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2018.08.20
『永遠のおでかけ』益田ミリ著(毎日新聞出版)を読みました。
わたしはグリーフケアについての研究と実践を心がけているのですが、その活動の中で出合った1冊で、内容はエッセイ集です。グリーフケアの最大のテーマが死別の悲嘆への対処ですが、そのヒントがたくさんありました。
花と猫のイラストが描かれたカバー
著者は1969年大阪府生まれのイラストレーターです。主な著書に『今日の人生』(ミシマ社)、『美しいものを見に行くツアーひとり参加』『すーちゃん』シリーズ(幻冬舎)、『沢村さん家のこんな毎日』(文藝春秋)、『こはる日記』(KADOKAWA)、『僕の姉ちゃん』(マガジンハウス)、『泣き虫チエ子さん』(集英社)などがあります。絵本『はやくはやくっていわないで』(共著・ミシマ社)で第58回産経児童出版文化賞を受賞。
本書の帯
本書のカバー表紙には、たくさんの花と猫のイラストが描かれています。帯には猫のイラストとともに、「『大切な人の死』で知る悲しみとその悲しみの先にある未来」「誰もが自分の人生を生きている」「益田ミリ、新たな代表作!!」と書かれています。
本書の帯の裏
また帯の裏には、「全国の書店員さんから感動の声、続々!」として、以下のコメントが寄せられています。
「これほど読者に対して真摯で、自分に対して正直なエッセイは、なかなか読めないと思います」(宮脇書店本店 藤村結香さん)
「遠くない未来に、自分の身にも絶対に起こること。そんな風に思って読んだからなのか、途中から涙が止まらなかった」(Carlova360 NAGOYA 奥川由紀子さん)
アマゾンには、「出版社からのコメント」として、こう書かれています。
「いつまでもそばにいてくれると思っていた人がいなくなってしまったら・・・? 悲しい経験をした人も、そしていつか辛い別れをするかもしれない人も、どんな人の心も震わすであろう益田ミリさんの新境地となるエッセイです。読み進めるうちに何気ない日常のふとした瞬間がこの上ない宝物に思えてきて、人は誰でも自分だけの人生を生きていることをあらためて実感させられます」
本書には、次の20編のエッセイが収められています。
1 叔父さん
2 タクシーの中で
3 売店のビスケット
4 ほしいもの
5 おでんを買いに
6 ドールハウス
7 父語る
8 縁側のできごと
9 父の修学旅行
10 美しい夕焼け
11 冷蔵庫の余白
12 クジラの歌
13 おばんざい
14 最後のプレゼント
15 クラスメイトのこと
16 ひとり旅
17 桜花咲く頃
18 わたしの子供
19 卓袱料理
20 ハロウィンの夜
本書には、著者の父との別れが描かれているのですが、その前段というかプレリュードとして、1「叔父さん」で著者の叔父との別れが綴られています。子供がいなかった叔父は、姪っ子たちをわが子のように可愛がってくれましたが、その中でも著者は叔父との関わりが最も少なかったといいます。それでも、叔父が亡くなったときは、深い悲しみを経験しました。著者は次のように書いています。
「お通夜やお葬式でも、わたしなどが、叔父との思い出話をする立場ではないように思えた。だから、なにも言わずにおいた。泣く資格さえないかもしれないとまで思った。なのに、涙は次から次から溢れた。みな驚いていたかもしれない。わたしなりに、やさしかった叔父さんのことが大好きだったのだ」
毎年元日、著書の父の兄の家に集まりました。テーブルを3つつなげての、にぎやかな新年会です。酒が飲めない親戚たちの中で、末っ子の叔父がふと、「子供がおらんかて、ふたりでいろいろしゃべることあるんやで」と言ったそうです。その言葉について、著者は次のように書いています。
「わたしは、『子供』である自分の価値を、とても高いものだと思っていた。わたしや妹がいることで、父と母の幸せが成り立っているのだとも思っていた。しかし、叔父は、夫婦ふたりでも『いろいろしゃべることがあるんやで』と笑った。わたしはそんなもんなのかと驚き、また、ひどく安心した。叔父は、叔父の世界で豊かであったのだ。人の幸せは多面的であった」
この一文を読んだとき、わたしは著者の叔父の人生がありありと見えたような気がしました。そして、しみじみと感動しました。
「叔父さん」の最後には、こう書かれています。
「叔父の棺に手紙を入れることになった。わたしは、『やさしくしてくれて、ありがとう』と書いた。親戚の誰かが、わたしが新聞連載しているエッセイの切り抜きを持ってきて、それも入れてくれた。叔父が読んでくれていたのを、そのときはじめて知った。
それなら、叔父との思い出だって書いていたのに。ふたりでケーキを食べた夜のこととか。わたしが叔父さんを大好きだったこととか。
わたしにしかできないこともあったのだ。悔やんでも仕方がないのに、悔まずにはいられなかった」
「サンデー毎日」2017年4月9日号
これを読んで、わたしのブログ記事「死は不幸ではない」で紹介した「サンデー毎日」に書いたコラムのことを思い出しました。小倉の紺屋町にあったスナック「レパード」のマスターだった西山富士雄さんが亡くなったことを書いたコラムでしたが、西山さんは週刊誌が大好きで、生前は何誌も読んでいました。特に、「サンデー毎日」の愛読者で、わたしが同誌にコラムを連載開始したときは「天下の『サンデー毎日』に連載するなんて、たいしたもんだ!」とわざわざ電話をくれました。とても嬉しかったです。わたしは、西山さんのことを書いたコラムの最後に「マスター、あなたのことを『サンデー毎日』に書かせていただきましたよ。あの世で読んでくれますか?」と書きましたが、本当は故人が元気なうちに書いて、喜ばせてあげたかったです。本書の「叔父さん」の最後を読んで、そんなことを考えました。
叔父との死別の後は、父親との死別が待っています。その前に、著者は晩年の父親との思い出を綴ります。著者は取材と称して、死期の迫った父親に自らの人生を語ってもらいます。語りをパソコンで清書し、少しずつまとめ、最終的には小さな冊子にしてプレゼントするつもりでした。父親は面倒くさがるかと思っていましたが、とても嬉しそうに子供時代の話などをするのでした。
8「縁側のできごと」では、あるとき、父親が祖父の話をしたことが綴られています。それは、縁側で二人で放尿していたら母親(著者の祖母)に怒られたという、たわいもない思い出話でした。
その父親の話を聞いたときの心境を、著者は次のように書いています。
「それを聞いたとき、祖父の姿がはじめていきいきと動き出したのだった。写真一枚残っていない祖父。会ったこともないのだし、それを淋しいと感じたこともなかった。けれど、彼はこの世に存在していた。存在し、幼かった『わたしの父』とともに、縁側で妻に叱られていたのである。
叱られたとき、祖父はどうしたのだろう?
『見つかってしもたなぁ』
などと、息子に笑いかけたのかもしれない。
父の語りによって、過去の世界から孫娘のもとにやってきた祖父。なにか、伝えるとしたら、わたしはなにを言おう。
あなたの孫娘は、今、あなたの息子の最後の語りを聞いているのですよ。
と、言ったら、おじいさんは泣くだろうか」
この一文にも感動しました。生者の語りによって、死者はよみがえる。生者の思い出があれば、死者は生きている。「一条真也の映画館」で紹介した映画「リメンバー・ミー」にも通じる世界だと思いました。
10「美しい夕焼け」の冒頭は「午前中の電話にいい知らせはない」の一文で始まります。それは著者の父親が危篤であるという母親からの電話でした。呆然としながらも、エッセイを1本書き上げてから実家に帰ろうと思っていた著者のもとに再度、母親から電話が入ります。それは父親の死を知らせでした。そのときの心境を、著者は「今夜、わたしが帰るまで、生きて待っていてほしかった。母からの電話を切ってすぐはそう思ったのだが、新幹線に揺られる頃には、それは違う、と感じた。これは父の死なのだ。父の人生だった。誰を待つとか、待たぬとか、そういうことではなく、父個人のとても尊い時間なのだ。わたしを待っていてほしかったというのは、おこがましいような気がした」と書いています。
父親の訃報に接し、著者の涙が止まりませんでした。しかし、いろんなことを並行して考えている自分にも気づいていました。その日の朝早く、原稿を送っておいて良かった、とか。父の体調を配慮して断るつもりだった旅行記の仕事をやっぱり受けようかな、とか。車内販売のコーヒーを飲みたい、とか。そんな著者は、次のように書いています。
「悲しみには強弱があった。まるでピアノの調べのように、わたしの中で大きくなったり、小さくなったり、大きくなったときには泣いてしまう。時が過ぎれば、そんな波もなくなるのだろうという予感とともに悲しんでいるのである。雲がかかっており、残念ながら新幹線から富士山は見られなかった。その代わり、オレンジ色の美しい夕焼けが広がっていた。窓に額をくっつけて眺めていた。こんなにきれいな夕焼けも、もう父は見ることができない。死とはそういうものなのだと改めて思う」
著者は、自宅のベッドに横たわる父親の亡骸と最後のお別れをします。二人だけにしてもらい、ひとしきり泣いたそうです。冷たくなった父親の手に自分の手を重ね、「お父さん!」と大きな声で呼びました。これが、著者にとって父親の死を純粋に悲しめる最後の時間となったそうです。著者はこう書いています。
「ここからは、とにかくお金の話である。
父の遺体を葬儀場に運んだあとは、すぐに葬儀場の係の人との打ち合わせ。わたしと母は、分厚いパンフレットを覗き込み、祭壇とか、棺とか、花の種類、通夜や初七日の返礼品を選んでいく。
父はこういうことにお金をかけることを嫌っていたし、わたしも母も、とにかく質素にしようねと話していた。しかし、よほど強い意思の人間でない限り、『全部、一番安いのでいいです!』とは言えない空気が漂っている。いくつかは一番安いのにしたけれど、あんまり全部だと、なんだか父を大切にしていないと思われそう・・・・・・という心理が働くのである」
この葬儀のくだりに関しては、わたしもいろいろと言いたいことはありますが、まあ、ご遺族の中にはこういう方もいらっしゃるのだということを知り、良い勉強になりました。このように考える方は多いのでしょうね。
ただ、著者に葬儀を単にお金のかかる不必要なことだと思っている節があるのが残念でなりません。故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれます。愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていきます。
親しい人間が死去する。その人が消えていくことによる、これからの不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心に、ひとつの「かたち」を与えることが求められます。まさに、葬儀を行う最大の意味はここにあります。葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守るのです。そんなことを拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)に書きましたが、ちょうど版元が同じなので、ぜひ著者の益田ミリ氏にお読みいただきたいです。