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No.1817 プロレス・格闘技・武道 『完全版 証言UWF1984-1996』 前田日明+髙田延彦+山崎一夫+船木誠勝+鈴木みのるほか著(宝島SUGOI文庫)
2019.12.28
『完全版 証言UWF1984-1996』前田日明+髙田延彦+山崎一夫+船木誠勝+鈴木みのるほか著(宝島SUGOI文庫)を読みました。これまで、一条真也の読書館『証言UWF 最後の真実』、『証言UWF最終章 3派分裂後の真実』、『証言UWF完全崩壊の真実』で紹介した本を再編集し、新原稿を加えて文庫化したものです。
本書の帯
カバー表紙には、IWGPヘビー級のチャンピオンベルトを腰に巻いたUWFインターナショナル時代の髙田延彦の写真が使われ、帯には旧UWF時代の前田日明と佐山聡が向き合った写真とともに、「特別収録 髙田延彦×武藤敬司の初対談!」「プロレスか、格闘技か――『幻想』と『伝説』の全真相!」「証言者29人収録! 750頁超!」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下の通りです。
「激突!! 新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」から24年後の‟10・9”に初めて実現――
特別対談 髙田延彦×武藤敬司
第1章 第一次UWF「原点」の真実
前田日明
「メシが食えるのなら、間違いなく佐山さんの言う通りにやった」
髙田延彦
「Uインターの後期は、すべてを手放し、一人になりたかった」
更級四郎×杉山頴男×ターザン山本
3人の〝黒幕〟が語る「UWFと『週刊プロレス』」全内幕
藤原喜明
組長が語る「天才・佐山聡」の功罪と「メガネスーパー」
山崎一夫
「前田さんの”暴言”をフロント陣はこっそり録音していた」
新間 寿
「猪木、タイガー、ホーガン」招聘計画はどこで狂ったのか
上井文彦
「『海外UWF』と書かれた水色の給料袋を忘れたことがない」
中野巽耀
「前田さんは力任せ。スパーリングで一番だったのは髙田延彦」
宮戸優光
「前田さんと若手の分断を画策していた神社長が許せなかった」
安生洋二
「前田さんが宮戸さんを『新弟子』と呼び続けたことがすべて」
第2章 新生UWF「分裂」の真実
船木誠勝①
「『なんでやっちゃわないんだ』?と言われたが、できなかった」
鈴木みのる
「前田さんとの確執はあったが存続させるためにウソをついた」
田村潔司①
「選手全員が神社長から興行の売り上げデータを見せられている」
垣原賢人
「道場の練習をそのまま出してはいけないのか」?という葛藤
川﨑浩市
「前田さんには伝えず、神社長は自分の給料を上げ続けていた」
尾﨑允実①
「”解散宣言”直後に前田は涙声で『俺、どうしたらええんやろ』」
第3章 U系3団体「確執」の真実
船木誠勝②
リングス、Uインターとの差別化のためだった”真剣勝負”
田村潔司②
クビ覚悟だった髙田への「真剣勝負してください」発言
金原弘光①
“真剣勝負”を絶対に許さなかったUインター
山本喧一①
リングスに要求した移籍の条件は〝田村との真剣勝負〟
安生洋二×髙阪 剛
「誰も止めないから」起こった安生の前田殴打事件
山本宜久
髙田に言われた「お前の目つきは前田日明ソックリやな! 」
石井和義
「リングスに怒ったのは佐竹だけが真剣勝負だったから」
尾﨑允実②
「団体間のもめ事の最中は、スタンガンを携帯していました」
第4章 UWF「消滅」の真実
船木誠勝③
「掌底ルールを捨てたことで、完全にUは終わりました」
金原弘光②
「髙田道場に誘われなかったのは、正直ショックだった」
山本喧一②
「Uインターで〝神様〟だった髙田さんは孤独だった」
鈴木 健
「田村の『真剣勝負してください』発言で髙田さんは人間不信に」
坂田 亘
“シュート”と”ワーク”を超えた恐るべき戦場だったリングス
ミノワマン
ヒクソン戦を狙い続けた男の〝プロレス愛〟
山田 学
「パンクラスを罵倒する前田日明が許せなかった」
高橋義生
「UFCで負けたらナイアガラの滝に飛び込むつもりだった」
UWF全史 完全年表
本書の内容の大部分は、一条真也の読書館『証言UWF 最後の真実』、『証言UWF最終章 3派分裂後の真実』、『証言UWF完全崩壊の真実』において、すでに掲載されたものです。本書の最大の特徴は、なんといっても髙田延彦と武藤敬司の初対談です。1995年10月9日に行われた「激突!! 新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」は、東京ドームに6万7000人(超満員札止め=主催者発表)という当時の観客動員の新記録を樹立しました。実券の枚数では、現在でも日本プロレス史上最高とされています。その大反響を巻き起こした大会のメインイベントが、髙田vs武藤の頂上決戦でした。この試合で、髙田は、ドラゴンスクリューあらの足4の字固めという古典的なプロレス技で敗れ、‟U””は死んだとされました。その歴史的な一戦から、ちょうど24年後の「10・9」に2人は初めて対談したのです。
「世間の目と闘っていた猪木」として、取材者の堀江ガンツが「髙田さんたちがUWF的な思想に走ったのは、当時の世間のプロレスに対するイメージに反発して、レスラーとしてのプライドを持つために、強さを求めたという部分はありましたか?」と質問します。それに対して、髙田は「そうね。昔はプロレスに対してグチグチ言うヤツがいっぱいいたから。当時、会場でプロレスをバカにした野次を飛ばすお客がいると、猪木さんが先頭に立って怒り出すんだよね。お金を払ってチケットを買って観に来てるのに、『アイツをつまみ出せ!』って先輩に指示されるわけよ。そして俺自身、プロレスをそういうふうに言われるのがすごく嫌で、そこは猪木さんと同じ想いを共有していたのかもしれない」と語ります。それを聞いた武藤は「世間の目と闘ってたんですね」と言うのでした。
「当時はプロレスがゴールデンタイムで放送されて、メジャーであるがゆえにそういうふうに言われる機会もすごく多かったという」と堀江が言うと、以下の会話が続きます。
武藤 猪木さんはそういうところでも闘ってたかもしれないね。
髙田 だから異種格闘技戦とかをやったんじゃないかな。
武藤 だから俺は最終的に髙田さんの思想ってPRIDEみたいなところにあって、プロレスがそっちに進化していったのかなと思ってるんですけど。
髙田 本来、両方があったの。俺が中学1~2年生の時、猪木さんが異種格闘技戦をやってたでしょ。あれは猪木さんが、「絶対に世間に認めさせてやる」という姿勢から生まれたものだと思うよ。そうかと思えばタイガー・ジェット・シンと、血を流してよだれを垂らしながら誰にも真似ができないすげぇプロレスをしていたじゃん。俺はその両方が好きだったんだけど、あそこまで両方できる選手はいないよね。
武藤 両方を究めるって大変ですよね。
髙田 大変なことよ。だから俺は両方は無理だな、こっち一本だなってことで、UWFになったのかもしれない。
24年前の頂上決戦に関しては、「Uインターの社長として対抗戦をやらざるをえなかった」として、以下の会話が展開されます。
髙田 終わったあと、ファンから「4の字かよ」って、さんざんボロクソに言われてね。
――あそこで足4の字固めという古典的なプロレス技で、Uの大将に勝ったというのは武藤さんのセンスですよね。
武藤 あれはアメリカにいた頃、リック・フレアーがうらやましかったんだよ。こっちはヒザ痛めながらムーンサルトやならきゃ客が納得しないのに、フレアーは4の字で満足させてたからね。
髙田 だから自分にとっては苦い思い出ではあるんだけど、東京ドームの観客動員記録を2人でつくれたっていうのは、いい思い出というか、財産になったよね。
ところで、船木誠勝選手のYouTubeを見ていたら、船木選手が新日本vsUインターではなく、新日本vs新生UWFの全面対抗戦の想定カードを披露していました。それがあまりにも興味深く、かつ魅力的なので、以下に紹介いたします。こういう夢を堂々と語ってくれるところが、船木選手の素敵なところですね。
蝶野正洋 vs 宮戸優光
天山広吉&小島聡 vs 中野巽耀&安生洋二
佐々木健介 vs 鈴木みのる
獣神サンダー・ライガー vs 船木誠勝
橋本真也 vs 山崎一夫
藤波辰爾 vs 藤原喜明
武藤敬司 vs 髙田延彦
長州 力 vs 前田日明
さらに、2人は「PRIDE」について語り合います。
武藤 たぶん髙田さんが参戦してかなったら、PRIDEもあそこまで大きくならなかったかもしれないですよね。
――それまでバーリ・トゥードはマイナーなイメージでしたからね。それが髙田延彦というメジャーブランドが、最強のヒクソンとやったことで注目されて。10・9のあと、髙田さんはPRIDEという道をつくり、武藤さんは現在の新日本に繋がるプロレスをつくりましたよね。いまのプロレス界って、”武藤プロレス”じゃないですか。
髙田 ホントだよ。大きな財産を残してるよ。
武藤 そんなこといったら、いまの格闘技って髙田さんが生み出したものでもありますよ。
そして、2人は再び「10・9」について語ります。
「あそこまで刺激的な試合はその後ない」として、「では、あらためて24年前を振り返ってみて、いかがでしたか?」という取材者に対して、髙田は「真面目な話になっちょうけど、こうして24年が過ぎても多くのファンの記憶に深く残る試合ができたっていうのは、プロ冥利に尽きますよ。だから武藤敬司という素晴らしいプロレスラーと出会えてよかったな、というのが率直な気持ちかな」と答え、武藤は「それは自分も同じで、あれから24年たってこうやって話ができたことはうれしいですよ。髙田さんもいまでこそ人生に余裕があって、デーンと構えてらっしゃるけど、10・9のあの試合の時は、心の葛藤や複雑な思いを背負ってリングに上がったと思うんですよね。だけど24年という時がそれを忘れさせてくれるというか。髙田さんの分もひっくるめて、俺ももう少しプロレス界で頑張っていこうと思いますよ」と語るのでした。
わたしは、この2人の言葉を聞いて、とても爽やかな気分になりました。24年目の10・9は、わたしも東京ドームに行きました。そして異様なまでの臨場感の中で、Uの死を目撃しました。試合後にセコンドの選手に肩を担がれて退場する髙田の背中から「前田が泣いているぞ!」という容赦のない罵声が浴びせられたのをよく記憶しています。思えば、旧UWFでの佐山と前田の確執、新生UWFの後味の悪い解散劇、3派分裂後のトラブル連発など、ドロドロした印象の強いUWFの歴史が髙田と武藤の爽やかな初対談によって浄化されたような気さえします。
UWFの象徴は髙田ではなく前田ですが、絶縁状態になっている前田と髙田の対談がいつの日か実現するといいですね。本書の対談でも武藤が「前田さん」と言っているのに、髙田は絶対に「前田さん」とは言いませんでした。以前、長州力とのトークショーで前田の「長州蹴撃事件」が話題となったときも、髙田は「Mさん」と言っていました。願わくば、髙田がもっと大人になって、前田との初対談が実現しますように。その際の司会者は、両者ともに親しい水道橋博士がいいと思います。