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No.1769 人生・仕事 | 人間学・ホスピタリティ 『丸山敏雄一日一話』 丸山敏雄著(PHP研究所)
2019.09.20
『丸山敏雄一日一話』社団法人倫理研究所監修(PHP研究所)を再読しました。サブタイトルは「幸せになるための366話」です。カバー表紙には、「ひとはみな成功し、幸福になるようにできている」という言葉があります。一条真也の読書館『一粒の麦 丸山敏雄の世界』でも紹介した1892年生まれの丸山敏雄は、宗教家から社会教育者になった人です。
カバー前そでには、「純粋倫理とは」として、以下のように書かれています。
「純粋倫理は日本の精神文化や歴史、宗教などの研究を土台にして発見された《人間生活の法則=すじみち》です。実生活とひと時も離れることのない生活のルールといえます。人間を幸福に導き、平和で豊かな社会を築く《くらしみち》であり、旧道徳を超える生きた生活法則です。それは日常生活のあらゆる場面において、誰でもが実験実証できます。《明朗》=ほがらか、《愛和》=なかよく、《喜働》=よろこんではたらく、これが実践の指標であり、《純情》=すなおな心になることが純粋倫理の核心です」
アマゾンには、以下の内容紹介があります。
「世の中が豊かになってきたにもかかわらず、悲惨な事件が絶えない。こうした世相の背景には、いまの日本人が道徳や倫理といった心の規範を失ったことがあるのではないか。およそ半世紀前、この国の行く末を案じ、日本人の心の拠り所を取り戻そうと立ち上がった男がいた。
丸山敏雄氏その人である。
氏は日本の伝統文化を注意深く研究する中で、ひとつの生活倫理(人間生活の法則=すじみち)を確立した。それは人間を幸福に導き、平和で真に豊かな社会を築くための基本として、純粋倫理と名づけられた。純粋倫理は、旧い道徳を超える生きた生活法則であり、丸山敏雄が実生活で実験、検証した事実に基づいている。『朝早く起きる』『挨拶をする』『ハイと返事をする』といったシンプルな習慣の中にこそ、実は幸せになる秘訣があると氏は言う。本書はこうした氏の実践哲学を一日一話形式でまとめたもの。ぜひ毎日の実生活の中で生かしたい一書である」
本書の「まえがき」では、一般社団法人 倫理研究所の理事長である丸山敏秋氏が、倫理観なき現代社会を憂いつつ、以下のように述べています。
「モラル・ハザード(道徳の荒廃)の原因を一つの要素に帰することはできないだろう。そこには、昭和の時代にまで遡る多くの遠因があったと思うのである。昭和の大戦に敗れ、日本がそれまでの伝統文化から切り離されてしまった現実を看過することはできない。誤解を恐れずに言えば、このことが戦後日本人の心を弱く貧しくしてしまった」
この丸山敏秋氏こそは、丸山敏雄翁のお孫さんです。それでは、わたしの心に残った本書の名言を以下にご紹介します。
◇今日は最良の一日
今日はまたとめぐって来ない。
昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。
今日の外に人生はない。人の一生は、今日の連続である。
昨日を悔い、明日を憂える人がある。
これは、今日の影法師にびくついている人。
今日一日、これは光明に輝き、希望にみちみちた、またなき良き日である。
今日しなければ、何時その日が廻って来よう。
今日をとりにがす人は、一生をとりにがす人である。
◇ただ一度の人生
人生はただ一度である、やり直しがきかない。
その一度を、いかに小さくこじんまりと破綻なく送ろうとするか、いかに大きく万世に響く偉大なる生き方をしようとするか、まことに自由である。いかほど大きい望みを抱いていても、だれ一人遠慮することはない。
◇あいさつは誠の先手
「あいさつは誠の先手」と申します。
すべて「後手はまけ」、と相場が定まっております。
◇人はわが鏡
今日までは、相手の人を直そうとした。鏡に向って、顔の墨をけすに、ガラスをふこうとしていたので、一こうにおちぬ。自分の顔をぬぐえばよい。人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変ればよい。
◇人生の主役
人生は演劇である。劇作家、監督、演出、それは、ただ一人でかねていて、到らぬくまもなく、及ばぬ時処もない。この演劇は、悠久の古から永遠の未来にまで踊りつづけている、大規模の幕切なしの劇である。全地上が舞台であり、濃籃の海と、緑の岡と、コバルトの空と、背景の美しさ。花あり、紅葉あり、鳥鳴き、魚躍る。その大演劇の主役は、己自身である。
◇和は万物存在の原理
和は、芸術倫理の根底であり、万物存在の原理である。
和とは、一切物がその姿にあること、その位置にあること。そして、それぞれの場を得てその全にある時、多ければいよいよ多くて美しく、少なければ少なくてますます美しい。部分は部分で美しく、全体は全体でいよいよ美しい。それは、常にそのバックと和し、境と合してすきが無い。乱れがないからである。和して初めて自由であり、和したときが真実である。
◇芸術の意義
山の中に入り込むと、山は見えません。泳いでいては、海の偉大さはわかりません。ほんとうに生活そのものの意義――実は自分そのもの――を見きわめるためには、自分の生活・仕事から全く離れて、見る――客観する――ことが必要になってまいります。すなわち、全く何も無い所、空なる所――空所――が必要になってまいります。その空所が、芸術境であります。生花、茶の湯、謡曲、芸道、または花造り、山登り、釣り、散歩などといったものが、すべてこうした意味をもつものだと思います。
◇窮すれば通ず
事業の上でも経済の上でも、その他奇禍にあった場合でも、恐れ、憂え、怒り、急ぎ等々の私情雑念をさっぱりと捨てて、運を天に任せる明朗闊達な心境に達した時、必ず危難をのがれることが出来る。見事に窮地を脱することは、古人の体験であり、「窮すれば通ず」とは、このことをいうのである。
◇商売繁盛の8ヵ条
(1)気がついたら、すぐすること。
(2)人を好ききらいせず、物をすききらいせぬ
(3)金払いをよくすること。
(4)天候気候について不平不満をもたぬこと。
(5)時勢の変動に、すばしこく対処せねばならぬが、ビクビクせぬこと。
(6)人を信じ、己を信じること。
(7)早くはじめて、早く終わること。
(8)思いきって断行する。
◇わが命の根元
わが命の根元は、両親である。
親を尊敬し、大切にし、日夜孝養をつくすのは、親がえらいからではない、強いからではない。世の中にただ一人の私の親であるからである。私の命の根元であり、むしろ私自身の命である親だからである。ほんとうに、父を敬し、母を愛する、純情の子でなければ、世に残るような大業をなし遂げる事はできない。いや世の常のことでも、親を大切にせぬような子は、何一つ満足にはできない。
◇生きているとは
命は、目に見えぬ世界で、宇宙の本体と通じている。早い話が、人間一人ひとりは、電灯のようなものと思えないだろうか。ポツリと一つ光っているように見えるが、その実、電線で発電所と連絡されている。というより、ラジオと放送局のように、宇宙の本体と目に見えぬ世界で通じているのではないか。通じているということは、生きていること、「いき」(往)「き」(来)していること。親の体を通して生まれて来た我らの体は、その根元の大生命(宇宙の本元)と、一刻の休みもなく交通している。これが生きている姿である。
◇幸福の原動力
働くには、こつがある。それは、喜んで働くこと。進んで、尻がるに、腰がるに、かるがると働くこと。こうした働きが、真の働きである。
この働き、この喜び、これが人生幸福の原動力であって、こうした人は必ず恵まれる、健康に、経済に、一家の愛和に。
働きは、人の幸福の一切を産み出す動力であり、限りない喜びを生み出す源である。この働きは、出せば出すほど、いよいよ量を増し、質を高め、能率をあげてくる。
◇希望に満ちた人生
耳あるものは聞け、目ある者は見よ。偉大なる舞台を、天然のバックを、日月星の照明を、花鳥の彩色を、風浪の奏楽を、その主役の妙技を、助演者の活芸を……。何という神の演劇、いったいだれが希望がないというか。人生ことごとく輝く希望でみちあふれている。
◇月を見る心
十六夜、立待ち、居待ちと、半月もよく、弦月のよい。糸のような月が高杉の秀にかかった風情は、言葉にあらわされない。
しかし、月はその一面を常に地球に向け、太陽光線を受けて常にその反面が光って明るいので、地球上から見たところが、欠けたり満ちたりするだけで、本物の月には何の変化もない。欠けも、満ちも、まして憂いも、悲しみも、よろこびも。ただ月見る人の心が、千々に波うち、異なるだけである。
◇金銭を得る人
ほんとうに身につく金銭を得る人は、無欲の人である。大事業家は、無欲の人である。事業は欲心で左右されるようなものではない。ただせずにおられず、仕事そのものがすでに無上の喜び、無限の恵みであって、歓喜にみちて働く、そこに事業はおのずから成功し、金銭は自然に集まるのである。二宮尊徳先生が、弟子に示したたらいの水の例話のように、欲心を起して水を自分の方にかきよせると、向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが方にかえる。金銭も、物質も、人の幸福も亦同じことである。
◇奇跡とは
人が真心をうちこめて進んで喜んで全力を傾けた時、ことに純情の人が高い目的のために心を一つにして命がけの働きを集めた時、思いもよらぬケタはずれの見事な結果が現われる。これを、人間は「奇跡」という。
◇幸福の正道
人間、幸福のただ一つの正道は、家庭の人々を喜ばせ、職場の人々を喜ばせ、社会を喜ばせ、すべての物を喜ばせる生活である。そしてこれが、最も楽しい、また行きづまりのない無限の幸福な生活である。
◇人のねうち
真に貴きは肉体ではない。
肉体をしてかくあらしめる心である、生命である。
哲人ソクラテスは弊衣跣足、ちまたに彷徨して道を説くこと20年。山上に河岸に、風のごとくさまよい、福音を罪人に伝えたキリスト。雪山にまた菩提樹下に、端坐禅定のシャカ。いずれも暖衣飽食、金殿に住み、綾羅をまとったとも思われぬ。人のすべては、かかってその生命にある。
◇青年諸君
志のあるところに、道が開ける。希望のあるところに、光がさす。
心に太陽をかかげよ。希望は心の太陽である。