No.1228 コミュニケーション | 宗教・精神世界 | 社会・コミュニティ | 神話・儀礼 『文化とコミュニケーション』 エドマンド・リーチ著、青木保・宮坂敬造訳(紀伊國屋書店)

2016.04.18

東京から地震の続く九州に帰ってきました。
地震で亡くなった方々のみたまを心より追悼するとともに、被災者の方々の不安や心配や苦悩が少しでも軽減されることを心から祈ります。
さて、『文化とコミュニケーション』エドマンド・リーチ著、青木保・宮坂敬造訳(紀伊國屋書店)を読みました。著者は1910年生まれのイギリスの人類学者です。クルド人について調査した後、イギリス軍の軍人となりました。第二次世界大戦では抗日運動に参加し、日本軍に対してゲリラ戦を展開しました。彼は人類のタブーというものに着目し、近親相姦のタブー(インセスト・タブー)を食のタブーと関連させて捉えようと試みたことで知られます。
本書は1976年にケンブリッジ大学の出版部から刊行され、邦訳は1981年に刊行されています。

本書のカバー前そでには以下のように書かれています。

「構造主義は、一見雑駁でまとまりがなくみえる現象のこんがらがった糸を解きほぐし、その底に隠された意味を理解するための手法を人類学に提供してくれる。しかし構造主義的著作に独自の難解さによって、その思想は必ずしもよく理解されているとはいえない。 本書は人類学を志す学生のために書かれたもので、簡にして要を得た語り口で構造人類学の手法を明快に説明してくれる。まだ異文化でのフィールドワークを行なっていない学生に対して、著者リーチは、まず自分たちの文化や社会をフィールドにしてその手法を習得すべきことを提案する。―例えば、時間と空間の区切り方、服装、色彩、料理、政治行動、儀礼活動等のシンボル分析を通して。その意味で、人類学を志す人のみでなく、広く一般の読者にとっても、自分をとりまく世界がどのような論理的仕組みによって成り立っているのかを知るための恰好の手引きとなろう」

本書の「目次」は、以下のようになっています。

第一章  実証主義者と論理主義者 ―経済活動とコミュニケーション行動
第二章  用語の問題
第三章  対象、感覚イメージ、概念
第四章  信号と指標
第五章  変換
第六章  呪術と邪術の理論
第七章  人間がつくった世界の象徴的秩序化 ―社会的空間と時間の境界
第八章  抽象的観念の物質的表象化―儀礼の濃縮化
第九章  儀礼過程の隠喩としてのオーケストラ演奏
第十章  記号/象徴群の生理的基礎
第十一章 作図―互換的表象としての時間と空間
第十二章 順位と方位
第十三章 二項的コード化の実例
第十四章 縁組の規定と制限
第十五章 論理と神話-論理
第十六章 基本的宇宙観
第十七章 通過儀礼
第十八章 犠牲の論理
第十九章 結論
訳者あとがき
参考文献

序において、著者は以下のように述べています。

「文化は伝達する。文化的事象のもつ複雑な相互関係自体、それに参加する人々に情報をもたらす。そこで私の目的は、実際に参与して観察研究する人類学者が、現実のこの複雑さに含まれるメッセージを解読するに際してとるべきはっきりとした方法を示すことにある。この方法は、複雑な研究対象に実際に応用されてはじめてその効用があらわれる。適当な民族誌的事実の複雑さに当たって読者自身が自分でためして欲しい」

第二章「用語の問題」で、著者は「異なる人々の慣習を解読する作業は、どのようにすすめたらよいのであろうか」と読者に問いかけ、「そのためには人間の行動の3つの側面を区別することが有効である」と述べています。その3つの側面とは以下の通りです。

(1)人体の自然的生物学的行動―呼吸、心搏、新陳代謝過程など。
(2)技術的行為、すなわち外界の物理的状態を変える働きをもつ行為―地面に穴を掘るとか、卵をゆでることなど。
(3)表現的行為、すなわち、あるがままの世界の状態について何ごとかを単に述べる行為、もしくは、形而上的手段によって世界の状態を変えることを目的とする行為。

また、人間のコミュニケーションについて次のように述べています。

「人間のコミュニケーションは、信号(シグナル)、記号(サイン)、象徴(シンボル)として作用する表現的行為によって、成し遂げられる。よく使われるこれら3つの言葉を、われわれは正確に区別しているとはとてもいい難いし、これらの用語を広く各々異なったやり方で使いこなしていると思われている論者たちにしてもそうなのである。だが、ここでは、すぐ後に私が記すように、特別な意味をこれらの用語に与えることにしたい」

第九章「儀礼過程の隠喩としてのオーケストラ演奏」の冒頭で、著者は構造人類学の提唱者であるレヴィ=ストロースについて述べています。

「レヴィ=ストロースは、コミュニケーションのメタ言語的な様式について理解を深めることに多大の貢献をしたが、絶えず神話と音楽の構造的類似性を指摘している。その独特のいい方は名文ではあっても意味の取り難いのが特徴であるが、「神話と音楽作品はともに1つのオーケストラを指揮するさまざまな指揮者のようなものである。そのオーケストラ演奏に耳を傾ける聴衆は無言のうちに演奏する奏者となるのである」(レヴィ=ストロース、1970年)と彼は主張している」

儀礼について、著者はどう考えているのか。次のように述べています。

「儀礼に参加するという場合には、われわれは自分自身に向かって何ごとかを『語っている』のである。だが、同じ一連の行動が他の人々にとってはまったく異なったことを意味する場合がある。普通、キリスト教の各宗派は同じ神話を共有し、同じ儀礼にたずさわっているが、そうした神話や儀礼が何を意味するのかということになると、意見が一致することはない」

第十三章「二項的コード化の実例」の中の「色彩のシンボリズム」において、著者は「身体の色は服装や着色をつうじてすぐに目にみえて変わるだろうし、その変化はただ一時的なものにすぎないから、色彩は役割の逆転をしるしづけるきわめて便利な手段であり、たびたびそう用いられてもいる。たとえばヨーロッパのキリスト教徒たち、特にカトリック教徒は次のような方法を用いている」として、以下のような例を挙げています。

並みの世俗活動に従事する俗人―無差別な色の着物
世俗活動に従事する聖職者―黒の法衣
宗教儀礼にたずさわる聖職者―白の法衣  花嫁(つまり結婚することになる女)―ヴェールつきの白いドレス
未亡人(つまり結婚から退く女)―ヴェールつきの黒いドレス

また、儀式には「料理」がつきものですが、著者は次のように述べます。

「どこで行なわれる儀式でも、その進行のある時点で飲食行為を取り入れており、食物と飲みものの種類も決してでたらめに供されるわけではない。贈物の交換が儀礼的におこなわれるという場合、システムを構成するのは一般に生きた食用動物、死んだ食用動物、料理をほどこされていない食物、料理をほどこされた食物、となる。『ウェディング・ケーキ』あるいは『ロースト・ターキーとクランベリー・ソース』といった特殊な食物の場合には、特定の行事につながっていることがすぐにわかる」

第十六章「基本的宇宙観」の冒頭で、著者は宗教の中心問題である「死」について以下のように述べています。

「問題の核心は、人間が死すべき運命にあり、病魔が人間を死へ脅やかすことを、われわれが認識していることにある。あらゆる宗教教義の中心問題は、死によって個人の主体がそのまま滅びてしまうことを否定することである。けれども、もし『私』が死んでのちも何らかの『別の存在』として生き続けるべきものならば、そのときこの『別の存在』は『別の時間』、『別の世界』に見出されねばならない。こうした「別なもの」のもっとも基本的な特徴は、それが通常の日常体験を裏返しにしたものになっていることである。 神にまつわる諸々の概念は、こうした逆転から生じる」

そして「結論」では、著者は以下のように自説を述べます。

「私の議論の核心は、通常の非言語的コミュニケーションはちょうどオーケストラの指揮者が聴衆に音楽的情報を運ぶような形で成しとげられるという点であり、それは書物の著者が読者に言語的情報を運ぶやり方とは異なるという点である。この議論から導かれる主要な命題は、記号と象徴はともに不可分一体となって意味を伝えるのであり、二項的記号が直線上に連らなって組合わさった1つのセットや、隠喩的象徴が範列的連合のなかで互いに呼応しあった1つのセットという形だけで意味が伝わるわけではないということだ。この点を別の言い方でいえば、われわれは対象とする文化の脈絡、つまりその舞台の背景について多くを知ったのちでないと、メッセージの解説にとりかかることはできないのである」

人間にとって文化とは何か。人間は、どのようしてメッセージを伝え、コミュニケーションを図るのか。そのような問題を、著者は、構造主義の立場から「文化とコミュニケーション」のメカニズムを詳細に分析しています。著者は、「未開社会」で行われている一見奇異な儀礼も、その構造において「進んだ文明社会」における慣習と共通していることを明らかにしました。しかしながら、2つの社会では表出のパターンが違うために、互いに奇異に見えるというのです。このような見方に立てば、現在世界で問題となっているイスラム社会に対する理解も深まるのではないでしょうか。本書は、構造主義人類学の名著であると思います。

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