- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
No.1018 SF・ミステリー | ホラー・ファンタジー | 小説・詩歌 『フォルトゥナの瞳』 百田尚樹著(新潮社)
2014.12.14
2ヵ月ほど前に『フォルトゥナの瞳』百田尚樹著(新潮社)を読みました。「週刊新潮」2013年9月26日号~2014年7月3日号に連載された小説を加筆・修正した本です。帯には「その若者には、見たくないものが視えた。他人の『死』が。『運命』が―」「1年半ぶり 待望の最新長編」「ミリオンセラーを連発する著者が、本屋大賞受賞後に心血を注いだ小説は、これだ!」と書かれています。
本書の帯
また帯の裏には、「こんな力なんか、いらない。」「幼い頃に両親と妹を亡くした木山慎一郎には、友人も恋人もいない。一日中働き、夜眠るだけの日々。夢も自信も持てない孤独な人生だった。その日までは―」「『永遠の0』『海賊とよばれた男』の著者が満を持して選んだテーマは『愛』と『死』と『選択』を巡る人間の〈運命〉の物語。大切な人の『死』が視えたとき、あなたならどうしますか?」と書かれています。
本書の帯の裏
もう、この帯裏の文章だけで、だいたいのストーリーは想像つくと思います。そう、毎回執筆のたびにジャンルを変える作家として知られる著者が今回選んだのは「SF」あるいは「ファンタジー」と呼べるジャンルでした。いわゆる幻想文学の類です。しかし、わたしはこの手のジャンルには少々うるさい人間です。正直に書きます。1ページ目から読者を物語に引きずり込む著者の筆力には脱帽しつつも、あまりにも「ご都合主義的」な展開にイライラし、最後は拍子抜けのラストに不満を抱きました。
それとテレビの2時間ドラマの話みたいだという気がずっとしていました。著者がテレビの放送作家出身であることも影響しているのでしょうか。
いずれにしても、「SF」「ファンタジー」としての完成度は低いと思います。最新刊では「純愛ノンフィクション」に挑戦していますが、この内容をめぐって大騒ぎになっているのは周知の通り。別に無理して新しいジャンルに挑戦しなくとも、著者には青春歴史小説の名作を書いてほしいです。
書名になっている「フォルトナの瞳」とは、ローマ神話に出てくる球に乗った運命の女神です。人間の運命を見る力を持っています。しかし、この物語に登場する黒川という人物は「女神には必要かもしれんが、俺たち人間にはまったく役に立たない無意味な能力だ。例えてみれば、人間がエラを持ったようなもんだな。無理に使えば死んでしまうだけだ」と語っています。
この黒川という男も、じつはこの能力の持ち主でした。そして、おそらくは能力を無理に使って死んでしまいました。物語の主人公である木山慎一郎も、黒川と同じく能力者でした。
彼が最後にどうなるのかはネタバレになるので書きませんが、この読書館でも紹介した著者の『影法師』、『永遠の0』、『海賊とよばれた男』などの主人公に共通する「自己犠牲」の精神が大いに描かれていました。
「愛」と「死」と「選択」の物語だそうですが、「愛」と「死」はそれほど描くのに成功しているとは思えません。むしろ「選択」というテーマは見事に描いていると思いました。たとえば、以下のようなくだりには、共感しました。
「慎一郎は、人間も大局的に見れば物理学の法則に当てはまるのではないかという気がした。体に強い力を加えれば死ぬことは予測できるし、どれだけ頑張っても150年も生きられない。人は皆、限られた時間の中では日々、小さな選択を重ねて人生を営んでいるだけではないか。その時々の変化は大きく見えるが、長い目で見れば同じようなものに思えた」
(『フォルトナの瞳』P.79)
さて、わたしのブログ記事「ミャンマー1日目」に書いたように、今年10月にミャンマーに行きました。成田空港からヤンゴン国際空港へ向かう約7時間の飛行機の機内で、当初は『アジア史概説』および『物語 ビルマの歴史』を読む予定と書きましたが、その予定を変更しました。
同行していた(株)ラックの柴山文夫社長が「わたしは、機内ではいつも小説を読みます」と言われたのに触発されて、成田空港の書店で求めた『フォルトナの瞳』を読んだのです。ハードカバーで360ページのこの本は、機内の良きパートナーにはなりました。後で知りましたが、このとき柴山社長が読まれたのも『フォルトナの瞳』だったそうです。