No.1811 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『男 山根 「無冠の帝王」半生記』 山根明著(双葉社)

2019.12.20

『男 山根 「無冠の帝王」半生記』山根明著(双葉社)を読みました。著者は1939年10月12日、大阪府生まれ。日本アマチュアボクシング連盟前会長。同連盟理事、国際ボクシング協会(AIBA)常務理事として活躍した後、2011年に日本ボクシング連盟会長に就任。2018年7月、『日本ボクシングを再興する会』からの告発を受け、8月会長職を辞任。以後、その特異なキャラクターでテレビ界でも活躍中。

本書の帯

本書のカバー表紙にはボルサリーノにサングラス姿でファイティンぐポーズを取る著者の写真が使われ、帯には「密入国、在日、ヤクザ交際、奈良判定、告発状・・・・・・『これが真実や!!!』」「『ただの面白いオヤジじゃないね。生きるアウトレイジだよ!』ビートたけし推薦!」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏には、以下のように書かれています。
「天皇陛下、力道山、山口組・田岡三代目との出会い」「終戦直後の動乱の中、無国籍者になった青年は偶然の出会いからボクシングの世界へ――。荒くれ者が跋扈するアマチュアボクシング界を統率し、さらには世界のボクシング界 でも、その名を轟かせる。銃撃、喧嘩、数々の修羅場をくぐり、日本ボクシング連盟終身会長にまで上りつめるが……。告発状および世間の疑惑に、男・山根が『受けて立つ!』」「激動の戦後史を体現する”歴史の男”」

カバー前そでには、以下のように書かれています。
「なぜあの騒動は起きたのか。私はどこで生まれ、どんな人生を歩んできたのか。日本の裏社会のドンから、韓国大財閥の会長、AIBAやIOCの大物、さらには天皇陛下まで……その世界のトップたちに、なぜ私が目をかけてもらうことができたのか。これから赤裸々にお話しするつもりだ」

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 告発
第2章 密航
第3章 墜落
第4章 耽溺
第5章 栄華
「あとがき」

本書を読むと、著者の数奇な人生に驚かされます。
在日韓国人であった著者は大阪市に生まれながらも、母や兄弟とともに父の故郷である韓国に渡ります。戦争が終わっても一向に連絡のない父に会うために日本への密航を試みるも、何度も捕らわれ、大村収容所に入れられて韓国に強制送還されるという壮絶な経験をしています。ついに大村収容所を訪れた父と涙の再会を果たしますが、父には新しい妻がいました。

著者の父は祖父母が興した米屋を引き継ぎながら、20代前半にして、憲兵隊の秘密情報員を務めていました。本書には写真も掲載されていますが、かなりのハンサムです。勝新太郎をはじめ、映画俳優たちとも親交があったようです。終戦直後、憲兵隊から任務を解かれた上、米穀類が配給の対象で米屋の商いができなくなってしまい、行方をくらましていたのです。それは、アメリカ占領軍による憲兵隊の戦犯追及、それから‟戦勝国民”になった韓国人による親日派への報復から逃れるためでした。

そんな父に新しい女性ができていたので、著者はショックを受けます。第3章「墜落」では、「再び成り上がった父」として、著者は以下のように述べています。
「私が堺に戻った時、義母は父の会社で経理責任者を務めていた。義母は、『当たり前田のクラッカー』で有名な前田製菓のミス・ランチクラッカーだったか、戦後初めて国際観光文化都市に指定された別府温泉でミス別府だかに選ばれたそうで、確かに、きれいな人だった」

続けて、著者は以下のように述べています。
「随分と後の話になるが、極真空手の創設者であり、『ゴッドハンド』で知られる大山倍達氏について書かれた本を読んだことがある。それによれば、大山氏は父とほぼ同年代の在日一世で、日本に帰化したものの、韓国籍は持ったままで、日韓両国に妻と子供がいたそうだ。あの世代の在日には、日韓に国籍と家族があるということは、さほど珍しかった話ではない。今となってはふざけた話かもしれないが、それが栄達の証として通用した時代だったのかもしれない」

日本に戻ってきた著者でしたが、戸籍はありませんでした。もちろん、学歴もありません。「無国籍、無学歴」として、著者は以下のように述べています。
「今、日本には当時の私のような無戸籍の人間が1万2000人もいるという。このような人々の中には無学歴の人も少なくないだろう。また現在、無学歴や低学歴のために、苦労している人も多数いるはずだ。私は自分の無学歴を、このような形で公表することを正直、ためらった。やはり、恥ずかしいという気持ちがある。しかし、この本を手に取ってくれた人が、『こんな山根でも、あそこまで頑張ることができたのか』『学歴がすべてではない』と、少しでも勇気を持ってくれたらと思い、正直に書くことにした。実際、学歴は大事だ。ただし、それ以上に大事なのは、自分でやると決めたことをやり遂げること。そうすれば、必ず道は開ける」

著者は騒動の最中、マスコミやSNSで「山根会長はボクシングをやったことがない」などと言われたようですが、興和ボクシングジム所属のプロボクサーとして5戦4勝1敗の成績を残しています。著者のデビュー戦は、昭和31年(1956年)8月3日に大阪府立体育館(現・エディオンアリーナ大阪)で開かれた「東洋ボクシング連盟(OBF)バンタム級タイトルマッチ」レオ・エスピノサ対大滝三郎の前座でした。セコンドは著者の父でしたが、このとき会場にはプロレスの王者・力道山が訪れていました。

「力道山に見守られたデビュー戦」として、著者は当時の思い出を述べています。
「リングに上がる直前、ふとリングサイドを見ると、なんと力道山が観客として座っているではないか。リーゼントスタイルの髪型で腕を組んで座る力道山の体躯は他を圧倒していた。初めて間近で見た力道山は、これまで自宅を訪れた俳優たちとも違う、ただただ‟大きい”としか例えられない存在感があった。リングに上がった私はリングコールされると、そのまま力道山の近くに駆け寄り、リング上から声をかけてしまった。『力道山さん! ファンです。握手して下さい』まさか、観客として来ていた力道山は、リング上から握手を求められるとは思ってもみなかったのだろう。『お前、試合だろ。行け行け、分かった。はよ行け』力道山は連れと思われる観客たちと、手を振りかざして笑っていた。力道山に声をかけたことで、何やら緊張の糸が切れたようだ。父は『貴様、戻れ!』と怒鳴っている。リングサイドに戻ると、『試合なのに何してんだ』とビンタされてしまった」
結局、著者は父にタオルを投げられて3RTKO負けを喫しますが、憧れの力道山から、1Rの終了後に「ようやった、頑張れ!」と声援を送られて嬉しかったそうです。なんだか、いい話ですね。

力道山のみならず、多くの人々との出会いがあった著者の人生でしたが、最大の出来事は天皇陛下(現在の上皇陛下)との出会いだったそうです。第5章「栄華」では、「天皇陛下とロンドン五輪」として、以下のように述べています。
「私が生きてきた中で最も感動したのは、天皇陛下にお目にかかった時だ。普通は、生きている間に陛下とお会いすること自体、そうないだろう。両陛下の行幸啓の際、日の丸の小旗を振るだけでも一生の思い出になるものだが、私はなんと2度も陛下にお目にかかっている。そのうち1度は、陛下に私の人生を申し上げるという、考えれられもしない栄光に預かった」

最初は平成24年(2012年)10月15日、天皇・皇后両陛下はロンドン五輪の入賞者を招いて皇居・宮殿で茶会を開きました。このときのボクシング競技で、村田諒太選手がミドル級で金メダルを、清水聡選手がバンタム級で銅メダルを取得。ボクシング連盟の会長である著者は彼らに同行して皇居を訪れ、陛下にお会いしたそうです。このときは緊張のあまり、ろくに口もきけなかったとか。

2度目は、平成25年(2013年)10月7日、東京都日野市で開かれた第68回国民体育大会においてでした。天皇・皇后両陛下は30分にわたり高校生のボクシング競技を観戦され、著者が天皇陛下に試合の模様をご進講したのです。著者は以下のように述べています。
「陛下をお見送りし、緊張でクタクタになった私は控室で休んでいた。そこに、あわただしく人が入ってきた。両陛下のご観戦について調整していた宮内庁の人だった。『山根会長、陛下が20分だけ、個人的にお話をしたいとおっしゃっています!』天皇陛下が個人的に会いにいらっしゃる。さっぱり事情が飲み込めなかった。『私も30年お仕えして初めてのことです。前例がありません』それからが大変だった。SPがドタバタと入ってきて、部屋の点検を始めた。私は、『絶対に質問してはいけません』とクギを刺され、改めて会場入り口で両陛下をお出迎えした」

人生最高の時間について、著者はこう述べています。
「両陛下と私、それに影のようなSPだけとなった控室で、天皇陛下は私の生い立ちについてご質問された。日本で生まれたが、終戦で韓国に渡り、その後、日本に密入国してきたこと。3回も収容所に入れられながらも帰化をして、日本連盟のために尽くしていること。陛下から質問されるたびに、私はひたすら答えた。宮内庁の職員が2度、『陛下、お時間です』と声をかけていた。『陛下! 陛下は僕にとっての神様です!』私は最後に、そうお伝えした。陛下は私の目を見ながら、にっこりと微笑まれた。陛下をお見送りして時計を見たら、27分経っていた。秒刻みでスケジュールが組まれる天皇陛下を、7分も‟独占”してしまっていたのだ」

最後に「裸の王様」として、著者はこう述べるのでした。
「世界の舞台に出たことで、私は悲しいかな、スポーツとは、ただ強いだけでは勝てないのだという現実を目の当たりにあした。それは、私が戦後生き抜いてきた、どの時期の生活とも似ていて、とにかく人間力と政治力が物を言う世界なのだと知った。しかし、それは選手には関係のないことであってほしい。その思いで、必死に矢面に立ってきたつもりだった。そこには、なんのたくらみもない。私の『真実』は、それ以上でもそれ以下でもないのだ」

例のボクシング連盟の騒動のとき、テレビに登場する著者は、けっして好感度の高い人ではありませんでした。それどころか、なにかわけのわからないことを言って煙に巻くうさん臭い親父といった印象でした。連盟の他の役員たちから批判を浴びて、著者は全国区の悪役になりました。でも、わたしは渦中のときから「なんか、この人、憎めないなあ」と思っていました。ボルサリーノにサングラス姿も「似合っているじゃん」と思いましたし、「そんなワルには見えないな」とも感じました。くだんの「おもてなしリスト」とやらも馬鹿馬鹿しいだけでしたし、とにかく著者には好印象を持っていたのです。本物の悪党なら、天皇陛下が「個人的に話をしたい」などとは絶対におっしゃらないでしょう。

一条真也の読書館『ストーナー』で紹介した名著を読んでから、わたしは「あらゆる人の人生には豊かな物語がある」と思っています。まさに、本書の著者の人生には波瀾万丈の物語がありました。そして「ヒズ・ストーリー」は「ヒストリー」となります。「人生」は「歴史」の一部となるのです。本書は著者の自伝であると同時に、日本の戦後の裏面史でもあります。この国で、在日の人々がどのような苦難を抱えながら、この国を支えてきたのか。それを知らなければならない。不遜ではありますが、上皇陛下もきっと、そのようにお考えになられたのではないでしょうか。

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