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2016.11.24
『天皇と憲法』島田裕巳著(朝日新書)を読みました。 「皇室典範をどう変えるか」というサブタイトルがついています。
本書の帯
帯には「お気持ち」を述べる天皇陛下の写真とともに、「『天皇』を深く知らずして憲法改正はできない!」「『生前退位』は実現するか」「焦眉の『皇室典範』をどうすべきか」「緊急出版!」「朝日新書 創刊10周年」と書かれています。
カバー前そでには、「天皇制に最大の危機が訪れている―。」として、以下のように書かれています。
「このまま何もしなければ、皇室以外の宮家が消滅することはもちろん、皇位継承資格者がまったくいなくなる事態も予想される。天皇がいなければ首相の任命も、法律の公布もできない。つまり、日本が国家としての体をなさなくなる。私たちは現在の憲法を見直し、その大胆な改革をめざすべき状況に立ち至っているのである」
また、アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「天皇の『生前退位』をどのように受け止めるべきか? 憲法と密接に関連している皇室典範をどう変えていけばよいのか? そして憲法は、今後どのように変わっていくべきなのだろうか? かつてない『天皇制の危機』に直面している現状を 改憲問題と併せて解き明かす、著者渾身の書き下ろし」
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一章 天皇とは何か
第二章 わび状としての日本国憲法
第三章 大日本帝国憲法と皇室典範の関係
第四章 皇室典範が温存されたことの問題点
第五章 どのように憲法を変えていかなければならないのか
「おわりに」
「あとがき」
「皇室典範」
「旧皇室典範」
「参考文献」
「はじめに」の冒頭を、著者は以下のように書き出しています。
「2016年7月13日、NHKは、天皇が生前にその位を皇太子に譲る『生前退位』の意向があることを宮内庁の関係者に示し、数年以内の退位を希望しているということを伝えた」
また、「はじめに」には、日本国憲法の第七条にある「天皇が果たすべき、他の国事行為」を以下のように紹介しています。
1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2 国会を召集すること。
3 衆議院を解散すること。
4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免 並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7 栄典を授与すること。
8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9 外国の大使及び公使を接受すること。
10 儀式を行ふこと。
皇室典範について、著者は以下のように述べています。
「1つの大きな問題は、1889(明治22)年2月11日に裁定された皇室典範は、1947(昭和22)年5月2日に廃止され、新たに現在の皇室典範が法律として制定され、同年5月3日に日本国憲法と同時に施行されたものの、新しい皇室典範は、それ以前の皇室典範をもとにしており、必ずしも根本的な刷新がなされていないことにある」
皇室典範は、5つの章に分かれ、次のような構成になっています。
第1章 皇位継承
第2章 皇族
第3章 摂政
第4章 成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及分び陵墓
第5章 皇室会議
第一章「天皇とは何か」では、「相当の仕事量」として、著者は以下のように書いています。
「天皇の行事のなかには、『祭祀』というものがあるが、これは、『皇室祭祀』とも呼ばれるものである。戦前は、天皇が果たすべきもっとも重要な行事とされていたが、戦後は、憲法の政教分離の原則のもと、天皇家の私的な行事と位置づけられている。 この祭祀は、新嘗祭など重要な『大祭』と、それよりも重要度が落ちる『小祭』があり、大祭の場合には、天皇が神主の役割を果たす。所要時間は30分から1時間で、もっとも長い新嘗祭でも2時間だが、事前に精進潔斎を行い、『黄櫨染御袍(こうろぜんのごぼう)』といった古式装束に着がえなければならない」
続けて、著者は以下のように書いています。
「これとは別に、憲法では、天皇の国事行事として、『儀式を行ふこと』が定められているが、1952年の閣議決定によれば、それに相当する唯一の儀式が『新年祝賀の儀』である。儀式には、宗教的なものと世俗的なものがあるが、政教分離の原則がある以上、国事行為として天皇が行うものは後者に限られる。ただし、天皇が実際に行う儀式としては、首相や最高裁長官の『親任式』、大綬章や文化勲章の『親授式』、そして『信任状捧呈式』がある。信任状捧呈式とは、着任した海外の大使(特命全権大使)や公使(特命全権公使)が、派遣元の元首からの信任状を提出する儀式で、これだけでも1年間に30回から40回ほどあるという」
第二章「わび状としての日本国憲法」では、「憲法十七条の目的」として、著者は以下のように述べています。
「基本的に憲法とは、『国の最高法規』と考えていいだろう。日本では、この最高法規としての憲法にあたるものは、歴史上3つある。現在の日本国憲法、それ以前の大日本帝国憲法、そして、聖徳太子が推古天皇12(604)年4月3日に定めたとされる憲法十七条(もしくは十七条憲法)である」
また、著者は以下のようにも述べています。
「憲法十七条が制定される前年の推古天皇11年12月には、『冠位十二階』が定められ、12年正月には、『始めて冠位を行なう』と記されている。石井が言うように、冠位十二階の制定と官位の授与は、憲法十七条の作成と一体のものであり、そこからは当時、聖徳太子のもとで制度改革が進められていたことが見て取れる」
「改憲の新たな理由」として、著者は以下のように述べます。
「果たしてこれからも天皇制を維持していくことができるのかどうか、相当に難しい状況が生まれている。少なくとも、それが万全とは言えないことは間違いない。大日本帝国憲法ほどではないにせよ、現在の憲法においても、天皇の存在は極めて重要なものと規定されている。しかも、象徴という定義がまったくなされていない役割が与えられることで、天皇は、昭和天皇も現在の天皇も象徴の役割を模索し、その方向で国民のため、国民の統合のための新たな役割を担うようになってきた。かえって国民生活に天皇が及ぼす影響は、戦前より大きくなったとも言える」
続けて、著者は以下のように述べています。
「しかも、天皇の不在という状況が生まれれば、日本の国家を運営することができなくなる。そのときに憲法を改正しようとしても、天皇がいなければ、改正さえできないのだ。 私たちは今、これまで言われてきたこととはまったく異なる問題をめぐって、憲法を改正する必要に迫られているのではないだろうか」
第四章「皇室典範が温存されたことの問題点」では、「天皇の信仰」として、著者は以下のように述べています。
「明治に入るまで、古代の天皇が仏教の摂取に熱心だったように、皇室では神道と同時に仏教が信仰されてきた。むしろ、仏教に対しての方が信仰は篤かった。それが大きく変わるのは、明治維新が起こり、明治新政府が誕生したときにおいてである。1868年3月28日、新政府は、『神仏判然令』を出し、それまで1つに融合してきた神道と仏教、あるいは神社と寺院を分離しようとした」
続けて、著者は以下のように述べています。
「これは、『神仏分離』とも言われるが、その影響は天皇周辺にまで及んだ。京都御所からは、仏教の信仰に関わるものが撤去された。『お黒戸』と呼ばれてきた仏壇は廃止され、そこに祀られていた位牌などは、天皇家の菩提寺であった泉涌寺に移された。 神仏分離が行われたのは、神道を中心とした国造りがめざされ、中世から近世にかけて日本の宗教界を支配した『神仏習合』という状態は好ましくないと判断されたからである。しかも、皇室においては、神仏分離が推し進められただけではなく、それまでにない形で神道を重視することが行われた」
また、「想定されていた危機」として、著者は述べています。
「皇太子は天皇の子どもであり、それが不在のときには、天皇の孫が皇太子になるという規定である。これが、新しい皇室典範にも受け継がれたわけだが、もし、現在の天皇の生前退位が実現されたら、この規定によって、皇太子の不在という事態が訪れる。現在の皇太子が天皇になれば、子どもは女子しかいないわけで、孫もいない。皇太子のなり手がまったく存在しないことになる」
続けて、著者は以下のように述べています。
「皇位継承資格者ということでは、秋篠宮や悠仁親王などがいる。ほかにも、2人の資格者はいるものの、現在の皇太子よりもはるかに年上である。皇太子が天皇になったら、弟の秋篠宮が皇太子になると考えている人も多いだろうが、現在の皇室典範の規定では、それは認められていないのだ。ということは、生前退位は、皇太子の不在を生むことになるのである」
第五章「どのように憲法を変えていかなければならないのか」では、「皇太子の不在という新問題」として、著者は以下のように述べます。
「このまま、何もしなければ、将来において、皇室以外の宮家が消滅することはもちろん、皇位継承資格者がまったくいなくなる事態も予想される。それは、天皇という存在が日本に生まれてから最大の危機である。その天皇の地位やあり方は憲法によって規定されている。その面で、私たちは現在の憲法を見直し、その大胆な改革をめざすべき状況に立ち至っているのではないだろうか。憲法改正をそのような観点から考えていくならば、今こそその時期であると言える」
本書は、皇室典範をはじめ、天皇に関する基礎知識を学ぶには最適なテキストであると思いました。また、わたしが知らなかったことがたくさん書かれていて、かなり勉強になりました。じつは、いま、ある出版社から「皇室と儀礼」について書き下ろすというプランがあります。2018年に大嘗祭が行われる可能性が高くなってきましたが、皇室儀礼には日本の儀礼文化の神髄があります。『儀式論』(弘文堂)を上梓した今なら、『天皇と儀礼』を書く自信はあるのですが、なにぶん時間が破産しそうです。しかし、最高にやりがいのあるテーマであり、いつかは取り組みたいですね。
わたしは、『葬式に迷う日本人』(三五館)で、著者と「葬儀」について徹底的に語り合いました。葬儀といえば、古代の日本には「遊部(あそびべ)」という職業集団がいました。これは、天皇の葬儀に携わる人々でした。 この「遊部」についても、『天皇と儀礼』に詳しく書きたいです。