に教えていた。それに対して、大学は本来職業教育の場であり、それまでに十分徳を養っている者のみが学ぶ場であった。そして、自己啓発とは、向上と向下の力を身につけることであり、ここでは本性の成長である『徳育』は向上で、社会貢献のための能力開発である『知育』は向下で、向上向下の目的は万民のために才能を発揮することである。そこで、将来指導者たらんとする人への徳育は、第1に、人間存在の根本義を学ばせること、第2に、専門家として何をすべきか深く考えさせること、第3に、今何をすべきかを考えさせることである。そして、人格者になることを目指すことである。また、指導者として将来人格者たらんとする人びとを育てることでもある」
第四章「行動規範を哲学する」の二.「人工物を考える」では、「生物学的機械観」として、以下のように書かれています。
「貝原益軒は『学問をする人は、深く広く学び、多く聞き多く見て、疑わしいことや確かでないことをなくし、あれこれを比較し、是非を見分ける』といっており、儒教的世界観を持ちながら博物学的世界観を創出し、日本の科学者の先鞭を切った。続いて、儒者・機械工学者の細川半蔵頼直(1741―1796)は『精妙な機械はますます生きものに似てくる』といっており、儒教的世界観をもちながら生物学的機械観を創出し、日本の技術者の先鞭を切った。その後、豊田佐吉は生物学的機械観を、官僚・実業家の渋沢栄一は儒教的世界観を、それぞれの分野で継承し、日本の産業革命に貢献した。また、貝原益軒の博物学的世界観は多くの本草学者や博物学者を経て、生物学者の南方熊楠(1867―1941)に継承された。そして、南方熊楠は仏教に基づく世界観と自然科学を融合させた独自の思想である曼荼羅世界観を創出した」
また、これらの自然観について、著者は次のように述べています。
「これらの科学者・技術者の根底にある自然観は『草主人従』であり、日本古来の『自然崇拝』を継承したものである。この考え方により江戸時代以降の日本の科学・技術は矛盾なく儒教や仏教を受け入れることができた。細川半蔵の生物学的機械観は、豊田佐吉により産業機械に、それ以外にも経営学やコンピュータ工学にまで広まり、持続可能性や共生を中心に考える日本独自の有機体論的世界観が構築された。たとえば、松下幸之助は『自然の理法に従って生きる』ことと、『自然の理法に従った経営』を説き続けた。この『持続と共生』も日本精神から導き出せ、人工物に必要な条件であるといえる」
さらに「西洋人と東洋人の発想の違い」で、著者は以下のように述べます。
「環境を破壊する要因になっている西洋科学とは違って、環境と共生する立場に立った新しい自然科学の芽生えが、この梅園の『玄語』やその思想的基盤となっている『易経』など、古来東洋思想に見い出せるかもしれない。また、ニュートン力学や相対性理論に代表される西洋科学と三浦梅園の思想とを対比させ、相互補完的に活用することで、新しい自然科学の手法が開発できる可能性があると考えられる」
先に出てきた「草主人従」は本書の白眉となるキーワードです。「草主人従」について、著者は次のように述べます。
「自然崇拝思想は江戸時代に入り、自然を主人と考え人間はそれに従うべきであるという草主人従として、日本人独特の自然観となっていった。この結果、日本人の自然観は、自然と人間との融和を根底として、均整のとれた人間観として、一般人の生活の中まで浸透していった」
「この欧米の機械論的世界観からは自然に従った機械や社会システムをつくり出すことはできない。それらは日本人独特の自然観と機械観の関係から生み出される。そこで、正しい日本精神の継承者は、『草主人従』を重く受け止め、これを最重要な行動規範とすべきである」
四.「社会を考える」では、「社稷」について次のように述べています。
「『社』というのは、『やしろ』であるがもともとは、『土にお供え』をあげて奉っていることであった。儒教では国を治めるためには、古来王が新しい国を建て、国事を営むには必ず宗廟と社稷を建て、祖先の恩徳に応え、天地神明に百姓達の生業である農業が栄えるよう祭礼を挙げたのである。その国家祭祀には天と関係がある山に捧げる天神祭と地と五穀の神に捧げる社稷祭がある」
最後に、第五部「和魂洋才」で、それと関係があると思われる用語を10個並べていますが、いやはや、じつに壮観です。以下の通りです。
【1】 和魂漢才
(Japanese spirit,Chinese learning)
【2】 和魂洋才
(Japanese spirit,Western learning)
【3】 和魂洋芸
(Japanese spirit,Western technology)
【4】 洋魂洋才
(Western spirit,Western learning)
【5】 漢魂洋才
(Chinese spirit,Western learning)
【6】 洋魂米才
(Western spirit,American learning)
【7】 和魂満才
(Japanese spirit,all learning)
【8】 満魂満才
(All spirit,all learning)
【9】 無魂無才
(No spirit,no learning)
【10】和魂和才
(Japanese spirit,Japanese learning)
とにかく、本書にはさまざまな話題や人名や思想が次々に登場して、飽きることがありません。正直言って「総花的」な印象もありますが、最近では珍しい百科全書的な書物だと言えるのではないでしょうか。わたしが知らなかったことも多く、非常に勉強になりました。