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2019.05.30
37冊目の「一条真也による一条本」をお届けします。わが編著の『最期のセレモニー』(PHP研究所)という本で、2009年9月24日に刊行されました。「メモリアルスタッフが見た、感動の実話集」というサブタイトルがついています。内容は、わたしが経営する冠婚葬祭業のサンレーグループ葬祭部門のスタッフによる実話集です。
『最期のセレモニー』(2009年9月24日刊行)
カバーはブルースカイの装丁で、帯には「送るこころ、悼むこころ……人生の最期は、こんなにも愛にあふれている」と書かれています。
本書の帯
また帯の裏には、以下のように書かれています。
「『手描きの遺影』『ふるさとのようなお花畑』『炭坑節でのお葬式』……。死はけっして不幸なことではありません。なぜなら、最高のしめくくり、新しい世界へと旅立つために、こんなにも素晴らしい最期のセレモニーが用意されているのですから」
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「まえがき」
逝く人の思い・送る人の心
「私は、あと半年の命です」
二度目のお通夜
魚屋の大将
抱擁
大学ノート
「じゃあな」
「こんにちは新聞」編集長
初孫
最後のクリスマス
釣り仲間とのお別れ
「ありがとう」の手紙
最後のキス
K君の思い出
故人への手紙
手描きの遺影
ランドセル
「子供の骨も残してください」
おふくろの漬物
魂の重み
笑顔の葬儀
コンサート
持ち込み
空のかなた
おくりびとの涙
音楽隊
メモリアルコーナー
ふるさとのようなお花畑
二つの棺
メルヘン
祇園太鼓
炭坑節
残された者
晴れ着
遺影
「赤とんぼ」の合唱
応援団長
たった一人の葬儀
白い百合のお母さん
健一くんのこと
握手
瓜二つの孫
恩師との再会
父の死
不思議な体験
湯灌
菜の花
自殺
立ち往生
同級生の死
あとがき「死は最大の平等である」
本書は実話集ですが、「まえがき」には次のような話が紹介されています。
あるお葬式でのエピソードです。喪主はガンで奥様を亡くされたご主人です。最愛の伴侶を失った悲しみからか、通夜前から神経質そうに振る舞われていました。会場には故人が生前に作った人形がたくさん飾られましたが、その位置を何度も修正されていました。そして、ご主人は自身が制作したDVDを弔問客に見せられました。それは2人の出会いから現在までの軌跡を記録したものでした。
通夜後の喪主あいさつでは次のように話をされました。「最近何だか具合が良くない」と言う奥様の診察に軽い気持ちで付き添って病院へ行ったこと、思いもかけず医師から末期ガンだと告知されたこと、2人とも無言のまま病院を出たが奥様が突然「うどんが食べたい」と言い出したので近くのうどん屋さんに入ったこと、そして出されたうどんを前に人目をはばからず子どものように2人で泣いたこと――。ご主人の悔しさ、悲しみ、奥様への深い愛情がひしひしと感じられ、その思いが痛いほど参列者に伝わってきました。この話をしてくれた「おくりびと」は、うどんが大好物でうどん屋さんによく行くそうですが、その度にこのエピソードを思い出してしまうと語っていました。
葬儀での出会いは一期一会です。ご遺族の方とは非常に短い時間の中でのやりとりのみで、生前の故人を存じ上げないことがほとんどです。でも、そんな短いふれあいですが、故人の素晴らしい人生を垣間見ることができます。思いやり、感謝、感動、癒し……送られる方々の心を通じて「愛」を感じることができます。
「おくりびと」は、故人の魂を送るお手伝いをするのが仕事です。日々、多くの「おくりびと」たちから、心あたたまる実話を直接聞き、わたしは目頭を熱くしてきました。最期のセレモニー――こんな素晴らしい終焉の時間が用意されていることを、ぜひ多くの読者の方々に知っていただきたくて、本書を出版しました。
「死は最大の平等である」とは、これはわたしの持論です。箴言で知られたラ・ロシュフーコーという人が「太陽も死も直視できない」と語りました。直視できないという共通点に加えて、太陽と死はともに、人間に対して「最大の平等」を与えてくれるものではないでしょうか。
太陽はあらゆる地上の存在に対して平等であり、太陽光線は世界中の人々に降り注ぎます。わが社の社名はサンレーですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、太陽光線(SUNRAY)という意味を持っています。
「死」も平等です。「生」は平等ではありません。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人……「生」は差別に満ち満ちています。しかし、どんな人にも「死」だけは平等に訪れます。「死」が平等であるとしたら、死の儀礼である葬儀も平等に執り行われねばなりません。
阪神・淡路大震災のとき、建築物の瓦礫の下に数多くの遺体が埋まっていました。わたしは、ご遺族の心中を思い、たまらない気分になりました。遺影だけの葬儀は本当に辛いです。9・11同時多発テロのときも同じでした。あのときも、ワールド・トレード・センターの瓦礫の下に数千体の遺体が埋まっていたのです。あの惨状をCNNで見たときにわたしは、冠婚葬祭とは結局のところ人間を尊重することなのだと悟り、わが社の大ミッションを「人間尊重」に決めたのでした。
さらに考えるなら、ヒトは葬儀をされることによって初めて「人間」になるのではないでしょうか。ヒトは生物です。人間は社会的な存在です。ゆかりのある人々が葬儀に参列してくれて、その人たちから送ってもらう。それで初めて、故人は「人間」としてこの世から旅立っていけるのではないでしょうか。わたしは、葬儀とは人生の卒業式であり、送別会だと思います。そこで最も使われる言葉は、「ありがとう」です。人々が「ありがとう」の声をかけ合い、お互いが心ゆたかになれる。わたしは、そんな社会を「ハートフル・ソサエティ」と呼んでいます。わが社は、ハートフル・ソサエティ実現のためのお手伝いをさせていただく「ハートフル・カンパニー」でありたいと願っています。
そして、全社をあげて取り組んでいるのが「隣人祭り」です。これは、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うイベントです。1999年にパリでスタートしたのですが、現在では世界中に輪が拡がってきました。1人暮らしの高齢者の参加も多く、孤独死の防止に絶大な効果があるとされています。わが社では、日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市をはじめ、全国各地で隣人祭り開催のお手伝いをしています。隣人祭りは、葬儀という人生最後のセレモニーにも大きな影響を与えます。隣人祭りで知人や友人が増えれば、当然ながら葬儀で見送ってくれる人が多くなるからです。
最近、参列者が1人もいないという葬儀が増えてきました。本書の中には、「たった1人のお葬式」というエピソードが出てきますが、世の中には「たった1人」もいない、参列者ゼロのお葬式もたくさん存在するのです。そんな孤独な葬儀、すなわち「孤独葬」に立ち会たことがありますが、わたしは本当に故人が気の毒で仕方がありませんでした。亡くなられた方には、家族もいたでしょうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。配偶者や子や孫もいたかもしれません。なのに、どうしてこの人は1人ぼっちで旅立たなければならないのかと思うのです。もちろん死ぬとき、人は1人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに1人で旅立つというのは、あまりにも寂しいではありませんか。
第81回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が話題になりましたが、人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。フランスの作家であるサン=テグジュペリは「真の贅沢とは、人間関係の贅沢である」との言葉を残しましたが、1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示すのです。わたしたちは、これからも「人間尊重」の旗を掲げて、すべての方々を等しくお送りし、良い人間関係づくりのお手伝いをしてゆきたいと思います。
本書で魂が震えるようなエピソードを語ってくれた50人の当社スタッフに感謝するとともに、心からの敬意を表したいと思います。つねに故人および遺族の方々と向き合い、「いのち」の行方に思いを馳せる彼らには、まるで哲学者や詩人のような雰囲気があります。わたしは、心ゆたかな「おくりびと」たちと志を1つにし、同じ道を歩んでいけることを誇りに思います。