No.1922 コミュニケーション | 人生・仕事 | 人間学・ホスピタリティ 『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』 P・M・フォルニ著、大森ひとみ監修、上原裕美子訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

2020.07.30

全国でも新たに1261人の感染が確認されましたが、コロナ禍の中にあって、わたしは改めて「礼」というものを考え直しています。特に「ソーシャル・ディスタンス」と「礼」の関係に注目し、相手と接触せずにお辞儀などによって敬意を表すことのできる小笠原流礼法が「礼儀正しさ」におけるグローバル・スタンダードにならないかなどと考えています。日本人古来の徳である「礼」の価値が、世界的に見直されるかもしれません。『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』P・M・フォルニ著、大森ひとみ監修、上原裕美子訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読みました。
2011年に刊行された『礼節のルール』、同書を新書化して2012年に刊行した『礼節「再」入門』の新装版として昨年刊行された本です。

著者は、アメリカ・メリーランド州ボルチモアに本部を置くジョンズ・ホプキンス大学イタリア文学教授です。長年、礼節の理論と歴史を教えています。1997年にジョンズ・ホプキンス・シビリティ・プロジェクトを設立。その活動は「ニューヨーク・タイムズ」をはじめとした国内外のメディアに注目されているそうです。2002年に本書の原書『Choosing Civility』が発売され、10万部を超すべストセラーになりました。ABC、CBS、BBCなどのテレビ番組にも出演多数。イタリア出身。

本書の帯

本書の帯には「『無礼な人』は、目立つだけ。『礼儀正しい人』は、人がついてくる。」「ルール2 あいさつをする」「ルール4 人の話をきちんと聞く」「ルール7 そこにいない人の悪口を言わない」「『礼節』研究の創始者によるベストセラー」「『礼節「再」入門』が新装版で登場!」と書かれています。

本書の帯の裏

また帯の裏には、「米国の名門ジョンズ・ホプキンス大学で礼節の理論と歴史を教える著者による、『礼儀正しさ』の原則25を紹介!」と書かれています。カバー前そでには、「礼儀正しくするのは自分らしさを捨てることではないか、と言う人もいますが、私はそうは思いません。礼儀正しくすることは、ある面の自分らしさを抑えながら、別の面の自分を出すことではないでしょうか。礼節は人生のクオリティを高める手助けとなるものなのです」と書かれています。

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 礼節
――人生の質を高める技術

他者とともによく生きるために
人は人の中で生きることで磨かれる
礼節とは永遠に色あせない不変の原則
愛とは礼節の先にあるもの
自制する心がよりよい未来を作る
礼節は成功のために不可欠な人生の部品
人とのつながりが健康を守る
第2章   礼節のルール25
【ルール01】周囲の人に関心を向ける
【ルール02】あいさつをして敬意と承認を伝える
【ルール03】相手をいいひとだと信じる
【ルール04】人の話をきちんと聞く
【ルール05】排他的にならない
【ルール06】親切な話し方をする
【ルール07】そこにいない人の悪口を言わない
【ルール08】ほめ言葉を贈る。そして受け入れる
【ルール09】NOの気持ちを察し、尊重する
【ルール10】人の意見を尊重する
【ルール11】身だしなみと仕草に気を配る
【ルール12】人と協調する
【ルール13】静けさを大切にする
【ルール14】人の時間を尊重する
【ルール15】人の空間を尊重する
【ルール16】真摯に謝罪する
【ルール17】自尊心を持って自己主張する
【ルール18】個人的なことを質問しない
【ルール19】最高のおもてなしをする
【ルール20】配慮ができる客になる
【ルール21】お願いするのは、もう一度考え直してから
【ルール22】無駄な不満を言わない
【ルール23】前向きに批判し、受け入れる
【ルール24】環境に配慮し、動物にやさしくする
【ルール25】人のせいにしない
第3章   人はなぜ礼節を見失うのか?
親しみのカルチャーもときと場合をわきまえて
過度の‟ルール破り称賛”は考えもの
権威の消失が礼節の危機を招く
都市生活の無名性が人間関係を不安定にする
平等社会と礼節とのつながり
自己実現の時代のメッセージ
本当に礼節は失われつつあるのか?
よく生きるために、私たちは何をなすべきか
「監修者あとがき」

「はじめに」の冒頭には、以下のように書かれています。
「21世紀となった今、礼儀正しさとは、どういう意味を持つのでしょうか。礼節とは、どのように身につければいいのでしょうか。礼節によって、人生のクオリティはどのように上がるのでしょうか。そもそも、友人や同僚、周囲の人に対して、どう振る舞うべきなのでしょうか。いつどんなときでも礼儀正しくしなければならないのでしょうか。無礼な態度をとられたときには、どう対応すればいいのでしょうか。いったい礼節とは何でしょうか」

第1章「礼節――人生の質を高める技術」では、最初に「他者とともによく生きるために」として、「人生には大切なものが3つある。ひとつは、人に親切にすること。もうひとつは、人に親切にすること。そしてもうひとつは、人に親切にすること」という作家のヘンリー・ジェイムズの言葉が紹介されています。

「人生は他者とのふれあいによって決まるもの」と信じているという著者は、「よい人間関係に恵まれれば、人生は輝きます。人間関係が損なわれると、人生も損なわれます。幸せになりたいなら、他者とともによく生きる方法を学ばなければなりません。そのカギを握るのが『礼節』なのです。礼儀正しくしていれば、他者とうまくふれあうことができます。私たちは礼節ある生き方をすることによって、思慮深い心を育て、自己表現とコミュニケーションの力を伸ばし、さまざまな状況におだやかに対応できるようになります」と述べています。

「人は人の中で生きることで磨かれる」では、長年、礼節をテーマにした講義やワークショップを行なってきた著者が、「礼節とは何を意味するか」について、以下のような結論を挙げています。
・礼節とは、複雑なものである。
・礼節とは、よいものである。
・礼節とは、ていねいに、礼儀正しく、
行儀やマナーを守ることである。

・礼節は哲学や倫理学の領域にあるものである。

この4点に沿って本書を書いたという著者は、「礼節ある人間でいるということは、つねに他人の存在を意識して、その意識のすみずみに寛容さと敬意と配慮を行き渡らせることです。礼節とは善意の表れです。誰か個人に親切で配慮ある態度をとるだけでなく、地域や地球全体のすこやかさに関心を持つことでもあるのです」と述べています。

礼節(=Civility)という言葉の由来は、都市(=City)と社会(=Society)という言葉にあります。ラテン語で「市民が集まるコミュニティ」を意味する言葉「Civitas」から来ています。Civitasは文明(Civilization)の語源でもあります。著者は、「礼節という言葉の背景には、都市生活が人を啓蒙する、という認識があるのです。都市は人が知を拓き、社会を築く力を伸ばしていく場所なのです。人は都市に育てられながら、都市のために貢献することを学んでいきます」と述べます。そして、礼節とは「よい市民になること」「よき隣人であること」を指しているといいます。

「礼節とは永遠に色あせない不変の原則」では、著者は「礼節ある生き方を選ぶということは、他者や社会のために正しい行動を選ぶということです。他者のために正しく行動すると、その副産物として人生が豊かにふくらむのです」と述べ、「他人に親切にするのはよいことである」という真理は永久に色あせないと主張しています。

「愛とは礼節の先にあるもの」では、「人間は何を求めているのか」という問いに対して、精神分析学者ジークムント・フロイトは、「人は幸せを求めている、幸せであり続けたいと思っている」と言ったことが紹介されます。著者は、「フロイトは幸せをおびやかすものを列挙しました。人は病気のせいで不幸になることもありますし、自然の脅威のせいで苦しみを強いられることもありますが、フロイトによると、何よりつらい不幸の原因は、他者との関係性で生じるものです」と述べています。

また、著者は次のようにも述べています。
「傷つくのを避けて他人を寄せつけないのは無意味です。人間関係が引き起こす痛みを最低限にする努力をしながら、人間関係を築いていく方法を学ぶべきなのです。人間関係によって生じる痛みを最低限に抑える方法とは”他人と上手に接していけるようになること”です。この大切な素養を身につけるのに、魔法を学ぶ必要はありません。礼節を学べばいいのです。礼節は人間関係の痛みの予防薬でもあるのです」

さらに著者は、「ものごとには順番があります」と述べ、まずは、自分中心の意識を抑えることが優先であり、そのうえで、本当の愛を理解するチャンスがやってくるとして、「まずは行儀作法、その次に愛なのです。行儀作法の練習を通じて、赤の他人を含め、他者を自分自身と同じに愛せるようになる人もいるでしょうし、愛情の範囲が家族と友人に限られる人もいるでしょう。しかし行儀作法こそ、愛を知るための最初の一歩です。その方法は、誰もが多少なりとも身につけられるはずです」と述べるのでした。

「自制する心がよりよい未来を作る」では、著者は「無作法とは、弱い人間が強さをよそおうことだ」という社会哲学者のエリック・ホッファーの言葉を紹介し、「礼儀正しくするのは自分らしさを捨てることではないか、と言う人もいますが、私はそうは思いません。礼儀正しくすることとは、ある面の自分らしさを抑えながら、別の面の自分を出すことではないでしょうか。自己表現を控えたと感じたとしても、同じくらいに自分を表す行動をしているのです。本当の礼儀は人生を損なうものではありません。むしろ、正しい行動を選ぶことで満足を積み重ねることになるのです。礼節は人生のクオリティを高める手助けとなるものなのです」と述べます。

「礼節は成功のために不可欠な人生の部品」では、礼儀正しさには、自由と拘束の両方が伴うことが指摘されます。なぜなら、人は他人に親切にすることで、自分も親切にしてもらえることを願うからです。著者は、「自分中心の意識を少し放棄して、相手も同程度には譲ってくれると期待するのです。つまり、礼節を守ることは『社会というデリケートなゲームで、全員が気持ちよくいられるようにしよう、とおだやかに圧力を加える行為』と言うことができるでしょう」と述べています。

「人とのつながりが健康を守る」では、健康でいるためには他者とつながる必要があるとして、著者は「他人と交流する能力は、まちがいなく健康を左右します。つまり、礼節を守るのは気分がよくなるからだけでなく、健康のためでもあるのです。言ってしまえば、人を大事にすることは自分を大事にすることなのです」と述べます。また、健康でいるためには、人生に目的や意味を感じられなくてはなりません。そして、人生の目的や意味は、かならず他者の存在と結びついています。やはり、身のまわりにいる人を敬意と配慮をこめて大切に扱うことが重要になるというわけで、著者は「だからこそ、やはり礼節を学ぶ必要があります。学べば学ぶほど、礼節は利他主義と利己主義の自然な共存状態を生み出すということが、はっきりとわかってくるでしょう」と述べるのでした。

第2章「あいさつをして敬意と承認を伝える」では、「すべての行動は、そこにいる人への敬意のしるしをこめたものでなければならない」というアメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンの言葉が紹介されます。著者は「『こんにちは』『おはよう』といったあいさつは、他者を尊重していることを示す基本的な言葉です。『おはよう』を言うとき、そこには『あなたの存在を承認し、敬意を感じている』という意味がこめられます」と述べます。あいさつすることで、実際に口に出さなくても、「私たちがよい関係かどうか、あなたが意識しているのを知っています。私も意識しています。安心してください。私は、私たちがよい関係だと感じています」というメッセージを伝えているのです。

また、著者は次のようにも述べています。
「あいさつは、その人がその人であるということを尊重する行為です。あいさつを通じて存在を認めるだけでなく、あなたを傷つける意図はないよ、あなたが安泰であるかどうか気にかけているよ、というメッセージを表明しているのです。『お互いに善意を持って接しよう』と呼びかけることにもなります。これは、礼節をかたちづくる大切な要素です」

あいさつこそは、「人間尊重」の第一歩です。わたしは冠婚葬祭の会社を経営しています。冠婚葬祭の根本をなすのは「礼」の精神です。では、「礼」とは何でしょうか。それは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えです。平たくいえば、「人間尊重」ということです。わたしは、人類が生んだあらゆる人物の中で孔子をもっとも尊敬しています。孔子こそは、人間が社会の中でどう生きるかを考え抜いた最大の「人間通」であると確信しています。その孔子が開いた儒教とは、ある意味で壮大な「人間関係学」といえるのではないでしょうか。そんなことを拙著『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)に書きました。

同書では、「挨拶」についても一章を費やして詳しく考えました。なぜ、人間は礼をするのでしょうか。多くの首相を指導した安岡正篤は、「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まらなければならない」といいました。「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何よりも礼を重んじました。彼は、世界中すべての国民や民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶することを、人間としての自然の姿、すなわち「人の道」であるとしました。

ところが、その人間的行為である「礼」を軽視する人がいます。挨拶もしなければ、感謝もしない。礼は「人の道」、いわば「人間の証明」であるにもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという人がいるのです。礼とは、そのような好みの問題ではありません。人間であれば、必ずしなければならないものです。というより、自分が人間かどうかを表明する、きわめて重要な行為なのです。よく武道の世界では「礼に始まり、礼に終わる」と言われます。人間関係もまた、礼に始まり、礼に終わることを知りましょう。およそ、人間関係を考えるうえで挨拶ほど大切なものはないでしょう。「人間尊重」の基本となるものであり、「こんにちは」や「はじめまして」の挨拶によって、初対面の相手も心の窓を開きます。

ルール03「相手をいい人だと信じる」では、性善説が取り上げられます。孔子と並んで儒教の聖人とされる孟子は「人間の本性は善きものだ」という揺るぎない信念を持っていました。人間の本性は善であるのか、悪であるのか。 これに関しては古来、2つの陣営に分かれています。東洋においては、孔子や孟子の儒家が説く性善説と、管仲や韓非子の法家が説く性悪説が古典的な対立を示しています。 西洋においても、ソクラテスやルソーが基本的に性善説の立場に立ちましたが、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も断固たる性悪説であり、フロイトは性悪説を強化しました。

そして、共産主義を含めて、すべての近代的独裁主義は、性悪説に基づきます。 毛沢東が、文化大革命で孔子や孟子の本を焼かせた事実からもわかるように、性悪説を奉ずる独裁者にとって、性善説は人民をまどわす危険思想であったのです。著者は、「性善説を選択するということは、礼節ある生き方であると同時に、人生に健全な純粋さを保つための道でもあります。相手はいい人であると想定して接するというのは、実際にそういう人として行動するよう相手を促すことにもなります。

性善説について、著者は以下のように述べています。
「性善説を選択すれば、確実に人生のクオリティは高まります。赤の他人で終わったかもしれない人と、良好な関係を結ぶことができるからです。とはいえ、やりすぎないように気をつけなければなりません。他人を性善説で見たせいで、自分の身に危険がおよぶ可能性があるからです。楽観とは『考えない』ことではなく、『正しく現実を見る』ことでなくてはなりません」

ルール06「親切な話し方をする」では、自分が話している相手は、傷つくこともある「人間」という生き物なのだということを、いつも念頭に置いておく必要があるとして、著者は「言葉の力を軽んじてはいけません。自分の言葉は相手を不必要に傷つけるかもしれないし、いやな気持ちにさせるかもしれない――会話をするときは、それを忘れないでください。つねに相手の存在を意識し、自分の欲求を鎖でつないでおくのです」と述べています。

また著者は、「ていねいで親切な言葉は、心のバランスと信頼を守る傘になります。その傘の内側に相手を引き入れ、安心させることができます。親切な話し方を身につけられれば、人間関係は著しく改善するでしょう。日々の生活のクオリティも格段にアップするはずです」とも述べます。『人間関係を良くする17の魔法』では「言葉遣い」という章も設けましたが、そこで「もし、あなたにどうしても人間関係がうまくいかない人がいるとしたら、その人に対して正しい言葉遣いをしているかどうか、よく考えてみてください」と読者に呼びかけました。そして、「言葉遣いは人間関係を良くする魔法ともなります。そこで、最低限必要なのが普通語と尊敬語の違いを知ることです。普通語とは、気のおけない家族や友人の間で使う言葉です。尊敬語とは、目上の人やお客様に対しての言葉です」と述べ、具体的に説明しました。

ルール08「ほめ言葉を贈る。そして受け入れる」では、「リーダーは積極的にほめなければならない」として、著者は「アメリカ労働省の統計では、離職理由のトップは『仕事で評価されていないと感じるから』というものでした。積極的にほめることで報いていくのはリーダーに必要な資質であるという見方は広く支持されています。現代の労働環境でリーダーになれる人物とは、思いやりがあり、業績だけでなく部下の努力を称賛して、自信を持たせていける人なのです」と述べています。

拙著『孔子とドラッカー新装版』(三五館)に書きましたが、部下をほめることについては、日本電産創業者の永守重信氏が達人です。永守氏は、口で叱って文章で褒めるといいます。つまり、褒めちぎりの手紙を書くのです。なぜなら、この手紙を本人が10回読めば10回、20回読み返してくれれば20回褒めたことになるからです。また、しょっちゅう顔を合わせている社員であっても、手紙を直接渡さずに、ポストに投函して自宅に送ることもあるといいます。これをやるのは主として妻帯者や家族と同居している社員です。最初に手紙を受け取るのは社員の妻や両親で、「社長から手紙をもらった」ということで家族の関心が集中します。開いてみると褒めちぎりの内容だから、家族にも胸を張って公開できます。

他にも、叱った社員と仲のよい同僚に、「今日、彼を叱ったんだが、仕事も熱心だし見どころもある」と耳打ちして、社長が頼りにしていることを遠回しに本人に伝えるという方法もあります。本人にストレートに褒め言葉をかけるよりも、妻や親、同僚などを通じて間接的に褒めるほうが数倍の効果があるのです。叱ったことは後に残さず、褒めたことはいつまでも残るようにしておくのは、ハートフル・マネジメントの真髄であると言えるでしょう。

また、部下は叱ったり褒めたりするだけの存在ではありません。何よりも、リーダーの真意を伝えるべき存在です。拙著『龍馬とカエサル』(三五館)に書きましたが、会議や朝礼や全社集会など、経営者はとにかく語ることが仕事である。松下幸之助は、次の三点が重要だと言いました。すなわち、燃える思いで訴える、繰り返し訴える、なぜ訴えるのかを説明する。この三つの繰り返しをしなければ、リーダーの真意は社員には伝わらないというのです。なかなか自分の考えが社員に伝わらないと思うなら、自分が十分な努力をしているかどうか、よく考えてみるべきでしょう。社員や部下はテレパシーを操る超能力者ではないのですから、リーダーが言葉で繰り返し伝えなければ、彼らは決してそれを理解できないのです。

ルール09「NOの気持ちを察し、尊重する」では、「礼儀正しくするべきか、本心を伝えるべきか」として、著者は「人生のクオリティを高めるためには礼儀正しくすることが必要不可欠です。よいマナーを学ぶということは、感受性を育てることでもあります。暴力をはじめとした、私たちを苦しめる数々の悪とたたかうためにも、礼節は大切にしなければならないのです。礼節を大切にして、世界に浸透させようと努める過程で、私たちは現代社会に必要な知恵を再発見していけるのではないでしょうか」と述べています。

ルール11「身だしなみと仕草に気を配る」では、身内と一緒のときはマナーを忘れることが多いかもしれませんが、本当は身内に対して礼儀を守ることこそ、愛情を示す何よりたしかな方法であるとして、著者は「愛情とは、気持ちだけのものではありません。本当の愛は行動で成り立つものです。身だしなみを整えると、たいてい心身ともにすこやかな気持ちになります。気分がよくなり、自分のことが好きになります。そうすると、他人にも親切にしたくなり、回り回って自分も親切にしてもらえるのです」と述べています。

人間関係を良くする17の魔法』では「身だしなみ」という章も設けましたが、そこで、相手の視覚、聴覚、嗅覚に不快感を起こさせることのないように気遣いすることを訴えました。これは「三つの不快」と呼ばれ、自分の意志に関わらず、強制的に入ってくる情報なのです。そして、その中でも特に気をつけなければならないのが「視覚不快」です。そして、相手に好印象を与えることで、良好な人間関係がスタートしますが、その基盤には「礼」の心がなければならないと述べました。特にビジネスで相手と商談をするような場合に重要なことは、「礼」の心の中でも「つつしみ」の心を大切にすることです。「つつしみ」は、人と人とのコミュニケーションを深く進めてゆく上で、人や場面との調和を崩さないように心掛けるということです。その上で、オシャレをすることが大切ですね。

ルール13「静けさを大切にする」では、著者は「映画や芝居、オペラ、コンサートなどを観に行って、ほかの観客のお喋りが気になることがあります」と書いています。がまんできるのならいいのですが、そうでないならまずは視線を向け、それから丁重に「すみませんが、お喋りが気になって楽しめないのです」と、頼んでみることを勧めます。著者は「これで解決しなかったら、これ以上交渉することはお勧めしません。事態がエスカレートするのは避けるべきでしょう。席を移るか、劇場の係員に相談するのがベターです」と述べています。大人の対応ですね。気の短いわたしも見習いたいものです。

ルール14「人の時間を尊重する」では、電話をかけるときには、細心の気配りが必要と書かれています。相手の都合の悪い時間に割り込んでしまう可能性があるからです。電話でつながったら、まず最初に「今お話ししても、ご迷惑ではありませんか?」と聞くべきであり、もし相手が大丈夫だと言ったとしても、短く切り上げること。相手が忙しそうな印象を受けたら、極力手短にしましょう。電話は簡潔にするのが原則だと述べています。

時間を尊重するといえば、わたしは「人生とは時間を生きること」だと考えています。拙著『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』(フォレスト出版)にも書きましたが、1つひとつの時間の積み重ねが、人の一生です。時間とは生命そのものなのです。たとえば、ある人が待ち合わせの時間に遅れて来た場合、他人が被る迷惑は計り知れないほど大きいといえます。待たされる時間は、完全に「失われた時間」になるのです。経営コンサルタントの山崎武也氏は時間を守らない人は信用できないだけでなく「時間泥棒」と呼んでいます。強盗された時間という財物は取り返すことができない生命の一部であり、待たせた人の生命の一部を奪うことは「時間泥棒」どころか「部分的殺人」の罪と断ずることもできるというのです。

ルール15「人の空間を尊重する」では、自宅でも、家族それぞれのテリトリーを尊重することは大切であると書かれています。人はそれぞれ自宅の中でも「自分の場所」と感じるスペースがあり、一緒に住む家族であっても、そうした場所に踏み込まないでほしいと感じるのは、別に不合理なことではないとして、著者は以下のように述べます。「誰かが使っている寝室や洗面所に割り込むのは控えましょう。子どもも5歳を過ぎたら、両親の部屋に入るときには断ってから入るように教えるべきです。一方、リビングやキッチンなどはみんなの場所です。そこを一定時間、独占して使うのなら、家族の迷惑にならないかどうか確かめましょう。友人を家に連れてくるタイミング、帰すタイミングには、きちんと判断力をはたらかせましょう。友人がうるさくしないよう、あなたが責任をもたなくてはなりません」

ルール16「真摯に謝罪する」では、著者は「なぜ、あやまることはこうもむずかしいのでしょうか。それは、真摯に謝罪するためには、自分のプライドとたたかわなくてはならないからです。謝罪することを考えると、人は心もとない気持ちになるものです。けれど、勇気を出してあやまってみれば、それでどんなにすっきりするか、わかるはずです。信じていただけないかもしれませんが、私はあやまるのが好きです。借金を返済し終わったときの解放感と同じ気持ちよさを感じます。実際、謝罪とは道徳的な借金の返済と言ってもよいでしょう。英語では「あなたにあやまらなければいけない」という意味で、『私はあなたに謝罪の返済義務を負っている』いう表現をしますが、それももっともなことなのです」と述べています。

第3章「人はなぜ礼節を見失うのか?」の「よく生きるために、私たちは何をなすべきか」では、著者は「20世紀末は、礼節が失われていくことへの懸念が大きく高まった時代でした。しかし私は、礼儀に関してこれほど多くの取り組みが行われ、礼節ある社会のための活動が活性化した時代は、ほかになかったのではないかとも思うのです。近年、社会の低俗化が進んでいる点については否定できませんが、同時に、敬意と節度、配慮とやさしさを日常生活に取り入れようとする努力も、広がってきているのです。このふたつの動きは、当然、無関係ではありません。後者は前者の存在によって引き起こされたものだからです」と述べています。

また著者は「人生で最も重要なのは他者とのふれあいである」と断言し、「ふれあいの質の改善を、最優先事項とするべきではないでしょうか。礼節を守るのは、人と人とのふれあいの質を上げる最も確実な方法です。ふれあいの質が高まれば、人生はうるおいます。とてもシンプルなことなのです。私たちはただ、いったん足を止め、考え、そして行動すればいいだけなのです。早く始めれば、それだけ成果も大きくなるでしょう」と提言します。まったく同感です。

「監修者あとがき」では、株式会社大森メソッド代表取締役社長兼CEOで、世界を代表するイメージコンサルタントとして知られる大森ひとみ氏が、「礼節が見直される今、このときに」として、以下のように述べています。
「日本には古くから、思いやり、尊敬、自制、協力、責任、誠実、知恵、調和、美徳といった礼節を重んずる文化がありました。これは、日本人の遺伝子に組み込まれたDNAでもあります。ですから、日本社会においては『礼儀正しさが大切だ』と言っても、今さら珍しい言葉や概念ではありません。しかし、世界がますます小さくなる中で日本でも、いじめ、虐待、詐欺、不正などモラル無き行動が横行するようになってきています。これは日本人のDNAに刻み込まれていたはずの礼節が失われつつあるきざしでもあり、多くの人々が少なからず『礼儀正しさの大切さ』をあらためて感じているのではないでしょうか」

わたしの父である佐久間進は実践礼道・小笠原流の宗家ですが、日本古来の礼節を重視する文化について『礼道の「かたち」』(PHP研究所)にまとめ、「礼儀正しさの大切さ」を広く訴えています。また大森氏は、「礼節はビジネスパーソン必須のスキル」として、礼節は、よりよい社会を作る基盤として見直されてきていますが、もうひとつの側面に、グローバル化するビジネス社会においての必須のツールとして注目されているという面があると指摘し、「個人の間でも価値観が多様化し、ビジネスが文化の垣根を越えて行われることが当然となった時代には、異なる考え方をもった人同士をつなげるルールが必要です。それこそが礼節でもあると考えられているのです」と述べます。

さらに大森氏は、「『シビリティ=礼節、礼儀正しさ』を実現することは、ビジネスパーソンにとって、信頼され、相手から選ばれるためのセルフマーケティングであり、自分の価値を高めるセルフブランディングなのです。ビジネスを前進させるプラットホームであり、すべてのビジネスの基盤であると言ってもよいでしょう」と述べるのでした。まったく同感です。わたし自身、学生時代より小笠原流礼法を学び、「礼」を何よりも重んじて生きてきましたが、本書を読んで、「礼」はビジネスにおいても不可欠なものであることを再確認しました。

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