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No.1912 SF・ミステリー 『タイタンの妖女』 カート・ヴォネガット・ジュニア著、浅倉久志訳(ハヤカワ文庫)
2020.07.11
緊急事態宣言の期間中、『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット・ジュニア著、浅倉久志訳(ハヤカワ文庫)を読みました。1959年に発表されたSFの名作ですが、一条真也の読書館『嘘と正典』で紹介した現代SFの短編集を読んだら、もっと本格的なSFの長編が読みたくなったのです。そこで、これまでなかなか読み通す機会が持てなかった何冊かの名作に挑戦したのです。一条真也の読書館『夏への扉』で紹介した本に続いて読んだのですが、正直、わけがわからない物語でした。
本書の帯
本書の帯には、「今まで出会った中で、最高の物語」「『タイタンの妖女』は、今や私にとっては、星のように光っている一つの点だ。解説:太田光(爆笑問題)」「改訳・新装版」と書かれています。爆笑問題といえば、田中裕二のほうは『夏への扉』の推薦文を書いています。爆笑問題の2人は、ともにSF好きなのです。
ハヤカワ文庫の『タイタンの妖女』と『夏への扉』
本書のカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「時空を超えたあらゆる時と場所に波動現象として存在する、ウィンストン・ナイルズ・ラムファードは、神のような力を使って、さまざまな計画を実行し、人類を導いていた。その計画で操られる最大の受難者が、全米一の大富豪マラカイ・コンスタントだった。富も記憶も奪われ、地球から火星、水星へと太陽系を流浪させられるコンスタントの行く末と、人類の究極の運命とは? 巨匠がシニカルかつユーモラスに描いた感動作」
『タイタンの妖女』というタイトルは、主人公が最後に訪れる星であるタイタンの泥炭を彫刻した像に由来します。この像は3人の美しい女性の姿をしており、プールに沈められています。それを妖女(セイレーン)に譬えているわけです。本書は、カート・ヴォネガット・ジュニアの2冊目の小説で、自由意志、全能、人類の歴史全体の目的といった問題についてを扱っています。非常に形而上的で哲学的な印象もありますが、逆に、馬鹿馬鹿しく荒唐無稽な印象も強い不思議な物語です。爆笑問題の太田光は本書に心酔し、「タイタン」という彼の事務所名の由来になりました。
カート・ヴォネガット・ジュニア(1922年―2007年)は、アメリカの小説家、エッセイスト、劇作家です。1976年の作品『スラップスティック』より以降の作品はカート・ヴォネガットの名で出版されています。人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博しました。現代アメリカ文学を代表する作家の1人とみなされており、代表作には『タイタンの妖女』の他に、『猫のゆりかご』(1963年)、『スローターハウス5』(1969年)、『チャンピオンたちの朝食』(1973年)などがある。ヒューマニストとして知られており、20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物とされているようです。
『タイタンの妖女』の主人公マラカイ・コンスタントは、22世紀にカリフォルニア州ハリウッドに生まれたアメリカの富豪です。彼は、地球から火星へ旅し、記憶を消され、火星軍の一兵士として地球との惑星間戦争の準備をします。ところが出陣の際に水星へむかってしまい、そこで3年間を過ごした後、地球に戻って神の不興のしるしとしてさらし者になり、最後には、土星の衛星タイタンでウィンストン・ナイルス・ラムフォードと会います。ラムフォードはニューイングランドの裕福な家系の出身で、個人用の宇宙船を建造するほどの富を持ち、宇宙探検家となります。
『夏への扉』は猫の物語でしたが、『タイタンの妖女』には犬が登場します。ラムフォードの飼い犬のカザックです。ラムフォードと愛犬カザックを載せた宇宙船は、地球と火星の間を旅している時に、「時間等曲率漏斗」(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)として知られる現象に飛び込みます。そして、ラムフォードとカザックは量子力学において波が有する確率と同様な「波動現象」になるのでした。彼らは、太陽からベテルギウスに至る螺旋に沿って存在し、地球のような惑星がその螺旋を横切ると、一時的にその惑星で実体化します。 漏斗に入った時に、ラムフォードは過去と未来を知るようになりました。この小説を通じて、ラムフォードは未来を予言し続けます。
この小説、とても場面の移り変わりが早く、最初は何が何だかわかりませんでした。次第に内容を理解していきましたが、混乱したことは事実です。巻末の「『タイタンの妖女』について」の冒頭を、太田光はこう書きだしています。
「もしかすると、この小説は、カート・ヴォネガットの作品を初めて読む人や、あるいは、SF小説というもの自体を今まで一度も読んだことがないという人にとっては、何だかワケのわからない話と思えるかもしれない。場面はあちこちに飛ぶし、話も断片的で、理解しにくいと感じるかもしれない。こう言うと変かもしれないが、そのことをあまり気にしないでほしい。これが的確なアドバイスかどうかはわからないが、もしそう感じた人は、ここに書かれている出来事が、‟全て同時に起きたこと”と考えてみると、この小説は輝き出すかもしれない。過去と、現在と、未来が、同時に存在していて、それが永遠に繰り返される。この小説はそういった時間のとらえ方で書かれている」
主人公マラカイ・コンスタントは、火星、水星、地球、タイタンを歴訪するのですが、旅の様子が美しい言葉で綴られます。たとえば、水星を訪れたときには、「水星は水晶の杯のように歌っている。水星はいつも歌っている。水星の半球は太陽に面している。その半球はいつも太陽に面している。その半球は白熱した微塵の海だ。もう一つの半球は、果てしない宇宙の虚無に面している。この半球はいつも果てしない宇宙の虚無に面している。この半球は、痛いほど冷たい、巨大な青白色の水晶の森だ。この終わりない昼の暑い半球と、終わりのない夜の寒い半球とのあいだの緊張、それが水星を歌わせる。水星には大気がないので、その歌は触覚に向けられたものである。その歌はゆっくりした歌だ。水星は、歌の中の一つの音を、地球の千年紀ほども長くつづかせることができる。その歌は、かつてはテンポが早く、奔放で、華やかだった――苦痛なほど変化に富んでいた――と考えるものもいる。そうかもしれない」と書かれています。
また、地球を訪れたときは、「火曜日の午後、地球の北半球は、いままさに春。地球は緑に湿っていた。空気はさわやかで、クリームのように滋養たっぷりだった。地球に降る雨の清らかさは、舌で味わうことができた。清らかさの味は、かすかに酸っぱかった。地球は温かだった。地球の表面は肥沃な活動が揺れ動き、煮えたぎっていた。地球は、もっとも死の多いところでもっとも肥沃だった」と書かれています。このあまりにも美しい文章を読んでいると、水星も地球も楽園のように思えてきますが、幸福を求めて宇宙を旅するこの『タイタンの妖女』という物語は、一条真也の読書館『青い鳥』で紹介したモーリス・メーテルリンクの名作のSF版と言えるかもしれません。ネタばれにならないように細心の注意を払いながら書くと、コンスタントは火星、水星、地球、タイタンを訪問した後、最後に向かう場所は天国でした。真の幸福が存在する場所は天国だったのです。
わたしは、最新刊『心ゆたかな社会』(現代書林)の最終章「共感から心の共同体」の中に、「あの世」つまり「霊界」についての話題は人類共通の関心事であり、国家や民族や宗教を超えて会話する話題としては最 適ではないかと書きました。そこでは、「宇宙」も人類共通の関心事であるとも述べました。 つまり、人類の究極の二大テーマとは「霊界」と「宇宙」なのです。その意味で、宇宙をめぐる銀河大スケールの旅を描いた『タイタンの妖女』の最後に「天国」という言葉が登場することに非常に納得した次第です。
荒唐無稽なようでいて、この物語は、あらゆる人々にとって普遍性があるのでしょう。