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2016.10.06
『読書は格闘技』瀧本哲史著(集英社)を読みました。「読書」と「格闘技」といえば、わたしの二大好物ですので、このタイトルを見た以上、本書を読まないわけにはいきません。著者は、東京大学法学部卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルティング業に従事したのち独立。現在は、京都大学産官学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門客員准教授にしてエンジェル投資家です。著書に『武器としての決断思考』『僕は君たちに武器を配りたい』(「ビジネス書大賞」受賞作)『武器としての交渉思考』『君に友だちはいらない』『戦略がすべて』などがあります。
本書の帯
本書の帯には「武器となる〈最強の読書術〉&〈ブックガイド〉」と赤字で書かれ、続いて「いま必要なテーマについて、主張の異なる『良書』を熟読し、自らの考えを進化させる―。読書を通じた、能動的且つ実践的な知的プロセスの真髄を伝授」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のようになっています。
Round 0 イントロダクション
Round 1 心をつかむ
Round 2 組織論
Round 3 グローバリゼーション
Round 4 時間管理術
Round 5 どこに住むか
Round 6 才能
Round 7 大勢の考えを変える(マーケティング)
Round 8 未来 Round 9 正義
Round10 教養小説―大人になるということ
Round11 国語教育の文学
Round12 児童文学 読書は感想戦―あとがきにかえて
Round 0「イントロダクション」では、ショウペンハウエル『読書について 他二篇』斎藤忍随訳(岩波文庫)と瀧本哲史『武器としての決断志向』(星海社新書)の2冊が取り上げられ、以下のように書かれています。
「本書で私が強調したいのは、『読書は格闘技』だということである。これは、自著『武器としての決断思考』で強調したことでもあるが、書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して、『本当にそうなのか』と疑い、反証するなかで、自分の考えを作っていくという知的プロセスでもあるのだ。元々、世の中には最初から何らかの真実があるわけではない。それは、様々な考え方を持っている人達が、議論を戦わせることを通じて、相対的に今の時点でとりあえず正しそうなものが採用されているに過ぎない。今日正しいとされる考え方も、明日には新しい考え方に取って代わられるかも知れない。だからこそ、読書をするときも、自分の今の考え方と、著者の考え方を戦わせて、自分の考え方を進化させるために読むというぐらいの気持ちで臨むのが良いのだ」
ショウペンハウエルは『読書について』で、読書に対して非常に皮肉に満ちた批判をしました。いわく、「読書は、他人にものを考えてもらうことである」「一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く」というのです。しかし、著者は「読書は格闘技」という考え方のもと、以下のように反論します。
「『読書は格闘技』という考え方からすると、ショウペンハウエルの批判は、一面的だと言える。というのも、私の考える読書においては、著者の考えをそのまま無批判に流れ込ませるのではなく、著者が繰り出す攻撃を読者が受け止めたり、さらには、打ち返したりするからだ。現に、ショウペンハウエルの『読書について』を読むときにも、私はショウペンハウエルの繰り出す『読書批判』攻撃をはね返し、彼の考えを私の中で咀嚼して、新たな考えを生むきっかけにしたくらいなのである。つまり、ショウペンハウエルを読むことで、読書の持つ危険性を認識し、ショウペンハウエルの考え方と真逆な『読書は格闘技』という考え方を進歩させることができたとさえ言えるだろう」
そして、著者は本書の帯の裏にも引用された次の発言を行います。
「『読書は格闘技』という考え方に立つと、『良書』の定義も変わってくる。普通、『良書』というと、書いてあることが正しいものであり、正しい考え方であると思われる。しかしながら、書いてあることに賛成できなくても、それが批判するに値するほど、1つの立場として主張、根拠が伴っていれば、それは『良書』と言える。私は筋金入りの資本主義者であるが、そうした立場からしてもマルクスは読むに値する『良書』と言える。ニーチェの言を借りれば、『すくなくともわが敵であれよ!』(竹山道雄訳『ツァラトストラかく語りき』「友」新潮文庫)ということである」
Round 2「組織論」では、ニッコロ・マキアヴェッリ『君主論』佐々木毅訳(講談社学術文庫)とジム・コリンズ、ジェリー・ポラス『ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則』山岡洋一訳(日経BPマーケティング)の2冊を取り上げて、著者は以下のように述べています。
「書店には、成功した人物が書いた、多くの読者を対象にしたやや自慢話風の『天国のような話』が今日も並んでいる。しかし、本当に天国に行く方法を知りたいのであれば、地獄を見た人達の明日の生活をかけた、いわば、血と汗で書かれた書籍を読むべきなのではないだろうか。成功には偶然の要素もあり、その要因は本人にもわからないことが多いのに対して、失敗は再現性がある。当人が高い授業料を払って学んだもので、そこから得るものは多い。もちろん、自分で高い授業料を払って学ぶのも1つの手ではあるが、時間もお金も有限なのだから、授業料は他人持ちにして、他人が失敗から得たものを学ぶ方が、コストが少なくて良いと思う」
Round 3「グローバリゼーション」では、サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』鈴木主悦訳(集英社)とトーマス・フリードマン『フラット化する世界』伏見威蕃訳(日本経済新聞社)を取り上げて、著者は以下のように述べます。
「『フラット化する世界』の主張はきわめてシンプルである。『インターネットを通じて、世界中の市場が1つに繋がり、先進国も新興国も同じ土俵で競争するようになると、社会の運営の仕方、個人の生き方を見直す必要があるだろう』というものである。 『フラット化する世界』のわかりやすい事例は、製造業の国際的分業である。アップル製品を買うと、製造地を表す表現として、『カリフォルニアでデザインし、中国で組み立て』と書いてある。アップルの製品は、ごく少数のデザイナーがカリフォルニア本社でデザインを行い、その指示に基づいて、中国の工場で組み立てられている。そして、その部品のうち少なくない種類のものが、日本で作られている。アップル製品は世界中で販売されているが、もし、不具合があってサポートセンターに電話をすると、かなりの確率でインドに転送され、イギリス英語、アメリカ英語など英語の違いにも対応できるように訓練されたインド人スタッフが対応してくるだろう」
Round 4「時間管理術」では、エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール 企業の究極の目的とは何か』三本木亮訳(ダイヤモンド社)とデビッド・アレン『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』(二見書房)を取り上げ、著者は時間について以下のように述べています。
「どのように時間を使うのが良いかは、人によってかなり異なるし、それは人生の選択そのものだから、一般論としての答えはない。また、『年収の高い人と低い人では時間の使い方が違った!』といった特集がビジネス誌で組まれるが、これは、年収と年齢はかなり相関しているので、年齢の差やポジションの違いでしかない疑似理論がほとんどだ」
その疑似理論の具体例として、著者は以下のように述べます。
「例えば『年収が高い人は多くの雑誌を購読し、読む時間が長い』が、だからといって雑誌を読めば年収が増えるというものでもない。これは可処分所得が高いから有料コンテンツを買えるのであり、年齢が高いほど世代的に雑誌に親しみがあるからに過ぎない。もう1つ例を挙げると、以前、数千人規模でテレビの視聴時間と年収との関係を調べたことがあるが、年収が高い人ほどテレビを観ている傾向があった。だからといって、テレビを観れば年収が増えるわけでもない。これは単にテレビを観る習慣は中高年が高く、この世代は年齢が上がれば年収が増える世代であるからだ。実際、同じ年齢同士で比較するとテレビを観る時間が長いほど年収が低い傾向があったのだが、これは早く帰宅して、コストの掛からない娯楽が、自宅でのテレビ視聴ということの反映に過ぎない」
Round 5「どこに住むか」では、エンリコ・モレッティ『年収は「住むところ」で決まる』池村千秋訳(プレジデント社)とアナサー・サクセニアン『現代の二都物語 なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか』山形浩生・柏木亮二訳(日経BP社)の2冊を取り上げて、著者は都市について以下のように述べています。
「『フラット化する世界』的に考えれば、世界中がネットワークで繋がれていてどこでも情報をやりとりして働けるのだから、同じ都市が勝ち続けるのは難しいのではないかという疑問である。しかし、結論から言うと『ハイテクイノベーション産業』こそ、オンラインではやりとりしにくく、近距離での対面のやりとりが重要になってくる。映画産業がハリウッドに立地した理由にはいろいろな説があるが、D・W・グリフィスという映画監督がここを選び、その結果、チャップリンをはじめ多くの俳優が集まったという分析がある。ハリウッドが発展し、ロケをする場所がなくなった結果、ロケ地は、ニュージーランド、モロッコに移り、そこにエキストラの雇用は移ったかもしれないが、脚本家、映画監督、映画スター、映画関連の投資家、弁護士らはすべて相変わらずハイウッドに残って、濃密なやりとりをするし、映画によって生じる富のほとんどはこちら側に残るであろう」
Round 8「未来」では、ベーコン『ニュー・アトランティス』川西進訳(岩波文庫)とジョージ・オーウェル『一九八四年』高橋和久訳(早川書房)の2冊を取り上げて、著者は科学について以下のように述べています。
「科学の究極の姿というのはどのようなものであろうか。それは突き詰めていけば、神が行ったとされることを人間ができるようになるということなのではないかと私は考えている。映画『インターステラー』はある意味、究極の科学について考えさせられる作品で、地球滅亡の危機を科学の進歩、究極の方程式の解明、法則の発見によって乗り越えようとするものだ。そこでも、天地創造、新人類の創造、時間の超越というテーマが取り上げられている」
続いて著者は、スティーヴン・ホーキングについて述べます。
「宇宙物理学者のホーキングが1000万部を超えるベストセラーを出すことができたのは、彼がALS(筋萎縮性側索硬化症)と闘いながら高い業績を出したのもさることながら、宇宙の始まりを理論化することを通じて、神の不在を証明しようとしたからではないかと、私は考えている。ホーキングの『人間の脳はコンピューターのようなもので、壊れたコンピューターには、天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人間のための架空のおとぎ話だ』という発言もその文脈で理解可能だ。結局のところ、科学技術を突き詰めていけば、神への挑戦に近づいていかざるを得ないのだ」
Round10「教養小説―大人になるということ」では、ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』山崎章甫訳、全3巻(岩波文庫)、あだち充『タッチ』全14巻(小学館文庫)を取り上げて、著者は以下のように述べます。
「日本で今、一番売れている出版物は何だろうか。それは多分マンガであり、その売上げナンバーワンは『ONE PIECE』で3億部以上売れているようだ。このマンガは雑誌連載が長期にわたっており、現在80巻まで出ているのだが(2016年1月現在)、他にもこれに比肩しうるマンガがある。それはあだち充の『タッチ』である。この総売上げは1億部を超えているようだ。他にも1億部を超えているマンガはあるが、単行本全26巻で達成していることを考えるとかなり大きな数字であることがわかるだろう。テレビアニメも今ではなかなか考えられない31.9パーセントの最高視聴率も記録している」
また、著者は『タッチ』を教養小説と位置づけて、以下のように述べます。
「一般的には高校野球をテーマにしたラブコメというのが『タッチ』の位置づけだと思うが、これを1つの『教養小説(Bildungsroman)』と再解釈するとこの作品の特異性が際立つ。『教養小説』とは、ドイツ文学に源流を持つ『主人公が様々な体験を通じて、内面的に成長し人格を完成させていく、大人になっていく過程を描く小説』と定義される。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』がその古典とされているし、実は『アルプスの少女ハイジ』すらその系列に属する」
さらに著者は、『タッチ』について以下のように述べます。
「最終的には達也は苦労の末、高校3年の夏に甲子園に出場し、さらには全国優勝を果たし、浅倉南もインターハイで優勝する。終着点はとてもスポ根ものらしいのだが、達也が甲子園にいくという目標を達成する、弟を越えその影としてでなく主体性を取り戻す(死者というライバルは高橋留美子『めぞん一刻』にも見られる)、完成された人間になるという目的は、あくまでも、浅倉南に好かれたい、浅倉南の相手として相応しくなる、自分が浅倉南が好きであることを認めるという、極めて「個人的」な課題達成なのである」
そして著者は、『タッチ』について以下のように述べるのでした。
「『タッチ』の構図のその後の影響はあまりにも大きい。『平凡な少年がなぜか凄く優れた女性に好かれる』は、やや粗製濫造気味なライトノベルでよく使われるし、『主体的な目標を強制的に選ばされるが、好きな女性に認められるために打ち込み、圧倒的な才能が発見される』という構図は、例えば『新世紀エヴァンゲリオン』がまさにこれにあたる。そして、ライトノベルや『新世紀エヴァンゲリオン』は若者を中心に広範に受容されており、かつての若者が読んでいた日本の『教養小説』である『次郎物語』『真実一路』『路傍の石』などの代わりに、『タッチ』型『教養小説』を読んでいると言って良いだろう」
Round12「児童文学」では、J・K・ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』松岡佑子訳(静山社)、ガース・ウィリアムズ『しろいうさぎとくろいうさぎ』まつおかきょうこ訳(福音館書店)の2冊を取り上げますが、著者は以下のように『ハリー・ポッター』について述べています。
「『ハリー・ポッター』を語る上で少し気をつけなければいけないのは、原作と映画とで若干設定の変更があるということである。映画は、シリーズ全体の興行収入で、『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』シリーズすら上回っている。この数字をたたき出すために、イギリス的な価値観が解毒されている部分もある。それはキャラクターの設定にも見られる。例えば、ロン・ウィーズリーは映画では貧しい冴えないキャラクターになっているが、原作では経済的に豊かでないにしろもっと名門出身であることが強調されているし(言葉遣いでわかる)、ハーマイオニー・グレンジャーは、もっとガリ勉的なキャラクター(少なくとも当初は)だし、姓のグレンジャーは、アメリカの労働運動『グレンジャー運動』から来ているのだが、彼女の社会運動家的色彩は映画では薄められている」
そして「読書は感想戦―あとがきにかえて」では、著者は以下のように述べるのでした。
「読書が『世界という書物を直接読破』する旅で、最も役立つ瞬間というのは、何らかの課題にぶつかったときに、『そういえば、大分昔に読んだ本にこんなことが書いてあったな』という、偶然に、一見無関係なことが頭の中で繋がったときだったりするからだ。イノベーションは全く違う分野の知識の有機的な結合によって起きることが、各種の研究からほぼ定説になっている。そういう意味では、切り口を思い出させるようにしておくだけでも、随分違う。実際、本書は同じテーマでかなり切り口の違う本をぶつけることによるイノベーションを試みたつもりだが、今回取り上げた本は、私が過去に読んだ本(実は少なからぬ本は大学生以前に読んだ本だ)を頭の中で思い起こして、書棚(電子化したものや『東京書庫』の倉庫も含め)から召還した本たちである」
本書を読み終えて率直に思ったのは「面白かった」ということでした。 「成功には偶然の要素もあり、その要因は本人にもわからないことが多いのに対して、失敗は再現性がある」とか「どのように時間を使うのが良いかは、人によってかなり異なるし、それは人生の選択そのものだから、一般論としての答えはない」などの著者の発言にも大いに共感しましたが、なによりも幅広い読書経験から来る著者の「本読み」としての世界の見方を面白く感じました。
ちなみに、拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)にも書いたように、わたしは読書というものは「格闘技」ではなく「恋愛」であると思います。 わたしは本当に本が好きで好きで、たまりません。できれば、1冊の本を愛撫するかのごとく撫で回しながら、ゆっくりと味わいたいと思います。そして、読書する喜びという至上の幸福を取り戻したいと思います。本書の著者は「読書は格闘技」と述べ、松岡正剛氏は「読書は編集」だと語っています。しかし、わたしなりの概念を提示するとすれば、「読書は恋愛」だと考えています。
まず、人は本を愛さなければいけません。そうすれば、本から愛されることもあるかもしれない。もちろん、片思いに終わることが多いでしょう。でも、愛情を傾ければ傾けるほど、読書の快楽は大きくなるはずです。本は読むだけのものではありません。本は愛するものです。できれば、撫でまわし、匂いを嗅ぎ、頬ずりする。舐めることはしないが、揉んだりはする(笑)。本を愛すれば愛するほど、読書は豊かになります。