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2017.10.24
『異界を旅する能』安田登著(ちくま文庫)を読みました。
著者は1956年生まれの能楽師で、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)でもあります。本書は、2006年に刊行された『ワキから見る能世界』(NHK生活人新書)に加筆したものです。能楽のワキを務める著者が、「ワキ」という存在の本質に迫っています。
カバー裏表紙には、以下のような内容紹介があります。
「能の物語は、生きている『ワキ』と、幽霊や精霊である『シテ』の出会いから始まる。旅を続けるワキが迷い込んだ異界でシテから物語が語られる。本書では、漂泊することで異界と出会いリセットする能世界、そして日本文化を、能作品の数々を具体的に紹介しながら解き明かす。巻末に、本書に登場する46の能作品のあらすじを収録」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
序章
第一章 異界と出会うことがなぜ重要か
第二章 ワキが出会う彼岸と此岸
第三章 己れを「無用のもの」と思いなしたもの
第四章 ワキ的世界を生きる人々
「あとがき」
「参考文献」
「本書に登場する能作品リスト」
「文庫版あとがき」
「解説」松岡正剛
「序章」では、日本の芸能の起源を『古事記』に探るとアメノウズメの舞に行きつくとして、著者は以下のように述べています。
「『古事記』では、彼女は『神懸り』をしたと書く。ちなみにアメノウズメ一族は、あとで猿女と名乗るようになる。『猿』一族だ。どうも猿楽と関係がありそうだ。『古事記』の芸能は、アメノウズメの次は山幸彦だ。『古事記』では『種々の態』とだけ書くが『日本書紀』には『俳優』になったという。
また、神功皇后の帰神のわざもある。仲哀天皇が琴を弾き、皇后が神をその身に帰せる。これは芸能といってしまうのはちょっと気が引けるが、しかし現代に残る憑依芸能の祖と考えれば、やはり芸能の一種といっていいだろう」
続けて、アメノウズメも神功皇后も「神懸り」・「帰神」とあるように、神をこの世界に招くことが芸能の本質のようだとして、著者は「日本においては芸能はエンターテインメントではなく神事なのだ」と述べます。そして、日本には「芸能=神事」という長い歴史によって織り込まれた厚い基層があり、その基層の上に、中国からやってきた「散楽=サンガク」が乗ってきたという説を紹介します。
また、著者は「猿楽」の正体について、以下のように述べます。
「『芸能=神事』という厚い古層の上に『散楽』というアクロバット芸能が操ってきて、数百年の時を経て変容した結果が、室町時代に世阿弥たちによって大成された『猿楽』だったのではないだろうか。芸能一族である『猿女』も、古層への牽引に一役買っていたような気もする。だから猿楽、すなわち能は非常に神事っぽいのだ」
第一章「異界と出会うことがなぜ重要か」では、「人は異界と出会う物語を求める」として、能の物語は、旅人であるワキが幽霊であるシテと出会う物語だということを再確認します。それがシテの霊力によるものなのか、ワキの力によるものなのかはともかく、ワキは異界をここに引き寄せ、そして亡霊と出会うのが能の物語であるというのです。著者は述べます。
「こういう能の物語を現代風の文章で書くと、怪談になってしまう。しかし、能は怪談とは趣きを全く異にしている。能を観ながら背筋がぞくぞくとなるなどということはなく、そんな楽しみを求めて能を観にいく観客もいない。怖くない幽霊物語など、面白くもなんともないと思うのだが、しかし、それでも室町時代から現代まで能が続いていて、そしてその能の中心が幽霊なのである。ということは、『幽霊と出会う』、それ自体が何か私たちにとって、とても重要な意味を持つことなのではないだろうか。ところが、私たちは残念ながら幽霊と出会うことができない。だから、幽霊と出会うことができるワキに自己を投影する祝祭劇である能を観ることによって、それを擬似体験するのだろう」
拙著『唯葬論』(三五館)において、わたしは怪談も幽霊もともに、その背景には「死者への想い」があることを指摘しました。ある意味で、生者の死者への「想い」が「幽霊」文化を存続させてきたと言えるでしょう。死者への「想い」を「かたち」にした文化といえば「葬儀」が代表格ですが、「葬儀」と「幽霊」は基本的に相容れません。葬儀とは故人の霊魂を成仏させるために行う儀式です。葬儀によって、故人は一人前の「死者」となるのです。幽霊は死者ではありません。死者になり損ねた境界的存在です。つまり、葬儀の失敗から幽霊は誕生するわけです。というわけで、ともに死者への想いを基盤とする演劇的文化であっても、「葬儀」と「能」は正反対の構造を持っていると言えます。
では、なぜ人にとって異界と出会うことが必要なのでしょうか。
その理由について、著者は「それは異界と出会うことによって『神話的時間』を体感し、そして人生をもう一度『リセット』できる可能性を感じるからではないだろうか」と述べています。そして、「ふたつの時間」として、能の物語に流れているふたつの時間の存在を指摘します。
ひとつはワキ、すなわち人間の時間、「人の時」です。
これは日常の時間、「順行する時間」のことです。
もうひとつはシテ、すなわち幽霊の時間、「死者の時」です。
これは非日常の時間、「遡行する時間」のことです。
このようなふたつの時間の出会いは能に限ったことではないとして、著者は以下のように述べます。
「たとえば『万葉集』や『古事記』、そのほか日本の古典を探せば随所に見出すことができるが、現代でもそれを見つけることができる。たとえばお通夜だ。お通夜には、2つのルールがある。ひとつは一晩中行うこと。もうひとつは死者のことをできるだけ大声で語ることだ」
また、相対的時間というものについて、著者は以下のように述べます。
「『現在』『過去』『未来』などの相対的時間は、人の意識によって生じる。いや、意識どころか『言語/文字』によって生じる。ヘレン・ケラーの自伝によれば、彼女は『w-a-t-e-r』という語を獲得するまで、後悔も悲しみも感じたことはなかったという。後悔も悲しみも相対的時間がつくる感情だ。言語を再獲得するまでのヘレンに、相対的時間はなかったのではないだろうか」
さらに、「神話的時間」として、通夜について以下のように述べています。
「知人の通夜は、悲しいものでありながら、心のどこかにうきうきした喜び(というと不謹慎だが)を感じているのは、生まれたばかりのころに持っていた、この絶対的時間に一瞬、目覚めるからではないだろうか。時間の全体性を再獲得できるのだ。
能のシテである彼女は『時』そのものである絶対的な時間を運んでくれる。これは神人一体だったころの時間であり『神話的時間』と呼んでもいいだろう」
続けて、著者は「神話的時間」について述べます。
「順行する人の時間の流れと、遡行する死者の時の流れの渦巻くのがこの世だ。そのふたつの時は位相を異にするので、通常は交わることがない。しかし、それが交わった瞬間に私たちは忽然として遠い父祖がもっていた『神話的時間』を実感するのだ。
それが異界と出会う効能、その1なのである」
では、異界と出会う効能、その2は何でしょうか。
著者は「日本人はリセット民族だった」として、「異界と出会うことによって、人はもう一度、『新たな生を生き直すことができる』ことだ」と述べています。
著者は「なぜ異界と出会うことによって生き直せるのか」として、盆踊りに言及します。かつて、盆踊りの場では、わたしたち日本人は本当に祖先の霊と出会うことができたに違いないと推測し、以下のように述べています。
「そういう『晴れ』を体験すると、穢れが吹っ飛ぶ。すると吹っ飛んだ穢れの中に、自己の本質を一瞬垣間見る。新たな自己の可能性だ」
著者は、盆踊りについて、以下のように述べています。
「盆踊りの輪の中で静かに回旋舞踊を続けているうちに、その体質の自己は、決して私ひとりのものではなく、それはずっと大昔から続く先祖にも繋がっていることや、あるいは共同体のエッセンスとも繋がっていることに気づく。そうなったとき、自己は自己でありながらも、単なる個人としての自己を超えて、時間的にも空間的にも広がる広大無辺な共同体の一部となる。いや私が供同体の一部であるだけでなく、共同体が私の中に入っているような、そんな甘美なるイメージを共有することができるようになる」
続けて、「晴れ」の体験について、著者は述べています。
「すべての存在を貫く、ひとつの源と出会う『晴れ』の体験によって、全く新たなステージに投げ出され、コペルニクス的な転回が引き起こされる。それまでの習慣や思考パターンから自由になり、個人を超越した全く新しい世界の中に投げ出されるのだ。それはワクワクするくらい楽しいことではあるが、しかしやはり非常に怖いことでもある」 そして、盆も暮れも正月も「晴れ」になり得ないとなると、別の「晴れ」が必要になってきます。それが「場」だといいます。
この「場」の思想は著者の真骨頂のように思いますが、「『場』に出会える人」として、著者は以下のように述べています。
「『時』としての『晴れ』のパワーがなくなると、私たちは新たな『晴れ』のパワーを求めたくなる。そのひとつが『場』のパワーだ。能では亡霊が出現する場所の多くは、いわゆる名所旧跡だ。能『定家』でも、藤原定家ゆかりの時雨の亭だったし、能『羽衣』で松を見つけるのは三保の松原だ。そして、その名所旧跡の多くが、実は昔から定められた「歌枕」と呼ばれる名所群だったのだ」
第二章「ワキが出会う彼岸と此岸」では、ワキとは単なる脇役ではなく、「分ける」力のある存在であることが説かれます。死者であるシテ本人すらも何が何だかわからなくなってしまった残恨の思いでグチャグチャに絡まった糸束を、快刀乱麻を断つごとくにすっきりと「分ける」能力を持つ存在がワキだというのです。著者によれば、それは現代でいえばカウンセラーや精神分析医のような存在であると言えるでしょう。
著者によれば、ワキのキーワードは「旅」です。 能の最初に登場するワキは、ほとんどの場合「道行(みちゆき)」という謡を謡います。これは文字通り「道を行くこと」であり、すなわち「旅」を表します。ワキは旅をすることによって、ふと異界に出会います。夢の中では、生者は旅をし、死者の霊はその土地に留まっています。ですから死者や異界と出会うためには、生者は旅をする必要があるのです。
「ワキの『旅の仕方』はどんなものか」として、「たび」の語源は「賜ぶ」だという説があることを紹介し、著者は「道行く人に、『もの賜べ』と、食事や宿を乞いながら旅をする。すなわち『乞う旅』、物乞いの旅だ。旅の仕方としては、歩行による物乞いの旅がその基本となる」と述べます。 また著者は、旅をするのはシテの中でも生きているシテだけであり、死者は旅をしないことを指摘します。そして、「夢幻能のシテである死者の霊魂は、ある「ところ」に留まり、そこを通過する旅人を待つ(『清経』などの例外もあるが)。それが夢幻能の典型だ。『死者留まり、生者は旅する』」と述べています。
著者によれば、わたしたちは非日常、すなわち異界と出会うためには、欠落を見つめる必要があります。そして、そのための方法が「乞ひ」である旅であり、そして「恋」なのです。著者は、「この世とあの世は出会えない・・・・・・はず」として、以下のように述べています。
「私たちは『この世(此岸)』に住んでいる。しかし、どうも世の中にはこの世の文法での説明を拒否するような不思議なことがたびたび起こる。となるとこの世界にあるのは『この世 (此岸)』だけではないんじゃないか、『この世(此岸)』の裏側にはもうひとつの『あの世(彼岸)』があるんじゃないか。我が先祖たちはそう感じた(多分)。いや感じたというよりは、まさに『経験的確信』として古人は『知った』(これも多分)。ところが紙や月には裏表がありながら、たとえば今、自分が紙の表にいれば、紙の裏を見ることができないように、私たちが表である『この世』に住でいる限り、裏の『あの世(彼岸)』を見ることはできない」
続いて、著者は異界に出会う物語である泉鏡花の『草迷宮』を取り上げ、以下のように述べています。
「『草迷宮』の中で泉鏡花はその世界を『瞬きする間』にのみ存在する世界と言うが、どちらにしろこの世の存在である私たちが目覚めている(目が開いている)限り、あの世とは、認識できない世界なのだ。だから私たちが名所旧跡に行っても亡霊には会えないし、異界とも出会えない。
しかし旅人であるワキだけは、なぜか亡霊を見てしまい、出会ってしまう。むろん旅人もこの世の人なので、あの世に潜り込むなんてことはできない。また、あの世の人も、この世に出てくることが不可能なのは、紙の裏と表を同時に見ることができないことからも明らかだ」
「死者は留まり、生者は旅をする」として、著者は以下のように述べます。
「『たぶ』旅、『こひ』の旅で、その場に至る。自分に欠落している何かを心の底から欲しいと『乞ひ』願い、そしてそれを道行く人や、あるいは神仏に『賜べ』と懇願する、そんな旅が異界と出会うための旅の仕方の基本だ。それは釈迦やキリスト、あるいは孔子の放浪とも共通する。決して手に入らない何かを恋う(乞う)旅でもある。それは乞食の旅だ」
乞食者であるためには、「不足」、「欠落」こそが重要なキーワードになるとして、著者は次のようにも述べています。
「『たぶ』旅、『こひ』の旅であるワキの旅とは、不足感や欠落感を感じているワキが、さらに自分を欠落させていく過程であり、もうちょっと格好いい言葉を使えば『無』化の過程でもある。それは巡礼の旅にも似る聖なる旅だ。だからそれをする旅人を、聖なる旅人と呼んでもいいだろう」
ワキとは、この世とあの世とをペーストできる存在ですが、じつは日本人には本来その力が備わっていたとして、著者は以下のように述べます。
「盆と正月という異界との接触の時期を得て、私たち日本人は新たな生を生き直すことができた。そんなことができたのは、私たち日本人はペースト民族だったからかも知れない。ただふつうの人とワキとが違うところは、私たちがお盆や正月という「とき」を待つことによってのみ異界との接触ができたのに対し、ワキは『とき』を選ばず、その代わり旅することによって異界と接触ができたことだろう。そして能は、それを芸能化したものだが、能『定家』の物語を紹介したときに、しつこいくらい出てきた掛詞という修辞技法が、実はそのペーストの役割を果たす」
第三章「己れを『無用のもの』と思いなしたもの」では、その冒頭を著者は以下のように書きだしています。
「能(夢幻能)とは、ワキが異界の住人であるシテと出会う物語だ。2人の出会いが実現されたとき、そこには異界が出現する。そして、その出会いを実現するためには、ワキは自分の存在をなるべく無に近づけるための行為をする必要がある。それが旅だった。しかも乞食の行としての旅だった。乞食の旅をその生にすることによって、ワキは異界と出会い、新たな生を生き直す可能性が与えられる。彼は旅に生き、そして旅に死ぬ」 このあたりは、この読書館でも紹介した宗教哲学者の鎌田東二氏の著書『世阿弥』の内容とも通じるように感じました。同書には「身心変容技法の思想」というサブタイトルがついていますが、「心身変容」とは「生き直し」と同じ意味ではないでしょうか。能とは「生き直しのワザ」としてのイニシエーションなのです。
また、「漂白のうちに消える罪」として、著者は大祓えに言及します。
「大祓えは、戦前までは中臣の祓えといって(中臣鎌足の中臣)、とても重要なお祓いの儀式だ。半年の罪がどっさり溜まった、6月と12月に祓う。この大祓えの祝詞を、毎日奏している神社もある。この祝詞を読むと日本人の罪の捉え方がよくわかる。まず、罪を犯すのはどのような人かというと、決して悪い人ではない。『天の益人』といって天上界の優れた人、そういう人が『過ち』犯してしまうのが罪だと言う」
続いて、著者は「罪」について以下のように述べます。
「現在でも罪のことを『過ち』と言うが、優れた人が間違って(過ち)犯してしまうのが罪だ、というのが日本人の罪の基本的な捉え方だ。だからみんな罪を犯す。悪気があって犯すのではなく、『過ち』犯すのだから仕方ない。では、犯してしまったらどうしたらいいか。それは儀式を行って祝詞を宣ればいいと言う。そうすると『罪という罪はあらじ』となる。これは日本特有の『予祝』だ」
さらに、「思いなす」として、著者は以下のように述べます。
「世界は曖昧で複雑だ。その曖昧さの中で、『思いなす』こと、すなわちムリにでもそう思って、ある決断をすることができる人は稀だろう。『思いなす』ことによって、古い世界(現状)を捨て、新しい世界に生き直す、それができた人がワキになる」
著者によれば、思いなすためには、2つのことが必要になります。
ひとつは、一度じっくりと己れの現状を認識することです。わたしたちの1日を振り返ると、そのほとんどの時間を自動的な反応に使っています。ゆっくりと自分について考える時間はありません。じっくりと心を落ち着けて、その時間を持つ必要があります。そして、自己の現状をしっかりと受け止めるのです。孔子はそれを「思」といい、その伝統を継ぐ儒教では「静座」という修養方法を提案しています。そして、もうひとつは思い切る力です。さまざまな思いを断ち切る力、崖から飛び降りるようなつもりで飛び込む力、それが思い切る力だと、著者は述べています。
第四章「ワキ的世界を生きる人々」で、著者は「雅」という言葉に注目します。「雅」には能のような異界と出会うイメージがあり、『論語』には孔子が礼をするときには「雅語」を使ったという記述があることを紹介します。著者によれば、礼も降神儀礼がもとなので、そういう儀式で使われたのが「雅語」という特殊な言葉だったと読めるといいます。著者は述べます。
「中国周辺で『ガー(あるいはカー)』という発音を烏という意味で使う言語のひとつにチベット語がある。孔子の礼は周の礼だ。そして周の祖先の羌族は西方の民族なので、ひょっとしたらチベット族とも関係があるともいわれている。そうなると孔子は執礼の際にはチベット語のような特殊な言語を使っていたのかも知れない、などとも想像してみる」
儒教と古代チベットの宗教の関係については、わたしも非常に興味があります。孔子とダライ・ラマの間に何らかの「つながり」があるなんて、考えただけでもワクワクしてきます。それは考えすぎだとしても、「執礼や降神儀礼の際には、日常の言語とは違う特殊な言葉を使っていた、ということは言えるだろう」として、著者は以下のように述べています。
「それはわが国では歌だった。
能の『謡』も歌だ。漢字は違うが、同じ『うた』だ。
『うた』の語源は『打つ』だとの説もある。もともとは何かを『打つ』こと、あるものを打って、感じさせて動かしてしまう、まさしく感動させるのが歌だった。そう考えると鼓を『打つ』のも同じ『うた』だ。(鼓を『たたく』とは言わない。)」
孔子についての著者の論考は、どれも興味深いものばかりです。
この読書館でも紹介した『身体感覚で「論語」を読みなおす』では、能と身体操作法ロルフィングに精通する著者が、身体作法の視点から新たに『論語』の知られざる秘密を解き明かしていますが、目から鱗の内容となっています。 そして、「旅人の『誠』が生み出す力」として、著者は四書の一つ『中庸』の後半で解説されている「誠」に注目します。「誠」とは超自然的な力であり、「誠」を体現できれば未来を予知し、天地を動かすこともできると『中庸』にあります。著者は「そんなものすごい徳目が『誠』なのだ」と述べていますが、わたしも同感です。
『中庸』には、「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」と説かれています。誠とは、天が定めた道です。だから誠を身に備えることは、人としてのあるべき道なのです。誠という字は「言」と「成」からできています。何かを志し、それを述べることを「言」といい、それを行なうことを「成」といいます。述べて行わなければ誠ではありません。
中国でも日本でも同じです。誠の道はこれによって向上するものであり、達すると誠の極みで、これを「至誠」といいます。
人が誠に至れば神と感応し、万事ことごとくうまくいくことでしょう。