- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
2017.06.12
『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』ケント・ギルバート著(講談社+α新書)を読みました。大変なベストセラーのようで、わたしの周囲の方々で本書を読んだ人も多いです。何人もの方から、「一条さんも読まれましたか?」と訊かれました。これは、読まなければなりません。
本書の帯
帯には、ダークスーツに赤いネクタイで腕組みをする著者の写真とともに、「25万部突破!! 21世紀の『菊と刀』・・・全く新しい『日本人論』です!」と書かれています。「21世紀の『菊と刀』」とは、また大きく出ましたね!
本書の帯の裏
著者は1952年、米国アイダホ州ユタ市生まれ。
70年、ブリガムヤング大学に入学。翌71年に末日聖徒イエス・キリスト教会のモルモン宣教師として初来日。その後、国際法律事務所に就職し、企業への法律コンサルタントとして再来日。弁護士業と並行してテレビに出演。わたしたちの年代にとって、毎日放送系のクイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」で外国人枠準レギュラー解答者として出演していたことが思い出されます。日本中の茶の間の人気者でしたが、司会の大橋巨泉から、正解より安い金額を回答していたことから「ネギルバート」(「値切る」と「ギルバート」の略)と呼ばれていました。
2015年、著者は公益財団法人アパ日本再興財団による『第8回「真の近現代史観」懸賞論文』の最優秀藤誠志賞を受賞。著書には、『ケント・ギルバートの素朴な疑問 不思議な国ニッポン』(素朴社)、『国際化途上国ニッポン』(近代文芸社)、『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)、『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(以上、PHP研究所)などがあります。かつての「ネギルバート」さんは、最近では、日本人に「自虐史観のアホらしさ」と「日本の偉大さ」を気づかせてくれるアメリカ人として、すっかり有名になってしまいました。
さて、本書のメインテーマは「儒教」のようでいて、じつは「反・中韓」です。
タイトルにある「儒教」「支配」「悲劇」のワード、そして帯裏の文章のメッセージなどからも、本書が儒教の闇の部分に焦点を当てていることは明白ですが、著者は「中国や韓国と上手に付き合うには、まず『自己中心主義』の大本たる儒教の本質を知り、そして日本は儒教国家でないことを認識すべし!」と繰り返し訴えています。
最近、本書のタイトルだけを知っている人から、「儒教って、本当は危険な教えなのですね」とか「儒教のせいで、中国と韓国はあんな国になったみたいですね」などと言われました。それで、わたしも「これは看過できないな」と思い、本書を読み、書評を書く次第です。
わたしは、基本的に「聖なるもの」を貶める内容の言論を許すことができません。これまでにも、この読書館でも紹介した『洗脳論語』、『ブッダはなぜ女嫌いになったのか』のように、ただ本を多く売りたいがために、孔子やブッダといった聖なる存在を貶めたトンデモ本に対して異を唱えてきました。
それで、本書『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』も同様のトンデモ本であるなら、「義を見てせざるは勇なきなり」の精神で反論しなければならないと思ったのです。しかし、一読して、本書がトンデモ本でないことはわかりました。著者が言いたいこともわかります。でも、書かれてあることがすべて納得できるわけではありません。納得できる部分もあれば、納得できない部分もありました。忘れてはならないことは、モルモン教徒である著者には、儒教にも孔子にも何の思い入れもないということです。
本書の本質は、「キリスト教に支配されたアメリカ人が中国人と韓国人を嫌いになった喜劇」と言えるかもしれません。
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに―DNA以上に精神的に大きく異なる日本と中韓」
序章 「儒教の呪い」とは何か
第一章 沖縄も東南アジアも樺太も中国領?
第二章 キリストも孔子も韓国人?
第三章 中国・韓国の自己中心主義の裏側
第四章 日本は儒教国家ではない!
第五章 儒教の陰謀は現在進行中!
「あとがき―アジア随一の先進超大国としての務め」
「はじめに―DNA以上に精神的に大きく異なる日本と中韓」で、著者は、日本の近くには、中国と韓国、そして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)という「特亜三国」や「特定アジア」と呼ばれる国々があるとして、以下のように述べています。
「アメリカという土地で暮らしていると、私だけでなく多くのアメリカ人の目には、日本と『特亜三国』のあいだには、大きな違いがないように映ります。恐らく、『そんな馬鹿な!』と思われることでしょう。
しかし、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーの違いが分かる日本人は、どの程度いるでしょうか。ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークの違いはいかがでしょうか。
あるいは、中東にたくさんあるイスラム教国の区別が付くでしょうか。シーア派とスンニ派の違いについてはどうでしょうか。冷静に考えれば、自分の仕事や趣味と無関係な地域の国のことは、実はほとんど何も知らないという事実に気が付くはずです」
また、著者は「日本人も中国人も、そして韓国人も、いわゆる黄色人種に分類され、一般的な白人からは、大きな違いはないように見えます。それぞれの国についても、もし『日本は島国、中国は大陸、韓国は半島にある』と答えられるアメリカ人がいたら、かなり知的レベルが高い人物であるはずです」とも述べています。
そして、本書の帯の裏にも書かれている以下の記述があります。
「私自身は、来日後いろいろな思いから調べてみて、日本と中国・韓国には大きな隔たりがあることが分かってきました。事実、最近の研究では、DNAを解析してみたところ、日本人、中国人、韓国人のDNAには、大きな違いがあることが判明したそうです。
ただし、日本人と中国・韓国の決定的な違いは、先天的なDNAの問題よりも、後天的要素である歴史的、文化的な背景にあると思います。物事に対する考え方や捉え方が、日本人と中国人、そして韓国人とでは、根本から、正反対といっていいほど違います。そして、その違いの根源が『儒教』にあると、私は考えています」
序章「『儒教の呪い』とは何か」では、「道徳と倫理を捨てた儒教の害毒」として、著者は次のように述べています。
「儒教文化こそ、中国大陸を支配する王朝が次々に生まれては消えた長い歴史のなかで、そこに住む人民を、そして周辺の国々を苦しめてきた、元凶の1つといっても過言ではないのです。なぜなら儒教こそが、いまなお漢民族のエリート層を中心に根強く残っている「中華思想」と、密接につながっているからです」
続けて、著者は「中華思想」について次のように述べます。
「中華思想では、中国の皇帝こそが世界の中心であり、そこから離れた地域は未開の地、そして、そこに住む人々は禽獣にも等しいと考えます。中心に近ければ近いほど先進的で優れており、遠ければ遠いほど未開で野蛮なのだと、何の根拠もなく無条件に決め付けているのです。
東京やニューヨークのような大都会に生まれて何不自由なく育った、しかも親の躾がなっていない『傲慢なクソガキ』が抱きそうなこの手の妄想を、いい大人になっても信じている愚か者・・・・・・それが中華思想に染まった連中です」
「傲慢なクソガキ」とは少々表現に品がありませんが、著者が中国に対して非常に悪い印象を抱いていることがよくわかります。
また、著者は以下のようにも述べています。
「周近平国家主席は、その就任演説で、『中華民族の偉大な復興という中国の夢』という言葉を堂々と掲げました。この覇権主義的な発言は、まさに中華思想が彼自身の精神的主柱として存在する証拠であり、中国が東シナ海や南シナ海で行っている暴挙も、中華思想、ひいては儒教の教えを抜きに理解することはできません」
「さらに始末に負えないのが、その儒教精神において、本来であれば重要とされてきたはずの『道徳』や『倫理』を、現代中国人の多くは完全に置き忘れてきてしまったことです。この歪んだ儒教の伝授が、世界的に大迷惑な政治体制と、多くの現代中国人の傍若無人な国民性の基礎となってしまったのです」
「秦の始皇帝が儒教を禁じた理由」の項では、わたしにとって違和感のある発言が登場します。まず、1966年から始まった文化大革命に続き、1973年からは「批林批孔運動」が起こり、中国全土で孔子が名指しで批判されます。そこで「孔子は封建的な思想の持ち主、大悪人である」とされたわけですが、この運動の背景には中国共産党内部の権力闘争がありました。儒教および孔子はとんだとばっちりを受けたわけです。
ここで、著者は文化大革命について次のように述べています。
「この文化大革命のおかげで、儒教の中心となる『仁・義・礼・智・信』などの優れた部分は破壊され、文革後の中国人からは、すっかり抜け落ちてしまいました。その結果、中国人は極端な拝金主義に陥るのです」
さて、儒教を批判した人物といえば、なんといっても秦の始皇帝です。
「焚書坑儒」の史実からもわかるように、彼は徹底して儒者を弾圧しました。このことについて、著者は以下のように述べています。
「儒教思想に問題があることを、秦の始皇帝が2200年以上も昔に感じていた事実には驚きました。しかも始皇帝に弾圧されて、一度は滅びかけた儒教が、その後もしぶとく生き残り、ついには完全復活し、現代中国人の思想にまで強い影響を与えている事実も驚くべきことです」
これには思わず、失笑してしまいました。著者は、なぜ始皇帝が儒教を弾圧したのかがわかっていません。始皇帝は儒教思想の問題点を発見したのではなく、その本質が自らの野望の妨げになることに気づいたのです。
あるとき、始皇帝は絶対者となるための秘儀である「封禅の儀式」を泰山であげようとしました。ところが、長いあいだ泰山での封禅は行われていなかったので、儀式のやり方がわからなくなっていました。『論語』に、「三年礼を行なわなければ礼は廃れてしまう、三年楽を奏さなければ楽は滅びる」という言葉があります。それを、3年どころか500年以上ものあいだやっていないのですから、封禅についてわからなくなったのは当然です。
そのとき、始皇帝はいろいろな人に尋ねました。
主として礼の専門家である儒者でしたが、言うことがみな違っていました。ある人は、蒲(がま)という柔らかいものを車輪に巻きつけて山に登るのだといいますし、藁(わら)の皮を1つひとつ取ってそれでゴザのようなものを作り、その上で儀式を行うのだという人もいました。
そこで始皇帝は、儒者の言うことなど聞かず、自分の思い通りに儀式を行ったのです。このことがあってから、儒者の言うことなどアテにならないと、始皇帝は儒者に対する不信感をつのらせました。
これがのちの「焚書坑儒」の遠因になるのです。儒教書を焼き(焚書)480人もの儒者を穴に埋めた(坑儒)ことは、人類史上でも名高い愚行です。しかし、この愚行の底には性善説と性悪説、さらには「礼」と「法」というきわめて重要な思想的問題が潜んでいます。
春秋・戦国時代というのは、いろいろな思想が花開いた時期で、さまざまな人がさまざまな説を唱えて論争しました。これを「百家争鳴」といいますが、なかでも後世にもっとも大きな影響を残したのが、言うまでもなく孔子の儒教です。孔子は周の「礼楽」を復興しようとして苦心しました。つまり先王の道、周の時代の道を理想とし、昔の礼の秩序を回復しようという考えです。
孔子の弟子のなかの子夏あるいは子游という人々の思想の仲から、始皇帝とほぼ同時代に荀子という人が現われました。荀子は孟子とよく対比されます。孟子は、人間はもともと良い性質を持っているのだという性善説を唱えました。それに対して荀子は、人間の本性は悪であって、善というのは「偽り」であると主張しました。ここで言う「偽り」は、現在の私たちが言う「偽り」(にせ)ではなく、ニンベン(つまり、人)にタメ(為)と書く「人為」、つまり後天的という意味です。先天的には人間の性は悪であるが、後天的に良くなるのだというのです。
孔子から孟子に流れている説では「礼」を非常に重んじますが、荀子は「法」を重んじます。人間の性は悪であるから、この悪を法によって抑えようという考えです。荀子の門下からいろいろな弟子が出ています。
秦の政治を支えた宰相の李斯や『韓非子』で有名な韓非もそうです。
荀子の性悪説に学んだ李斯は、世襲あるいは血縁で結ばれた、いわゆる封建勢力の制約というものを排除しようとしました。才能さえあれば、たとえ自分が殺した者の子でも重用してかまわない。血縁を重視したり、コネなど私的な情で政治を行なうのはよくない、ということを言っています。そして「偽」というもの、後天的なものを尊ぶのです。本来は悪である人の性を法によって正すというのが基本的な考え方です。
性悪説の基本的な理論とは、次のようなものです。
もしも性善説で言うように人間がすべて善人であるなら、聖人などいらないではないか。聖人というのは王、聖天子のことで、聖人が人々を教え導くことになるのですが、性善説ならば教え導く必要はない。もともと悪いことをする素地があるから、良い方向に導く必要があるのだ、というのです。ですから、性悪説では、君臣関係を重んじ、君主の権力の強化が考えられることになります。いわば、人間主義でもありますし合理主義でもありますが、これが荀子の説を離れて、法家の説となりました。もともと、秦には法家の伝統があります。商鞅が法律万能、厳罰主義を政治の基本とし、それで秦が強くなったことはよく知られています。秦にはもともと法家の説に基づいて政治をやってきたという伝統があり、李斯はその伝統にしたがって秦の政治に携わったわけです。
李斯と同じく荀子の門下生であった韓非は「東洋のマキャヴェツリ」などと呼ばれますが、その著作『韓非子』を読んだ始皇帝は非常に感激し、こんな素晴らしい人と会ってつきあえるものなら死んでも本望だというほど惚れ込みました。しかし、実際に会ってみると、口下手な韓非に失望したと言われています。その後、韓非はその才能を怖れた李斯の陰謀により非業の死を遂げています。
始皇帝像と
わたしは始皇帝が法家の説を重んじたことは、なにより彼が「礼」という思想を徹底的に嫌っていたからだと考えています。古代中国における「礼」とは、他国との境界線に関わる政治的概念でもありました。転じて他者に対する敬意や思いやりの意味が強くなりましたが、本来は他の領土を侵犯しないことから生まれた概念だったのです。次々に周辺諸国に戦争を仕掛け、打ち破っていった始皇帝がこのような「礼」の思想を好むはずがありません。「礼」の影響力が弱まったからこそ、戦国時代がはじまったとも言えるでしょう。
さて、「儒教と共産主義は最悪のコンビ」として、著者は述べます。
「中国では、孔子以前から祖先崇拝の精神が強く伝えられ、その家族愛や信義などを孔子が『論語』にまとめました(正確には孔子の弟子たちが編纂しましたが)。この精神は脈々と受け継がれ、中国大陸の十数回に及ぶ『易姓革命』や、封建的な伝統文化のすべてを悪と決め付け、破壊しようとした中国共産党の『文化大革命』という逆風のなかでも生き残ったのです。 その一方で、『仁・義・礼・智・信』といった道徳心や倫理観は、文化大革命の影響で、最終的には完全に失われてしまったのです」
文化大革命の年にサンレーが誕生!
中国で毛沢東が「文化大革命」を起こした1966年に、わが社(サンレー)が誕生しました。「批林批孔」運動が盛んになって、孔子の思想は徹底的に弾圧されました。世界から「礼」の思想が消えようとしていたのです。
まさにそのとき、中国や韓国に近い日本の九州の地で「創業守礼」と「天下布礼」の旗を掲げるサンレーが誕生したわけですが、中国は中国でも「中華人民共和国」でなく「中華民国」すなわち台湾においては「礼」の火は消えませんでした。現在も、台湾には多くの孔子廟があり、多くの人々が参拝しています。ブログ「孔子廟」で紹介したように、わたしも、サンレー創立50周年記念の台湾旅行で台北にある孔子廟を多くの同志とともに訪れました。
サンレー創立50周年記念に訪れた台湾の孔子廟で
第一章「沖縄も東南アジアも樺太も中国領?」では、「中国の沖縄奪取作戦が始まった」として、著者は以下のように述べています。
「最近の中国は、沖縄に対する領土的野心を実現すべく、具体的な工作活動を行っています。普天間基地移設反対や、北部訓練場ヘリパッド工事の妨害など、米軍基地反対運動に名を借りて、日米同盟に楔を打ちこもうとする運動を行っています。この運動はさらに、日本本土と沖縄を分断させ、いずれは沖縄を独立させようというものです。中国の計画は着々と進んでいるのです」
また、「国境という意識がない中国人の愚」として、著者は述べます。
「現在、中国はその領土的野心を露わにして、南シナ海や日本の尖閣諸島付近に進出し、周辺国家と摩擦を引き起こしていますが、これは中国人の国境意識の薄さの現れでもあるのです。よく、『中国3000年の歴史』などといいますが、現在の中国、すなわち中華人民共和国の建国は1949年なので、わずか70年弱の歴史しかありません。その短いあいだに、ウイグル、チベット、モンゴル、ソ連(ロシア)、台湾、インド、ブータン、北朝鮮、ベトナム、フィリピン、ブルネイ、マレーシアなどと、領土や領海を巡る争いを繰り返してきました」
さらに、「GDPの30%に及ぶ賄賂の背景」として、著者は述べます。
「道徳心や高い倫理観を失った中国人は、自らの利益のためなら法を犯すことすら厭いません。彼らは、息をするように嘘をつきますが、そこに罪悪感は微塵もありません。『騙すほうより騙されるほうが悪い』と考えているからです。また、『公』よりも『私』を優先するので、国家への忠誠心もありません。その結果、中国の官僚の腐敗ぶりは、それはもう酷いものです。発展途上国には、往々にして汚職が蔓延っているものですが、中国のそれは、人口が多いということもありますが、数においても規模においても、他国を圧倒しています」
第二章「キリストも孔子も韓国人?」では、「韓国が中華思想を受け入れたわけ」として、著者は述べます。
「朝鮮半島も昔から儒教の強い影響下にあるため、韓国人も、やはり上下の秩序を重んじる国民性を持っています。加えて朝鮮民族の先人は、中華思想を全面的に受け入れるという道を選びました」
日本では、かつて遣隋使のというものがありました。そのとき、聖徳太子が隋の煬帝に送ったとされる国書の中には有名な「日出ずる處の天子、書を日没する處の天子に致す。恙なきや」という一文があります。著者は「これは日本が、中国皇帝に従属することを意味する冊封体制を拒否し、あくまでも対等な外交を求める決意表明だったのです」と述べています。
ところが朝鮮民族は違いました。著者は以下のように述べます。
「中国皇帝に絶対服従し、儒教や中華思想を丸ごと採り入れました。中国にすり寄ることで、他の周辺国に対して優位性を保とうとしたのです。そして自分たちのことを『小中華』と自称しています。朝鮮半島は中国大陸から一番近い位置にあるので、中華思想に従えば、何の努力をしなくても、永遠にナンバー2のポジションを得られると考えたわけです」
著者は「米中間を右往左往のコウモリ国家」として、韓国は「事大主義」から逃れられない国であると指摘しています。
「事大主義」について、著者は以下のように説明しています。
「常に優勢な側の勢力を選んで接近し、自分の保護を願い出ることです。彼らは常に『ナンバー2』の地位でいたいのですが、ときどき『ナンバー1』が入れ替わるのが世の常なので、そのたびに見苦しく右往左往します。
韓国問題に詳しい評論家の室谷克実氏の表現を借りれば、韓国人は『優れた属国DNA』を持っているそうです。つまり、『虎の威を借る狐』の役をやらせたら、韓国の右に出る者はいないということです」
「外国儀礼違反の告げ口も辞さず」として、著者は韓国が国際社会において展開している日本を貶めるプロパガンダを取り上げ、述べています。
「朝鮮のことわざには、『嘘も上手くつけば稲田千坪にも優る』というものがあります。孔子の時代はいざ知らず、現代の中国人や韓国人に『嘘つきは泥棒の始まり』という考え方はないのです。さすがに外国首脳で、韓国の告げ口に賛同した人はいないでしょう。アメリカでは、韓国の告げ口外交は、明白に外交儀礼に反する行為という見方をしていました」
また、「何でも韓国発祥の『ウリジナル』」として、著者は述べます。
「韓国人が、『わが国が発祥だ』と力説する日本的要素を挙げると、歌舞伎、ソメイヨシノ、茶道、折り紙、侍、日本刀、剣道、相撲、寿司やしゃぶしゃぶなどの和食・・・・・・。一般市民がジョークでいっているのではなく、大手メディアや学者まで真顔で言い出すものだから、もうここまで来ると、お笑いでは済まないレベルです。
この『何でも韓国発祥説』は、朝鮮語で『われわれ』を意味する『ウリ』に、『オリジナル』を組み合わせて『ウリジナル』と揶揄されており、そのうちキリストも孔子も韓国人だなどと主張するのではないかと心配されます」
第三章「中国・韓国の自己中心主義の裏側」では、「儒教の死生観と日本の死生観」として、著者はいわゆる「靖国問題」を取り上げて述べます。
「中国や韓国が靖国神社の参拝に反発する理由の1つに、儒教に基づく死生観と、日本人の死生観の違いがあります。古代中国人は次のような考え方を持っていました――『人間は精神(魂)と肉体から成り立っており、死とはこの2つが分離することである』と。死によって肉体から離れた魂は消えることなく、いずれ肉体と共存するようになれば、再び蘇ることができる、そう考えていたのです。これは儒教における先祖崇拝と密接な関係にあり、中国人が家族や親族だけを信頼し、他人に信頼を置かない気質も、そこから来ているといわれます」
続けて、著者は日本人の死生観について述べます。
「一方、日本人の死生観に大きな影響を与えた仏教では、死後の世界は、生前の世界から完全に解放されると解釈しています。そして、別の世界に生まれ変わったり、あるいは別の人間や別の生き物に生まれ変わるとしています。このように、仏教的思想の日本と儒教的思想の中国・韓国とでは、死者に対する解釈が大きく違います。日本ではたとえ罪人であっても、死んでしまえばその罪から解放されると考えます。しかし中国人や韓国人はそうは考えません。罪人はたとえ死んでも、永遠に罪人なのです」
また、「なぜ遺体までバラバラにするのか」として、著者は述べます。
「日本人の宗教観では、たとえ罪人や敵として戦った相手でも、死んでしまえば遺体を丁重に葬ります。死者の祟りを恐れるという心理も働いているようですが、遺体への礼節を常に持っています。
他方、中国人や韓国人には、その点が欠けています。つまり前項で述べたように、『死者はやがて蘇る』という儒教的思想から来るのでしょう。ですから、一度戦った憎い敵は、たとえ死んでも憎しみの対象のまま・・・・・・もし魂が戻ってきても決して復活できないようにと、遺体をバラバラにしたりもします。こうした行いは、とりわけ東アジアの儒教文化圏に多いように思えます。しかし、日本人は敵味方を問わず、死者に対して慰霊の念を忘れません」
第四章「日本は儒教国家ではない!」では、「日本人の道徳規範は武士道」として、著者は以下のように述べています。
「確かに日本にも儒教は伝わりました。それは仏教が伝来する以前のことです。そして日本人は、儒教の精神を上手に取り入れながら、独自の文化を発達させていきました。仏教精神も取り入れ、伝統的な神道などにうまく吸収し、江戸時代には、武士道という倫理・道徳規範として確立させます」
この読書館で紹介した新渡戸稲造の名著『武士道』を読めばわかりますが、武士道には儒教のみならず、神道も仏教も入っています。偉大なる宗教編集者であった聖徳太子によって、神道・仏教・儒教の三宗教は日本において共生しました。聖徳太子は、儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。
この聖徳太子の宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、ついには武士道の中で合体を果たしました。詳しくは、拙著『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)をお読み下さい。
『日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)
さて、著者は中国で生き残った儒教について以下のように述べています。
「中国で生き残った儒教からは、『仁・義・礼・智・信』といった道徳的な思想が抜け落ちてしまいました。これには、もはや偽善的な意味しか残っていない。そのため中国では、皇帝を筆頭とする支配者層から見た場合、庶民は単に管理する対象でしかありませんでした。朝鮮に至っては、両班制度から見ても分かるように、庶民とは搾取する対象でしかありません」
続けて、日本における儒教について、著者は述べます。
「一方、日本では、『仁・義・礼・智・信』といった儒教の精神を引き継ぎ、道徳心を大事にしてきました。江戸時代以降の武士道は、支配者層であった武士が自らを律する道徳規範として成立しましたが、庶民はそんな武士を尊敬し、憧れも抱いていたので、やがて日本人全体の精神として、生活のなかに浸透していったのです」
「日本が儒教に毒されなかった背景」として、著者は「なぜ同じ儒教に影響されながら、日本が中国や韓国と違った独自の文化を生み出すことができたのか」という問いを立てます。その答えの1つとして、日本は建国以来、一度も王朝交代が起きていないことが影響していると述べます。
すなわち、日本には過去に誰一人として侵したことがない「絶対的な公」、つまり「天皇・皇室」が存在するということです。
これには、わたしも大いに共感・納得することができました。
あと、「和を以て貴しとなす」と喝破した聖徳太子以来の伝統で、日本には「和」の精神が生きていることも重要でしょう。詳しくは、拙著『和を求めて』(三五館)をお読み下さい。
『和を求めて』(三五館)
第五章「儒教の陰謀は現在進行中!」では、「慰安婦問題という『免罪事件』」といて、著者は一連の慰安婦問題における捏造報道を取り上げ、以下のように述べています。
「『悪魔の証明』という言葉があります。たとえば世の中に何かが『存在すること』を証明するのは簡単です。そのものを実際に見せればいいわけですから。しかし『存在しないこと』を証明するのは困難です。ネッシーやイエティなどのUMA(未確認生物)の存否が、最初の目撃情報から何十年経っても明確にならないのは、そのような理由もあるのです。本来、ないものを『ない』と証明する必要はなく、『ある』と主張する人が、その存在を証明する証拠を提示しなければなりません」
これにも、わたしは大賛成です。歴史を歪める中国や韓国の横暴を絶対に許してはいけません。でも、これは「儒教の陰謀」とは関係ないですよ!
本書の要旨は、日本人が儒教の核心だと考えている「仁義礼智信」つまり「徳」が、中国や韓国の儒教からはすっぽり抜け落ちているということです。日本では、孔子の真のメッセージが「武士道」という名前で残っているということに異論はありませんが、それなら本書のタイトルは『東アジアにおける儒教の影響』などとすべきだったと思います。まあ、そんなタイトルでは売れないから、『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』としたのでしょうが、これだと儒教そのものが誤解されてしまいます。つねにキャッチ―なタイトルをつけたがる出版業界、特に新書業界が恨めしいですね。
『徹底比較!日中韓 しきたりとマナー』 (祥伝社黄金文庫)
最後に、本書のテーマとも通じるのですが、わたしには『徹底比較!日中韓 しきたりとマナー~冠婚葬祭からビジネスまで』(祥伝社黄金文庫)という監修書があります。この本には、東アジアの平和への強い願いが込められています。もともと、日本も中国も韓国も儒教文化圏です。
孔子の説いた「礼」の精神は中国で生まれ、朝鮮半島を経て、日本へと伝わってきたのです。しかしながら、ケント・ギルバート氏も言うように、現在の中国および韓国には「礼」の精神が感じられません。
中国や韓国は、日本にとっての隣国です。隣国というのは、好き嫌いに関わらず、無関係ではいられません。まさに人間も同じで、いくら嫌いな隣人でも会えば挨拶をするものです。それは、人間としての基本でもあります。
そして、この人間としての基本が広い意味での「礼」です。
「礼」からは、さまざまな「しきたり」が派生しました。
それぞれの国の「しきたり」を知ることは、その国の文化を知ることです。
そして、互いの文化の違いと共通点を知ることは、その国の国民の「こころ」を知ることにほかなりません。わたしは、冠婚葬祭や年中行事に代表される「しきたり」を知ることによって、日中韓の相互理解、国際親善、そして世界平和につながることを心から願っています。
なにしろ、孔子が説いた「礼」とは究極の平和思想なのですから・・・。
『世界一わかりやすい「論語」の授業』 (PHP文庫)
しかし、ケント・ギルバート氏が指摘するように、日本において最も儒教の精神が根付いたことは事実であると思います。江戸時代最大のベストセラーであった『南総里見八犬伝』は、「仁義礼智忠信孝悌」という儒教思想のエッセンスをベースにした一大エンターテインメントでした。
そして江戸時代には、武士のみならず町人もみな『論語』を読みましたし、子どもたちも寺子屋で『論語』を素読しました。
わたしは大学の客員教授として「孔子研究」の授業を担当してきました。これまで多くの日本人学生をはじめ、中国人留学生や韓国人留学生たちにも『論語』を教えるという得難い機会を与えられましたが、その授業内容をまとめた本が『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)です。
『はじめての論語』(三冬社)
日本において、最も儒教の精神が根付いたことは事実です。
しかし、現代の日本人に孔子の教えが生きているかというと、少々疑問です。というのも、儒教は何よりも葬礼を重んじますが、日本では「葬式は、要らない」などという妄言が流布し、家族葬や直葬など、葬儀の簡略化が進む一方だからです。この点、中国や韓国のほうがまだ葬礼を重んじていると言えるでしょう。わたしは、日本人に孔子の教えを思い出してもらうために、もうすぐ『はじめての論語』(三冬社)を上梓します。江戸時代の子どもたちが寺子屋で使った教本のアップデートをイメージして作りました。今月末には刊行の予定です。どうぞ、お楽しみに!