No.1167 宗教・精神世界 | 民俗学・人類学 | 神話・儀礼 『図説 古代密儀宗教』 ジョスリン・ゴドウィン著、吉村正和訳(平凡社)

2015.12.27

『図説 古代密儀宗教』ジョスリン・ゴドウィン著、吉村正和訳(平凡社)を読みました。
『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)を書くときに参考文献として使ったので、久々の再読です。西洋文化の深層に潜む神々を綴った「隠された神統譜」です。著者はケンブリッジ大学出身でコルゲート大学の教授です。音楽、哲学、宗教学、神話学、文化人類学から神秘主義まで造詣が深く、著書に『キルヒャーの世界図鑑』『星界の音楽』(ともに工作舎)などがあります。

本書の帯

本書の帯には以下のように書かれています。

「ミトラス、キュベレ、イシス、ディオニュソス・・・・・・秘密のうちに奉じられ、沈黙のうちに讃えられた蒼古たる神々の形象とシンボリズムを総覧する類のないカタログ。図版一五八点」
図版が158点というのはいいのですが、すべてがモノクロなのが残念でした。やはり、こういった象徴関係の情報は画像が重要なので、やはりカラーで掲載してほしかったですね。

本書の帯の裏

本書の目次は、以下のようになっています。

序―五つの道
一 兵士の道
二 修道士の道
三 魔術師の道
四 愛の道
五 知識の道
第1章  ローマの神々
第2章  神話体系
第3章  皇帝礼拝
第4章  魔術と民間信仰
第5章  哲学者たち
第6章  ユダヤ教
第7章  グノーシス主義
第8章  キリスト教
第9章  ミトラスとアイオン
第10章 キュベレとアッティス
第11章 イシスとセラピス
第12章 ディオニュソス
第13章 オルぺウスとヘラクレス
第14章 地方神
第15章 混淆宗教
「参考文献」
「訳者付論―古代密儀宗教とダイモン」
「訳者あとがき」

本書の表紙および裏表紙にも記されていますが、著者は以下のように述べています。

「沈黙は古代において、感心するほど厳格に守られたので、探究心の旺盛な研究者も密儀宗教の儀式において何が行われていたのかをほとんど知ることができない。」

「記録に残されているのは、一般に公表できる部分に限られていた。その他のことについては、記憶が最高の保管室となり、沈黙が最高の保護者となった。しかし、密儀の最も雄弁な言葉は、言語ではなく象徴である。象徴は、観念を蝶の標本のように言語的な精密さをすり抜け、すべての段階の存在領域と意味領域を自由に飛び回るのである。本書に収録された多くの図版については、さまざまな解釈が必要であろう。」

「私が示した解釈はそのほんの一例にすぎない。最初は気まぐれに見えるかもしれないが、段階と視点を絶えず移すことは、象徴的意味に対する精神的対応の仕方を訓練することになるだろう」

図版がカラーでないのが残念

本書では、「訳者付論―古代密儀宗教とダイモン」が非常に参考になりました。名古屋大学言語文化部教授で西洋神秘思想史に詳しい吉村正和氏は以下のように述べています。

「ギリシア・ローマ時代において流行した密儀宗教として、エレウシス密儀、ディオニュソス密儀、オルぺウス密儀、イシス密儀、ミトラス密儀、キュベレ密儀などがある。こうした密儀宗教は、その後の西洋神秘主義の系譜の源流となるものであり、その最終的な目標は人間の神化という課題の実現にある。密儀宗教は、この課題を参入儀礼におかる〈試練〉を通して実現しようとする。しかし、考えてみると、神々との合一は憧憬としては理解できるかもしれないが、その実践となるとほとんど不可能といわざるをえない。密儀宗教の志願者も参入儀礼を通過すると同時に神と合一して、自らも神格を獲得するわけではない。密儀宗教の志願者が試練を通して導かれるのは、神々よりも人間に近いダイモンの目覚めという現象である。ダイモンを目覚めさせるための手段として、こうした密儀宗教はそれぞれの形の試練を用意している、志願者は試練を通過することにより、ダイモンに目覚めることができるのである」

 図版がカラーでないのが残念

吉村氏は古代密儀宗教の性格を、次の4点にまとめています。

(1)古代密儀宗教は、非公開の祭儀・儀式を中心とする信仰形態をもつ。祭儀・儀式中心ということは、古代密儀宗教の基礎が思弁的・哲学的教説の伝授にはなく、祭儀・儀式に参加してある種の宗教的経験を得ることが目標となっていることを示している。マーヴィン・マイアーは『古代密儀宗教』(1987年)において、アリストテレスを引用して、「密儀参入者は何かを学ぶわけではない。彼らは、ある種の経験をもち、ある種の精神状態に置かれる」と述べている。密儀において参入者は、特定の教義を学ぶのではなく、自らの眼で見そして聴くという行為を通して、聖なる体験をするのである。確かに公的宗教においても儀式・祭儀行為は行われるが、あくまで公開のものであり、その対象は共同体全体に向けられている。密儀宗教は非公開であり、その対象は個人としての参入者である。

(2)古代密儀宗教の祭儀・儀式は、一定の規模の信徒集団に支えられている。ルキウスが最後には聖職者集団に加わったように、密儀宗教の集団の中心に祭司・神官が存在する。密儀宗教には、祭司・神官を中心に行われる一種の共同幻想あるいは集団催眠という側面がある。密儀宗教はしばしば魔術との密接な関係が指摘されるが、この集団性という点において魔術とは区別される。魔術もまた祭儀を通して人間の心を操作する技術であるが、祭儀を進める導師(魔術師)は通例1人であり、聖職者集団を中心とする密儀宗教とは異なっている。

(3)古代密儀宗教において志願者は、ルキウスが三度の密儀を通過したように、連続する試練を通して最奥の秘儀に参入する。古代密儀宗教の試練には、すでに述べたように、激しく凄惨なものもあれば、静かで瞑想的なものもある。しかし、いずれの場合にも志願者は、それぞれの密儀宗教が用意する試練を受けて、それを無事に通過することが求められる。そして、最後の試練は通例、冥界への〈旅〉と表現される死の試練である。

(4)試練を通過することによって参入者は、最終的に神的な力に目覚める。

図版がカラーでないのが残念

最後に、「ダイモン」とは何か。吉村氏が以下のように説明してくれます。

「ダイモンというと、一般に人間と神々の中間にあって両者の仲介をする存在と理解されている。自然と超自然の中間にある半神、神霊、精霊、鬼神など、さまざまな名称があてられるがいずれも充分にその意味内容を表わしているとはいえず、そのまま〈ダイモン〉と表記することが妥当と思われる。ギリシア語のダイモンは、本来テオスと同様に、神あるいは神的存在を意味する言葉であったが、やがて神の意味領域が確立するとともに、一般に神よりは下位にあり、現象世界よりは上位にあって現象世界を動かす根源的な力、原動力を意味するようになった。神の定義は容易ではないが、ダイモンの中でも上位に位置づけられ、神像と神殿を通して眼に見える形で崇拝の対象となったものである。その意味において、神々もまた広くダイモンに含まれるといえる。ギリシア・ローマ時代の神々の大半は、神でもあると同時にダイモンでもあり、ダイモンに目覚めることは結局人間の神化につながる。したがって、ダイモンは、現象世界の背後にあるすべての見えざる力を包括的に指示する語として理解できるのではないだろうか」

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