No.1164 宗教・精神世界 | 民俗学・人類学 | 神話・儀礼 『秘儀の歴史』 ルドルフ・シュタイナー著、西川隆範訳(国書刊行会)

2015.12.23

12月23日は天皇誕生日ですね。
82歳の誕生日を迎えられた天皇陛下に心よりお祝いを申し上げます。
しかしながら、本当の天皇が誕生するのは「大嘗祭」のときです。
「大嘗祭」をはじめとする天皇儀礼は、「秘儀」と呼べるものです。
『秘儀の歴史』ルドルフ・シュタイナー著、西川隆範訳(国書刊行会)を再読しました。『儀式論』(仮題、弘文堂)の参考文献として読みました。「儀式」について書くなら、「秘儀」の問題を避けるわけにはいきません。
本書は1923年11月23日から12月23日にかけてスイスのドルナッハで行われた連続講演の記録で、シュタイナーはギリシア(エフェソス、エレウシス、サモトラケ)の秘儀、ヒベルニア(アイルランド)の秘儀、そして中世の薔薇十字の流れについて語っています。

本書の帯

本書の帯には「シュタイナーが解き明かす古代密儀の謎」と大書され、続いて「20世紀最大の神秘思想家ルドルフ・シュタイナーが晩年におこなった連続公演を収録。古代から中世にいたる秘儀のマントラとヴィジョンを公開し、人智学的洞察を展開する」と書かれています。

本書の帯の裏

本書の「目次」は以下のようになっています。

1◆世界の霊的根底を見るにいたるまでの人間の心魂のいとなみ
2◆人体における心魂の創造 ルシファーとアーリマン
3◆表象と意志による自然の内側への参入 夏の意志と冬の意志
4◆人間と地球との関連 地表の結晶・金属の言語
5◆鉱物・植物・動物の創造 太古の地球の大気・金属の宇宙的記憶
6◆エフェソスのアルテミス神殿
7◆ヒベルニアの秘儀の地
8◆ヒベルニアの秘儀の本質
9◆ヒベルニアの大秘儀
10◆エレウシスの秘儀 プラトンからアリストテレスへ
11◆植物・金属・人間の秘密 アリストテレスとアレキサンダー大王
12◆サモトラケのカベイロス秘儀
13◆古代の秘儀から中世の秘儀へ
14◆中世における人間の心魂の努力 薔薇十字の秘儀
「訳注」
「訳者あとがき」

秘儀について語る前に、シュタイナーは人間の心魂や自然界について論じています。たとえば、2「人体における心魂の創造」において、「いままで何度も考察してきたことに立ち戻らねばなりません」とした上で、月について以下のように述べています。

「月が地球から分離したというできごとに触れなくてはならないのです。かつて月は地球と結びついており、ある時期に、外から地球に影響を与えるために、地球から分離しました。この月の分離の背後には、どのような霊的なものが横たわっているかについても、わたしは以前示唆しました」

そして、シュタイナーは次のように驚くべき発言をします。

「かつて地上には、超人間的な存在が生きており、彼らは人類の偉大な導師でした。わたしたちの地上の人間的な思考が原初の叡智と名づけうるものは彼らに由来します。いたるところに見出される、原初に打ち込まれたもの、意味深く、畏敬の念を呼び覚ますもの、その廃墟においても畏敬の念を呼び起こすものは、超人間的な偉大な導師の教えの内容を、地上における人類の進化のはじまりにおいて形成したのです」

さらにシュタイナーは以下のように述べます。

「これらの存在は月への道を見出し、今日では月存在と結ばれています。彼らはある意味で、月の住民に属しています。さて、人間は死の扉を通過すると、地球が属する惑星界と結びついているものを段階的に体験していきます。人間は地上存在を通過すると、月の領域にいたり、ついで金星の領域、水星の領域、太陽の領域へと進んでいきます」

それでは、人間はどんなときに就きの領域に入るのでしょうか。
シュタイナーは、以下のように述べています。

「死の扉を通過すると、人間は月の領域に入ります。死の扉を通過して悪を担っていく者は、超感覚的、超物質的な存在に直面するのですが、つねに自分と人相が似た存在、つまりアーリマンの形姿のほうへと向かいます。ある人々がアーリマンの世界を通過していくことには、宇宙の事象との関連全体において、ある決まった意味があります。原初の賢明な導師たちが宇宙の月コロニーへと移っていったことの本来の意味に注目すると、なにが生じたのかを把握できます」

4「人間と地球との関連 地表の結晶・金属の言語」でも、シュタイナーは人間の心魂の秘密について次のように述べています。

「死と再受肉のあいだにある人間と心魂的なつながりを持つにいたると、わたしたちは特別の言語を必要とします。この領域に関して心霊論者が述べることは、子どもじみています。死者は地上の人間の言葉では語りません。心霊論者は子どもじみています。心霊論者は、地上に生きている人から手紙をもらうように、人間が書き留めることができるようなかたちで死者が語るという意見を持っています。しかし、心霊論者の降霊会で生じるものは、たいてい誇張したものであり、地上の同時代人がそのような誇張したことがらをしばしば書いています」

さて、いよいよ秘儀についてです。書の特徴は、古代の秘儀の内容がさまざまなイメージとマントラを通して再現されている点にあります。たとえば、14「中世における人間の心魂の努力」では、太陽秘儀について以下のように語られています。

「太陽を見上げたとき、最古の秘儀においてはどのように認識されたかを、示したいと思います。特別にしつらえられた天窓があって、ある一定の時間帯に人々が太陽の光をやわらげたかたちで見上げることができた秘儀の場がありました。最古の太陽秘儀における重要な部屋は、屋根に天窓が付けられていた、と思い描かなくてはなりません」

その天窓はどのようなものだったのか。シュタイナーは言います。

「窓は今日のガラスとは違う物質でできており、一定の時間帯に人々はその窓をとおしてやわらげられた明るさのなかで日輪を見ました。弟子はまなざしを日輪に向け、それを正しい内的な心魂状態でうちに受け取るように準備されました。弟子は心情を敏感にし、内的に知覚可能にしなくてはなりませんでした。目をとおして魂を、やわらげられた光のなかの日輪にさらすときに受けた印象を、心のなかに描くことができたのです」

太陽秘儀だけでなく月秘儀もありました。以下のように述べられています。

「太陽秘儀とはべつに、心魂と肉眼によって月の形態を観察したのです。一定の時間帯に光をやわらげられた太陽を見るのではなくて、何週間にもわたって、月輪が夜に取るさまざまな形態に、魂のこもった目を向けなくてはなりませんでした。そうして、ある印象を心魂のなかに受け取り、その印象をとおしてはじめて認識を得たのです。目を太陽に向けることをとおして太陽能力のある心魂を獲得したように、目を月の相に向けることによって月能力のある心魂を獲得したのです」

シュタイナーは、古代の秘儀について以下のように語ります。

「古代の秘儀においては、金星の知性と太陽の知性との対立が大きな役割を演じていました。太陽の知性に対する金星の知性の絶えざる戦いについて、人々は語りました。かつて、金星の知性が太陽の知性に対して戦いを開始しました。戦いは拡大し、頂点に達し、破局、危機が訪れました。戦いの拡張と破局とのあいだには、霊的世界で演じられる大きな戦いの、ひとつの断面がありました。それは外的には、金星と太陽の占星学的―天文学的な関係として現われました。金星と太陽のあいだの戦いがどのようなものかを知らなければ、歴史の内的衝動として地上に生きるものを理解することはできません。地上の戦争、文明の進化のなかで演じられるものは、金星と太陽の戦いの地上的な模像だからです」

以上のような驚くべき事実が古代の秘儀では知られていたといいます。シュタイナーによれば、人間と宇宙知性のあいだに関係があったので、そのような知識があったというのです。このあたりの発言は完全にオカルトの世界であると言えますが、これもまたシュタイナーが創設した人智学の一面です。人智学では、秘儀というものは宇宙知性とも関係があるのです。

B・リーヴェヘットの『ヨーロッパにおける秘儀の流れと新しい秘儀』(1977年)によれば、秘儀は4つの潮流に分類されるそうです。東方の聖杯の秘儀は心魂の精神化を扱い、アストラル体の浄化をとおして生まれた叡智を担う。西方ヒベルニアの秘儀(アーサー王の流れ)は生命の霊化を扱い、太陽のエーテル的な力を担う。北方のドルイド秘儀は自我衝動を担い、南方エジプトの秘儀(薔薇十字の流れ)は物質体の霊化を扱う。このように、シュタイナーの人智学は東西の秘儀を総合したものであり、クリスチャン・ローゼンクロイツが創設した薔薇十字団は南方の秘儀を統合したものとされています。

「訳者あとがき」では、今は亡き西川隆範氏が次のように書いています。

「かつて、神々の世界と行き来していた偉大な秘儀参入者たちによって古代の秘儀が築かれた。それらの秘儀は神話をドラマ化して体験するものであった、ということもできる。やがて秘儀の教えの一部は顕教的に、宗教というかたちで大衆に伝えられた。宗教において信じられる神的な力が、秘儀においては直接体験されたのである」

そして「訳者あとがき」の最後に西川氏は次のように書き記しています。

「現在、人類は宗教信仰から霊的認識へと歩みを進めるべき時期になる。現代におけるイニシエーションは、シュタイナーが『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』などに述べたような瞑想修行をとおして、個的なかたちでなされる。宗教儀式のように神的な力を地上に引き寄せるのではなく、瞑想をとおして神的世界におもむくことが未来的なありかたなのであり、信仰的な集団のなかに意識を埋没させるのではなく、自立した自我による認識が現代の課題なのだ。人智学は、そのような課題を担った新しい秘儀であろうとしている」

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