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No.1745 小説・詩歌 『イノセント』 島本理生著(集英社文庫)
2019.07.14
『イノセント』島本理生著(集英社文庫)を読みました。
『ファーストラヴ』で第159回直木賞を受賞した若手女流作家の代表作です。「サンデー新聞」に連載中の書評コラム「ハートフル・ブックス」で取り上げる小説をネットで探したところ、一条真也の読書館『あなたの愛人の名前は』で紹介した本を見つけたのですが、内容的に見送りました。本書のほうが「ハートフル・ブックス」にふさわしいと思います。
著者は1983年生まれ。2001年「シルエット」で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。2003年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞を受賞。2015年『Red』で第21回島清恋愛文学賞を受賞。2018年『ファーストラヴ』で第159回直木三十五賞受賞。『ナラタージュ』『アンダスタンド・メイビー』『よだかの片想い』『イノセント』『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』など著書多数。
本書の帯
本書のカバー表紙には、砂の上にうずくまる少女の写真が使われ、帯には「新・直木賞作家が描く、愛と救済の物語。」「美しい女性に惹かれる、やり手経営者とカソリックの神父。自堕落さと無垢な儚さを併せ持つ彼女は、深い絶望を抱えていた──」
本書のカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「イベント会社代表の真田幸弘は、数年前に函館で出会った若い女性・比紗也に東京で再会する。彼女は幼い息子を抱えるシングルマザーになっていた。真田は、美しく捉えどころのない比紗也に強く惹かれていく。一方、若き神父・如月歓は比紗也と知り合い、語り合ううち、様々な問題を抱える彼女を救おうと決意する。だが、彼女は男たちが容易に気づくことのできない深い絶望を抱えていて──」
この小説は函館から物語が始まるのですが、ちょうどわたしが函館に向かう飛行機の中で読み始めたので、情景描写を含めて心に自然に入ってきました。読む前から、「この小説は、わたしのための物語かもしれない」という予感があったのですが、その予感は的中しました。本書を読んで、わたしは非常に感動しました。特に、わたしの専門テーマの1つである「グリーフケア」についての考えと想いを深めてくれました。
本書の登場人物の中では会社経営者の真田幸弘に感情移入したのですが、彼の恋敵ともいうべき如月歓の言動に心が揺れました。というのも、如月はカトリックの神父だからです。昨年の春から、わたしは上智大学グリーフケア研究所の客員教授になりましたが、上智大学はイエズス会の日本支部でもあることからもわかるように、日本におけるカトリックの総本山です。当然ながら、わたしにも神父さんの知人が多く、「カトリックとは何か」あるいは「カトリックは日本人を救えるか」ということをよく考えています。
本書の中には、如月が神学校の学生だった時代に、彼の同級生の後藤と聖が神について議論する場面が出てきます。日曜日の夜に唯一許されているテレビ鑑賞時に、大河ドラマの切腹のシーンについて論争になったのです。非常に考えさせられる論争なので、少々長いのですが、以下に紹介したいと思います。
神を知らないままに死ぬ者がいるのはそもそも神の怠慢じゃないかと誰かが言い出したとき、聖に意見が求められた。
「そもそも聖はさあ、本当に神はいると思ってる?」
という問いに
「これだけ同じように信じる人間がいれば、それはいることと同じだよ」
聖はコーラを片手に答えたが、煙に巻くような言い方に皆は不満を覚えた。じゃあなぜ沈黙するんだ、と言い合うと、聖はこめかみを掻いて
「神の沈黙って、そもそも、そんなに矛盾してるか?」
と投げかけた。
「そりゃ、そうだよ。本当にすべての人間が神の子だったら、全員に囁きかけての天の国に入るチャンスを与えるべきだよ」
「そんなの都知事だって首相だって、俺たちのことを考えているっちゃあ考えてるだろうけど、路上のホームレス1人1人の肩を叩いて話しかけたりしないし、日本中の自殺志願者を助けにいつも現場まですっとんでいくわけにはいかないだろう。役所で考えてみろよ。だから、現場に俺たちがいるんだろ」
「ちょ、全然違うじゃん。都知事や首相は人間だけど、神は万能だろう」
食いついたのはクラス委員の後藤だった。成績では後藤が上なのに、聖のほうが聡明だと皆が認めているのが少し面白くないのだった。
「構造としては同じじゃないの? 俺たちは国のトップが決めたことに守られて縛られてて、さらにその上に決りごとを作った者がいるとすれば、神だろ。そもそも自分がつらいときにかならずなにか言ってくれるなんて、対等な者同士の発想でしょ。近所の植木屋のじいさんじゃないんだから、ちょっと困ったくらいで神が高枝切りバサミ持って駆け付けてくれるかよ」
皆は一斉に笑った。後藤だけが言い返した。
「じゃあ、なんで俺たちは神を信じなきゃならないんだよ」
「え、信じたいからだろう」
と聖は大きな目を見開いて、きょとんとした。(『イノセント』集英社文庫版、P.199~200)
「俺たちが選んだのは、神がいたら信じる人生じゃなくて、神がいると信じて生きる人生なんだから、究極いようといまいと、生き方に違いはないんだよ。んなこと言ったらおまえの大好きな中山美穂だって、たぶん一生会えないし話すことだってないし、どんなに好きになってCD買ったっておまえになにしてくれるわけでもないんだから、いないも同然じゃない?」
「中山美穂は実在する歌手じゃん。でも神は現実には」
と言いかけて、後藤は矛盾に気付いて動揺し
「じゃあ、神の言葉を聞けるやつと聞けないやつがいるのはなんでだよ」
と訊き直した。
「ライブ会場で、たしかに美穂は今俺を見たって言うのと同じじゃね? 気のせいかもしれないし、本当に見たかもしれない。俺たち一介のファンクラブみたいなもんだよ」(『イノセント』集英社文庫版、P.200)~201)
この聖という神学生の言葉には「都知事」とか「首相」とか「中山美穂」とか、きわめて現実的な比喩が登場しますが、その神についての考えは非常に信仰の核心を衝いているように思えます。その聖から「歓はどう思う?」と唐突に質問された如月は何も答えませんでした。如月には過去に忌まわしい記憶があり、自分が犯した罪を赦してもらうために神を必要とした経緯があったのです。
しかしながら、さまざまな問題を抱えて心を閉ざしている比紗也に対して、如月は献身的に尽くします。そこには下心などなく、ひたすら無私の愛情を比紗也に捧げます。そんな如月に対して比紗也は「心を硬くすることでようやく生きているのに、それが崩れそうになる」と困惑するのでした。そんな如月に対して、同じく比紗也のことを心配する真田は「あんた、神父じゃないですか。結婚も独立もできないでしょう」と、比紗也に中途半端に関わるなと抗議するのですが、最後は「人生を捧げるほど1つのことを信じているというのは尋常なことじゃない」と思い至って、諦めるのでした。この真田の思いは、わたしがカトリックの神父や修道女の方々に対して抱く思いでもあります。
その後、紆余曲折あって、比紗也とその息子である紡と一緒に暮らすことになった真田は、ふと修道院の銅像を思い起こします。生まれたばかりの赤ん坊イエスを、胸に手をあてて静かに見つめるマリアと、その傍らで跪いて祈るヨセフを思い起こすのでした。
マリアとイエスにはまだ血縁関係があるからいい。だけど夫の立場はどうなるのだ。正直、脇役扱いのヨセフは間抜けで気の毒だと思っていた。たとえ自分の子じゃなくても、目の前の赤ん坊と、赤ん坊を産んだ女を慈しむこと。
そんなヨセフの気持ちが初めて分かった気がした。
(『イノセント』集英社文庫版、P.319)
ネタバレにならにように気をつけて書きますが、比紗也にはある秘密がありました。それは夫の芳紀を東日本大震災で失っていることでした。彼女の夫は自宅に取り残された両親を救うために車で駆け付ける途中、津波にさらわれて行方不明になっていたのです。比紗也が夫を失ったのは東北の海でしたが、修道院で生活していた函館の海を眺めながら、彼女はあることに気づきます。
桟橋をゆっくりと進んで、手すりに触れた。真冬の海は、色もなく静かだった。時折、漁船が音もなく揺れた。
海はまだつらい。それは大事なものをなくしたからではなく、思い出があるからだ。芳紀とじゃれあったことも、被災した故郷へと向かう自分を真田が追いかけてきたことも、しょっちゅう夢に見る。
果てしない水平線を見つめながら、埋まらないのだと気付いた。
胸に空いた空白はこれから先も埋まらない。いなくなった者の代わりなんているわけがない。違う人間なのだから。
だから、埋まらないままでいいのだ。空いたままだって、生きられる。そうやって誰しも生きているのだと。(『イノセント』集英社文庫版、P.387)
拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で、わたしは「死は決して不幸な出来事ではありません。愛する人が亡くなったことにも意味があり、あなたが残されたことにも意味があります」「おだやかな悲しみを抱きつつも、亡くなられた人のぶんまで生きていくという気持ちになってくれることを信じています。それは、何よりも、あなたの亡くした愛する人がもっとも願っていることなのです」と書きましたが、これは比紗也のような多くの「愛する人を亡くした人」へ伝えたいメッセージです。
本書『イノセント』はもちろん恋愛小説の傑作ですが、それ以上にグリーフケア小説の名作であると思いました。すべての愛する人を亡した人に幸あれ!