No.1437 エッセイ・コラム | 芸術・芸能・映画 『テレビじゃ言えない』 ビートたけし著(小学館新書)

2017.05.28

『テレビじゃ言えない』ビートたけし著(小学館新書)を読みました。
上海から福岡へ向かう飛行機の中で読んだのですが、あまりに面白くて機内にもかかわらず爆笑してしまいました。「週刊ポスト」の人気連載「ビートたけしの21世紀毒談」の中から、特に反響の大きかったエピソードを抜粋し、大幅に加筆してまとめたものですが、著者の「毒」が全開です!

本書の帯

帯には著者の顔写真とともに「放送コード完全無視」「警告 この本に書いてあることを、無暗に口外すると非常に危険です」「10万部突破!」と書かれています。また、帯の裏には「史上最も危険な70歳が『ニッポン人の病』を喝破!」「ネット・SNSはバカのための拡声器」「『笑点』で笑ってるからテレビがダメになる」「角栄を尊敬して桝添に怒る庶民は大マヌケ」「こんなこと、テレビじゃ言えない。本でもヤバイ!」と書かれています。

本書の帯の裏

さらに、カバー前そでには以下のような内容紹介があります。

「最近テレビじゃ『本当に言いたいこと』が何も言えなくてイライラしてるんだ―ビートたけしの呟きからこの本は生まれた。コンプライアンス、CMスポンサーへの配慮、そんな建前のもとエスカレートするテレビの自主規制。そんなもの、クソ食らえだ。放送コードを無視したこの男の毒舌は、ツービートの頃より切れ味を増している。政治・犯罪、ネット社会・・・・・・偽善と矛盾だらけの現代ニッポンをぶった切る危ない現代評論」

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」
第1章 テレビじゃ言えない「危ないニッポン」
第2章 「話題のニュース」毒舌分析
おまけ その1 最旬人物「ヒンシュク大賞」を決定するぜっての
第3章 テレビじゃ言えない「天国のあの人たちの話」
おまけ その2 これが伝説の林家三平結婚式「爆笑祝辞」だ!
第4章 「お笑いBIG3」と「老人論」
おまけ その3 放送コード無視!「タモリへの表彰状」全文公開
番外編 18禁!ビートたけしの妄想AVネーミング大賞
「おわりに」

「はじめに」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。

「最近、ちょっとフラストレーションがたまってることがある。 ご存じの通り、オイラの主戦場はテレビだ。40年近くこの業界でメシを食ってきたし、愛着は当然ある。それなりに実績も作ってきたし、新しいものも多少は生み出してきたつもりだ。だけど、そんなオイラでも、このところ昔みたいに自由が利かなくなってる。テレビの自主規制が年々ひどくなっていて、かつてのような言いたい放題、やりたい放題がドンドンできなくなってきてるんだ。政治的な内容どころか、下ネタやカツラネタまで、ありとあらゆる分野で『アレは言っちゃダメ』『コレもダメ』って先回りして注意されちまう」

第1章「テレビじゃ言えない『危ないニッポン』」の「ニッポンは『一億総活躍社会』どころか『一億総自主規制社会』だ。」では、別に犯罪行為をやったわけでもないタレントがスキャンダルで叩かれて、世間から「一発退場」になってしまう現状について、著者は以下のように述べています。

「結局、こういう『右にならえ』の一斉外しという対応は、企業側が『コンプライアンス』だの『モラル』だのいくら言い訳したって、つまるところは『トラブル回避のための自主規制』でしかない。要はCMスポンサーに降りられたり、『何でアイツを使ってるんだ』と世間から袋叩きに遭うのがイヤなだけなんだから。それって、クラスでのイジメを見て見ぬフリしてる気弱な中学生と変わらない考え方だ。タレントを早々に降ろして『リスク回避できた』みたいに胸を張るのは、何か違和感があるんだよな」

「インターネットは本当に『いいことばかり』か? 現実は『バカのための拡声器』になっている。」では、著者は以下のように述べています。

「ネット社会では、番組へのクレームが直接メールやらでスポンサーに行ってしまうから、テレビ局がなおさら萎縮してしまう。『お前の会社が提供している番組はこんなふざけたことを言っていたぞ!』と企業に直接苦情を入れたり、『不買運動を起こせ!』とネットでけしかけたりするヤツが出てきた。だからスポンサーに迷惑をかけたくないテレビの制作側が勝手に『言葉狩り』や『問題タレントの排除』を始めちゃうんだよ」

続けて著者は、「ネット社会」の異常性について以下のように述べます。

「ネット社会じゃ、相反する2つの意見があったとしても、多くの場合論争にならない。論争というより、多数派が少数派を寄ってたかって袋叩きという図式になってしまう。名前さえ出さない匿名のヤツラが、ターゲットを決めてリンチする。そんなもんに狙われちゃたまらないってことで、テレビが臆病になってる。ネット=悪とは言わない。情報ツールとして活用したり、仕事や表現の可能性を広げてる人も多いだろう。だけど、『バカが簡単にモノを言う社会』を作ってしまったのも確かだ」

「『ネットで調べれば何でもわかる』と考えるヤツは、『そこに書かれていないもっと深い世界』に思いが至らない。」では、著者は述べます。

「最近、ハロウィンというニッポン人に馴染みのない文化で若いヤツラがバカ騒ぎしている。これも『スマホとネットありき』のブームだろう。仮装をして、その日限りでもいいから『スター』になって注目を集めたいって考えるのは、その姿をSNSでいろんな人に拡散できるからだよ。誰にも気がついてもらえないんなら、わざわざそんな手間のかかることはやらないだろう。キラキラネームを子供に付ける親も、ハロウィンで目立とうとするヤツも、みんな根っこは同じだよ。お手軽にできる『他人とは違うこと』をやって目立とうとするんだけど、それは本当の『個性』とはまったく違う、うすっぺらなものだよ」

また、スマホの通信料について、著者は以下のように述べます。

「『スマホの通信料』ってのは、現代社会における「年貢」みたいなものじゃないか。最終的に儲けてるのは、通信会社とアプリを作ってるヤツラだけ。賢くて、情報を持ってる人間だけが、1人月5000円~1万円という巨額の『年貢』を手に入れてる。IT起業家は、いわば現代の戦国大名だよな。『流行のスマホを手に入れたぜ』『最新のアプリをダウンロードしたよ』なんて喜んでるヤツラは、そういう『儲かる仕組み』を作ってるヤツラに、いいようにカネを巻き上げられてるってことに気がついてないんだよ。どうも最近は、こういう『作られたブーム』に無自覚に踊らされてるヤツが多い」

「法案成立日に『国会前で反対デモ』なんて、愚の骨頂だ。デモをするなら投票日。でなきゃ手遅れだよ。」では、著者は以下のように述べています。

「国会前で法案成立前にデモを起こすっていうのも、よくよく考えりゃ珍妙な話でね。もともと国民が選挙で国会議員を選んで、その結果として法案を通しているわけでさ。『反対って言ったって、選んだのはお前らじゃねえか』って思っちまう。だから、本来なら、デモの矛先は『一般のニッポン国民』っていうのが正しい。『こんなバカな政治家を当選させるな』『キチンと投票に行け』ってことを、ちゃんと国民に訴えるほうが先だろ。法案が通る頃になって騒ぎ出したって、とっくに遅いって話だよ。実は選挙の日に9割方勝負がついちまってる」

それから、著者は以下のように最高に面白いことを述べています。

「もしかしたらニッポンは世界の中で『テレ東』みたいなもんなのかもしれない。テレ東は、田中角栄が逮捕されたときだって他局がみんな特番をやっていたのにアニメを放送してたし、東日本大震災3周年の日も、各局が震災特番をやる中で1局だけ映画の再放送をやっていた。ニッポンは世界からそれぐらい特異な存在だと思われているんじゃないかって気がするぜ。
もちろんテレ東の場合はカネがない中、どうやって先行する他局に対抗するか、どうやって視聴者のニーズをつかむかって考えた上での独自路線なんで、単純に『他の国に興味がない』ってニッポンとは根本的に違うんだけどさ。だからテレ東のみんな、こんなことを言っても悪く思わないでくれよ」

これを読んだとき、わたしは機内にもかかわらず大笑いしました。

「『おんぶ政務官』のパフォーマンス下手には笑うけど、災害時の『政治家の防災服』ほど白々しいものはない。」では、台風被害の視察で岩手県に行った内閣府の政務官が「長靴を履いてこなかった」ということで、同行者におぶってもらって水たまりを渡るという失態を演じたことを取り上げ、著者は以下のように述べています。 「角栄さんは、わざわざ革靴に白っぽいズボンという格好で、田んぼの中まで入っていって選挙区の農民と握手したんだよな。もちろん、ズボンは泥でグチャグチャ、靴だって使い物にならなくなるよ。それでも車の中に用意しといた新しいズボンと靴に履き替えて次の田んぼに入っていってまた握手をして、さらに次の田んぼでまた同じことを繰り返したんだよな。いくらわざとらしくても、泥だらけで駆けつけてもらったら誰でも感激するよ。もちろん、マスコミにそれを報じてもらう目論見もあっただろうね。だからみんなこの話を知ってるし、角栄さんは選挙にも当然強かった。これと同じことをハマコーさんもやったんだ。田んぼの中で作業している人をわざわざ見つけて泥だらけになって駆け寄ったんだよな。要は、それくらい『役者』じゃないと人心はつかめないし、政治家として大成できるわけないってことだよ」

また、「共産党は何やってるんだ」と思うという著者は、こう述べます。

「こないだ、『TVタックル』(テレビ朝日系)でだったかな、共産党の小池晃さんに言ったんだよ。『あんたたち、共産党っていう名前も古いけど、やり方も古い。外から文句を言ってるだけじゃ変わらないよ』ってね。で、こんなプランを出したんだよ。共産党は全国の議会に候補を出して、ほとんど『野党』なわけだけど、それならどこか1地域に全力を集中して、『共産圏』ならぬ『共産県』を作ったほうがいいんじゃないかって。過疎化が進んでる鳥取県とか島根県とかにね。共産党の首長がいて、議員も大勢を共産党が占めて、そこで共産党が言うような福祉や医療が充実した政策をガンガンやればいいんだよ。共産県では待機児童ゼロ、老人ホーム難民ゼロみたいになったら、『共産県に住みたい』ってヤツがドンドン出てきて、過疎化がストップするかもしれないぞってね」

「トランプ米大統領を生み出したのは、『インテリの傲慢』と『B層マーケティング』だ。」では、著者は以下のように述べています。 「オイラが『核武装しちゃえ』とか『ジジイ・ババアを姥捨て山に』なんてヒンシュク丸出しのネタをやってるうえに、トランプと一緒で過去にスキャンダルを山ほど抱えてるってことで『似てる』って声が出てきてるらしいんだけどさ。別に『なるほど』と納得するのは勝手だけど、この論はひとつ大きなことを忘れているよ。オイラは若い頃から『笑いのネタ』としてこういう話をしていて、要はこういう極端な話で『政治』やら『社会』のヘンな部分を横から突っついているわけだよ。一方でトランプは、『政治』という土俵に乗っかって、大マジメに極論を言っているわけだよな。これってたとえ同じ『極論』を説いていたとしても、そのスタンスは真逆だぜ。こっちはお笑いだから許されるんであって、トランプみたいに拳を振り上げたことなんてないんでさ。そのことに気がつかなきゃダメだよ」

第2章「『話題のニュース』毒舌分析」の「一過性だった『アイス・バケツ・チャレンジ』のくだらなさ。アレは『不幸の手紙』と変わらない。」では、著者はボランティアの話題の流れで述べます。

「ボランティアと言えば、愚の骨頂だったのが、ちょっと前に流行った『アイス・バケツ・チャレンジ』ってヤツだよ。あんなの、まるで『オレたちひょうきん族』でやってた『ひょうきん懺悔室』だぜ。絵面だけ見りゃ、キリスト様に『バ~ツ!』ってやられて、水をドバッとかぶってるのと同じ。オイラは正直、『いったいこの人たちは何をやってるんだろう』と思っちまった。難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)の研究を支援するための運動で、指名された人は24時間以内に頭からバケツに入った氷水をかぶるか、100ドルをアメリカのALS協会に寄付するか、あるいはその両方をやるかを選ばなきゃいけないらしい。で、やった人間はさらに3人を指名して、ドンドン『氷水かぶり』の輪が広がっていくという図式でさ」

続けて著者は、アイス・バケツ・チャレンジについて述べます。

「この運動には、アメリカのブッシュ元大統領、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、ソフトバンクの孫正義社長、サッカー選手のネイマールにレディー・ガガと、いわゆる『セレブ』たちがガンガン参加したんだよな。有名人がこぞってやってることもあって、この運動に賛同したり、褒め讃えたり、肯定的なニュースばかりだった。だけどオイラにとっちゃ、こんなものうさん臭くて仕方がない。だからテレビ(『ニュースキャスター』)でも、『指名されても絶対やらない』『カネも払わない』って言ってやったんだよ。別に理屈をズラズラ並べて批判したわけじゃない。オイラは一言だけ、こう言ったんだよ。『何で冷たいのをかぶんなきゃいけないんだよ? オイラは熱湯に入ってカネを取る方だぞ。宗旨がまるで違う』ってね」

「CD買ってアイドルの握手会」ってのは、パチンコの換金システムとまるで同じだ。」では、著者は以下のように述べています。

「最近は、メジャーなグループでも『CD購入がアイドルとの握手会に参加する条件』みたいな商売が当たり前になってる。だけど、それってグレーゾーンだよな。本当は『可愛いオネエチャンの手を触りたい』ためにカネを払っているのに、それが『CD』という商品を経由することでオブラートに包まれているわけでさ。これって『パチンコの換金システム』と似てる。パチンコ屋で現金を渡すと賭博で違法になっちゃうから、パチンコ玉と引き替えに『特殊景品』をもらって別の店で換金するんだけど、アイドルの『握手会ビジネス』もこれとソックリじゃないかってね。
本来アイドルってのは『偶像』だからさ。『手が届くアイドル』って概念は矛盾してて、『手が届かないから価値がある』ものなんだよ。なのに、ファンのところまでアイドルが降りてきちゃうから、勘違いヤローが出てきてしまう」

「『賞味期限』も『エコ』も消費者のためにあるもんじゃない。『経済』のためのセールストークに過ぎない。」では、カレーチェーンの廃棄カツを横流ししていた業者が問題になったことを取り上げて、著者は述べます。 「オイラは性格が悪いから、もしかしたら賞味期限ってのは『消費者の健康と品質維持のため』というより『経済を回すため』にあるんじゃないかと勘ぐってしまう。『ちょっとぐらい古くたって食える』『まだ食えるのに捨てるのはもったいない』って考え方は、カネをジャンジャン回すためには非常に都合が悪いんだよな」

続けて著者は、以下のようにも述べています。

「よく考えりゃ、家電製品だってそうじゃないか。 メーカーは『エコな新製品が登場!』ってバンバン広告を打つし、量販店は『修理するより新製品を買った方が安上がりですよ』ってすぐ買い換えを勧める。だけど、本来なら古いものを大事に長く使うことこそ一番の『エコ』じゃないかってね。結局、『エコ』っていう言葉すら、経済を回すためのセールストークになっちまってるんだよな」 まったく同感です。これらは多くの人々が密かに感じていることでしょうが、著者からズバッと言ってもらうと爽快ですね。

第3章「テレビじゃ言えない『天国のあの人たちの話』」の「『戦メリ』の舞台、ラトロンガ島で体験した、デビッド・ボウイの『ティータイム事件』。」では、著者が故デビッド・ボウイの思い出を語ります。

「デビッド・ボウイはオイラたちに興味津々でね。オイラが早口でギャンギャンしゃべって笑いをとっているのを覗き込むように見ていたし、ときには言葉がわからないはずなのにゲラゲラ笑ってることもあったね。あの人の音楽もそうだけど、現場で新しいものとか、未知のものを取り入れようとしてたんじゃないかって気がするよ。
それに、誰に対しても壁を作らない人だったね。印象的だったのは、傷痍軍人役のエキストラで島に来ていた外国人の身体障害者たちと、昔からの仲間のように酒盛りをやっていたときの笑顔だよ。もう、偉ぶるところはまったくない。だからこそ時代に左右されないスーパースターだったと思うんだ」

「しんしんと降る雪を見ると、花束抱えて駅で待っていた高倉健さんを思い出す。」では、著者は映画「夜叉」(1985年公開・降旗康男監督)で共演した故高倉健の思い出を語ります。

「あの人のオーラは特別でね。オイラなんかいいほうで、若い俳優なんて健さんの前じゃガチガチになってみんな全然しゃべれなかったらしい。だけど、素人には、そのオーラがわかんないのもいるみたい(笑)。健さんがスタッフを連れて、ロケの合間にラーメンを食いに行ったんだよ。オイラは長ゼリフを覚えなきゃいけないんで、そのお誘いは遠慮したんだけどね。で、健さんによると、行った先のラーメン屋のオヤジが、高倉健に気がつかなかったんだって。で、『映画撮ってるの? ビートたけしが来てるらしいけど、どこに行けば会えるんだ?』って、こともあろうに健さんに聞いちまったらしいんだよな。ホント、カンベンしてくれよって」

「菅原文太さんはシリアスもコメディもこなす『二面性の役者』だった。」では、高倉健とともにヤクザ役で名を馳せた故菅原文太について、著者は以下のように述べています。

「失礼ながらあえて一言でいうと、菅原文太さんは『二面性の役者』で、高倉健さんは『一本柱の役者』じゃないかな。文太さんは73年から『仁義なき戦い』、75年から『トラック野郎』の両輪で活躍した。『2つの当たり役を同時につかんだ』なんて言われてるけど、そんな生易しいもんじゃない。恐ろしいくらいに難しいことだ」

続けて著者は、故菅原文太の二面性の凄さについて述べます。

「『仁義なき戦い』は東映の実録ヤクザ映画路線の代表シリーズで、深作欣二監督らしいバイオレンスあふれる作品。一方の『トラック野郎』は、ギャグあり下ネタありの爆笑コメディでね。だけど文太さんは、どちらもこなしてしまう。『トラック野郎』を観て、”『仁義なき戦い』の広能昌三がこんなくだらないバカをやったら格が下がる”とは言われないし、逆に『仁義』シリーズを観て、”『トラック野郎』の桃次郎が怖い顔して人殺ししてるぞ”と笑われることもない。これって神業なんだよ。オイラ自身が大変だったから、あの人の偉大さがわかる。文太さんに『巧い役者』って評価はそんなになかったけど、本当はものすごい『テクニックの人』だったと思う。頭をフル回転して役に取り組んでいたはずだ」

第4章「『お笑いBIG3』と『老人論』」の「「『ビッグ3』を若手が越えられない理由はただひとつ。オイラたちの寝首を掻こうというヤツがいないからだ。」では、著者はタモリに言及し、「タモリは『白米のようなタレント』」として、「最近じゃ、いろんな人がタモリのことを論じているようだけど、一言で言えば、この人っていうのは『白米のようなタレント』なんだよな。オカズが毎日どんなものに変わっても、結局は欲しくなる『変わらなさ』を持ってるってことでさ」と述べています。

続けて著者は、タモリについて以下のように述べます。 「『いいとも!』には、芸人にしても、アイドルにしても、その時々の『旬』と言われるヤツラがそろうわけだけど、それは言ってしまえば『日替わりメニュー』のオカズでね。目新しくて一時は注目されるけど、毎日食ってると飽きちまう。激辛の辛子明太子やスパイスタップリのエスニック料理も、たまにならいいけど毎日食おうとは思わない。いくら高級品だからって毎日キャビアやフォアグラを食ってちゃそのうちウンザリしちまう。『いいとも青年隊』なんて、本当の産地がどこかもわからない安いインスタント食品だよ(笑)。まァ、結局オカズってのはいつか飽きられちまうんだよな」

「ジジイが『やりたい放題』で嫌われる社会こそ、理想の高齢化社会だ。」では、著者は「尊敬できる老人」について以下のように述べています。

「『尊敬されたい』って考えには、大きな落とし穴があってさ。『尊敬できる老人』かどうかを評価するのは、自分たちよりも若い世代なんだよな。だから、社会的に尊敬できる老人、模範的な老人であろうとすることは結局のところ『若い世代に気に入られるかどうか』になってしまう。そうなると、何をしようにも『大人気ない』『いい歳してみっともない』って話になっちまう。この先何十年も生きられるわけじゃないのに、そんな窮屈な思いをする必要はないだろってさ。それは若い世代への『媚び』になりかねないんだよ」

続けて、著者は現代日本の中高年者たちに対して、こう言います。

「だからすべての中高年に言いたいんだけど、家の中でも、職場でも、近所のコミュニティでも『いいジジイになろう』なんて考える必要はない。自分の思うように生きて、その結果として若者にとっちゃ目障りで迷惑な存在になって、『お前なんて早く死んじまえ』と思われるぐらいのほうがよっぽど健全だろってね。理想は葬式で『よくぞ死んでくれた』って拍手喝采が起きることだな。それこそ『思いっきり生きた最高の老後』なんじゃないか」

「おわりに」では、「オイラも、この2017年でついに70歳になっちまった。こないだは、フランス政府から『レジオン・ドヌール』なんてたいそうな勲章もいただいた」と述べた上で、著者は以下のように本音を吐くのでした。

「まァ、普通ならこの辺で『一丁上がり』と、無難な生き方を決め込むヤツが多いんだろう。だけどオイラは逆だ。世の中がオイラを褒めるんなら、その期待を裏切るような、くだらなくてバカバカしい芸人であり続けたいと考えている。理想はウンコ漏らしながら高座に上がった晩年の古今亭志ん生さんだ。芸人にはモウロクして落ちぶれていく様を客前でさらけ出していいって特権がある。オイラは、死ぬまでくだらない芸人であり続けたいと思っているんだ」

著者は、気の向くままに放言しているようでいて、じつは確固たる倫理観の持ち主です。それは、この読書館でも紹介した『全思考』および『超思考』で紹介した著書を読んでもよくわかります。
最近も、TV番組の中で、秋篠宮眞子さまと婚約された小室圭さんの「親友」と称する番組スタッフを叱り上げました。女性スタッフが小室さんをニックネームの「KK」と呼び、初めて会ったときの会話やLINEのやりとりを赤裸々に告白したのです。さらに眞子さまとの交際秘話も明かしました。これに対して著者が激怒し、「何なんだウチのスタッフは。何なんだあのしゃべり方は。バカ野郎。相手を誰だと思ってるんだ。ふざけやがって。ラーメン屋の親父じゃないんだ!」と憤ったのです。まあ、「ラーメン屋の親父」のくだりが職業差別ではないかなどという問題は横に置いて、著者の啖呵に胸のすく思いをした視聴者は多かったようです。著者は、今や日本一の「頑固親父」なのかもしれません。こういう親父が日本にいてくれないと困ります。

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