No.1837 読書論・読書術 『本を読めなくなった人のための読書論』 若松英輔著(亜紀書房)

2020.03.01

『本を読めなくなった人のための読書論』若松英輔著(亜紀書房)を読みました。わたしは多くの読書論を読んできましたが、類書にないユニークな内容でした。著者は1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家、東京工業大学リベラルアーツ教育研究院教授。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞受賞。著書多数。グリーフケアに関連する著書も多く、わたしもこれまで一条真也の読書館『魂にふれる』『霊性の哲学』『悲しみの秘儀』で紹介した本などを読んできました。じつは、3月21日に予定されていた上智大学の死生学公開講座で著者と初めてお会いするはずだったのですが、コロナ騒動のためにWEB配信のみになってしまいました。まことに残念です。

本書の帯

本書の帯には著者の近影とともに、「本は、ぜんぶ 読まなくていい たくさん読まなくていい」「NHK『100分de名著』常連講師が多読・速読を超えて、人生の言葉と『たしかに』出会う読書を提案する」

本書の帯の裏

帯の裏には、こう書かれています。
●読めないときは、読まなくてもよい
●「正しい」読み方など存在しない
●「書く」ことから始める「読書」
●本は、最初から読まなくてもよい
●言葉の肌感覚を取り戻す
●ゆっくり読む
●情を開く     (もくじより)

カバー前そでには、こう書かれています。
「本が読めなくなったのは、内なる自分からのサイン。だから、読めないときは、無理をして読まなくていい。読めない本にも意味があるから、積読でもいい。知識を増やすためではなく、人生を深いところで導き、励ます言葉と出会うためにする読書。その方法を、あなたと一緒に考える」

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに――読書という不思議な出来事」
第1章 待つ読書
1 読書は対話
2 読めないときは、読まなくてもよい
3 「正しい」読み方など存在しない
4 ひとりの時間
5 「書く」ことから始める「読書」
6 本は、全部読まなくてよい
7 本は、最初から読まなくてもよい
●第1章を実践するための10のポイント
第2章 言葉と出会う
1 図書館へ行く
2 素朴な本に出会う
3 言葉とコトバ――もう1つのことばを読む
4 見えない文字を読む
5 書店へ行く
6 言葉のジュース――引用のちから
7 自分の「読み」を深める
●第2章を実践するためのポイント
第3章 本と出会う
1 素朴な言葉
2 「読む」という旅
3 言葉の肌感覚を取り戻す
4 言葉と生きる
5 ゆっくり読む
6 情(こころ)を開く
7 感覚を開く
●第3章を実践するための12のポイント
「おわりに――読めない本に出会う」
「あとがきに代えて――無意識の読書」

「はじめに――読書という不思議な出来事」で、著者は、「人生にはさまざまな『気づき』があります。誰かと話し合うなかでしか感じられないこともありますが、ひとりのときにしか気がつけないこともあるとして、「対話は大切です。誰かと話すことは独りよがりな考えを改めてくれます。しかし、それとは別に『ひとり』になってみないと分からないこともあります。奇妙に聞こえるかもしれませんが、読書は、『ひとり』であることと、対話が同時に実現している、とても不思議な出来事なのです」と述べます。

また、「読む」とは、「ひとり」であるところに始まる、言葉を通じて行う無音の対話であるとして、著者は「私たちは本から聞こえてくる『声』を受け入れる準備をしなくてはなりません。ある人は、とても大切なことを小さな声で語るかもしれません。何も言わないで、沈黙のなかから何かを感じ取ってほしい、そう言うかもしれないのです」と述べています。

第1章「待つ読書」の4「ひとりの時間」では、「本を読めないとき、無理に読もうとしてもなかなかうまくいきません。そんなときは書くことから始めるとよいかもしれません。そうやって、ひとたび離れた読書との関係を取り戻していった人を私は、何人も知っています。『読む』ことと『書く』ことは呼吸のような関係です。読めなくなっているのは、吐き出したい思いが、胸いっぱいたまっているからかもしれません」
これは、書き手であるわたしにも、思い当たるところがあります。

では、書きたいことがある場合、どのように書けばいいのか。
5「『書く』ことから始める『読書』」で、多くの著書を生み出してきた著者は、読者に対して、「うまく書く必要はありません。長く書く必要もないのです。作品を生み出す必要もありません。ただ、自分のおもいをそのままに書くのです。50文字でも100文字でもかまいません」とアドバイスします。

また、著者は、「三日間――三日坊主でかまいません――自分が感じていることを、なるべくそのまま文章にしてみてください。もし、何も書けないときは、『書けない』『何も書くことが見つからない』『こんなことを書いて、ほんとうに本が読めるようになるのだろうか』などでもよいのです。しばらくすると、考えもしなかったことを書き始めるはずです」と述べています。

6「本は全部読まなくていい」では、「言葉」について以下のように考察しています。
「『言の葉』という文字が暗示しているように『言葉』のはたらきは、植物とほんとうによく似ています。食べ物が私たちの身体の糧であるように、言葉は私たちの心の糧です。ほんのわずかな薬が崩していた体調を整えることがあるように、小さな言葉が、私たちの心に火を灯すこともあります。しかし、食べ物と言葉がいちばん異なる点は、食べ物には『賞味期限』があるのに対し、言葉にはまったくといってよいほどないことです。食べ残しがよくないのは、捨てるほかないからです。しかし、言葉は違います。言葉は朽ちることがないのです」
この「言葉」と「食べ物」を比較した点は秀逸であると思いました。

第2章「言葉と出会う」の3「言葉とコトバ――もう1つのことばを読む」では、17世紀のフランスの哲学者デカルトが、「この世界は、コトバで書かれた大きな書物」だと考えていたことが紹介されます。生きるとは、さまざまなコトバによって世界の秘密を読み解くことにほかならないというわけです。そして、「読書とは、印刷された文字の奥に、意味の光を感じてみようとすることなのです。読書とは、自分以外の人の書いた言葉を扉にして、未知なる自分に出会うことなのです」と、著者は述べています。

第3章「本と出会う」の2「『読む』という旅」では、出会うべき言葉は人によって異なることが指摘されますが、著者の場合、それは「かなしみ」という言葉でした。悲しみや哀しみとだけ書くのではなく、「愛しみ」や「美しみ」と書いても「かなしみ」と読むことを知ったときだったそうですが、「『かなしむ』とは、愛する者を失ったときに経験する感情であるだけでなく、愛の再発見であり、また、『かなしみ』のときは、美しくすらあることを、『かなしみ』の文字の歴史が教えてくれたのです。この1つの言葉に出会ったことで、私は、文字通りの意味で救われたのだと思います」と述べています。

これを読んで、わたしは「愛しみ」や「美しみ」も「かなしみ」と読むことを初めて知りました。「かなしみ」とは喪失の悲嘆だけでなく、愛の再発見や美しさにも通じているとは、驚くべき発見です。これはグリーフケアという営みが人間の魂の深い部分に触れる行為であり、「愛」や「美」、ひいては「幸福」にも通じているのだと思います。この「かなしみ」についてのくだりを読んだだけでも、大きな収穫でした。やはり、読書は恵みです。そのことを本書から学びました。

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