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2016.06.13
『儀式・政治・権力』D・I・カーツァー著、小池和子訳(勁草書房)を読了。 著者は1948年生まれ、アメリカのボドウィン大学の人類学教授です。国連大学の「家庭、ジェンダー、年齢プロジェクト」の主任コンサルタントを務めています。この読書館でも紹介した『卒業式の歴史学』で、「儀式のもつ力について豊富な実例を示して考察した」書として何度も引用されており、興味を持ちました。読んでみると、大変な名著であり、儀式についての大きな示唆を得ました。いったん脱稿した『儀式論』の一部を改稿したほどです。
本書の帯(表)
本書の帯には、以下のように書かれています。
「古今東西(南北)の事例を縦横無尽にくりだしながら、政治のシンボリズムを照らしだし、小集団から国際政治まで、保守にも変革にも、儀式は政治の本質的部分であると主張する注目の書」
本書の帯(裏)
また、本書の帯の裏には以下のように書かれています。
「ケネディの葬儀からアルド・モロの誘拐殺人まで、ローマの将軍の凱旋式からジャワやモロッコの王の巡行まで、アズテック国家の生贄儀式からクー・クラックス・クランの入会式まで、村のカーニヴァルからモスクワのメイ・デイ・パレードまで、王の戴冠式から病い治療儀式まで、インディラ・ガンディの暗殺と葬儀から三島由紀夫の自殺儀式まで、ウガンダのブンヨロ族の王位継承からブラジル・ヤノマモ・インディアンの同盟儀式まで、ケニアのマンボイズムからアメリカ・インディアンのゴースト・ダンスまで、ルターの法王教書焼捨てからヴェトナム戦徴兵カード焼捨て儀式まで、ライヒスパルティーの日からレーガンのビットブルク墓参まで、南アフリカの『ネックレス』から北アイルランドのオレンジメン・パレードまで、フランス革命の連盟祭の宣誓からナチスの敬礼まで、ニューギニアの成人式から政党主宰の通過儀礼まで、叩頭から『ルヴェ』まで・・・・・・・・・・・・・・・」
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「まえがき」
1 儀式の力
2 燃える十字架とボディ簒奪者たち
3 正統性と神秘化
4 曖昧の美徳
5 政治的現実の儀式構築
6 儀式が力をつくる=儀式をとおしての権力闘争
7 抗争と危機
8 革命の儀式
9 権力の儀式
「原注」
「参考文献」
「訳者あとがき」
「索引」
「まえがき」で、まず著者は、自身の子ども時代を振り返っています。
「私の子供時代のもっともいきいきした政治の記憶が政治の儀式についてであり、この点では、ほかのひとも変わりはないと私は思う。1960年のジョン・ケネディの大統領選挙キャンペインについて、私の記憶にいちばん残っているのが、ロング・アイランドの幹線高速道路を降りてくる当時の候補者の、祭りのように飾られた自動車行列である。ラウドスピーカーがキャンペイン・テーマ・ソング(『ケネディに投票を、勝利に投票を・・・・・・』)をとどろかせ、通りに列をなす群衆が、多彩色の旗と等身大の候補者の肖像をなびかせた。3年ののち、ケネディの葬儀が、私にも他の大勢にも、短いケネディ時代のあとのドラマティックな儀式をもたらした。ある程度までアメリカ人をひとつにする儀式は、それ以来みられない」
政治儀式について、著者は以下のように述べています。
「私は政治儀式の普遍性に打たれ、学者たちがそうしたものにほとんど意義を付していないのに当惑した。私自身そうである人類学者にとっては、儀式と政治の関係を追跡することほどノーマルなものはないだろう。だが、今日まで、人類学の研究は、あまりに多くの場合、小規模社会での『プリミティヴ』な暮らしの政治組織のみをつたえるとして却下されてきた。歴史家たちは、ことに過去20年ばかり、政治儀式に関する数多くの価値ある記述を提出してきたが、これもまた読者たちに、過ぎた時代の奇妙な慣習として却下されている。一部の政治学者が、近代の政治行動の合理的基盤たる、クラシックな『政治的人間』モデルの仮設を疑問視したが、しかし政治儀式の研究は、さして発展せず、学問の主流によっておおいに無視されたままである」
続けて、著者は以下のように述べます。
「政治的な儀式利用の背後にある普遍原則を探りだすにあたって、私は幅ひろく人類をながめわたした。それはニューギニアの山岳民族から、オハイオ州の建設労働者まで、植民地時代以前のチャドの首長の儀式から、現代の大統領や首相の儀礼にまでおよんでいる。私は、古代中国の王朝へ、ローマ帝国へ、過去数世紀のヨーロッパの王たちへ、サンドウィッチ諸島の神官統治者たちへと遡行した」
1「儀式の力」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「全国党大会から大統領就任式まで、国会委員会の公聴会から国歌を大声にうたうフットボール・スタジアムの群衆のどよめきまで、儀式は、いたるところにある近代政治生活の一部である。儀式をとおして、野心ある政治指導者はその統治権を主張しようと闘い、在任中の権力者はその権威をささえようとし、革命家は政治的忠誠の新しい基盤を刻み出そうとやってみる。暴動の指導者から現状の擁護者まで、あらゆる政治的人物が、そのまわりの人びとにとっての政治的現実をつくりだすため儀式をつかう。儀式への参加をとおして、近代国家の市民は、シンボリックなかたちでしか見えない、より大きな政治勢力に自己同一化する。そして政治の儀式をとおして、私たちは、世界になにがおこりつつあるかを理解する方法を手にするのだ。というのは私たちは、それを少しでも理解しようとするなら、ドラスティックに単純化しなければならない世界に住んでいるからである」
なぜ、儀式は”あらゆる”政治システムにとって重要であるのか。 著者は、政治にとっての儀式について以下のように述べます。
「儀式は、政治にとって、それどころではなく重要だ。まことに、その権威をささえるため、王たちは儀式をつかうが、革命家も君主を打倒するため儀式をつかう。政治エリートは、その権威を正統化するため儀式を採用するが、反逆者も、正統性剝奪の儀式でまきかえす。儀式は、反動にとって不可欠かもしれないが、また、革命の生命の血でもあるのである」
政治はシンボリズムを通して表現されます。直接的な力の使用を含めば、むしろ政治的ではなく、また政治プロセスには物的資源が決定的とはいえ、その分配や使用さえ、おおむねシンボリックな手段を通して形成されるとして、著者は以下のように述べます。
「半世紀まえの機知あふれる法学者サーマン・アーノルドは、あらゆる人間の行状と、あらゆる制度の行動がシンボリックだといった。アーノルドは、近代社会では人びとは、プラグマティックに、目的志向的なしかたで行動する、という共通の自負心をパンクさせようとしたのである」
著者によれば、わたしたちはシンボルを通して、わたしたちを包むカオスの経験に立ち向かい、秩序を創り出します。シンボリックなカテゴリーを人間の創造の産物と認めるのではありません。そうではなく、それを客観化することによって、ともかくもそれを自然の産物、単純に知覚し認識する「事物」とみなしています。じつに、客観世界と主観世界の間に立てる区別そのものが、事実の世界と意見の世界を分ける、人間が創り出したシンボルの産物であると言えるでしょう。
著者は、シンボリズムについて以下のように述べています。
「シンボリズムをとおして私たちは、誰が強者で誰が弱者かを認識し、シンボルの操作をとおして、強者は権威を強化する。だが弱者もまた、新しい衣裳を着て、強者からその衣服をはぎとることができる。ケスラーの言葉でいうと『シンボリックなものは、政治の現実とされるものの残余の次元ではない。現実の問題が青白く、受動的なかたちで投影される、実体のないスクリーンどころではない。シンボリックなものが、特別な、しばしばもっとも強力なしかたで発言される現実の政治である』。政治的現実は大部分、大勢の政治の公職の候補者が認めてきたように、シンボリックな手段をとおしてつくりだされる。シンボルをつくりだすこと、あるいはもっと一般的に、自分自身をポピュラーなシンボルに一体化させることが、権力を獲得し維持する有力な手段でもある。権力のしるしが、現実の構造だからである」
さらに著者は、シンボルの力について以下のように述べます。
「シンボルが社会的行為を誘発し、個人の自己感覚を規定する。それはまた、人びとが政治プロセスを意味あるものにする手段を供し、政治プロセスはおおむね、シンボリックなかたちで人びとに提示される。大統領なり議会なりの活動について、アメリカ人が意見を形成するとき、彼等は主として、その職務にある者が、みずからの具体的経験に結びつけて操作するシンボルにもとづいてそうするのであり、その経験もまた、大部分シンボリックなフィルターをとおして知覚される。このため、アメリカの大統領職を観察したひとのひとりが、こう結論した。『政治とは、まず第一に、社会に実際に作用するシンボルを理解し、行動において、それをどうあらわすかを学ぶ術である・・・・・・・・・それが、合理主義者ではなく、民衆を治める術である』。大統領選挙で私たちは、『この国のチーフ・シンボル・メイカー』を選ぶのである」
シンボリズムと儀式についても、著者は述べます。
「西洋社会の政治プロセスで、シンボリズムと儀式が重要な役割を演じていると論じることは、受容ずみの英知のおおかたを無視することだ。だが、社会が複雑になればなるほど、それだけ政治からシンボルや神話が消えると論じるどころか、私は、その逆こそ真だというのが事実であろうと示唆したい。直接観察をはるかにしのぐ社会に住む私たちは、抽象的シンボル手段をとおしてのみ、より大きな政治実体と関係できるのだ」
では、儀式とシンボルはどのような関係にあるのか。 著者は、儀式の特性について以下のように述べています。
「私は、儀式を、シンボルの網につつまれた行為と定義してきている。こうしたシンボル化を欠く、標準化された反復行為は、儀式ではなく、習慣もしくは慣習の例である。シンボル化は、行為に、はるかに重要な意味をあたえる。儀式をとおして宇宙についての信念が獲得され、強化され、ついには変化するにいたる。カッシーラーがいうように、『自然は、式典がなければなにものをも生みださない』。儀式行為は、宇宙に意味をあたえるだけではない。宇宙の一部になる。ある観察者が記すように、『儀式行為をとおして、内部が外部になり、主観的な世界像が社会的現実になる』」
続けて、儀式の持つ力について、著者は以下のように述べます。
「儀式は、一部には過去を現在に、現在を未来につなぐことによって、私たちの世界に意味をあたえるのを助けている。これが私たちに、人間の2つの問題にうまく対処する手助けをする。連続性の感覚を供することによって、私たちの自己感覚に確信をもたせること―私は今も20年前とおなじであり、10年後もおなじだろう―および、私たちがいま住む世界は、まえに住んだ世界とおなじであり、これから対処しなければならない世界ともおなじだろうという確信をあたえること。『基底にあって持続するパターンを声明することによって』とマイアーホフが書いている、『儀式は、歴史と時間を廃しながら過去、現在、未来をつなぐ』。 人びとが直面する永遠の問題のひとつが、ひとを挫折させる世界の不確定要素のあつかいである。人びとは、単一の、既知の現実を固定できるしかたで反応し、だからどんな行動がふさわしいかを知ることができ、世界での自分の場所を理解できるのである。ほかならぬ儀式の固定性と無時間性が、時間を飼いならし、現実を定義するこの試みの一部を再保証する」
著者によれば、儀式の力は、その社会的マトリックスからばかりでなく、心理的支柱からも芽生えているといいます。この2つの次元が、分ちがたく錯綜してリンクされているのです。儀式への参加は、生理的刺激、情緒の覚醒を巻き込んでいます。儀式は、わたしたちの現実感覚と、周囲の世界の理解を構造化する感覚を通して作用するのです。 著者は、このような儀式と人間の関係について以下のように述べています。
「儀式は、人びとがこうしたドラマに参加し、そのようにして一定の役割を演じる自分自身をみる、手段のひとつを提供する。儀式のドラマティックな性質は、しかしながら、役割を規定する以上をおこなうのであって、情緒的反応をもまた呼びおこす。劇場で情緒が『照明、色彩、身振り、動き、声のさまざまな刺激』をとおして操作されるのとまったく同様、こうした要素その他がまた、儀式でも強い感情を発生させる手段になる」
続けて、ドラマとしての儀式について、著者は以下のように述べます。
「儀式ドラマが、ひろく政治に見出される。合衆国でも、そのほか同様、選挙キャンペインは、候補者によるこうしたドラマの上演だけでなく、こうしたドラマ作品を放送して家庭にもちこむマス・メディア獲得の努力もふくんでいる。じつに候補者たちは、しばしば、うまく振付けされたシンボルをずっしりと負荷して周到にアレンジされた劇的作品をとおさずにおこる、公衆やマス・メディアとの接触を、すべて制限しようとする。 シンボルが儀式の内容を提供する。だから、こうしたシンボルの性質とその用法が、儀式の性質と影響力について、多くを私たちに語っている。シンボルの3つの特性が、ことに重要である。意味の凝縮と、多声性と、曖昧性」
また著者は、儀式の政治的重要性について以下のように述べています。
「物理的世界に住み、物質的な力によっておおいに影響されるとはいえ、私たちは、それを、私たちのシンボル装置をとおして知覚し、評価するのである。私たちはシンボルをとおしてコミュニケイションするのだが、こうしたシンボル理解がコミュニケイトされる、さらに重要な方法のひとつが、儀式をとおしてなのである。メアリ・ダグラスが、これをはっきりと記している。『社会的儀式は、それがなければなにものでもないにちがいない現実をつくりだす。というのは、なにかを知り、それからそれについて言葉をみつけることはよくあるからである。だがシンボリックな行為なしに、社会関係をもつのは不可能だ』」
儀式は、現実の政治において、人々の情緒に大きな影響を与えるインパクトを持っています。著者は述べます。
「人びとは儀式への参加から、大いなる満足をひきだすのだ。統治者たちは、数千年ものあいだ(ほんとうのところ、統治者というものがあったかぎり)その正統性を支持する民衆の情緒を喚起し、その政策に民衆の熱狂をあつめるために、儀式を工夫し、採用してきたのだ。だが、おなじ理由から、儀式はまた、人びとを蜂起にむけて動員するため、強力な情緒をひきださねばならない、革命グループにとっても重要である。トロツキーは、ソヴィエト国家の初期のころ、こうした儀式形式の必要を認めていた。彼は、大衆にたいしては『合理主義的』アピールでは不充分だと論じて、日常儀式の教会独占には、とくに神経をとがらせた。『劇場的なものへの人間の欲望』『情緒を表に出して明示することへの強い、正当な欲求』を認めるべきであるとトロツキーは力説した」
2「燃える十字架とボディ簒奪者たち」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「どのような組織も―クー・クラックス・クランであれ、ジェネラル・モーターズであれ―シンボリックな表現なしにはありえない。組織は、それと結びつくシンボルをとおしてのみ『見る』ことができるからだ。じつに、ひとは組織を、物理的単位として、物的世界の一部として考える傾向をもっている。儀式は、組織についてのこうした見解がつくられ、人びとが組織に結びつけられる、重要な手段のひとつである」
続けて、著者は政治組織への所属について、以下のように述べます。
「組織そのものがシンボリックに表現されうるのみであるから、組織への人びとの忠誠も、シンボリズムをとおしてのみ表現できることになる。私は一定の衣服を着る、ある誓いを唱える、ある歌をうたう、一定の流儀で頭髪を切る、ある用語でひとを呼ぶ。そうすることによって私は、自分が特定の組織に所属すると考え、他人にそう考えられもする。それがボーイ・スカウトだろうと、ナチスだろうと、キワニス・クラブだろうとである。儀式が主要な役割を演じる、そのようなシンボリズムをとおして、個人と組織の関係が客観化される」
社会と儀式の関係について、著者は以下のように述べます。
「集権化された社会では、ここでもまた儀式が組織区別の主要な役割を演じるのだが、自分の治世を前任者のそれから分離したい統治者は、旧い儀式を代替する新しい儀式をつくりだす必要がある。これが、幾世紀も昔、中国で、征服された隋王朝の残り火のうえに唐王朝がおこったときに見られたことだった。新体制の太史令、傅奕が、ただちに新しい暦、新しい宮廷服の色、新しい官制、新しい音曲、新しい宮廷儀式をつくることを力説した。新体制の、時間をシンボライズする新しい方法との同一視―時間をはかる新システムの創出にあきらかな―は、古代中国ばかりでなく、往年の皇帝たちからムッソリーニまでのローマでも、革命期のフランスでも、くりかえしみられたことだった。時間をコントロールすることによって、統治者たちは、その政治的創造を自然のリズムに固定した」
また、著者は「コミュニケイション」というキーワードを挙げて、以下のように述べています。
「組織が効果的であるためには、内外コミュニケイションの有効な手段をもたねばならず、その多くは儀式なしにおこるものだ。だがあらゆる組織のコミュニケイションに儀礼の要素がみられるのだし、しかもコミュニケイトさせるものの多くが新しくはないわけだから、標準化された、反復的な儀式の性質が有利である。組織内でもっとも一般的な儀式利用のひとつが、その文化をかたちづくる価値観と期待にむけて新メンバーを社会化することである」
続けて、儀式が権力に与える影響が強調されるとともに、中国史の英雄である劉邦についての興味深いエピソードが披露されます。
「儀式は、ヒエラルキー組織が力関係をコミュニケイトするには、とくに重宝だ。じつに人びとは、儀式の無視なり不備なりで権力を失うこともあるのと同様、儀式の操作によって権力を増大することもできる。これは、権力がもっとも集中しているところで、もっともドラマティックにみられるものだ。たとえば2000年以上まえ、中国の農民だった高祖(=劉邦)が兵を挙げ、漢朝をうちたてた。彼はこうしたことになんの素地ももたなかったので、皇帝としてまず最初にした行為のひとつが、彼が瑣末事とみなした宮廷儀式の廃止だった。だがこの処置の結果、宮廷で部下がほとんど敬意を示さず、酔払いの振舞いで宮中接見を中断させた。彼等は大声でたがいに侮辱し、木造宮殿の柱を剣で切りつけた。自分自身と臣下とのあいだに然るべき距離がないのに悩まされ、おびやかされた皇帝が、新しい儀式法典を発布した。変化は劇的だった。皇帝はもはや宮廷に歩いてはいることはなく、その到着を告げる数百人の旗持ち役をつれて、駕籠にのって運ばれた。すると全員が立ちあがって彼に乾杯した。彼はもはや農民君主ではない皇帝だった」
さらに著者は、時空を超えた儀式の力について述べます。
「儀式は、ある人物が称揚されるべきことをつたえるだけではない。それはまた、中国帝国だろうとニューヨークの法律事務所だろうと、そのシンボリズムがそのひとの墓地にかかわろうとオフィスにかかわろうと、組織内の権力の程度を計測する。ソ連の指導者たちがモスクワにあつまり閲兵するとき、中心に立つ権力者にたいする各人の物理的順位が、権威と権力のヒエラルキーでのそのひとの位置をシンボリックにあらわし、伝えているのである。だがこれは別段、新しい現象ではない。儀式での、地位を伝達する空間の利用は、人間の歴史をとおして、はるか遠くまで遡行追跡できるのだ」
そして著者は、国家間の儀式についても以下のように述べるのでした。
「国家間のコミュニケイションのための儀式利用は、もちろん、国際間の外交儀礼の世界で高度に発達している。他国の統治者が着いたのに一定の儀式―その国歌の演奏、軍隊儀礼つきで、その国の国旗をホスト国のそれと並べて掲揚すること―がおこなわれなかったとすれば、重大な国際緊張もおこりうる。たとえば1986年、スケジュールの都合から、ソ連の指導者ゴルバチョフは、レーガン大統領との会見のためレイキャヴィックに到着したとき、アイスランドの国家元首の出迎えをうけなかった。ゴルバチョフは、アイスランド駐在ソヴィエト大使に責があるこの無礼に非常に立腹したので、モスクワに帰ると、彼は大使を首にした。たぶん、そのソ連の外交官は、ジョン・リリーの詩行になじみがなかったのだ」
3「正統性と神秘化」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「多くの観察者にとって、儀式の政治効果は、まず第一に、既存のシステムとそのなかの権力者を正統化することにある。このテーゼには長い歴史があるが、それが近代社会科学のかたちをおびたのは、今世紀はじめ、デュルケームの著作からだった。デュルケームは、儀式をとおして人びとは、彼等が住む俗界の社会政治秩序を、宇宙的次元に投射すると論じている。人びとが『個人と集団との、社会的に承認された「固有の」関係のシステム』をシンボライズするのは、儀式をとおしてである」
デュルケームは、成層化社会の政治の安定性が、そのシステムと権力者の正統性に関する民衆の信念にもとづくことを意味すると考えました。人々が儀式を通してその社会を崇めるから、政治の正統性が安定した社会すべての特徴になるというのです。転じて儀式が、この社会コンセンサスを育て、かつ表現していると言えるでしょう。
さらに政治的正統性について、著者は以下のように述べています。
「政治的正統性をめぐる、社会コンセンサス観へのオルタナティヴでいちばんよく知られているのが、マルクスのパースペクティヴ、あるいはもっと広く、根深い利害抗争が階級社会に組込まれているとする見かたにもとづく見解に触発された理論である。とはいえこの陣営にさえ、政治上の正統性の性質と重要性については、かなりの意見の相違がある。マルクスの理論の一端によれば、支配階級の理念が全社会の支配的理念となり、こうして既存の権力の差にイデオロギー的正当化を提供する。いくつかの点で、このパースペクティヴはデュルケームのそれにまったくよく似ている。どちらも、政治的世界観を表現し鼓舞するため採用される儀式をもって、社会メンバーにそれがひろく共有されると想定する。違いは、このマルクスのパースペクティヴが、変化の動因を、経済的、物質的下部構造にあると固定することである。下部構造の変化―新しい生産様式がおこったときにおこるような―が、結局のところ、政治システムと、それにともなうイデオロギーと、その儀式システムの変化を説明する」
なぜ儀式は、こうした正統化の有力手段になるのでしょうか。 その理由のひとつは、それがある特定の宇宙イメージを、そのイメージへの強力な情緒的愛着と結びつける方法をさしだすからであるとして、著者はさらに以下のように述べます。
「儀式は、世界がどうつくられているかについて、一定の見かたを体現するシンボルからなりたっている。だが同時に、標準化された、しばしば情緒に充たされた社会行為にかかわらせることによって、儀式は、これらのシンボルを卓越したものとなし、それらへの愛着を促進する。ヴィクター・ターナーが指摘するように、儀式は『まさしく、強制的なものを望ましいものに、定期的に変換するメカニズムである』。儀式において『支配的シンボルが、社会の倫理的、法律的規範を、強力な情緒の刺激との深い関係におくのである』」
4「曖昧の美徳」では、「ひとは独りではまったく無力である」というデュルケムの主張が紹介し、著者は以下のように述べます。
「その生存を仲間に左右される人間は、たえず社会の強さと善意を確認することによって、みずからを慰める必要がある。この社会的コムニオンの欲求は、なんらかの共通行為をとおして充たされるしかない。『人びとが一体になり一体と感じるのは、ある対象にたいして、おなじ叫びを発し、おなじ言葉を発音し、おなじ身振りをすることによってである』。こうしたシンボルの使用をとおしてのみ、その内的精神状態をコミュニケイトできるのであり、その連帯をいちばんよく表現できる方法が、グループとしてシンボリックな行為に参加することによってである」
続けて、著者は儀式によるグループの連帯について述べます。
「社会的コムニオンの儀礼は、社会的連帯をめざす生得の努力をあらわすのみならず、さらにそれを樹立し、更新する。こうした儀式への参加をとおして、社会グループへの人びとの依存がたえず思いおこされる。おなじような重要度で、社会グループの境界、個々人が忠誠を感じる人びとの集団の境界を定義するのが、こうした儀式をとおしてである。儀式活動は、グループの連帯をつくりだす、単にひとつのありうべき方法なのではない。それは必要な方法である。定期的に集まり、こうしたシンボリックな行為にともに参加することによってのみ、集団の理念と感情を行きわたらせることができる」
ここで、 この読書館でも紹介した『宗教生活の原初形態』で、デュルケムが述べた以下の言葉が引用されます。
「その社会の統一と個性をつくる集団感情と集団理念を定期的に高揚し、確認する必要を感じない社会はありえない。いまではこの道徳の再創出が、個々人がたがいに身近に結ばれて、その共通の感情を共通に再確認する再会、集会、会合の手段をのぞいては達成されえない。したがって、その目的、生みだす結果においてであれ、この結果を達成するためにとられる過程であれ、通常の宗教の式典と変わりない儀式がおこなわれるようになっている」
こうして、社会的連帯が社会の要求とみなされます。 儀式がその連帯性創出に欠かせない要素とみなされるわけです。
著者によれば、コンセンサスなしの連帯を育てるにおいて、儀式を有用なものにするのは、ほかならぬ儀式行為につかわれるシンボルの曖昧性であるといいます。著者は述べます。
「参加者それぞれが、シンボルをべつなふうに解釈するにもかかわらず、組織の旗のまわりに糾合するとシンボルは、人びとに強烈なインパクトをもつことができる。これは単に、おなじシンボルが人によって種々の意味の色合いをもつという問題ではない。おなじシンボルが、まったく別個の意味をもつかもしれないのだ。これはアメリカの憲法と2次大戦、あるいは平和と勝利のハンド・サインといったシンボルには事実である。シンボルは、ひとが違えばちがうことを意味するだけでなく、おなじシンボルが、おなじ個人に、多様な、相争う意味をもっている。人間の思考プロセスは、このような抗争の解決を必要ともしなければ、シンボルの使いかたにも、なんら首尾一貫性を必要としない」
コンセンサスなしの連帯を論じる上で、著者はこの読書館でも紹介した『儀礼の過程』を書いた人類学者のヴィクター・ターナーの考えに言及します。
「連帯感をやしなう儀式の能力が、”コムニタース”の創出についての、ヴィクター・ターナーの著作で強調されている。ターナーによれば、社会生活はその内部に、生来の抗争を内包する。一方では、社会規範が、社会のなかにどんな役割があるかを決定し、社会ヒエラルキーのなかで、ある個人を他の上位に位置づける。他方では、人びとは、共通の人間性、『一般化された社会的絆』を共有すると認識する。人びとが生涯の大部分を、ヒエラルキー順位のある社会ですごす事実そのものが、定期的解放を必要とする鬱積した緊張をつくりだす。なんとかして他人との一体感を表現しなければならない。これが儀式をつうじておこなわれる。普通の時と、普通の生活に結びついた疎外的な関係を括弧にいれてはずすために儀式を採用することによって、巨大な心理エネルギーの解放が可能になる。このような儀式活動が、感動とともに参加者にあふれる『前例のない力の経験』を呼びおこす」
この章の最後に、著者は「その儀式の解釈で、連帯を価値コンセンサスと同一視したという、デュルケームの一般的読みかたは彼の主張の強度をそこなっている」と述べています。彼の天才は、儀式が信念の共有を要求することなしに連帯をうちたてる、と認めているところにあるというのです。著者は「連帯は、ともに考える人びとによってではなく、ともに行為する人びとによって生みだされるのである」と喝破します。
5「政治的現実の儀式構築」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「私は、コンセンサスのないところに連帯をもたらそうとするとき、儀式が重要な役割を演じると論じてきたが、これは、それが政治の知覚になんの効果もないという意味ではない。実際、儀式は、政治の出来事、政治の方針、政治のシステム、政治の指導者に関する人びとの考えに、影響をあたえる重要な手段である。儀式をとおして人びとは、なにが適切な政治制度か、なにが政治の指導者にふさわしい資質か、周囲の世界がどれほどこれらの基準を満たしているかについて、その考えを発展させる。政治の理解は、シンボルによって媒介されるのだし、シンボリックな表現の有力なかたちである儀式は、政治的現実を構築する価値ある手段である」
著者は、「ドラマティックな、情緒的負荷のあるシンボリズムをつかって政治的知覚をチャンネルする儀式」の意識的用法の最高の例が日本にあるとして、なんと、1970年(昭和45年)11月25日の「三島由紀夫自決事件」を以下のように紹介します。
「東京で、日本の著名な小説家、三島由紀夫が古くからの自殺の儀式を挙行した。久しく、旧い美徳と旧い体制への復帰をめざす運動家だった三島は、天皇の統治の復活と軍の再建をもとめていた。(中略)1200人の兵士が急遽、すぐ下の前庭にあつめられると、即刻反逆を呼びおこす希望をもった三島のほうでは、『”サムライ”の精神』をもつよう、そして皇国日本をとりもどすよう、部隊に呼びかけた。その反乱呼びかけの調子をますます煽動的に高めながら、三島は『いっしょに死のうではないか!』とどなり立てた。だが兵士のあいだに、いかなる反抗精神のスパークもなく、かえって彼等の大笑いに行きあった。兵士の嘲笑的反応に怒った三島は、3回『天皇陛下万歳!』を叫び、屋内に引きかえして、自殺儀式の準備をした。儀式の台本にしたがって、彼は、自分自身で剣を胃に突き立て、切腹した。その副官代表が(何度かしくじったあと)三島の首を切り落として、この儀式を完了した」
さらに、著者はこの三島の自決について、以下のように書いています。
「そのドン・キホーテ的で自己意識的性格にもかかわらず、三島の儀式自殺は、日本にかなりのインパクトをもったのだった。儀式がこうした豊饒な歴史的シンボリズムを、政治的献身の劇的ディスプレイと結びつけたので、この行為は、現行の政治システムを苦しめる諸問題について、広範な反省を呼びさました。三島の切腹が、二次大戦の総崩れ以後の、日本人の更新されたナショナリズム探究のシンボルになった」
本書でさまざまな儀式の実例を示した著者は、儀式の本質について以下のように述べています。
「儀式は、共通の信念の必要なしに、共通の行為を育てうるのである。人びとの行為は、多くの環境で、深いところにある信念の表明としてよりも、状況の圧力への反応とするほうが、よりよく説明できるだろう。実際、大勢の心理学者が、人びとの心構えがその行動を決定するという想定に警告を発してきた。この観念が直観的に正しくみえるにもかかわらず」
また、儀式は参加者の情緒を操作する力を持っていますが、著者は以下のように述べています。
「儀式にみられる情緒の発生源はなんだろうか。ある手掛りをデュルケームが提示した。彼は、儀式の情緒的強度を、人びとがその社会にたいして感じる強い依存性を表現する事実に帰した。だが、定期的スケジュールの儀式のほかに、個々人が人生の移行点に達したときにもまた、典型的に儀式がある。ここでは、儀式に結びついた強い情緒が、このような状況でひとが苦しむ内面の葛藤、不確実さ、恐怖を反映するのである」
続けて著者は、葬儀を例にして以下のように述べます。
「たとえば葬儀では、会葬者の情緒の状態が、死に直面することによって、またその死が彼の人生に意味する変化によって左右される。人びとは、この強い情緒をうまく処理するため、儀式を利用し、この慣行から、多くの政治システムが、それぞれのシンボリズムをはめこむことによって利益をうけてきたのである。合衆国のアーリントン戦没者墓地への埋葬から、ある種の社会主義の国ぐにでの国葬または党葬まで、この情緒的に力ある儀式を政治化する、はてしない探究がある」
6「儀式が力をつくる=儀式をとおしての権力闘争」では、著者は以下のように述べています。
「儀式をとおして、人びとはその社会的依存を表明する必要があるのだから、共同体の儀式をコントロールできる政治勢力は、その権威を正統化するに好都合な立場にある。こうした儀式をとおして権威がドラマ化され、それによって魅力的になるのである。このドラマ化が、誰に権威があり、誰にないかを確立するだけではない。それがまた、政治の有力者間の相対的権威の程度を規定する。モスクワの赤の広場の観閲台の席で、台の中央にどれだけ近いかは、進行中のソ連指導者の権力闘争の最新の結果を示す、重要な指標である。過去幾世紀間、またもっと最近では文字をもたない人びとのあいだでは、儀式と関連シンボルをとおしてしか、こうした権力ヒエラルキーをあらわす方法はなかったのだ。書き物がない場合では、人びとの力関係を定義するのは儀式だった」
また、著者はアメリカの大統領選について以下のように述べています。
「アメリカの政治で最大の政治的社会ドラマ、もっとも精錬された、儀式の競争的用法が、4年ごとの大統領選キャンペインである。旅のメタファーがこの全事業のガイドである。キャンペインは巡礼なのである。国民は、その高度に儀式化された登場をとおして、候補者を「知ら」されると思われているが、候補者は、自分自身のあるイメージを提出し、それを彼がつくりだす競争者のイメージと対比させるため、儀式をつかう。この努力では、ノヴァックが示唆するように、ある理想を定義し、情緒に火をつけるため、シンボルの利用が決定的になる」
著者によれば、近代国家において最も重要な正統化の儀式は選挙だといいます。実際それは、世界中の国々で、非常に違った公式イデオロギーと多様な制度構造を持つ国家で、急速にとりあげられるようになった儀式です。アドルフ・ヒトラーに代表されるように、過去の独裁者たちは選挙演説において卓越した能力を発揮しましたが、現在においてそれはドナルド・トランプにおいて言えます。2016年11月の米大統領選に向けた共和党の候補者指名争いで、ニューヨークの不動産王であるトランプが支持率首位を独走しています。「【AFP記者コラム】まるでロックスター、トランプ流選挙集会」には、「トランプ氏の支持者たちはまるでバスケットボールの試合やロックコンサートを見に行くかのようにスナックやソーダを購入していた」と書かれています。
また同コラムには、彼らが席に着く間、スピーカーからは有名なプッチーニ作曲のアリア「誰も寝てはならぬ」や、ビートルズやエルトン・ジョンのナンバーが流れたことが紹介されています。さらには以下のように書かれています。
「それから司会者が、抗議をするときは暴力を使わないようにと注意した。司会者は観客に冷静になるよう促し、必要ならば警察が出てくるとも語った。私は明らかに違う種類の選挙集会に来たようだ」 「欧州の政治家たちは、できる限り自分がどこにでもいる普通の人間だと装おうとする。だがトランプ氏は、自分がどれだけ金持ちで成功した男であるかをアピールする。彼は伝説的なビリオネアであり、人々はまるで彼の成功をおすそ分けしてもらえると信じているかのようだった。すべてはイメージとパワーだ。ステージは赤と白と青のネオンで彩られた『偉大なアメリカを取り戻す!』というスローガンと米国旗で飾られていた」
7「抗争と危機」の冒頭では、「人は鳥に似ているか」として、抗争の儀式化の問題が取り上げられます。 伝統的な機能主義者たちは、政治的権力を競うようにみえる儀式が、一般に、システムの調和を現実に維持するものと解釈されています。儀式とはシステムとそのリーダーを手つかずのまま残しながら、政治的対立を無害な方法でなくす安全弁とみなされているのです。これについて、著者は以下のように述べています。
「儀式についてのこの見解の科学的基礎のひとつが、生態学者たちの仕事からきており、彼等は、一定の動物が抗争状態で利用する様式化されたディスプレイ―しばしば儀式と呼ばれる―を重視する。ハクスリーは、『動物の行動パターンの大部分が、儀式化のプロセスに帰せられている』と主張する。抗争を耐えられる範囲にとどめる手段としての儀式の利用が、少なくとも民族学者によってとおなじくらい、生態学者によっても注目されてきた。とはいうものの人間行動の学徒とはちがって、生態学者たちは、シンボルを、文化的学習の産物というよりも、有機体の遺伝学的『ハード・ワイヤリング』の一部とみなしている」
続けて、著者は以下のように述べます。
「とはいえ基本的ポイントは、他の動物とおなじく人間にも適用される。資源にたいする同一種内の競争が避けがたいとすれば、抗争がいつも暴力に終るのをふせぐため、なんらかのメカニズムの存在が、種の生きのこりに―ことに高等な種において―重要になる。このメカニズム、抗争状態において物理的攻撃をさけるため多くの動物に採用される行動複合が、生態学者が儀式化といっているものである。 動物儀式の、いくつかのよく知られた記述の著者、コンラート・ローレンツは、同一種内の抗争をコントロールする儀式手段を発達させた種は、こうしたコントロール・メカニズムをもたない種よりも、競争として有利な立場にあると主張する。私たちの仲間の種と同様、人類は、抗争をさける儀式化された手段を発達させるよう、似たような進化圧力のもとにおかれてきたはずである」
8「革命の儀式」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「革命運動と新体制にとっての儀式の価値も、あらゆる政治システムにとって、儀式をあれほど重要にするものとおなじ要素にもとづいている。儀式は、重要な組織上の要求をみたし、現実の力関係を神秘化すると同時に正統性をあたえる一助となり、いちじるしくコンセンサスの欠けたところでさえ民衆の連帯を容易にし、人びとにその政治宇宙を一定のしかたで発想させるようにする。ある点で儀式は、久しく確立した政治組織なり体制なりにとってよりも、革命運動と革命体制にとって、さらに重要でさえあるのだ。ラディカルな政治シフトは、もしそれが制度化されるべきならば、強力な支持がなければならないし、これには、人びとが、久しく確立された習慣と、かつてもっていた自己の世界についての概念をすてることが必要になる」
人類史上に残る革命といえば、フランス革命です。著者によれば、フランス革命の起伏は、18世紀末の革命の10年間に、驚くべき速さで確立された、巨大な儀式装置に反映されているといいます。革命の成功失敗は、同時代の儀式闘争の観点からだけでは理解できません。しかし、革命の儀式は、政治戦争を反映するだけでなく、それを戦う有力な武器でした。 儀式戦争は、政府の派閥のあいだでも、政府と教会のあいだでも戦われました。著者は、以下のように述べています。
「1792年、長いあいだ人びとを教会に結びつけてきた通過儀礼―洗礼から結婚をへて死にいたるまで―を、国家が収用した。新しい統治者たちは、忠誠を誓うべきサクラメントとして、聖書を<人権宣言>でおきかえた。革命の聖歌が、教会のそれをおきかえた。そして革命の偉大な出来事をマークする祭典が、ローカルな聖人の日の行列をおきかえた。まことに、日曜という聖日を基軸とした七曜暦を、政府は、革命的な10日間の旬暦でおきかえたのであって、それが、新しい世俗の祭典によって区切られた」
また、フランス革命における儀式について、著者は以下のように述べます。
「フランス革命の儀式は、高揚のためだけではなく教化のために、連帯をつくりだすだけでなく、恐怖をしみこませるために設計されていた。ギロチンが脅しの唯一の装置ではなかった。さまざまの儀式が、人びとに、新体制への公の支持を誓うことを要求した。1790年の連盟祭で、新政府への忠誠を誓わされたルイ16世の恐怖とまったくおなじく、ますます多くのひとが、つづく歳月におこなわれた儀式で、同様な脅威のもとにおかれるようになった」
一連の儀式戦争を最終的に制したのは、かのナポレオン・ボナパルトでした。著者は以下のように述べます。
「ナポレオンの革命祭典の禁止は、その政治的無意味さというより、政治と儀式の密接な相互関係を語っている。新しい体制とともに、異なるシンボルの要求がある、そのことをナポレオンは、まったくよく知っていた。大衆参加と内部の敵の探索でマークされる革命祭典が、軍事力と、征服と、外国の敵の敗北をたたえる儀式に道をゆずった。ナポレオンもまた、儀典大臣をかかえていたのであって、その皇帝への1806年の報告書が、革命が消え去ったあとにも、政治儀式にたいする統治者の関心がつづいたことを示している。2つの大きな国民祝典が提案された。ひとつは、ナポレオンによってつくりだされた新しい社会秩序を特筆する、平和と正義にささげたもの。もうひとつは、ナポレオン自身を讃える年次祭典で、その戴冠記念日のつぎの日曜日に祝われた。革命の礼讃が、ナポレオンの礼讃におきかえられたが、後者もまた前者に似て、不面目な最期をみるだろう」
人類の歴史を俯瞰すると、儀式というものを最大限に駆使して権力を増大した組織として、ナチスの存在を忘れるわけにはいきません。 著者は、ナチスについて以下のように述べています。
「あらゆる政治運動が、その儀式とシンボルをとおして知られるようになるとはいえ、政治と儀式との同一化が、ナチズムの場合ほどグラフィックなケースは、おそらくどこにもない。ヒットラー自身がイコンに、ナチ運動の主な2つのシンボル、鉤十字の腕章とナチの敬礼の体現になった。ナチズムの力は結局のところ軍隊の力だったとしても、その力の創造は、少なからず儀式の利用をともなっていた。この運動は『マイン・カンプ』を聖典としたが、大衆にとっては、それを読む必要などほとんどない。というのは、ジョージ・モースの言葉でいえば『マイン・カンプ』の理念が、礼拝の形式に翻訳され、印刷されたページをはなれて、国家崇拝、アリアン崇拝の大衆儀式になったからである。その儀式の用法の成功なしに、権力にいたるナチの興隆を考えるのは不可能である」
わたしは拙著『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)の最終章である「白魔術の時代」において、ナチスの儀式力をかなり詳しく論じました。ヒトラーは、儀式で人心を操る天才でした。 ナチスの式典や祭典が荘厳な演出に満ちていたことはよく知られていますが、それらはカトリックの儀式を徹底的に意識したものでした。そして、その最大のハイライトはヒトラー自身の演説でした。神がかり的といわれたヒトラーの演説の中には、巧みに計算されたローテクとハイテクによる演出が織り込まれていました。夕暮れから夜にかけて行われ、当時の最新テクノロジーであったマイクやサーチライトも使われました。満天の星空の下、無数の松明が燃えさかり、サーチライトが交錯する。ファンタスティツクな光景に加え、大楽隊の奏でる楽器の音が異様な雰囲気をかもし出し、マイクで増幅されたヒトラーの声が民衆の中の憎悪と夢を呼び起こす。熱気と興奮。恍惚と陶酔。すでに催眠状態に陥った民衆の心は、ヒトラーの発する霊的なパワーに完全に支配されてしまう。このような魔術的ともいうべき儀式の力をナチスは利用したのです。