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No.1761 小説・詩歌 『熱帯』 森見登美彦著(文藝春秋)
2019.08.25
『熱帯』森見登美彦著(文藝春秋)を読みました。タイトルといい、「8月に読むなら、この本!」といった感じです。ウェブ文芸誌「マトグロッソ」に掲載された小説に書き下ろしで加筆し、ハードカバーで524ページもあります。著者の作品を読むのは、処女作の『太陽の塔』以来ですが、謎に満ちた物語で面白かったです。幻の本についての話で、本好きにはたまらない内容でした。あと、カバーのデザインも素敵ですが、カバーを外した装丁のセンスが良くて気に入りました。久々に「美しい本だな」と思いました。
カバーを外した装丁がオシャレ
著者は1979年奈良県生まれ。京都大学農学部卒、同大学院農学研究科修士課程修了。2003年「太陽の塔」で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で第20回山本周五郎賞受賞。10年『ペンギン・ハイウェイ』で第31回日本SF大賞受賞。
本書の帯
帯には「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」「幻の本をめぐる、大いなる追跡が始まった!」「謎を追い、謎に追われて、大航海!」と書かれています。また、カバー前そでには、「あらゆることが『熱帯』に関係している。この世界のすべてが伏線なんです」とあります。
本書の帯の裏
帯の裏には、「沈黙読書会で見かけた『熱帯』は、なんとも奇妙な本だった!謎の解明に勤しむ『学団』に、神出鬼没の古本屋台『暴夜(アラビヤ)書房』、鍵を握る飴色のカードボックスと、『部屋の中の部屋』……。東京の片隅で始まった冒険は京都を駆け抜け、満州の夜を潜り、数多の語り手の魂を乗り継いで、いざ謎の源流へ――!」「我ながら呆れるような怪作である――森見登美彦」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
第一章 沈黙読書会
第二章 学団の男
第三章 満月の魔女
第四章 不可視の群島
第五章 『熱帯』の誕生
「後記」
第一章「沈黙読書会」には、著者が学生時代を京都で過ごしたこと、北白川にあった四畳半アパートの一室は壁一面が本棚になっていて、著者は新刊書店や古書店をめぐって、コツコツと本を買い揃えていったことなどが紹介され、本好きには涙なくして読めないような以下の文章が書かれています。
「本棚というものは、自分が読んだ本、読んでいる本、近いうちに読む本、いつの日か読む本、いつの日か読めるようになることを信じたい本、いつの日か読めるようになるなら『我が人生に悔いなし』といえる本……そういった本の集合体であって、そこには過去と未来、夢と希望、ささやかな見栄が混じり合っている。そいう意味で、あの四畳半の真ん中に座っていると、自分の心の内部に座っているかのようだった」
わたしは、本棚について書かれた文章で、これほど心の琴線に触れるものを他に知りません。
わたしが愛読する『アラビアン・ナイト』
さて、本書『熱帯』には、やたらと『千一夜物語』が登場します。というよりも、『熱帯』という物語そのものが『千一夜物語』へのオマージュ的作品となっています。『千一夜物語』は『アラビアン・ナイト』とも呼ばれますが、わたしの少年時代の大の愛読書で、現在でも時折、福音館書店の古典童話シリーズ本を読んでいます。また、一条真也の映画館「アラジン」にも書いたように、わたしはイスラームの物語である『アラビアン・ナイト』をキリスト教国を含めた世界中の子どもたちが読むことは異文化理解、そして世界平和につながると考えています。
しかしながら、本書『熱帯』にはこうも書かれています。
「いわゆるアラビアン・ナイトとして人気のある『シンドバッド』『アラジン』『アリババ』は、いずれも本来は『千一夜物語』に含まれていない。それらは17世紀以降、『千夜一夜物語』が西洋に紹介されていく過程で紛れ込んでしまった物語なのである。『シンドバッド』はもともと別の写本であったし、『アラジン』と『アリババ』にいたっては、元になった写本さえ見つからず、『孤児の物語』と呼ばれている。現在我々が『千夜一夜物語』だと思っているものは、そういった出自のよく分からない物語を飲みこんで膨張してきたものなのだ――」
また、『千一夜物語』には原典のアラビア語から翻訳されたものや、バートン版という英語から重訳されたもの、あるいはマルドリュス版やガラン版とうフランス語から重訳されたものまで存在します。日本語に翻訳された『千一夜物語』だけでも多種多様で、さながら『千一夜物語』をめぐる迷宮あるいは小宇宙が形成されているかのようです。本書の第三章「満月の魔女」には、ある人物の実家を訪れた主人公が、その書棚に池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』、吉田健一『書架記』、谷崎潤一郎『蓼喰う虫』などがあるのを見つけますが、それらの本のページを開くと、いずれも『千一夜物語』が取り上げられており、当該箇所には傍線が引かれていました。さらには、スティーヴンソンの『新アラビア夜話』や稲垣足穂の『一千一秒物語』などの『千一夜物語』に触発されて書かれた作品も紹介されています。このあたりも、本好きにはたまりませんね。
『熱帯』に登場する本たち
わたしが福音館書店の古典童話シリーズの『アラビアン・ナイト』を愛読していると述べましたが、このシリーズにはデフォーの『ロビンソン・クルーソー』やスティーヴンソンの『宝島』やジュール・ベルヌの『海底二万海里』や『神秘の島』などの児童文学の名作も収められています。そして『熱帯』を読めば、これらの名作の雰囲気を感じることができるストーリーになっています。それらの書名や、シンドバッドやネモといった登場人物たちの名前もそのまま登場します。福音館書店の古典童話シリーズは我が家の子供部屋の書棚の一番目立つ場所に置いてあるので、長女や次女も読んでいるはずだと思います。その意味で、『熱帯』を読みながら、懐かしい思いがしました。
『熱帯』そのものは最後の最後で伏線を回収しているにしろ、500ページ以上というのは中弛みするというか、ちょっと長すぎる感は否めません。むしろ、ストーリーそのものよりも作品中に登場する佐山尚一という人物が書いたという『熱帯』という謎の本についての描写が興味深かったです。なにしろ、その本は読了する前に忽然と姿を消すために、未だかつて誰も最後まで読んだ人間がいないという奇書中の奇書なのです。最後まで読んだ人間がいない理由の推測もいくつか書かれていますが、これがまた面白い。
たとえば、「沈黙読書会」の中津川という青年は『熱帯』の書物には毒が仕掛けてあり、それを指を舐めながら読んだ人物は精神に異常をきたしてしまうという説を披露します。また、新城という青年はこう語ります。
「べつにそれは物質的な毒でなくともいいと思うんですよ。僕の専攻は言語学だけど、言語そのものというよりも、言語が人間に与える影響に興味があって、これまでに催眠や自己暗示についてもいろいろと調べてきた。それで思いついたんだ。『熱帯』にはいわば言語的な毒物が仕込まれていいたというのはそうだろう」
さらに、新城青年は次のように推理を語ります。
「たとえば我々が一冊の書物、小説にしても宗教書にしても思想書にしても、なんでも夢中で読むとき、その書物に書かれている言葉によって、我々はある種の『暗示』をかけられている。書物はあくまで言語的な構築物で現実そのものではないでしょう。しかしその暗示によって我々の世界観は変化してしまうわけです。もしここに極めて特殊な暗示を誘発するように組み立てられた文章があって、それを読んだ人間をコントロールできるとすれば……」
これは奇抜な仮説のように思えますが、考えてみれば、『聖書』や『コーラン』や『資本論』なども、言語による暗示で読者の精神をコントロールしているとも言えます。さらに新城青年は「僕らは『熱帯』を読んでいる間に佐山尚一のしかけた暗示にかかった。読んでいる途中で『熱帯』を紛失したのは、暗示にしたがって自分で処分したからなんです。そして自分の行為そのものを忘れてしまった。すべてはプログラムの結果なんです」と語るのですが、いやあ、面白いですねぇ。こんな書物があれば、わたしも読んでみたい!
昔の図書館にあったような木製の箱に入った蔵書カード、読書カードが魔法の小道具として使われているところにもシビレましたし、小学生時代の夏休みに麦茶を飲みながら夢中になって児童文学を読み耽ったときのような読書の歓びが甦ってくるような本でした。