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No.1061 宗教・精神世界 『神さまってホントにいるの?』 石井研士著(弘文堂)
2015.04.18
『神さまってホントにいるの?』石井研士著(弘文堂)を読みました。
本書は、宗教学者である著者から送られた本です。著者は、國學院大學教授で、同大学の神道学部長でもあります。わたしが副座長を務める「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」では大変お世話になっています。
また、わたしのブログ記事「終活を考える」に書いたように、昨年11月11日には著者のご好意で國學院大學のオープンカレッジで特別講義をさせていただきました。父の母校の教壇に立つことができ、良い思い出となりました。
本書の帯
とぼけた顔をした犬のイラストが使われた本書の帯には「Q 神さまはなぜ地震を起こすの?」「無宗教な人のための教養としての宗教入門!」と書かれています。また帯の裏にも「Q 『あなたの宗教はなんですか?』と外国できかれたら、どう答える?」という質問が紹介されています。
本書の帯の裏
本書のアマゾン「内容紹介」には、「●信じるか信じないか、それがモンダイだ!」として、以下のように書かれています。
「無宗教が多いといわれる日本人ですが、3年前の東日本大震災では被災者のために熱心に祈りを捧げました。神社や仏閣をめぐるパワースポットブームもすっかり定着しています。
日本人にとっての『神さま』とはどんな存在なのでしょうか?
神を信じる人と信じない人とはどこが違うのでしょうか?
信じる・信じない、それぞれの理由はどこにあるのでしょうか?
『信仰心とはなにか』という哲学的テーマをめぐり、日本と海外の文献資料や文学作品を参考にして考えていくうちに、文化や思想の背景となる『教養としての宗教』についての理解が深まります」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第1問 なぜ神さまは地震を起こすの?
第2問 神さまってホントにいるの?
第3問 宗教団体はアブナイの?
第4問 信仰心はどこから来るの?
第5問 日本人は宗教好きなの?
「おわりに」
「はじめに」で、著者は本書の内容について以下のように書いています。
「本書は、『宗教とは何か』というような宗教の本質を問うものではありません。宗教についての素朴な疑問を考えることで、今の私たちが置かれている文化や社会の状況を理解したいと考えて書かれたものです」
本書を読んで、日本人の信仰についての以下のくだりが印象的でした。
「日本人は宗派を開いた宗祖への信仰ゆえにお彼岸やお盆に参拝するのではありません。熱心に墓参りに行く人でも、自分の寺院が何宗か、宗祖は誰でどのような教えを説いたのか知らない人は少なくありません。日本人がお寺に行くのは、そこに御先祖様(血縁)が祀られているからです。そしていつか自分もご先祖様の列に加わることが予定されています。
神社でのお祭りへの参加や初詣もそうしたものでした。村人が総出で村の鎮守様のお祭りに参加するのは、自覚的意識的な信仰以前に、地域社会が安泰で豊作であることを祈るため(地縁)です。それゆえに転居してしまえば、転居先の神社の氏子となります」
「儀礼文化創造シンポジウム」で著者と共演しました
このような信仰こそ、まさに日本人の「こころ」の初期設定だったのでしょうが、それが崩れ、血縁も地縁も希薄化していく中で「無縁社会」という言葉が生まれました。その「無縁社会」を乗り越えるために「儀礼文化」というものがあります。わたしのブログ記事「儀礼文化創造シンポジウム」にも書いたように、2013年8月9日に開催されたイベントで著者と共演しました。
著者は、儀礼文化について、本書で次のように述べます。
「現代日本の儀礼文化を考察する場合のキーワードは、伝統的な儀礼文化の崩壊です。もちろん地方によってはまだまだ伝統的な生活様式が保持されていて、以前からの儀礼が行われている場合もありますが、現代日本の儀礼文化の現状を理解しようとすれば、どうしても現代の都市民の儀礼を考察の対象にせざるをえません」
著者は、現代の儀礼文化の特徴を一言でいえば「多様化」であるとして、以下のように述べます。
「多様化を生んだのは、集団による儀礼の執行に対する規制力・拘束力の喪失です。柳田国男監修の『民俗学辞典』に記載されている『年中行事』の項目には、『家庭や村落・民族など、とにかく或る集団ごとにしきたりとして共通に営まれるもの』という一節が含まれています。年中行事は、当該の集団に行事の実践を強制する拘束力を持っていました」
また、儀礼文化の現状について以下のように述べています。
「結婚式は村をあげての一大行事で、村人の大半が儀礼に加わりました。厄年も同じ年に生まれた者が一緒に厄除けを行ったものです。そして葬儀は、村人の手作りの棺桶に遺体を納めてお墓まで野辺送りをしました。儀礼は、誕生から死に至る儀礼まで、村民の協力なくしては行うことのできないものでした。しかしながら、現在はそうした状況にないことはおわかりの通りです。集団の拘束力からの解放は、個人や家族が従来の伝統から離れて、新しい儀礼ややり方を選択することを可能にしました」
日本人の信仰のキーワードは「祖先崇拝」です。著者は述べます。
「祖先崇拝は日本人の宗教性の中核をなすものだといわれます。日本人の宗教的な行為は、程度の差こそあれ、すべて祖先崇拝と関わっていると指摘されることもあります。お盆やお彼岸のお墓参り、亡くなったときの葬儀や年忌供養、あるいは仏壇への祭祀などで確認することができます。しかし、葬儀のやり方に散骨や樹木葬、あるいは直葬などといって、従来とは異なった形態が現れ、かつ人気があります。どこの家にもあった仏壇も、いまや全国平均で5割ほど、東京では5割を切りました」
それでは、現代の日本人から宗教性は失われたのでしょうか。この問題について、著者は以下のように述べています。
「宗教現象は、人間の先祖であるネアンデルタールやクロマニヨンの登場以来、存在が確認されてきた文化現象です。それ以降、時代が変わっても、地域が変わっても、社会制度が変わっても、消え去ったことはありません。人間である限り、私たちが文化を営む限りは、宗教はなくなりません。言い換えれば、私たちが生きていく上で、自覚しているかどうかは別としても、宗教は不可欠だということができるでしょう」
「あとがき」でも、著者は以下のように述べています。
「生活の中で維持されてきた宗教性も、生活構造が変わるにつれて、年中行事や通過儀礼といった儀礼文化が衰退してしまいました。
しかし私たちが文化的な動物である限り、どこかに宗教性や超越性はついてまわります。近代的で合理的に見える日本の都市のあちこちに聖なるものの存在を確認することができます。テレビをつければ、霊能者や占い師が登場し、心霊番組や超能力番組が放送されています。私たちはこうした内容を受け入れているわけです。
あらためてこうした文化的な状況をどう考えたらいいのでしょうか。宗教は精神文化の中核をなすものと指摘されることがあります。私たちは現代社会の中で、情報と消費に強く影響されながら、ふらふらさまよっているように思えてなりません」
そして、本書の最後には以下のように書かれています。
「私たちの今ある人生や社会をより豊かで充実したものとするために、宗教や儀礼文化のあり方を考えることは、とても重要に思えます。本書がこうしたことを考える契機となれば幸いです」
本書を読んで、日本人の「こころ」の現状がよくわかりました。
石井研士先生と
血縁、地縁を蘇らせ、「有縁社会」を再生するためには、初期設定を思い出しながら、現代にあったアップデートが求められます。
現代日本人の「こころ」に合った儀礼文化、すなわち冠婚葬祭を提供していく上で本書からさまざまなヒントを与えられました。
石井先生、素晴らしい御本をお送りいただき、ありがとうございました!