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2019.01.14
『武器になる哲学』山口周著(KADOKAWA)を読みました。「人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50」というサブタイトルがついています。著者は1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て、組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループに参画。現在、同社のシニア・クライアント・パートナー。専門はイノベーション、組織開発、人材/リーダーシップ育成。
本書の帯
本書の帯には、「コーン・フェリー・ヘイグループ パートナーによる知的戦闘力を最大化する『哲学の使い方』」「コンサルの修羅場で、一番役立ったのは哲学だった――。」「ビジネスパーソンのための哲学ブックガイド付き」と書かれています。
カバー裏には、以下のように書かれています。
「哲学というと『実世界では使えない教養』と捉えられてきたが、それは誤解。実際は、ビジネスパーソンが『クリティカルシンキング』つまり現状のシステムへの批判精神を持つために、重要な示唆をくれる学問である。本書では、【無知の知】【ロゴス・エトス・パトス】【悪の陳腐さ】【反脆弱性】など50のコンセプトを、ビジネスパーソン向けの新しい視点で解説。現役で活躍する経営コンサルだから書けた『哲学の使い方』がわかる1冊」
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
第1部 哲学ほど有用な「道具」はない
プロローグ
――無教養なビジネスパーソンは「危険な存在」である
なぜ、ビジネスパーソンが「哲学」を学ぶべきなのか?
本書といわゆる「哲学入門」の違い
なぜ、哲学に挫折するのか?
第2部 知的戦闘力を最大化する
第1章 「人」に関するキーコンセプト
「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために
第2章 「組織」に関するキーコンセプト
「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために
第3章 「社会」に関するキーコンセプト
「いま、なにが起きているのか」を理解するために
第4章 「思考」に関するキーコンセプト
よくある「思考の落とし穴」に落ちないために
「ビジネスパーソンのための哲学ブックガイド」
「プロローグ――無教養なビジネスパーソンは『危険な存在』である」の冒頭で、哲学・思想の専門家ではない著者がビジネスパーソン向けに「哲学・思想」の本を書いた理由を「世界の建設に携わっているビジネスパーソンにこそ、哲学・思想のエッセンスを知っておいて欲しいから」と説明しています。
著者は一条真也の読書館『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で紹介した前著で、社会において大きな権力・影響力を持つことになるエリートの教育では、哲学を中心としたリベラルアーツ教育がますます重視されるようになってきているという世界の風潮を紹介しました。
本書でも、著者は以下のように述べています。
「近代以降、ヨーロッパのエリート養成を担ってきた教育機関では長らく哲学と歴史が必修とされてきました。今日に至っても、例えば政治・経済のエリートを数多く輩出しているオックスフォードの看板学部『PPE=Philosophy,Politics and Economics』(哲学・政治・経済学科)では、哲学が三学領域の筆頭となっていますし、フランスの高等学校過程=リセでは、理系・文系を問わずに哲学が必修科目となっており、バカロレアの第1日目の最初に実施されるのは伝統的に哲学の試験とされています」
続いて、著者は以下のように述べています。
「パリにしばらく滞在した人であれば、バカロレアの哲学試験にどのような問題が出されたか、自分ならどう答えるかがオフィスやカフェで話題になっているのを耳にしたことがあるのではないでしょうか。あるいはアメリカに目を転じても、エリート経営者の教育機関として名高いアスペン研究所では、世界中で最も『時給』の高い人々であるグローバル企業の経営幹部候補が集められ、風光明媚なスキーリゾートとして知られるアスペンの山麓で、プラトン、アリストテレス、マキャベリ、ホッブズ、ロック、ルソー、マルクスといった哲学・社会学の古典をみっちりと学んでいます」
「なぜ、ビジネスパーソンが『哲学』を学ぶべきなのか?」として、リーダーに哲学の素養が求められる理由として、著者は次の4つを紹介しています。
1.状況を正確に洞察する
2.批判的思考のツボを学ぶ
3.アジェンダを定める
4.二度と悲劇を起こさないために
まずは「1.状況を正確に洞察する」として、著者は述べます。
「哲学を学ぶことの最大の効用は、『いま、目の前で何が起きているのか』を深く洞察するためのヒントを数多く手に入れることができるということです。そして、この『いま、目の前で何が起きているのか』という問いは、言うまでもなく、多くの経営者や社会運動家が向き合わなければならない、最重要の問いでもあります。つまり、哲学者の残したキーコンセプトを学ぶことで、この『いま、何が起きているのか』という問いに対して答えを出すための、大きな洞察を得ることができる、ということです」
次に「2.批判的思考のツボを学ぶ」として、以下のように述べます。
「哲学者が問いに向き合う。そして彼なりの『こうじゃないかな』という答えを打ち出す。その答えが、説得力を持つと思われれば、しばらくのあいだはその答えが世の中の『定番』として普及します。しかしそのうち、現実が変化し、定番となった回答にも粗が見えてくる……つまり、その回答では現実をうまく説明できていなかったり、現実にうまく対処できなかったりするようになるわけです。すると新しい哲学者が、『その答えって、もしかしたらダメなんじゃないの?』と批判し、別の回答を提案する。哲学の歴史はそのような『提案→批判→再提案』という流れの連続で出来上がっているわけです」
さらに「3.アジェンダを定める」として、以下のように述べます。
「アジェンダとは『課題』のことです。なぜ『課題を定める』ことが重要かというと、これがイノベーションの起点となるからです。今日、多くの日本企業ではイノベーションが経営課題の筆頭として取り組まれていますが、率直に言って、そのほとんどは『イノベーションごっこ』だと筆者は思っています。なぜそう言い切れるかというと、ほとんどのケースで『課題』が設定されていないからです。全てのイノベーションは、社会が抱えている『大きな課題』の解決によって実現されていますから、『課題設定』のないところからイノベーションは生まれません。『課題設定』というイノベーションの『魂』が抜け落ちたまま、表面的に外部からアイデアを募る仕組みやアイデアを練り上げるプロセスを整備しただけで、『オープンイノベーションをやっています』という状況ですから、これは『ごっこ』と言うしかありません」
哲学を学ぶ理由として、最後に掲げられるのが「4.二度と悲劇を起こさないために」です。著者は「残念ながら、私たちの過去の歴史は、これほどまでに人間は邪悪になれるのだろうか、という悲劇によって真っ赤に血塗られています。そして、そのような悲劇は、ほかでもない私たちのような、ごく『普通の人々』の愚かさによって招かれているのだということを、決して忘れてはなりません」と述べています。
これに関連して、著者は以下のように述べます。
「世界史的な悲劇の主人公はヒトラーでもポル・ポトでもない、そのようなリーダーに付き従っていくことを選んだ、ごくごく『普通の人々』なのです。そのような人々によってこそ、巨大な悪がなされているのだとすれば、過去の哲学者たちが、人類が払った高い授業料の対価として書き残してきたテキストを、私たちのような『普通の人』が学ぶことには、大きな意味があるのだということはわかってもらえるのではないかと思います。特に実務家と呼ばれる人は、個人の体験を通じて得た狭い知識に基づいて世界像を描くことが多いものです。しかし今日、このような自己流の世界像を抱いた人々によって、様々な問題が起きていることを見逃すことはできません」
経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、著書『雇用・利子・および貨幣の一般理論』で、誤った自己流理論を振りかざして悦に入っている実務家について、「知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかの破綻した経済学者の奴隷です」と述べています。これを辛辣な指摘であると評価する著者は、こう述べます。
「これまでに人類が繰り返してきた悲劇を、私たちは今後も繰り返していくことになるのか、あるいはそこで払った高い授業料を生かし、より高い水準の知性を発揮する人類、いわばニュータイプとして生きていけるかどうかは、過去の悲劇をもとにして得られた教訓を、どれだけ学びとれるかにかかっていると、私は固く信じています」
第1部「哲学ほど有用な『道具』はない」の「本書といわゆる『哲学入門』の違い」では、本書と類書を分けるポイントとして、次の3点を挙げています。
1.目次に時間軸を用いていない
2.個人的な有用性に基づいている
3.哲学以外の領域もカバーしている
第2部「知的戦闘力を最大化する50のキーコンセプト」の第1章 「『人』に関するキーコンセプト ――『なぜ、この人はこんなことをするのか』を考えるために」の01「ロゴス・エトス・パトス――論理だけでは人は動かない」では、古代ギリシアの哲学者アリストテレスを取り上げて、以下のように述べています。
「リーダーシップにおける『言葉』の重要性に、おそらく歴史上最初に注目したのはアリストテレスの師匠筋に当たる哲学者、プラトンでした。プラトンは著書『パイドロス』の中で、リーダーシップにおける『言葉の影響』について、徹底的な考察を展開しています。題名の『パイドロス』というのは、ソクラテスの弟子の名前ですね。プラトンは、この著書『パイドロス』の中で、彼の師匠であるソクラテスと、その弟子であるパイドロスの架空の議論という形で、リーダーに求められる『言葉の力』とは、どのようなものだろうか、という議論を展開しています」
続けて、著者は以下のように述べています。
「この議論の中で、アリストテレスが重要視したレトリック=弁論に対置されているのは、ダイアローグ=対話です。非常に興味深いことに、『パイドロス』では、リーダーにはレトリックが必要だと主張するパイドロスに対して、ソクラテスがこれを批判し、真実に至る道はダイアローグ=対話しかない、と説得する構成になっています」
02「予定説――努力すれば報われる、などと神様は言っていない」では、フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンを取り上げて、著者は以下のように述べます。
「16世紀に始まった宗教改革は、マルティン・ルターによって口火を切られています。ルターはカトリック教会から破門され、帝国から追放されることになりますが、ザクセン選帝侯によって保護を受け、神学の研究にさらに打ち込みます。こののちルターの教えはドイツばかりか、ヨーロッパ全土へと広まっていき、やがて『プロテスタント』と呼ばれる大きな運動へとつながっていくことになります」
このルターの問題提起はローマ・カトリック教会にとっては、非常に「面倒くさい」ことでした。というのも、彼らの大きな財源であった贖罪符に関する神学的な意味合いにケチを付けたからです。著者は述べます。
「実はこの時期、贖罪符については、ローマ・カトリック教会の内部でも『アレはどうかと思うけどね』という神学者も多くて、綺麗に整理のついていない状態のまま、半ば教皇をはじめとした権力者がつくりだした『空気」』に押し切られる形で販売されていたという側面があります。ルターの問題提起はそういう意味で、ローマ・カトリック教会の『痛いところ』をついちゃったわけです。このマルティン・ルターの『ロケンロール』なシャウトを受けつぎ、これを洗練させるようにしてプロテスタンティズムに強固な思想体系を与えたのがジャン・カルヴァンでした。この思想体系が、やがて資本主義・民主主義の礎となり、世界史的な影響力を発揮していくことになります」
10「自己実現的人間――自己実現を成し遂げた人は、実は『人脈』が広くない」では、アメリカの心理学者エイブラハム・マズローの欲求段階説を紹介した上で、以下のように述べられています。
「私たちは一般に、知人や友人は多ければ多いほど良い、と思う傾向があります。確かに、友人や知人の数が多ければ、例えば仕事で声をかけてもらうとか、あるいは何かのときに助けてもらうことは、より容易になると思われます。だからこそフェイスブックの友達数やツイッターのフォロワー数は『多ければ多いほど良い』と考えられているわけですが、マズローの考察によれば、成功者中の成功者である『自己実現的人間』は、むしろ孤立ぎみで、ごく少数の人とだけ深い関係をつくっている。このマズローの指摘は、ソーシャルメディアなどを通じてどんどん『薄く、広く』なっている私たちの人間関係について、再考させる契機なのではないかと思うんですよね」
第2章「『組織』に関するキーコンセプト――『なぜ、この組織は変われないのか』を考えるために」の17「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト――かつての日本企業は『村落共同体』だった」では、ドイツの社会学者フェルディナンド・テンニースの社会進化論を取り上げて、著者は以下のように述べています。
「ゲマインシャフトは地縁や血縁などによって深く結びついた自然発生的なコミュニティのことです。一方、ゲゼルシャフトは利益や機能・役割によって結びついた人為的なコミュニティのことです。もともとのドイツ語では、ゲマインシャフト=Gemeinschaftは『共同体』を意味し、ゲゼルシャフト=Gesellschaftは『社会』を意味します。テンニースによれば、人間社会が近代化していく過程で、地縁や血縁、友情で深く結びついた自然発生的なゲマインシャフトは、利益や機能を第一に追求するゲゼルシャフトへシフトしていくことになります」
また、この項の最後に、著者はこう述べます。
「仮に会社や家族の解体が不可逆的な流れなのだとすれば、それに変わる新しい構造を人類は必要とします。フリードリッヒ・テンブルクは『社会全体を覆う構造が解体されると、その下の階段にある構造単位の自立性が高まる』と言っていますが、もし仮にそうなのであれば、会社や家族という構造の解体に対応して、いわば歴史の必然として、新しい社会の紐帯を形成する構造が求められる。希望的観測ですが、ソーシャルメディアがもしかしたらその役目を果たすことになるのかも知れません」
20「他者の顔――『わかりあえない人』こそが、学びや気づきを与えてくれる」では、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの「他者」の思想を取り上げ、「レヴィナスの言う『他者』とは、文字通りの『自分以外の人』という意味ではなく、どちらかというと『わかりあえない者、理解できない者』といった意味です。養老孟司先生の『バカの壁』という本が大変なベストセラーになりましたが、レヴィナスの『他者』をわかりやすく表現すれば、要するに『バカの壁が邪魔して通じあえない相手』ということになります」と述べています。
面白いことに、著者はスティーヴン・スピルバーグ監督の映画「E.T.」を取り上げて、次のように述べています。
「実はこの『E.T.』という映画には、異常とも言っていい特徴があります。それは「大人の顔が画面に出てこない」ということです。映画のクライマックスに至るまで、出てくるのは徹底的に『子供の顔』と『異星人の顔』だけで、『大人の顔』は、主人公であるエリオットの母親を除いてほとんど画面に出てきません。これはつまり、この映画においては、主人公のエリオットたちにとって、大人というのは『他者』として描かれている、ということです」
まさか、まさかSF映画の「E.T.」を題材にして、レヴィナスの「他者」を説明するとは思いませんでした。著者に対して、心の底から「やるなあ!」と思いましたね。
第3章「『社会』に関するキーコンセプト――『いま、なにが起きているのか』を理解するために」の36「差異的消費」では、フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールの主著『消費社会の神話と構造』を取り上げて、著者は以下のように述べます。
「ボードリヤールは、私たちの持つ『欲求』は、個人的・内発的なものとしては説明できない、むしろ他者との関係性、つまり『社会的』なものだと言っています。この本を初めて読んだのは20代後半のことでしたが、これを読んだ時には随分と新鮮な気持ちがしたものです。ボードリヤールの言う通り、欲求が社会的なものなのだとすれば、マーケティングにおける市場創造・市場拡大において最も重要なのは、『差異の総計の最大化』ということになります。これは当然のことながら、非常に大きなルサンチマンを社会に生み出すことになります」
また、著者は以下のようにも述べています。
「ここで注意して欲しいのが、例えばお金持ちがブランド物や高級車などを購入する、見せびらかしのための衒示的消費だけが、差異的消費なのではないということです。お金持ちが、自分たちがお金持ちであることをわかりやすく他者に伝えるために、フェラーリやポルシェなどの『わかりやすい高級車』を買ったり、広尾や松濤などの『わかりやすいエリア』に住居を構えたりするのは、もちろん差異的消費の一形態ではありますが、それが全てではありません。ボードリヤールが言っているのはそういうことではなく、例えばプリウスに乗るとか、『無印良品』を愛用するとか、郊外の田舎に暮らすというのもまた、それを選択した主体が、そのような選択をしなかった他者と自分は異なるのだということを示すための差異的消費だということなんですね」
第4章「『思考』に関するキーコンセプト――よくある『思考の落とし穴』に落ちないために」の44「エポケー――『客観的事実』をいったん保留する」では、オーストリアの哲学者にして数学者であるエドムント・フッサールを取り上げ、こう述べています。
「昨今のグローバルカンファレンスではよく『VUCA』という言葉を耳にします。もともとはアメリカ陸軍が現在の世界情勢を表現するために用いた言葉ですが、今日では様々な場所で聞かれるようになりました。『VUCA』とは『Volatility=不安定』、『Uncertainty=不確実』、『Complexity=複雑』、『Ambiguity=曖昧』という、今日の世界の状況を表す4つの単語の頭文字を組み合わせたものです。このような世界において、正しくモノゴトを判断していくことが、非常に難しくなっています」
また、著者は以下のように述べるのでした。
「私たちが持っている『客観的な世界像』は、そもそも主観的なものでしかあり得ない、その世界像を確信するのでもなく、捨て去るのでもなく、いわば中途半端な経過措置として、一旦『カッコに入れる』という中庸の姿勢=エポケーの考え方は、このような時代だからこそ求められる知的態度なのではないかと思います」
49「未来予測――未来を予測する最善の方法は、それを『発明』することだ」では、アメリカの計算機学者で教育者でジャズ演奏家のアラン・ケイを取り上げ、著者は以下のように述べています。
「いまある世界は偶然このように出来上がっているわけではありません。どこかで誰かが行った意思決定の集積によっていまの世界の風景は描かれているのです。それと同じように、未来の世界の景色は、いまこの瞬間から未来までのあいだに行われる人々の営みによって決定されることになります。であれば本当に考えなければいけないのは、『未来はどうなりますか?』という問いではなく『未来をどうしたいか?』という問いであるべきでしょう」
著者は、次のような非常に興味深いエピソードを紹介します。
「1982年、当時全米最大の電話会社だったAT&Tは、コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに対して『2000年時点での携帯電話の市場規模を予測してほしい』と依頼しました。この依頼に対してマッキンゼーが最終的に示した回答は『90万台』というものでしたが、では実際にはどうだったかというと、市場規模は軽く1億台を突破し、3日ごとに100万台が売れる状況となっていました。この悲惨なアドバイスに基づき、1984年、当時AT&Tの社長だったブラウンCEOは携帯電話事業を売却するという致命的な経営判断を行い、以後AT&Tはモバイル化の流れに乗り遅れて経営的に行き詰まり、最終的には自ら切り離したかつてのグループ企業であるSBCに買収され、消滅するという皮肉な最後を迎えます」
最後に、”The best way to predict the future is to invent it”(未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ)というアラン・ケイのメッセージが紹介されています。
この「未来予測」の項を読んで、わたしはオーストリア生まれでアメリカで活躍した経営学者ピーター・ドラッカーの考え方を連想しました。拙著『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』(フォレスト出版)にも書きましたが、ドラッカーによれば、未来を知る方法は2つしかないといいます。1つの方法は、すでに起こったことの帰結を見ること。彼自身の予測についても、すでに起こったことの帰結、つまりすでに起こった未来を知らせたにすぎないそうです。そうやって、さまざまな兆候から、ドラッカーはソ連の崩壊を予測し、それを見事に的中させました。
未来を知るもう1つの方法は、自分で未来をつくることです。具体的には、子どもを1人つくれば、人口が1人増えるといった話です。これなら、誰でも未来をつくることができますね。それと同じように、たとえ小さな会社でも何か事業を起こせば、世の中を変えてしまう可能性をもつのです。歴史はそうやってつくられるのだとドラッカーは言います。歴史とは、ビジョンを持つ1人ひとりの起業家がつくっていくものだというのです。
未来をつくるためのアプローチとして、これもまた2つの方法があります。1つは、「すでに起こった未来を利用する」こと。もう1つは、「来るべき未来を発生させる」ことです。そして、この2つの方法は互いに補い合う関係にあるといいます。ドラッカーは、著書『創造する経営者』(ダイヤモンド社)で次のように述べています。
「すでに起こった未来は、組織の内部ではなく外部にある。それは、社会、知識、文化、産業、経済構造における変化である。1つの傾向における小さな変化ではなく、変化そのものである。パターンの内部における変化ではなく、パターンそのものの断絶である。」(上田惇生訳)
そして、来るべき未来を発生させる。ドラッカーはさらに「未来は明日つくるものではない。今日つくるものではない。今日の仕事との関係のもとに行なう意思決定と行動によって、今日つくるものである。逆に、明日をつくるために行なうことが、直接、今日に影響を及ぼす。」(同)と述べています。未来を予測するだけでは問題を招くだけです。わたしたちが、なすべきことは何か。それは、すでに起こった未来に取り組み、あるいは来るべき未来を発生させるべく働くことなのです。
さて、本書『武器になる哲学』には50の哲学的コンセプトが紹介されていますが、著者の説明能力が高いので非常に面白く読めました。じつは、わたしにも哲学的コンセプトを平易に解説した監修書があります。『140字でつぶやく哲学』(中経の文庫)がそれで、「世界一わかりやすい哲学の本」をめざして作りました。
140字とは、もちろんツイッターを意識していますが、じつは哲学を知るのに最適の字数だと思います。ずばり、読みやすいし、語りやすいからです。それから、哲学に必要な対話にも向いています。「つぶやき」という行為そのものが、哲学の本質に関わっていると言えるでしょう。
『140字でつぶやく哲学』より
『140字でつぶやく哲学』には、哲学者37人と、世界の宗教、日本の近代思想家など19人が登場します。また、従来の哲学ガイドのように、古代ギリシャからスタートするのではなく、逆に現代の哲学者から始まって、古代の哲学者にさかのぼってゆくという「逆さま」スタイルを採用しました。このため、現代の身近な問題から哲学に触れて、そのうち自然に根源的なテーマについて学ぶことができます。古今東西の哲学者のつぶやきに触れるのは、とても刺激的だと思います。世界中の思想に触れて、哲学対話を楽しんでいただきたいと思います。
『140字でつぶやく哲学』のニーチェのページ
「なぜ、一条さんが哲学の本を監修するの?」と何人かの方から質問されました。わたしは「哲学ほど面白いものはない」と思っているのですが、大多数の人は本気にしません。それほど、哲学は難解で無用の長物と見なす考え方が世の中では一般化しています。しかし他方で、哲学を求める人々が後を絶たないのも、また事実です。
特に経営者の多くは「哲学」とか「フィロソフィー」という言葉を語りはじめています。ドラッカーは、21世紀の社会は知識集約型社会であり、そこでは知識産業が主役になると主張しました。知識集約型社会において、企業が「売るもの」は、知識ワーカーとしての社員に体現された組織の知識や能力、製品やサービスに埋め込まれた知識、顧客の問題を解決するための体系的知識だとされています。顧客は、提供された知識とサービスの価値に対して評価し、支払うことになるのです。
一方、企業が質の高い知を創造するのは、事業を高い次元から眺めること、知とは何かを問うこと、つまり哲学が求められます。それは「志の高さ」にもつながるもので、当然トップの課題でもあります。マーケットはそこまでみて企業を評価するようになるといわれています。ビジョンやミッションはもちろん、フィロソフィーまで求められるのが21世紀の企業像なのです。
『140字でつぶやく哲学』のソクラテスのページ
さて、一般に哲学の祖はソクラテスだとされています。ソクラテスは「哲学とは死の学び」と語り、その弟子であるプラトンは「死」についての哲学的思考を大著『国家』のなかの「エルの物語」にまとめています。
なぜ、「哲学」と「死」の問題が分かちがたく結びついているのでしょうか。現代日本を代表する哲学者の中村雄二郎氏によれば、哲学をする上にまずもって大事なことは、経験上でも書物のうえでも、積極的に色々なことと出会って、未知なものやそれまで気づかなかったことを新鮮に受け取り驚くという、好奇心を持ちつづけることであるといいます。したがって「哲学は好奇心である」と言えます。
哲学は好奇心であり、知ることへの情熱でもあるならば、そのまなざしは当然ながら「謎」や「不思議」というものに向かいます。スタジオジブリのアニメ映画「千と千尋の神隠し」の主題歌にも出てくるように、生きている不思議、死んでいく不思議……この世は不思議に満ちています。まったく赤の他人の男女が知り合って、恋をして、結婚するというのも、考えてみれば実に不思議な話です。
でも、人類にとって最大の謎はやはり「死」であるといえます。なぜなら、宇宙と自然の中における人間の位置、人生の意味を考える哲学的思考にとって「死」だけはどうしてもうまくはまらないパズルの最後の一片、トランプのジョーカーのような存在だからです。「メメント・モリ(死を想え)」という言葉がありますが、葬儀の時間こそは死を想う時間であるといえるでしょう。セレモニーホールとは死を想う場所なのです。
ここにきて、ようやく「哲学とは死の学び」という言葉の意味がわかってきます。哲学とは、牢獄としての肉体を超えて精神を純化させること。哲学の道とは意識的に死ぬ道であり、そこで人々は「死想家」となる。ならば葬祭業者とは葬儀参列のお客様に対して、哲学的な空間と時間を提供しているのかもしれません。
本書『武器になる哲学』を読んで、哲学の面白さを再確認しました。