No.1491 芸術・芸能・映画 『サザンオールスターズ 1978-1985』 スージー鈴木著(新潮新書)

2017.09.24

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものです。
すっかり秋らしくなって、過ごしやすくなりました。
『サザンオールスターズ 1978-1985』スージー鈴木著(新潮新書)を読みました。最近、桑田佳祐の「若い広場」をカラオケでよく歌うので本書を購入し、一気に読んだのですが、この読書館では著者の前作2冊『1979年の歌謡曲』『1984年の歌謡曲』を先に取り上げました。ようやく、本書の感想をアップすることができます。
著者は1966年大阪府生まれの音楽評論家です。早稲田大学政治経済学部卒なので、わたしの後輩ということになります。昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論することで知られています。

本書の帯

本書の帯には「日本の音楽を変えた、あのメロディ―。」「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」「C調言葉に御用心」「メロディ(Melody)」「初期の名曲を徹底分析、胸さわぎの音楽評論!」と書かれています。

本書の帯の裏

また、帯の裏には、以下のように書かれています。

1978年、《勝手にシンドバッド》の衝撃
1979年、《いとしのエリー》は誰に捧げたのか
1980年、初期を代表する名曲《C調言葉に御用心》
1981年、音楽主義の徹底『ステレオ太陽族』
1982年、開き直った《チャコの海岸物語》
1983年、国民的バンドの”別格感”『綺麗』
1984年、革新的な《ミス・ブランニュー・ディ》
1985年、初期の最高到達地点《メロディ(Melody)》

さらに、カバー前そでには、以下のような内容紹介があります。

「あの曲のあのメロディの何が凄いのか? 《勝手にシンドバッド》《いとしのエリー》《C調言葉に御用心》など、1978~85年の”初期”に発表した名曲を徹底分析。聴いたこともない言葉を、聴いたこともない音楽に乗せて歌った二十代の若者たちは、いかにして国民的バンドとなったのか?栄光と混乱の軌跡をたどり、その理由に迫る。ポップ・ミュージックに革命を起こしたサザンの魅力に切れ込む、胸さわぎの音楽評論!」

本書の「目次」は、以下のようになっています。

第1章 1978年―サザンオールスターズ、世に出る。
《勝手にシンドバッド》革命
桑田ボーカルの源流
「桑田語」
ラジカルかつポップな音
「目立ちたがり屋の芸人」
混乱の気分しだいに
―『熱い胸さわぎ』全曲批評
第2章 1979年―サザンオールスターズ、世にはばかる。
パンクとしてのサザン
いとしの《いとしのエリー》
エリーとは誰か?
歌詞の無い歌詞カード事件
声が出ていないボーカル
「第1期黄金時代」
―『10ナンバーズ・からっと』全曲批評
第3章 1980年―サザンオールスターズ、迷う。
ファイブ・ロック・ショー
「裏ファイブ・ロック・ショー」
永井博のジャケット
失われた「ロック初期衝動」
時代とのズレ
【比較分析1】サザンオールスターズとはっぴいえんど
―『タイニイ・バブルス』全曲批評
第4章 1981年―サザンオールスターズ、突き詰める。
音楽主義
『はらゆうこが語るひととき』
桑田とタモリ
メジャーセブンスとディミニッシュ
7人目のサザン(1)―木正生と新田一郎
映画『モーニング・ムーンは粗雑に』
―『ステレオ太陽族』全曲批評
第5章 1982年―サザンオールスターズ、開き直る。
「第2期黄金時代」
チャコのマーケティング物語
「音楽主義」の遺跡
我が青春の『NUDE MAN』
ソングライター桑田佳祐
実録・82年紅白歌合戦
―『NUDE MAN』全曲批評
第6章 1983年―サザンオールスターズ、一皮むける。
別格的な存在へ
実録『ふぞろいの林檎たち』最終回
ジョイントコンサート
桑田のコミカル路線
【比較分析2】サザンオールスターズとキャロル
―『綺麗』全曲批評
第7章 1984年―サザンオールスターズ、極まる。
初期のピーク
【比較分析3】サザンオールスターズと佐野元春
愛倫浮気性
7人目のサザン(2)―藤井丈司と小林武史
実録・ビデオ『サ吉のみやげ話』
―『人気者で行こう』全曲批評
第8章 1985年―サザンオールスターズ、舞い散る。
2枚組
【比較分析4】サザンオールスターズと山下達郎
《メロディ(Melody)》の傑作性
「初期」の終わり
終章 2011年以降―サザンオールスターズ、帰ってくる。
「おわりに」
「参考文献」

第1章「1978年―サザンオールスターズ、世に出る。」の冒頭を、著者は「《勝手にシンドバッド》革命」として、以下のように書きだしています。

「1978年6月25日、日曜日。神奈川県の天気は、曇りのち雨―。この、どこにでもあるような休日こそが、日本ロックの革命記念日だったという話をしたい。それが、本書執筆の最大の動機である。シングル《勝手にシンドバッド》の発売日。日本のポップス、のちに『Jポップ』と呼ばれるカテゴリーにおいて、キーパーソンを3人選べと言われれば、松任谷由実、山下達郎、そして桑田佳祐であると、確信を持って答える」

この3人は、デビューアルバムのA面1曲目から、そのありあまる才能を、惜し気もなく披露しました。荒井(松任谷)由実は、アルバム『ひこうき雲』の《ひこうき雲》、山下達郎(シュガー・ベイブ)はアルバム『SONGS』の《SHOW》、桑田佳祐(サザンオールスターズ)はアルバム『熱い胸さわぎ』の《勝手にシンドバッド》です。この3曲の中では、商業的には桑田が圧勝しました。

では、『勝手にシンドバッド』の何が凄かったのか。何が革命だったのか。著者は、その答えを以下のように述べています。

「ひと言でいえば、『日本語のロック』を確立させたことに尽きる。
今となっては信じられないが、70年代の半ばまで、『日本語はロックに乗らない』と、真面目に考えられていたのである。そんなつまらない固定観念が、《勝手にシンドバッド》1曲によって、ほぼ完全に抹殺された。『日本人が日本語でロックを歌う』という、今となっては至極当たり前な文化を、私たちは享受できるようになった」

続けて、著者は以下のように述べています。

「例えば、『早口ボーカル』『巻き舌ボーカル』と言われるほど、日本語を、口腔内を自在に操って発声することが普通になったこと。例えば、『胸さわぎの腰つき』という、おそらくは英語に訳せないであろう、意味から自由な新しい日本語=『桑田語』が受け入れられるようになったこと。例えば、それまで、日本のお茶の間に、決して響いたことのない16ビートや不思議なコード進行が、ブラウン管から流れ出したこと。これらすべてが、桑田佳祐率いるサザンによる『革命』の結果なのである」

第2章「1979年―サザンオールスターズ、世にはばかる。」の「いとしの《いとしのエリー》では、サザン自身にとって「いとし」の存在だったビートルズへの回帰の意味がある《いとしのエリー》について、著者はこの名曲が矢沢永吉のソロとしてのデビューシングルである《アイ・ラヴ・ユー,OK》と非常に共通した印象を感じるとして、著者は「リーゼントでつっぱるロックンロールバンド=キャロルの幻影を振り払うためのバラード=《アイ・ラヴ・ユー,OK》と、ジョギングパンツ姿ではしゃぐコミックバンドの幻影を振り払うためのバラード=《いとしのエリー》」と述べます。さらに著者は、この2曲とも非常にビートルズ的であり、さらには謳い出しから2小節のコード進行が同じであることを指摘し、「矢沢と桑田の、ビートルズの後継者としてのプライドが、時空を超えて聞こえてきそうだ」とまで述べています。

第4章「1981年―サザンオールスターズ、突き詰める。」では、桑田佳祐の独特の歌詞に言及。桑田は、自身の作曲法について、著書『ただの歌詞じゃねえか、こんなもん』(新潮社)で次のように語っています。

「歌詞は、メロディーが浮かぶと同時に、デタラメ言葉―まァ英語が多いんだけど―で浮かんでくるわけ。日本語の歌詞は絶対に浮んでこない。浮かんだ言葉とメロディーをゴニョゴニョそのまま唄ってくと、コード進行がピーンとわかる。今度はギターを持って、言葉はデタラメのまま、何度も何度も唄うんだよね。それは、ボク1人でもやるし、バンドと一緒にもやる。そのうちに何となく、そのデタラメ言葉にピッタリとくる日本語が何カ所か出てくるわけ」

また、著者は、桑田と同様に独特の言語感覚を持つタモリを取り上げます。1981年の4月に開始された、タモリが司会の日本テレビ『今夜は最高!』の第2回に桑田が出演し、その中のトークコーナーで、タモリは桑田に強い共感を示したというエピソードが紹介され、さらに著者は述べます。

「桑田はタモリに勇気づけられ、また、タモリも桑田から勇気をもらったのではないだろうか。お互い、70年代後半に彗星のごとく登場し、新しい言語感覚(『桑田語』と『ハナモゲラ語』)を世間に提示するも、ゲテモノに近い扱われ方をされた。そして、桑田はロックな側面、タモリは知的な側面を受け入れられず、それぞれ、実体よりも低く見積もられ、80年代を迎えた。そんな、非常に似たプロセスを歩んできた2人である。強く響きあったことだろう。それから30年以上が経ち、戦後70年を超えた日本で起きていることは何か。それは、この2人が天下を治め続けたということである。それは、意味に縛られない自由な言語感覚が、ロックやお笑いのスタンダードになったということである」

終章「2011年以降―サザンオールスターズ、帰ってくる。」では、著者は、サザンオールスターズとして出場した、12年のNHK『紅白歌合戦』と年越しライブにおける『炎上事件』に言及します。それは《ピースとハイライト》という曲の歌詞が安倍政権を批判しているように聞こえたこと、日の丸に×をした画像が使われたこと、ヒトラー風のちょび髭を付けていたこと、そして紫綬褒章をぞんざいに扱ったことなどの理由から「大炎上」したのです。しかし、そのとき、82年の紅白でのどギツいメイクでの《チャコの海岸物語》や、《NUDE MAN》や《かしの樹の下で》などの「社会派」の歌にリアルタイムで接してきた著者は、「世間は、今さら何を騒いでいるんだ。桑田は、サザンは、初期からずっと、こんなお騒がせな感じだったじゃないか」と思ったそうです。

著者は「要するに、初期サザンは、未だにきっちりと総括されていないのである。遠ざかっていた桑田、サザンが、向こう側から、帰ってきてくれた今だからこそ、初期サザンの巨大な功績を、正確に描き出しておかなければならない。それが、私にこの本を書かせた、最も重要な動機である」と述べ、以下のような個人的な「初期サザン・ベストテン」を記すのでした。これは、まさに著者なりの初期サザンの総括となっています。

◎初期サザン・ベストテン(by スージー鈴木)
1位 《勝手にシンドバッド》(殿堂入り)
2位 《メロディ(Melody)》
3位 《思い過ごしも恋のうち》
4位 《海》
5位 《C調言葉に御用心》
6位 《Bye Bye My Love》
7位 《いなせなロコモーション》
8位 《夕方Hold On Me》
9位 《いとしのエリー》
10位 《ミス・ブランニュー・ディ》
次点 《サラ・ジェーン》

著者はこの評価を世間に押し付けたいわけではないそうです。むしろ逆で、「初期サザンについての、いろんな評価・意見・想いを、みんなでもっと出しあうこと。たたかわせること。それこそが、唯一、初期サザンの正しい総括につながる方法だと信じる」そうです。ならば、わが「初期サザン・ベストテン」も以下のように記しましょう。

◎初期サザン・ベストテン(by 一条真也
1位 《勝手にシンドバッド》(殿堂入り)
2位 《いとしのエリー》(殿堂入り)
3位 《YaYa(あの時代を忘れない)》
4位 《栞のテーマ》
5位 《OH!クラウディア》
6位 《ラチエン通りのシスター》
7位 《いなせなロコモーション》
8位 《C調言葉に御用心》
9位 《匂艶 THE NIGHT CLUB》
10位 《ミス・ブランニュー・ディ》
次点 《女呼んでブギ》

まあ、わたしの評価は「自分がカラオケで歌うかどうか」が最大の評価基準となっています。次点の《女呼んでブギ》は、カラオケ仲間である友人のN君の十八番ですが・・・・・・(笑)
あと、「初期サザン」ではなく「オールタイム・サザン」となれば、わたしのカラオケ定番曲である「真夏の果実」「涙のキッス」「素敵なバーディー」「マンピーのG★SPOT」「太陽は罪な奴」「愛の言霊~Spiritual Message」「LOVE AFFAIR~秘密のデート」「TSUNAMI」「HOTEL PACIFIC」「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE」「彩~Aja」「君こそスターだ」「神の島遥か国」、そして「蛍」などが入ってきて、ランキングも混沌としてきます。

これで『1979年の歌謡曲』『1984年の歌謡曲』、そして本書『サザンオールスターズ 1978-1985』と、音楽評論家である著者の三部作を読んだわけですが、79年を象徴したゴダイゴも、84年を象徴したチェッカーズも、いずれもとうの昔に解散していることを考えれば、78年からずっと日本の音楽シーンのフロントランナーとして走り続けているサザンオールスターズの偉大さを改めて痛感します。桑田佳祐氏には紫綬褒章といわず、ぜひ国民栄誉賞を授与していただきたいと思います。実現すれば、安倍首相の株もずいぶん上がるのではないでしょうか。
最後に、才気あふれる著者には、次はぜひ、歌手の中で最もリスペクトしているという沢田研二についての本を書いてほしいですね。わたし、サザンのナンバーと同じく、ジュリーの「おまえがパラダイス」や「渚のラブレター」がカラオケ定番曲ですので。はい。

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