No.1750 人生・仕事 | 人間学・ホスピタリティ | 帝王学・リーダーシップ 『安岡正篤活学一日一言』 安岡正泰監修(致知出版社)

2019.07.24

東京に来ています。吉本興業の問題などでパワハラについて考えていたら、「人の道」について学び直したくなりました。そこで、『安岡正篤活学一日一言』安岡正泰監修(致知出版社)を再読しました。一条真也の読書館『安岡正篤一日一言』で紹介した本の続編です。数多い著書から実子によって選び抜かれた言葉が集められています。「己を修め、人を治める」というサブタイトルがついています。

本書の帯

帯には「没後30年 なおその教えは輝きを放つ」と書かれています。
「まえがき」には、安岡正篤の子息である監修者の正泰氏が、「本を読むことについて、馬上・枕上・厠上という至言があります。私達はまことに多忙な毎日を送っておりますが、どんなに忙しい人でも寸陰はあるものです。通勤途上、寝る前、トイレの中で善い書物を読む。これが読書三上の意味ですが、たしかにこの短い時間の積み重ねが人生を豊かにするものではないかと思います」と述べています。
さらに、安岡正泰氏は「東洋哲学、思想に裏打ちされた父が説く不変なる人間学、人物学の原点は帰するところ我づくりであり、人づくりであると思います」と述べます。それでは、わたしの心に強い印象を残した「東洋哲学の巨人」の言葉を以下に紹介したいと思います。

◇自分の力
 人と生まれた以上、本当に自分を究尽し、修練すれば、何十億も人間がおろうが、人相はみな違っているように、他人にない性質と能力を必ず持っている。それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる。これを「運命学」「立命の学」という。これが東洋哲学の一番の生粋である。

◇教育の力
 明治維新の志士達が10代・20代ですでに立派な心がけや思想と風格を持ち、堂々と活躍をしたが、それも実はあえて異とする事ではないのである。それは彼等の幼少時代からの教育がそうあったので、学問修行が相待てば普通人に出来ることなのだ。

◇立志とは求道心
志がありさえすれば、貧乏も、多忙も、病弱も、鈍才も、決して問題ではないのであります。立志は、言い換えればわれわれの旺盛なる理想追求の求道心であります。この道心・道念を失うと、物質的な力、或は単なる生物的な力に支配される様になる。

◇歴史を学ぶ
「歴史は過去の例証からなる哲学である」という西洋の学者の名言がございますが、確かにその通りでありまして、現代のいろいろの出来事も、歴史を見ればちゃんと類型のことが書いてある。だから現代を知ろうと思えば、どうしても歴史を学ばなければならない。丁度裁判において過去の判例を参考にしなければならぬのと同じでありまして、人間界の出来事は先ず以て歴史の実例を参考にすることが一番大事なことであります。

◇人間の尊さ
人間の尊さは安らかな環境に安逸を貪ぼることではなくて(そんなことをすれば直ぐに堕落します)、各人の内に与えられておる無限の知性や徳性・神性を徹見し、開拓して、人格を崇高にし、人類文明を救済し発達させる努力にあるのであります。

◇事上錬磨
 身心の学を修める上で忘れてならないことは、事上錬磨ということであります。それはわれわれが絶えず日常生活の中でいろいろな問題について自分の経験と知恵をみがいてゆかねばならぬことです。己を修めないで人を支配しよう、人を指導しようと思っても、それは無理というものです。

◇真の社会
真の社会はあくまでも人間生活の天地でなければならぬ。人々各々人となり、人を知り、人を愛し、人を楽しむ社会でなければならぬ。

◇なくてはならぬ人
 賢は賢なりに、愚は愚なりに1つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。別に偉い人になる必要はないではないか。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて、世のため、人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない。

◇文明発達の原理
 儒教は、最も現実に即した倫理及び政治に関する教であり、人間の倫理を、根本的に君と臣・親と子・夫と婦・長と幼・朋友相互の五種の関係に分類し、この倫理を通じて道徳が実践せられる処に文明が発達する。

◇儒教と仏教
 儒教の言葉は冷厳だが、仏教の言葉は情味がある。
前者は仁義の学問。後者は慈悲の学問。

◇道を学ぶ
 やはり人間に大事なことは、真人間になるということです。真人間になるためには学ばなければいけない。人間の人間たる値打は、古今の歴史を通じて、幾多の聖賢が伝えてくれておる道を学ぶところにある、教を聞くところにある。これを措いて頼り得るものはない。イデオロギーも法律も、科学も技術も、長い目で見ると、何が何だかわかるものではない。

◇時順
 時順という言葉があるが、順は阿ることではなく導くの意がある。改革も時に順ずれば維新となり、時に順じなければ破壊となる。

◇人間観察の意義
 人間は造化が何千万年何億年かかって、勤労の結果、かくの如く真善美を解し、これを希う者として地上に生まれ出でたのである。これを思えば、我々は人間に対しておのずから敬虔に、かつ温裕なるべきが道である。我々は人間のあらゆる心境をこまやかに観察することによって、着実慎密に、しかしできるだけ雄大荘厳な理想を抱かねばならない。

◇教養
 人間、学ばぬと真実がわかりません。そういう人生の生きた問題を解決することのできる正しい学問を身につける、というのが教養というものであります。そしてそこからさらに進んで、人間というものの本質、それから生ずる根本義について、明確な概念あるいは信念を持つことが大事であります。

◇相棒
 物事を研究する秘訣は、相棒を見つけることだ。相棒は人間でも書物でもよい。自分が真剣になりさえすれば必ず見つかる。

◇愛読書
 本も愛読書は慣れてみると血が通うというか、心が通う。書物が本当に生き物のようになる。長く親しんだ愛読書というものは、これは実に楽しいもので、まさに親友と同じものになる。おもしろいもので、心から読む、心読すると書物が生きてくる。

◇人間の三原則
 われわれ人間には3つの原則があります。
第一は自己保存ということ。
身体の全機能・全器官が自己保存のために出来ておる。
第二は種族の維持・発展ということ。
腎臓にしても大脳にしても、あらゆる解剖学的全機能がそういう風に出来ている。
第三には無限の精神的・心理的向上。
人間は他の動物と違って、精神的に心霊的に無限に向上する。
所謂上達するように出来ている。

◇学問の本質
 人間生活があらゆる面で便利になるにつれて、思想だの学問だのというものも普及すればするほど通俗になります。しかし本当の学問は、自分の身体で厳しく体験し実践するものであります。この意味が本当に理解されて初めて活学になります。

◇義と礼
 義に走って礼を忘れると偏屈になる。義を忘れて礼に拘わると卑屈になる。

◇徳を好む
 食を欲し、色を好む様なことは、未だ人間の一般的な低い性能に過ぎない。徳を好むに至って始めて人に高き尊き大いなる生があるのである。我等世紀末の人間は性能の低きに走って、この徳を好むことが出来ない。才を愛し得ても徳を解しない。

◇人間の矛盾
 老いねば本物にならぬが、本物になる頃は最早人生の終点だ。この矛盾が人間の悲劇である。

◇すべては心に帰す
 政治的な問題も、社会的な問題も、つきつめれば心の問題に帰する。ということは識見や信念の問題になるということで、従って世の中が難しくなればなるほど、われわれは平生に於て心を練っておくことが大事であります。

◇人間の条件
 これがなければ人間は人間でない、というものが本質であって、結局それは徳性というものである。人が人を愛するとか、報いるとか、助けるとか、廉潔であるとか、勤勉であるとか、いうような徳があって初めて人間である。又その徳性というものがあって、初めて知能も技能も生きるのであります。

◇人類の義務
常に、いつまでも自から維新してゆくことが、冥々の間に定められた法であり、真理であります。われわれは単に古い物を読むというのではなく、古人の教にかんがみて日々過を改めてゆかなければならない。そうして新しい自分、新しい国家・民族、新しい世界を開いてゆく。これが今日のわれわれ人類に課せられた義務であります。

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