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2019.09.04
『狂天慟地』鎌田東二著(土曜美術社出版販売)を読みました。著者から送られた本で、一条真也の読書館『常世の時軸』で紹介した著者の第一詩集、一条真也の読書館『夢通分娩』で紹介した第二詩集に続く第三詩集です。「神話詩三部作」が完結しましたが、「詩人」としてはしばらく「休火山」とし、溜まっている論文や本の執筆に注力されるそうです。しかし、あくまでも「休火山」であり、「死火山」ではありません。
本書の帯
本書の表紙カバーには、前作『夢通分娩』に続いて、教育哲学者・教育学博士(京都大学)の門前斐紀氏の素晴らしくシュールなイラストが使われています。帯には「みなさん 天気は死にました」「たとえ何が起こっても めげないでくれ いつしか 夜逃げするほどの重荷を 背負い切れない遺伝子に 残した負債は不渡り」「何が起こるか分からない たとえそうであっても ゆるがずに往け たおやかに遊べ」と書かれています。
本書の帯の裏
また帯の裏には、以下のように書かれています。
如是我聞
かくの如くわれ聞く
狂天慟地
天は狂い 地は慟く
如是我聞
かくの如くわれ聞く
押入れの花
ちりばめられた夜の蜜柑
とこしえに
渚から這い上がって
人間を脱いだ
着脱擬装マン
ブッダかと思って近づいて
慇懃無礼な亀の甲羅を踏んづけた
スッタニパータ
やぶれかぶれのあみだくじ
(「如是我聞」より)
本書の「目次」は、以下のようになっています。
Ⅰ 狂天
1 みなさん天気は死にました
2 狂天慟地
3 狂
4 熊野小栗判官
5 狂え さだひこさるたひこ
6 あしはらなかくに1
7 あしはらなかくに2
8 みそら
9 いと
10 戸口
Ⅱ 驚天動心
1 かっちょはん
2 噴火
3 デルフォイの夢
4 富士の雷 富士の夢
5 震え
6 ぼくを吹いて!
7 ありがとう さよなら
Ⅲ 慟地
1 預言者
2 オルフェウス1
3 オルフェウス2
4 オルフェウス3
5 友
6 天地動乱
7 歎きの城
8 天地興亡
9 明暗
10 みなさん天気は死にました2
11 蟻・花・人
12 ノア
13 最終の言葉
14 如是我聞
15 メコン
先月末、わたしは著者と一条真也の読書館『グリーフケアの時代』で紹介した共著を上梓しました。また、著者とは「ムーンサルトレター」という満月の往復書簡を14年以上もWEB上で交わしています。その著者からのレターによれば、著者は一昨年から、「いよいよ詩集をまとめねば」という気持ちになっていたとか。今から半世紀前、著者が10代後半から20代前半までの数年間、著者は「現代詩手帖」や「ユリイカ」を愛読していたとか。そこに掲載される現代詩人の作品もすべて読んでいたそうですが、20代後半に『水神傳説』という神話小説のような作品をまとめた頃からパッタリと「現代詩手帖」や「ユリイカ」を読まなくなり、次第に学問の方に集中し始めたといいます。
しかし、学問に集中している間も、折に触れて、著者は詩・短歌・俳句は作っていたそうです。時々は歌う歌も作っていました。それが1988年12月12日からは「神道ソングライター」として特化したわけですが、その前兆・伏線は10代後半からあったようです。10代後半には詩を書くとともに、作詞作曲して歌も歌い始めていたのです。ですから、1998年12月にある日突然、歌い始めたというわけではなく、むしろ、何十年かのブランクの後、間歇泉のようにまた噴き上げただけなのかもしれません。
学問のみならず、音楽活動に詩作と、著者のマルチな活躍ぶりには目を見張るものがあります。著者は自身の詩のことを「神話詩」と呼んでいますが、本当に古代の神々の世界とつながっているような、また宇宙のかなたに通じているような、不思議な味わいの詩の数々は「神話詩」と呼ぶにふさわしいと思います。本書『狂天慟地』には、「愛隣星雲」とか、「天地交差点」「龍巻御前」「誤界」といった、謎めいていて洒落た造語が次から次に飛び出してきます。前作の2冊にも増して、言葉のリズムが冴えており、詩人としてパワーアップした感あり。ありおりはべりいまそかり!
まずは、Ⅰ「狂天」の1「みなさん天気は死にました」が、あまりにも素晴らしいので、以下に全文を紹介したいと思います。
みなさん天気は死にました
「みなさん 天気は死にました」
と 高校三年生の田村君は 言った
その田村君は 生きているか?
五十年も昔のこと
荒れ狂う天地万物
林檎よ
縁は異なもの味なもの
そのとおりだが
でもね
死んだ天気も 縁次第
そのようになって そのようにある
あるべくして ある
なるべくして なる
世界はそのようにうごいている
縁はそのようにはたらいている
1ミリ1センチたりとて恣意的ではない
成るべくして成る
在るべくして在る
ありおりはべりいまそかり
青森カルシウムはどこ行った?
臼田甚五郎は飛びのいた
大森から青森まで
その飛躍こそが猿楽芸能
天狗舞
マイトレーヤ
そは如是我聞
聴くべき耳を研いた
研磨研耳
いかつこなく
いかしまぐはひのごと
弘前に
花折れて立つ
やつかみみ
はしぬれど
ねもないど
落穂拾いの姉御を拾った
弘前にて
津軽三味線の
音律たかあま
ぐひのみこと
だがされど
されど木島
みやこじま
いつまで封せど
ねこばばの
影落ち延びて
地に臥せり
やつがれは
しとど
ぬれて
大河の一滴まで
のみほした
ぬれおちど
ぷちそいど
れおなるど
はれおから
ひとしずく
はれ ほれ
みれ おれ
行き場なし
溜り場なし
咲き場なし
馬場愛なし
そうだとしても
すべてをいれて
すべてをすてて
本日早々
みなさん 天気は 死にました。
わたしは九州に住んでいますが、ここ数年、九州を襲う豪雨のニュースには必ず「記録的な大雨」とか「観測史上初」などの形容詞がつきます。まさに異常気象を超えた「狂天」といった印象ですが、「みなさん 天気は死にました」という神の啓示にも似た言葉に今から50年も前に接していたとは驚きです。また、この「みなさん 天気は死にました」という詩を冒頭に置く本書が、一条真也の新ハートフル・ブログ「天気の子」で紹介した大ヒットアニメの上映中に刊行されたというのも奇妙な縁であると思います。
「天気の子」は、新海誠監督が一条真也の新ハートフル・ブログ「君の名は。」で紹介した作品以来およそ3年ぶりに発表したアニメーションです。天候のバランスが次第に崩れていく、まさに「天気が死につつある」現代を舞台に、自らの生き方を選択する少年と少女を映し出します。ヒロインの陽菜は天気をコントロールする不思議な能力の持ち主でした。「天気の子」と本書『狂天慟地』のメッセージには共通する部分が多いように思います。
そのことを著者に申し上げたところ、著者は、わたしへのメールで「『天気の子』とのシンクロニシティは、わたしも感じますが、それだけ自然界の異変メッセージ(狂天警告)が強いということだと思います。この天然自然の中でしか、『人間尊重』は成り立ちませんので。『自然感謝』が根底であり、先にあって、謙虚な人間尊重が成り立つと考えます。人間中心主義の、『人間の、人間による、人間のための人間尊重』であってはならないと思うのです。『自然への畏怖畏敬と感謝に基づく人間尊重』でなければ」と述べています。これは、長年にわたる著者の主張でもあります。著者によれば、本書の根幹メッセージは、自然畏怖と感謝であり、人間の驕りや傲慢への戒め(自戒)であるとのことですが、本書のⅢ「慟地」の10「みなさん天気は死にました 2」も「天気の死」をテーマにしていますが、内容は以下の通りです。
みなさん天気は死にました 2
みなさん天気は死にました
こころの準備はいいですか?
からだの準備もできてます?
たましいの準備はいかがです?
みなさん天気は死にました
死んだとはいえ天気はあります
狂天慟地の天気ではありますが
前人未到把握不能のお天気ですが
みなさん天気は死にました
どうして天気は死んだのか?
だれもほんとうの答えはわかりません
でもだれもがうすうすわかっています
みなさん天気は死にました
曇りのち晴れとか晴れのち雨とか
天気予報官も上がったり
天気に振り回されることもなく
みなさん天気は死にました
むかしむかしそのむかし
秦の始皇帝の時代に天気予報官が現われて
皇帝様に天の気を伝えました
よしよしおまえは愛い奴じゃ
天気の一つも飼ってみろ
俺の意思を天に伝えて天命としろ
そこから天気への脅迫が始まりました
みなさん天気は死にました
秦の始皇帝ばかりではありません
あらゆる時代のあらゆる為政者は
天気のこころを気にはしながら天気を憎みました
思い通りにならないもの すごろくの駒 賀茂川の水 僧兵
いや一番思い通りにならないものは 天気のこころでございます
みなさん天気は死にました
天気のこころをだれもがわからず
天気のこころにだれもが通ぜず
天気はしだいにくるって孤独死してしまったのでありました
みなさん天気は死にました
誰にも何処にもまんべんに
いろいろ気配り天配り
配りすぎて疲れ果て
どうするすべもないままに
みなさん天気は死にました
みなさん天気は死にました
葬儀を行なう人はいませんか?
どんな葬式必要ですか?
いのりいのりいのりです
みなさん天気は死にました
みなさん天気は死にました
ナポレオンもヒトラーも侵略できなかったもの
それが天気だったのに
どうしたことか
あろうことか
みなさん天気は死にました
悲しみに満ちた追悼メッセージ
不安にあふれた警告メッセージ
怖ろしいばかりの脅迫メッセージ
そのどれもがどうすることもできない不可能性のトーン
みなさん天気は死にました
天気予報がなつかしい
ああ天気よ天気帰って来ておくれ
みなさん天気は死にました
曇りも晴れも雨も雪も台風もない
みなさん天気は死にました
ぼくらもともに死にましょう
ぼくらもすべなく死にましょか
みなさん天気は死にました
でも 死んでも終わりではありません
死んで花実が咲くものか
と言いますが
死んで花実も咲きまする
みなさん天気は死にました
でも 死んだあとはよみがえるだけ
あとは野となり山と成る
みなさん天気は生まれます
みなさん天気は阿礼まする
みなさん天気に生まれませ
『葬式は必要!』(双葉新書)
ここに出てくる「みなさん天気は死にました 葬儀を行なう人はいませんか? どんな葬式必要ですか? いのりいのりいのりです みなさん天気は死にました」という言葉には、驚きました。わたしには、その名も『葬式は必要!』(双葉新書)という著書がありますが、「どんな葬式必要ですか? いのりいのりいのりです」という著者の言葉には、まったく同感です。葬式はどんなに質素であっても、どんなスタイルであっても構いません。何よりも大切なのは死者への「祈り」です。いくら高価な祭壇が飾られ、立派な宗教者が立ち会おうとも、そこに参列者の「祈り」がなければ、何の意味もありません。まさに、「いのりの葬式は必要!」なのであります。
それから、天気と葬式はじつは深い関係があるのです。「工」という漢字がそれを表現しているのですが、「工」の上の「一」は天のことで、下の「一」は地のことです。それらを繋ぐタテの「Ⅰ」は人のワザであり、ARTを意味します。「雲」という漢字と「霊」という漢字は似ていますが、もともと語源は同じであったと考えられます。そして、天の「雲」を地に降ろす営みが雨乞いであり、地の「霊」を天に上げる営みが葬儀なのです。ちなみに、儒教の発生には雨乞いが深く関わっています。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。
『唯葬論』(サンガ文庫)
儒教の開祖である孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。なぜなら、雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げることだからです。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じなのです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。ですから、拙著『唯葬論』(サンガ文庫)でも強調したように、葬儀は人類にとっての最重要行為なのです。ちなみに、同書の解説は鎌田東二氏が書いて下さっています。
『儀式論』(弘文堂)
わたしは『唯葬論』に続いて、『儀式論』(弘文堂)を書きました。同書では、「人間が人間であるために儀式はある!」と訴え、儀式が人類存続のための文化装置であることを説きました。そのあたりは鎌田氏も共鳴して下さっていると思うのですが、本書『狂天慟地』には、スリリングな儀式がたくさん登場します。ここでは3つ紹介したいと思います。
1つめの儀式は、Ⅱ「驚天動心」の3「デルフォイの夢」に登場します。ここには、この上なく神秘的な儀式が描写されています。1982年8月、著者はデルフォイの神殿に立ちました。著者は地形を見回し、アポロン神殿の脇からパルナッソスの山に登った。山頂で誰もいないのを確認して素裸になりました。小学5年の時、『古事記』を読み、続けざまにすぐギリシャ神話を読んで以来、ギリシャに憧れていました。そしていつしかギリシャに行ったら、その輝くばかりの陽光の下で真裸になってその光を一身に受けたいと思い続けてきました。31歳の夏、その子供の頃からの願望を達成したのです。
そのときのことを、著者は以下のように書いています。
「素っ裸で祝詞を奏上し、龍笛を奏でた。その時、ダダンダダンと空が鳴った。ダイナマイトでも仕掛けて山を爆破しているかのような。おそらく観光客相手のリゾートホテルを建てるために山を切り崩しているのだろう。そう思うとむしょうにかなしくなった。たった一人の儀式を終えて、宿の近くのタベルナに入って遅い昼食を摂ろうとした。途端、これまで経験したことのないスコールが襲ってきた。篠突く雨というか、爆弾のような連射砲のような雨雨雨。その時、強烈な閃光が走り、しばらくして物凄い音響がダダンダダンと空が鳴り響いた。それはカミナリだった。身震いするほどそそけだった」
続けて、著者は以下のように書いています。
「その夜、夢を見た。泉の前に立っていた。泉から金色の湯煙が立ち上ってくる。そこに近づき、飛び込んでいきたい気持ちがあるのだが、恐れ多いような神々しいような畏怖の念を感じて佇んでいた。その時、金の泉の中から声が聞こえてきた『美しいものを美しいものとして見るのではなく、醜いものを醜いものとして見るのでもなく、ただありのままに見つめよ』そして、予言の言葉が続いた。私は何処から来て何処へ行くのか。その道筋を示す言葉を得て私は慄然とし、ありのままに見つめることを座右の銘とするほかなかった。行き先は不明でもその流れに乗るほかなかった」
2つめの儀式は、Ⅱ「驚天動心」の4「富士の雷 富士の虹」に出てきます。1987年3月20日、著者が36歳になる誕生日の夜、七面山に登り始めました。著者は、40日近くも一睡もすることができず、気が狂いそうになっていたそうです。その間、自分を制御することも律することもできず、ただ眠れぬ夜、身を横たえたまま朝を待ち、朝日を拝しつづけました。そして、春分の日、富士山から昇ってくる朝日を拝したいという一念のみで混沌の身を支えました。
人生最大の危機、狂天慟心のわが身を持て余し、どうすることのできない著者は、春分の朝を迎えました。そのときのことを以下のように書いています。
「七面山山頂付近に建つ日蓮宗の山岳寺院敬慎院で少し休息した後、外に出て御来光を待った。未だ漆黒の闇の中に富士のシルエットが奥床しくも雄渾にうち沈んでいる。徐々に東の空が明るんできて、富士の山頂に赤みが差してきた。おそらく日蓮宗か立正佼成会の人たちだろう。法華経如来寿量品を団体で読誦する声が聴こえ、私の上げる大祓祝詞も掻き消された。だが陶酔的な混声合唱の集団祈祷のひと時。ゆっくりと一条の光が差し込み、富士の真っ芯から朝日が顔を覗かせた。銭湯の書き割りの如きいかにもという笑いたくなるようなそして有難い光景。熱くなるものが込み上げたが、それも集団沸騰の中で溶け入った」
続けて、著者は以下のように書いています。
「御来光を拝した後、七面山の山頂に登った。他には誰も山頂まで登る人はいなかった。ずぶりと膝まで入るほど深い残雪があった。深雪に足を取られ、汗びっしょりになりながら小一時間ほど必死で雪道を辿った。周りの風景を見る余裕もなく、足元ばかりに気を取られ、漸く山頂に至り、顔を上げて目の前を見た。いきなり正面にドーンと富士が聳え、右手上空に朝日が輝いていた。雲一つない快晴。その富士と朝日を取囲むかのように大円周の虹が掛かっているのが見えた」
そして、著者は以下のように書くのでした。
「嘘だろ! そんなの。ありかよ、こんなの。まったく予期しない光景に、瞬間、気が抜けた。そのとき、怒涛の如く涙があふれた。たすかった、これでぼくはいきられる。瞬時にそんな想いが押し寄せて、有難さの滂沱の涙となった。山頂でリュックから取り出した龍笛で「産霊(むすび)」という曲を吹いた。その日その時から、ほんのわずかずつ眠れるようになった。はち切れそうになった風船頭に小さな穴が開いて、風が通るようになったのだ。ぼくは天然自然に生存を許された。こうして、ふたたび明日を考えることができるようになった」
3つめの儀式は、Ⅱ「驚天動心」の6「ぼくを吹いて!」に登場します。1995年8月15日、終戦から50年を迎えた日に、アイルランドアラン群島の中の一番小さな島イニシュア島から広島に祈りをささげた儀式のエピソードが以下のように描かれています。
「広島に原爆が落ちた時間に海岸に出て、難破船が打ち上げられたままになっている波打ち際で、東南の方に向かって祈りを捧げた。大祓詞、祈り言、龍笛、法螺貝、日本から持参した石笛を吹き鳴らし、広島での友人たちの儀式にシンクロしたであろうという想いを抱いてその日の宿のB&Bに帰ろうと海岸線を歩いていたら、突然、『ぼくを吹いて!』と呼びかける声があった。思わず『ハイッ!』とその声の方角を見ると、海岸線の波打ち際に転がっていた石が目に飛び込んできて穴の開いているのが見えた。拾い上げてみると三つ巴のケルト文様にも似た三つの穴が開いていた。すぐさま左下の一番大きな穴にくちびるを当てて息を吹き込んだ。ピーッという空間を切り裂く高音が響き渡った。生まれてきたばかりの始祖鳥が上げるようなこの世のものとは思えぬ純音。その日以来、毎朝イニシュア島の石を吹き続けている。『ぼくを吹いて!』という声にさしつらぬかれたまま」
著者の詩を読んでいると、まさに儀式と詩作は通底しているとことがわかりますが、詩人とはシャーマンであると思えてなりません。Ⅲ「慟地」の4「オルフェウス 3」には2人の人物による詩人の定義が紹介されています。1人は預言者トマス・インモース神父で、「詩人の存在意義というのは、太古からの人間の普遍的な体験を言葉で表現するところにある。詩人は彼個人の哀しみや歓びを、それが人間的普遍性をもつような形に凝固させなければならない。詩人の魂には、その民族、その宗教、いえ、全人類の集合的記憶が蓄えられている」というものです。もう1人は屋久島に住む山尾三省で、「詩人というのは、世界への、あるいは世界そのものの希望(ヴィジョン)を見出すことを宿命とする、人間の別名である」というものです。
まさに、本書の著者である鎌田東二氏こそは「詩人」の名にふさわしいと言えますが、じつは本書を読んだとき、わたしは非常に神秘的な体験をしました。ここしばらく悩みの種になっていたことがあったのですが、その悩みについての明確な回答が著者の詩の中に書かれていたのです。驚いたわたしが、著者に「この言葉はどういう意味ですか?」とメールで質問したところ、「『詩語』のイメージと解釈は読み手のものです。書き手とも言えるわたしは、蠢いて訪れてくる言葉の依り代であり媒介者にすぎませんので、考えて書いているわけではありません。ですので、説明は不可能です。よろしくお願いします」との返信が届きました。なるほど。しかし、わたしにとっては、まさに神秘的な体験であり、「詩とは凄いものだ」と心底思いました。
ここに「神話詩三部作」が完結!
Ⅰ「狂天」の7「あしはらなかくに 2」には、「中山みきは中島みゆきと同じこと 心の汚れを歌い取る」という言葉が出てきます。天理教の開祖とニューミュージックの女王を並べる著者の卓越したセンスに膝を叩きながらも、著者の詩集もまた「お筆先」なのだと悟りました。Ⅱ「驚天慟地」の1「かっちょはん」に登場する全裸で畑の大根を引き抜き、精神病院で亡くなった女性の姿がありありと目に浮かんできて泣けてきました。詩作によって彼女の供養になったと思います。それにしても、ものすごい三部作が完成したものです。わたしは、とんでもない人と14年以上も文通している事実に改めて驚きました。最後に、休火山が再び活火山となって、詩人・鎌田東二が復活し、その詩魂が噴火する日を心待ちにしています。