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2017.10.22
『しぐさの日本文化』多田道太郎著(講談社学術文庫)を再読しました。
この読書館で紹介した『「おじぎ」の日本文化』を読んだら、ずいぶん前に読んだ本書のことを思い出し、内容を確認したくなったのです。
著者は1924年(大正13年)京都生まれ。フランス文学者、評論家。京都大学文学部卒。京都大学名誉教授。明治学院大学、武庫川女子大学などでも教鞭を取りました。ルソーやボードレールの研究の他、日常の出来事や風俗から日本文化をとらえる評論で知られました。本書は、著者の真骨頂ともいえるエッセイ集で、1972年に出版されました。著者は、1999年に『変身放火論』で伊藤整文学賞を受賞し、2007年に逝去しています。
本書のカバー裏表紙には、以下のような内容紹介があります。
「ふとしたしぐさ、身振り、姿勢―これらは個人の心理の内奥をのぞかせるものであると同時に、一つの社会に共有され、伝承される、文化でもある。身体に深くしみついた、人間関係をととのえるための精神・身体的表現といえる。あいづち、しゃがむ、といった、日本人の日常のしぐさをとりあげ、その文化的な意味をさぐる『しぐさ研究』の先駆的著作」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
ものまね 1
ものまね 2
ものまね 3
頑張る
あいづち
へだたり
低姿勢
寝ころぶ
握手
触れる
にらめっこ
はにかみ
笑い
微笑
作法 1
作法 2
いけばな
つながり
かたち
坐る 1
坐る 2
しゃがむ 1
しゃがむ 2
なじむ
七癖 1
七癖 2
腕・手・指
指切り
すり足 1
すり足 2
すり足 3
あてぶり
見たて 1
見たて 2
直立不動
表情
咳払い 1
咳払い 2
くしゃみ
あくび
泣く 1
泣く 2
むすぶ
解説対談 純粋溶解動物―加藤典洋と
本書の中で印象に残った部分を以下に紹介します。
「ものまね 2」では、著者は、人が育ちを逃れられないのと同じく、一国の文化も育ちに似た無意識の部分を持ち、これから逃れることは難しいとして、著者は以下のように述べています。
「これをかりに、文化の中の身振り的部分、あるいはしぐさ的部分とよぶならば、この部分は、個人の育ちと同じく、模倣により成りたった部分である。子供が母親のしぐさをまねて成長するように、ある文化は、それをになう人びとがたがいにたがいをまねあうことによって、成りたつともいえる。生き方をまね、個性をまね、ことばをまねることはかなりやさしい。それは多くは意識の部分だからである。
それに反し、身振り、しぐさをまねることはそれほどたやすくはない。これは多くは無意識の部分によりかかっているからである。それだけによけい、後者のほうが変わりにくく、恒常的であるといえる」
「ものまね 3」では、文化の本質について以下のように述べています。
「文化とは写され、移され、そのことで根づく何ものかである。いや、その過程そのものが文化であると言ってもいい。ヨーロッパ文化といわれるものにしてからが、すでにそうである。ヨーロッパに文化の黄金時代を築いたルイ14世の世紀は、ギリシャ・ローマの古典文化の『写し』の世紀であった。ソポクレスの、ユーリピデスの劇を『写す』ことに劇作家の仕事と生涯が賭けられていた」
「頑張る」では、挨拶についての考察が興味深かったです。
著者は、挨拶について最も深い考察を下したのはスペインの思想家オルテガであると述べます。そして、挨拶の起源についてのオルテガの説明を以下のように引用します。
「人間は―忘れないようにしよう―かつては野獣であり、その可能性において多かれ少なかれその状態はいまも続いている・・・・・・。それゆえ人間が人間に近づくことはつねに悲劇の可能性を帯びている。今日われわれにとってかくまで簡単至極に思われること―人間が人間に近づくということ―は、つい最近までは危険で困難な行動であったのである。それゆえ近づく際のテクニックを案出することが必要だったのであり、そしてそれは人間の歴史全体を通じて発展するのである。そしてそうした技術、その接近のからくりこそ挨拶である」(『《人と人びと》について』佐々木・マタイス共訳)
このオルテガの言葉を受けて、著者は「人と人とが出あう、そのさい、まず共通の場を設定―というより確認しあうのである。それぞれの背後に、共通の慣習というものがあり、たがいがその慣習の体系にしたがって行動するであろうということを確認しあうのである。一見ばかばかしく見える挨拶の、けっしてばかばかしくはない意味がここにある」として、さらに以下のように述べます。
「挨拶の源にはおそらく呪術がみられる。グッド・モーニングというのは、この朝を良かれと願う共通の意志表現としての呪術の名残りだ。こうした共通の祈りが、人を相互にむすびつけ、複雑な習慣の体系をつくりだしてゆく。フランス人は食事に行く人に『良き食欲を』と挨拶する。食欲にまで呪術的祈りをささげるところ、私たちには奇異としか思えないが、しかし逆に、フランス人からすれば、私たちの挨拶の中にも負けず劣らず奇異に映るものがあろう」
「へだたり」では、時代映画などで、ふすまの向こうで平伏している家来に対し「苦しゅうない近う寄れ」だの「もそっと近う」だのと殿様が言う光景が取り上げられます。著者は「よく見るが、あれが近づきの原型であろう」として、以下のように述べます。
「日本では、人はおそるおそる近づくのである。その恐れは、地位差をちぢめることの恐れである。対人距離はふつう地位差の表現と考えられているのだ。そこで上位者が『もそっと近う』とさしまねくと、下位者はその許しの真意をおそるおそる計りつつ上位者に近づく。もっともそれははじめだけのことで、なれ親しむとそれこそ『ふところにはいって』しまう。下位者は上位者の『懐刀』となったり、『側近』となったりする。懐刀とか側近とかは、物理的距離でいえば上位者の耳もとでささやくことのできる人ということである。
また、テレビ・ドラマを見ていると、若い女が不意に相手に身を投げかけ、泣き伏すという光景によく出あうことが取り上げられます。相手は異性のこともあり同性のこともありますが、 著者によれば、これは決定的なへだたりのなさを相手に強要し、融合による慰撫を期待する行動であって、女性に特有のものだといいます。著者は述べます。
「『懐刀』とか『側近』とかは男の文化であって、このばあいの『へだたり』あるいは『へだたりのなさ』は、社会関係の表現である。女が相手のひざに泣き伏すばあい、この一種強要されたへだたりのなさは、人間関係の表現である。しかも、女に特有の人間関係である」
また、著者は以下のようにも述べています。
「一方は社会的操作のための距離感覚であり、他方は人間的融合のための距離感覚、あるいは距離感覚の否定である。そして距離感覚とは、一種の空間処理である。空間はただの空間としてそこにあるのではない。一定の文化が空間をきめているという面もあるし、また、人間が刻々、空間を作りだし、作りだされた空間によって人間関係をきめていっているという面もあるのだ」
「握手」では、握手が人間のつきあい、身振りの中で大事な位置を占めているけれども、あまりその重大性が認められたことはないと指摘し、著者は以下のように述べています。
「私は、握手は『おじぎ』の系統とはちがって、通商に付随して、生まれてきた慣習ではないかと考えている。掠奪し、掠奪したものを神にささげるといった文化の形態から一歩進んで『敵』ではなく『人』と通商するという習慣がうまれたとき、人と人とが『結ばれる』儀礼がはじまったのではないか」
著者は額田巌著『結び』から、「結び」が「火や言葉の発明とならぶ文明の起動力」であったことを紹介します。
続けて、著者は「結ぶ」ことについて、以下のように述べます。
「物と物とを結ぶことによって、新しい力がうまれ出るのを、人は驚異の念をもって見つめたはずである。だからこそ、今日でも、水引を結ぶといった儀礼がのこっているわけだが、それが物と物とでなく、人と人とを『結ぶ』ということ―つまりは握手にまで転化転生したのは、大きな進歩であったにちがいない」
「にらめっこ」では、はじめに「はにかみ」があり、それが「けんか」ないし「にらめっこ」に移り、やがて、緊張がいっぺんにとけ、笑って打ちとけることを指摘します。著者は、この最後の「笑って打ちとける」という過程に、にらめっこの面白みがあったのではないかと述べ、さらに、この「打ちとけ」は、はじめの「はにかみ」とは異質の、新しい文化の出現のしるしだったという考えを示します。
「はにかみ」では、著者は、日本文化の本質について述べます。
「床の間のいけばななども、人を正面から見すえることをしない慣習から生まれた芸術だと私は思っている。『眼のやり場のない』というのは、私たちにとって、いちばん困った状況なのだ。客にそういう思いをさせるのが主人としては一ばんの失礼である。いけばなを見ることで、客は主人の顔をまじまじと見ることなく、ごく『自然』に主人なり奥さんなり、その家の人の気分を感知することができる。クッション型とでもいうべき日本的コミュニケイションの典型である。むかしは客を招じ入れるのは、奥まった座敷であり、そこには床の間の掛軸やいけばながかざってある。これが定型だった。ところが大正末年ごろから、応接間という妙なものができ、玄関のすぐ脇にしつらえられるようになった。むかし風にいえば出居形式である」
どうして、こういうことになったのでしょうか。
それには理由が3つあるとして、著者は以下のように述べます。
「1つには、『奥』というのが家庭のプライバシーの場と感じられるようになったこと。2つには、西洋化への適応の場として客間が使われだしたこと。つまり、奥は純日本風でも表(つまり対社会接触面)では十分西洋的でありうるという能力を人に示す必要がでてきたこと。3番目に、これは東京人の眼つきがこわくなってきたという観察に対応するのだが、いけばななどに眼をそらすのではなく、堂々と対面することが『近代的』と人びとに思われだしたこと。以上の3つである。この最後の理由が、もっとも重大な教育的機能だったのではあるまいか」
「いけばな」では、著者は、日本人のしぐさの1つの特徴は、しぐさ、身振りがほとんど見られない、貧弱である、あるいは抑制されているということであると指摘します。目立った身振りがないというのが、日本人の身振りの一特徴なのであるというのです。
そして、いけばなは、日本人の身振りの転換したものであるとして、著者は「床の間のいけばなを見ると、私はそれをいけた女性の、ふだんは表現しようと思っても表現できない微妙な彼女のしぐさをそこに見るのである。あるいはそこに『読む』のである」と述べます。
また、著者は、日本人が美を誇示することをはしたなく思うことを指摘し、以下のように述べています。
「それはナマの自我の表現であり、誇示である。それに対し、自分を一本の梅の枝にたとえ、そのようにして『客観化』された『自分』を、さらにもう一度『自分』の目で、ためつすがめつ手を加え、ある形にまとめあげる。それは、抑制のきいた自分を文化の型の中で客観化し、美に仕上げてゆく過程である。
続けて、いけばなは(文化の型にひたされる、という意味での)社会化された自分の表現であり、とりわけ、社会化されることで初めて許される「身振り」の表現であるとして、著者は以下のように述べます。
「『集団的個人』『個人的集団』という、初めにふれたあいまい領域、―習俗がまさにそこに根を下している領域での、これは芸術なのである。だから、西洋風にいえば芸術であるにもかかわらず、―日本風にいえば、芸ごとであるからこそ、才能の有無にかかわらず、猫も杓子もいけばなを習いに行く。また、習いに行けるのである」
そして、日本人の関心が向かうしぐさについて、著者は述べるのでした。
「細部における入念な手入れ、洗練。それは時には全体の見通しの悪さをもたらす。植木職人の造園設計にも、この特徴はのこっている。全体から部分にいたるのではなく、部分から全体へ。身体のうごきの美学にしても、全体をまとめる身振りではなく、洗練された細部であるしぐさに私たちの関心は向かうのである」
「つながり」では、仲人について言及されます。著者は、「どうして仲人といった奇妙なものがいるのか。男と女が人のなかだちなしに、ただ愛情と誠意とをもって結ばれたばあい、どうしてこれを野合というのか。これは若い時の私を苦しめた疑問であった」として、以下のように述べます。
「結納のときには、『幾久しう』と言い、婚礼のときには、『御縁』ということを言う。これは暗示的だ。幾久しい縁によって人と人とがやっとつながれてゆく。家族や社会という集団が成りたってゆく。逆に考えれば、幾久しい縁がなければ、家族も社会もありえないのだ。そして『縁』とは各人に内在するものではない。人と人との間から、人と人との仲介によってたまたま出現する神秘的事象なのである。縁はつねに『異なもの』である」
また、日本人の自然観について、著者は以下のように述べます。
「お月さま、赤ん坊、生花―と並べてくると、そこに何かの形で私たちの自然観が投影されていることに気づく。月は自然そのものであって私たちの運命を観照している。いけばなは、人の手をくわえた(ということは社会化された)自然である。赤ん坊は、人間世界に仮象した自然である」
続けて、著者は、日本人にとっての自然について述べるのでした。
「こうした自然は、私たちが手を加え(いけばな)、あるいは私たちが性のいとなみで作り(赤ん坊)、あるいは私たちが象徴の体系にくみいれた(月)自然である。それらは、たしかにある意味では人工的であるが、しかしやはり、私たちの世界、および人間たちを観照する『自然』なのである。いけばなも、そのような『自然』であるからこそ、いけた女性の手をはなれ、床の間から私たちを観照する存在となる。そして、そのようないけばなをクッションとして、はじめて主人と客とは、気持の通いあうのを知るのである」
「すり足 2」では、すり足は前進のエネルギーを生む姿勢ではないとして、以下のように述べています。
「鎮魂の『反閇』のための姿勢である。そして、この準備段階のみが、きわだって、美化され、様式化され、日常化さえされ、芸能や作法の基本形となったのである。『力足』そのものは『地団太を踏む』といった具合いに日常化されることはあっても、なかなかに美化されず、かえってその準備としての『すり足』、そしてそっと見える足袋の白さ、といったものに、われわれは美となまめかしさを見出したのであった」
「すり足 3」では、ヨーロッパ人の足は全身の一部であり、全身の反動をつけるために足を使っていることを指摘し、以下のように述べています。
「私たちの身体の文化は、腰を区切りにして、上半身と下半身は別々のものである。歩くにしても、足のはこびと上体とは無関係のばあいが多い。少なくとも『礼』の世界ではそうである。足を活発にうごかし反動をつけるというのは、忌むべきことなのである」
著者は、「サザエさん」の漫画で、足でヒョイとフスマをあけ、人に見られて赤面するというエピソードを紹介し、足で用を足すというのはむかしはとんでもないことであったとして、以下のように述べます。
「なるたけ反動のつかぬよう、―ということは、上半身に足の動きの伝わらぬように『すり足』で歩く。これが歩きかたの礼である。
どうしてこういう礼儀作法ができたのか。私の推論では、礼は聖の延長であり、このばあい、すり足という礼は、反閇という聖から由来している。平たくいえば、トンと足を踏むため、ふだんはそろりそろりとすり足で歩むということになり、したがって、すり足が作法の常態となったと考えらえる」
この「礼は聖の延長」という言葉は大いに納得しました。
「むすぶ」では、著者は、しぐさ、身振り、姿勢などが、結局は人間関係を整えるための精神・身体的表現であることを指摘します。そして、「そういったものが、ある社会的まとまりをもつと、私たちは、いかにも日本人らしいとか、いかにもアメリカ人らしいといった印象をうける。文化の型の刻印がそこにしるされているように思うのだ」と述べています。
また著者は、人間関係を整えるための精神・身体的表現について、以下のように述べています。
「人との適当なへだたりを保ち、感情表現を抑えながら、しかし同時に、たえず相手へ『同調』の信号を送る。たとえば、一言ごとに相手に『あいづち』を打ち、『やっぱり』とか『そうですね』といった同調のことばをつぶやく。
日本文化の中では積極的な意思表示は、『へだたり』を深め、固定させてしまう働きしかないのである。大事なことは、『へだたり』から出発しながら、次第に相手と『なじむ』、なれ親しんでゆくことである」
そして、「いけばな」にみられるクッション型コミュニケーションは、人を正面から見すえることをしない、―相手をこちらの意思で抑えこむことをしない慣習とかかわりを持つことを指摘し、著者は以下のように述べるのでした。
「いけばなの表現は、花に加えた抑制の『かたち』が、自分の内面の『かたち』となりおおせたところに成りたつのである。このような抑制、つまり『伏し目がち』の人間どうしは、たがいに『肌があい』、肌に『なじむ』のを感じ、心をかよいあわす。すなわち『つながり』ができあがる、というわけだ」
『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)
本書では人間関係を整えるための精神・身体的表現についての「しぐさ」について言及されていますが、これは拙著『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)の内容に通じます。同書では、さまざまな人間関係を良くする魔法を紹介していきますが、その基本を小笠原流礼法に置いています。「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」という3つの心を大切にする小笠原流は、日本の礼法の基本です。特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいています。
そもそも礼法とは何でしょうか。原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。自分を守るために、弓や刀剣などの武器を携帯していたのですが、突然、見知らぬ人に会ったとき、相手が自分に敵意がないとわかれば、武器を持たないときは右手を高く上げたり、武器を捨てて両手をさし上げたりしてこちらも敵意のないことを示しました。
相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化し、発展して、今日の礼法として確立されてきたのです。
ですから、礼法とはある意味で護身術なのです。剣道、柔道、空手、合気道などなど、護身術にはさまざまなものがあります。しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。
まさしく、礼法こそは最強の護身術なのです。さらに、わたしは、礼法というものの正体とは魔法にほかならないと思います。本書には「礼は聖の延長」という言葉が登場しますが、まさにその通りであると言えるでしょう。
そう、礼法とは聖なる魔法なのです。