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2019.10.28
『幸せになる法則』丸山敏雄著(PHP研究所)を再読しました。一条真也の読書館『一粒の麦 丸山敏雄の世界』、『丸山敏雄一日一話』でも紹介した丸山敏雄は、宗教家から社会教育者になった人物です。
アマゾンの「著者略歴」には、こう書かれています。
「明治25年、福岡県生まれ。広島高等師範学校を卒業し、師範学校などの教諭として奉職。その後、37歳で広島文理科大学に入学。日本の精神文化・歴史を研究するとともに、書道・和歌などでも研鑚を積む。その後、宗教や道徳などの研究を土台に自らの実践体験を積み上げ、『人間生活の法則=すじみち』を研究し、戦前の道徳を超える生きた生活法則を発見。これを『純粋倫理』と名づけ、その体系化に心血を注ぐ。昭和20年に倫理運動を興し、『新世文化研究所』(後の倫理研究所)を創立。自ら普及活動の陣頭に立ち、教育や講演に情熱を注ぐ。昭和26年12月14日逝去」
また、アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「日本人が共通して願うのは『商売繁盛』『家内安全』『無病息災』であるという。すなわち誰もが経済的に豊かで、心安らぐ家庭に暮らし、健康で長生きすることを求めているということだ。しかし、これがなかなか思った通りに行かない。丸山敏雄は、誰もがこうした幸福な人生を送るにはどうしたらよいのかを探求し、たどりついたのが理にかなった正しい生活(倫理生活)であった。たとえば朝早く起きる、呼ばれたら『ハイ』と返事をする。こんなささいなことであっても、続けるうちに徐々に周囲が変わり、自分も大きく変わってくる。そして物事がうまく回転するようになってくる。こうした原理はすべて丸山自身が実践し、検証した事実に基づいている。正しく生きること。これこそが幸福への王道なのだ。本書は、丸山敏雄が到達した原則のエッセンスを短い文章でコンパクトにまとめてある。迷ったとき、悩んだとき、人生の羅針盤となってくれる一冊である」
本書の「目次」は以下のような構成になっています。
「まえがき」
人生の主役として
日々を大切に生きる
はたらきは幸福の原動力
志を立てる
家族を愛する
生命の本質
心を鍛える
美は心の糧
「出典一覧」
「丸山敏雄略歴」
「まえがき」では、丸山敏雄の孫で、倫理研究所理事長の丸山敏秋氏が以下のように述べています。
「すでに半世紀前、日本人が魂のふるさとを失いつつあることを憂えた丸山敏雄は、我々の生活の拠り所となる規範を提唱した。それは日本の伝統精神に土台をおきながらも、丸山敏雄自身が日々実践・実証することによって発見した人間生活の法則=すじみちであった。正しい生き方をすれば、誰もが幸福になれる。このシンプルな哲理こそ、丸山敏雄が真に訴えたかったことであり、同時に現代人の頭からすっぽりと抜け落ちていることである」
「人生の主役として」の章では、冒頭に「万人幸福の道」として以下のように書かれています。
「何時、何処で、誰が行なっても、常に正しい、皆幸福になれる『万人幸福の道』をつづめてみると、
明朗 ほがらか
愛和 なかよく
喜働 よろこんではたらく
ことの3つであり、今一歩おし進めてみますと、
純情 すなお
の1つになります。ふんわりとやわらかで、何のこだわりも不足もなく、澄みきった張りきった心、これを持ちつづけることであります」
「日々を大切に生きる」の章では、「食事は『和』の精神の現れ」として、以下のように述べられています。
「和は、障壁を撤して同じ心になって、他とともに喜ぶというところに、和の真実があるのです。たとえば、火鉢をかこむというように、日本でもどこでも、皆が食卓をかこんで食べる、というのがその実践であります。つまり一緒に食べるということが、『和』の精神を現わすのであります。今でも、会食をすることによって、和をはかって仕事をやろうということをしますが、これも和の倫理の活用であります」
また、著者は「祭り」について、こう述べています。
「祭りというのは、神と人と、ともに食事をすることで、これは神と人との和の形式なのであります。一ツ鍋をつつくとか、一ツ釜の飯を食うということは、このように意味が深いのであります」
「一切は統一の中にある」として、著者は「縁」について以下のように述べています。
「空中には何もないようだが、親子・夫婦・兄弟・交友・その他の間には無形の紐帯にむすび合わされて社会がつくられている。これを『えにし』(縁)と言う。これはすべての物質障碍を透過して、互いに相作用しあう」
「はたらきは幸福の原動力」の章の冒頭では、「はたらきは幸福の原動力」として、著者は以下のように述べています。
「人の価値は、その人の働きによって定まる。
働きが人生である。
働きは生命であり、宇宙は働きである。
真の働きにのみ、最高無限の美しさと喜びとがともなう」
意外なことに、著者はお金にも言及しています。
「おかねは天の『めぐみ』」として、こう述べます。
「おかねは、喜んで働く者に、物の代わりとしてめぐまれる、社会の『あたえ』で、天の『めぐみ』であります。その心で感謝し、喜んで使う時、ほんとうに生きてはたらくのであります」
「家族を愛する」の章では、「孝は子が人となる方途」として、以下のように述べています。
「孝行というは、子が親につくすことによって、親の純情にふれるのである、知るのである。そして子そのものが、ものになる、人になる。故に、孝は、親のためにするのではない。己自身の純情に生まれ変わる至上のみちたるにある。いわゆる神の愛は、親の愛を高め深めたものに外ならぬ。故に『孝は百行の本』というのは、孝は、人が人となる方途であり、やがて神に至る門である」
「生命の意味」の章では、「死は最高次の生」として、著者は以下のように述べています。
「死というは、生存中、呼吸の主体として、人間の肉体にまで出張して来ていた霊魂が、故郷にかえるのである。死が荘厳にして、入り日を仰ぐごとく目出たくゆかしいのは、本体にかえるからである。死が悲しいのは、永の別れであるからではない。初めて会った時が、一種何とも言えない、不可思議の心情になるように、この世での別れとなると――これっきりとなると――神秘な高い感情に打たれて、ただ頭が下がるのである」
そして、この章の最後で、著者は「死は、最高次の生であり、永遠のかがやきである」と述べるのでした。
「心を鍛える」の章では、「芸術は心のふるさと」として、「芸術の境地こそ、実は私どもの心のふるさとなのです、心の本体なのです、親もとなのです、生れ故郷なのです。その心の故郷、美の世界――芸術境――は、みな共通なので、1つなのです。そして、そこに多少は往ったりきたりしているのです」と述べられています。