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2020.05.21
わたしの最新刊『心ゆたかな社会』(現代書林)の見本が出来ました。サブタイトルは「『ハートフル・ソサエティ』とは何か」で、記念すべき100冊目の「一条本」です。
『心ゆたかな社会』(現代書林)
本書の帯
カバー表紙には日光に輝く雲海が描かれ、帯には「コロナからココロへ」と大書され、「新型コロナが終息した社会は、人と人が温もりを感じる世界。ホスピタリティ、マインドフルネス、セレモニー、グリーフケア……次なる社会のキーワードは、すべて『心ゆたかな社会』へとつながっている。ポスト・パンデミック社会の処方箋――ハートフル・ソサエティの正体がわかった!」「著者の本(一条本)100冊になりました!!」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には、以下のように書かれています。
「これからの社会は、人間の心に向かっている、いわば『心の社会』である。『心の社会』はさらに『心ゆたかな社会』としてのハートフル・ソサエティを目的とすべきである。ハートフル・ソサエティとは、あらゆる人々が幸福になろうとし、思いやり、感謝、感動、癒し、そして共感といったものが何よりも価値を持つ社会と定義したい。残念ながら現代日本は、心を失った『ハートレス・ソサエティ』になっているように思える。『まえがき』より」と書かれています。また、カバー前そでには、「いま、『心の社会』は『ハートレス』に進んでいる気がしてならない。『ハートフル』に進路変更し、『心ゆたかな社会』を実現する必要がある」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の通りです。
まえがき「ネクスト・ソサエティをさぐる」
ハートレス・ソサエティの衝撃
超人化のテクノロジー
脳から生まれる心
相互扶助というコンセプト
ホスピタリティが世界を動かす
メディアとしての花鳥風月
デザインされる生老病死
哲学・芸術・宗教の時代
共感から心の共同体へ
あとがき「ハートフル・ソサエティに向かって」
「無縁社会」といわれて久しいです。度重なる自然災害で「絆」は語られますが、「縁」はほとんど触れられることがありません。「家族」は語られますが、「血縁」は疎まれます。「ボランティア」は称賛されますが、「地縁」は足かせのように語られることが多いです。葬式はしない、結婚式はあげないどころか結婚もしない。ひきこもり、独居老人、老々介護、さらには孤独死、子殺し、親殺しなど、「絆」はどこへいったと言いたくなるのは、わたしだけでしょうか。
わたしは冠婚葬祭業を営みながら、「縁」がなくなる、あるいは薄れていく現代日本を日々見てきました。「無縁」が進めば、社会さえなくなっていく――日本人はそのことに気が付かなければなりません。無縁社会を終わらせなければ、日本に未来はないとさえ思います。処方箋があるとすれば、「絆」「家族」「助け合い」を称賛できる、日本人がまだ失っていない「心」にこそあると感じています。これからの社会は、人間の心に向かっている。いわば「心の社会」です。
人類はこれまでに、農業化、工業化、情報化という三度の大きな社会変革を経験してきました。それらの変革はそれぞれ、農業革命、産業革命、情報革命と呼ばれます。第三の情報革命とは、情報処理と情報通信の分野での科学技術の飛躍が引き金となったもので、変革のスピードはインターネットの登場によってさらに加速する一方です。わたしたちの直接の祖先をクロマニョン人など後期石器時代に狩猟中心の生活をしていた人類とすれば、狩猟採集社会は数万年という単位で農業社会に移行したことになります。そして、農業社会は数千年という単位で工業社会に転換し、さらに工業社会は数百年という単位で20世紀の中頃に情報社会へ転進したわけです。
それぞれの社会革命ごとに持続する期間が1桁ずつ短縮しているわけで、すでに数十年を経過した情報社会が第四の社会革命を迎えようとしていると考えることは、きわめて自然だと言えるでしょう。わたしは、その第四の社会とは、人間の心というものが最大の価値を持つ「心の社会」であると考え、そのことを2005年に上梓した『ハートフル・ソサエティ』で述べました。2016年1月、内閣府は「Society 5.0」というものを発表しました。第5期科学技術基本計画のなかに盛り込まれた科学技術政策のひとつで、Society 5.0 とは、未来を見据えた戦略です。
過去の社会(Society)は以下の通りです。
Society 1.0:狩猟社会
Society 2.0:農耕社会
Society 3.0:工業社会
Society 4.0:情報社会
Society 5.0 は「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」と位置付けている。人間中心の社会(Society)が新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されたのである。このSociety 5.0 は、情報社会の次なる社会というわけで、わたしの唱える「心の社会」に明らかに通じています。
『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)
インターネットによってグローバルに結びつけられた世界で、Society 5.0 の名のもとに「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)が高度に融合していく」……その流れの中で、「心の社会」は、ハートフル・ソサエティにもハートレス・ソサエティにもなりえます。社会生態学者としてのドラッカーは21世紀の始まりとともに『ネクスト・ソサエティ』を発表しました。ドラッカーの遺作にして最高傑作である。長年のコンサルタントとしての経験から、きわめて現実的であり、かつ実際的である一方、未来社会に対する展望が見事に描かれています。20世紀における「知の巨人」であったドラッカーが、最後にわれわれに21世紀の見取り図を示してくれたと言えるでしょう。
ドラッカーは同書の冒頭で日本の読者に対し、「日本では誰もが経済の話をする。だが、日本にとっての最大の問題は社会のほうである」と呼びかけている。90年代の半ばから、ドラッカーは、急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであることに気づいていました。IT革命はその要因のひとつにすぎず、人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因でした。IT革命は、世紀を越えて続いてきた流れの1つの頂点にすぎませんでしたが、若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものでした。ドラッカーが言わんとすることは、ひとつひとつの組織、1人ひとりの成功と失敗にとって、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味を持つということ。急激な変化と乱気流の時代にあっては、単なる対応のうまさでは成功は望みえません。企業、NPO、政府機関のいずれであれ、その大小を問わず、大きな流れを知り、基本に従わなければならない個々の変化に振り回されてはならず、大きな流れそのものを機会としなければならないのです。その大きな流れこそ、ネクスト・ソサエティの到来なのです。
フランスの文化相も務めた作家のアンドレ・マルローは「21世紀は精神性(スピリチュアリティ)の時代である」と述べましたが、これまで多くの人々が未来社会について予測した。ジョン・ガルブレイスは「ゆたかな社会」を、ダニエル・ベルは「脱工業化社会」の到来を予告しました。アルヴィン・トフラーは、起こりつつある変化を「第三の波」と呼び、社会の根本的変化の近いことを予告しました。マリリン・ファーガソンは、あらゆる分野に起こりつつある変化が結合して、社会規範を変化させる「アクエリアン革命」になろうとしていることを指摘した。日本の堺屋太一は、知恵の値打ちが経済の成長と資本の蓄積の主要な源泉となる「知価社会」をつくり出す技術、資源環境および人口の変化と、それによって生じる人々の倫理観と美意識の急激な変化全体がもたらす「知価革命」を主張しました。
『ハートフル・ソサエティ』(三五館)
そして15年前、わたしは、『ネクスト・ソサエティ』のアンサーブックとして『ハートフル・ソサエティ』(三五館)を書き上げ、新しい社会像である「ハートフル・ソサエティ」を提唱したのです。いま、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」という未来像が描かれるに至っています。15年間で変わったものと変わらないものの両方があります。特に、SNSやスマホの存在は人間の精神への影響はもちろん、人間の存在さえも変革しているかもしれません。わたしは時代の変化を踏まえて、心の社会は「ハートレス」の方向へ進んでいる気がしてなりません。「ハートフル」の方向に心の社会を転換するために、本書の改稿を決意しました。本書の別名は『ハートフル・ソサエティ2020』です。
別名は『ハートフル・ソサエティ2020』です!
そして、「まえがき」の最後に「『心の社会』から『心ゆたかな社会』へ。令和という新しい時代を、『心ゆたかな社会』の夜明けにしたい。まだ間に合ううちに」と書いたのでした。新型コロナウイルスが終息したアフターコロナの社会、そしてポスト・パンデミックの世界を描いた、この100冊目の「一条本」を、わたしは深い祈りとともに世に問いたいと思います。わたしたちに深い絶望を与えた「3・11」と「9・11」の間の「6・11」、すなわち6月11日に全国の書店およびネット書店で販売されます。どうか、ご一読下さいますよう、お願いいたします。