No.1950 哲学・思想・科学 | 社会・コミュニティ 『変質する世界』 Voice編集部編(PHP新書)

2020.09.25

東京都の新型コロナウイルスの23日の新規感染者は59名で少し安心したのですが、24日は195名でした。なかなか、コロナはしぶといですね!
『変質する世界』Voice編集部編(PHP新書)を読みました。「ウィズコロナの経済と社会」というサブタイトルがついています。15人の論客による論考集ですが、カバー表紙には「『これから』を本気で考える」と書かれています。

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「コロナショックにより、経済や国際関係、人々の価値観はどのように変質したのか。『シン・ニホン』などの著者である安宅和人氏は、これからのマクロなトレンドを示すキーワードとして『開疎化』を挙げ、解剖学者の養老孟司氏は『ウイルスの心配より、健康で長生きしてもやることがないことのほうが問題』と述べる。経済学者のダロン・アセモグル氏はアメリカで最大の被害が出たことから、かの国の歪みについて解説し、SF小説『三体』の著者である劉慈欣氏は中国人の国民感情を語る。各界の第一人者がウィズコロナの世界を読み解く、傑出した論考15編」

本書のカバー裏表紙の下部

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第一部 日本と世界の叡智への問い
アジャイルな仕組みが国を救う――安宅和人
野放図な資本主義への警告だ――長谷川眞理子
日本はすでに「絶滅」状態――養老孟司
コロナと大震災の二重苦に備えよ――デービッド・アトキンソン
コロナ時代の米中対決――エドワード・ルトワック
アメリカの歪みが露呈した――ダロン・アセモグル
人類の団結はSFだけの世界?――劉 慈欣
第二部 ウィズコロナを読み解く
コロナ後の世界を創る意志――御立尚資
政治経済の「免疫力」を備えよ――細谷雄一
コロナ後のグローバル化を見据えよ――戸堂康之
自由と幸福の相克を乗り越えられるか――大屋雄裕
「自粛の氾濫」は社会に何を残すか――苅谷剛彦
日中韓の差を生む「歴史の刻印」――岡本隆司
経済活動は「1/100作戦」で守れる――宮沢孝幸
私たちは「人間らしさ」を問われている――瀬名秀明

「はじめに」では、月刊『Voice』編集長の水島隆介氏が、「中国・武漢に端を発する新型コロナウイルスが世界を覆い尽くし、いまなお混乱を招いているからだ。未知の感染症が、世の中の仕組みから空気までをまさしく一変させた。当初は新型コロナに対していかに対処すべきか、治療薬やワクチンはいつ開発されるかなどの議論が盛んであった。しかし私たちは、もはやこの感染症を少なくとも短期間では克服することが難しいことを知っている。すなわち、『アフターコロナ』ではなく『ウィズコロナ』、ないしは『新常態(ニューノーマル)』とも呼ばれる時代を生きる覚悟、そして意志が求められている」として、「私たちはどう生きるのか。なにを守り、なにを変えていくのか。どんな国や社会をめざしていくのか。そう真摯に問い続けてこそ、はじめて危機を糧にできるはずだ。各界を代表する識者の賛助のもとに編まれた本書が、その一助となることを願ってやまない」と述べます。

第一部「日本と世界の叡智への問い」の「アジャイルな仕組みが国を救う」では、慶應義塾大学環境情報学部教授でヤフー株式会社CSOでもある安宅和人氏が、「『withコロナ』は当面続く」として、「新型コロナを終息させるための方法は、大きく2つ。1つは、ウイルスを制圧できる治療薬を開発すること。もう1つは、自然感染かワクチンによって抗体保持者を増やして集団免疫を確立することです。ところが現実問題として、いずれも容易ではない」と述べます。

カタストロフィック(破滅的)なストーリーとして「フリーフォール(free fall:自由落下)」を起こす、すなわち自然感染に委ねて集団免疫を形成する考え方もありますが、もし実行に移せば、その過程で人口の0.5~1%が死に至ると推定されます。日本でいえば100万人規模の命を犠牲にするわけで、大戦争クラスの死者数です。成熟した民主主義国家として採ることができない施策であることは明白です。そこで各国は治療薬とワクチンの開発を進めつつ、感染防止と経済活動の再開をいかに両立させるか、バランスを見極めながらコロナ対策を行なっているわけです。

「『開疎化』のトレンドを押さえよ」として、安宅氏は「人類はこれまで、進んで3密の空間をつくり上げてきました。その象徴が都市化であり、人が便利で豊かに生きるために都会の文明を構築してきたわけです。ところが今回のコロナ危機によって『密閉・密接(closed/contact)×密(dense)』から『開放(open)×疎(sparse)』な価値観へと向かう強いベクトルが働き始めている。私はこのことを『開疎化』と呼んでいます」と述べています。

「野放図な資本主義への警告だ」では、総合研究大学院大学学長で人類学者の長谷川眞理子氏が、「ウイルスが変異した可能性」として、「注意が必要なのは、公表されている感染者数は、調査して判明した「最低値」であることです。潜在的な感染者数はもっと多いでしょう。私は当初から、感染者数よりも死者数に着目していました。人口当たりの死者数で見ると、日本はかなり少ないといえます。これには3つの可能性があると思います。1つ目は医療体制が充実していること。2つ目は医療現場の練度が高いこと。そして3つ目は推測にすぎませんが、日本人が新型コロナウイルスに対する何かしらの耐性をもっているかもしれないことです。ある病気に罹患して治癒した人が、別のウイルスに対する抵抗性を遺伝的に獲得している場合があり、それによって免疫力が上がるのです」と述べています。

「コロナ禍を機に、あらゆる側面で人類が挑戦を受け、転換期を迎えているのかもしれません」というインタビュアーの発言に対して、長谷川氏は「人類はこれまでも、疫病によって文明の転換を迫られてきました。アステカ文明のように、体制そのものが崩壊してしまったこともあります。今回のコロナ危機は、移動のタガを外し、地球温暖化対策を後回しにして経済成長とグローバル化を推進してきた、先進国を中心とする野放図な資本主義への警告なのかもしれません」と述べるのでした。

「日本はすでに『絶滅』状態」では、解剖学者の養老孟司氏が、「物事には表と裏がある」として、「物事には何でも表と裏がある。われわれの周囲を取り巻く酸素さえ、大量に摂取すれば猛毒です。救急患者に酸素マスクを当てているのを見ると『弱った身体にあんなに酸素を吸わせて大丈夫か』とひやひやします。薬だってそう。あまりにも効く薬には往々にして副作用があって、僕は薬を飲んで効き目がないと、かえって『ああ、よかった』と安心する(笑)。ウイルスは害で無菌状態がよい、とする考え方自体、都市での生活に毒されています。今回の騒ぎには、物事を利便や『役に立つか、立たないか』で考えることのおかしさが表れているのではないか。たとえば虫垂なんて一見、何の役にも立たないうえ、ときどき炎症を起こす。『なぜあんな器官が必要なのか』と長年、いわれていました」と述べています。

「若者がマスクをせず外出して高齢者の命を危険に晒している、ともいわれますが」というインタビュアーの発言に対しては、養老氏は「僕ら老人が病気に罹らなければ、何で死ぬというのか。それより『長生きしてもやることがない』ということのほうが問題でしょう。社会が健康長寿を求めるとき、置き去りにされるのは『何をして生きるか』『何のために生きるのか』という問いです。好きなことがない人生は生きていてもつまらないし、人間いつ死ぬかわからない。わかっていたらわざわざ生きる意味がない。僕が虫獲りに出掛けるのは、獲れる虫が何か前もってわからないからですよ。多くの人は自分の人生がコントロールできると思っています。旅へ出ても日程どおりに観光地を回り、安全に帰れてよかった、といって喜んでいる」と述べます。

さらに養老氏は、「核家族すら崩壊」として、「いま横浜市はすでに単身世帯が4割を超えています。東京はなおさらでしょう。日本の核家族化を心配しているうちはまだよかったけれども、いまは核家族すら崩壊している。つまり社会の崩壊です。2019年に発表された日本の出生数(2018年、厚生労働省の人口動態統計より)は過去最少の約92万人で、合計特殊出生率は1.42。再生産ができなくなった動物は、生物学的に見て絶滅危惧どころではありません。すでに『絶滅』一直線の状態。コロナウイルスよりも、少子化による絶滅を心配したほうがよいと思う」と述べるのでした。

「人類の団結はSFだけの世界?」では、中国を代表するSF作家である劉慈欣(リウ・ツーシン)が、「もし『未知のウイルス』をテーマに小説を書くとしたらどんな結末にしますか」というインタビュアーの質問に対して、「歴史上、いかなるウイルスも人類を滅ぼすことはできませんでした。ウイルスは本来、人を殺すことを目的にはしていません。人類との共存を望んでいるはずです。宿主が死んでしまったら、自らも生きてはいけないからです。別の星が衝突したり、宇宙人が侵略に来たりしたら、我々は自らの能力では対応できません。しかし、ウイルスはそもそも我々の体内にあるもので、人類の技術力、対応力で克服できる可能性があります。小説を書くなら、最終的に人類が疫病に打ち勝ち、生き抜いていく楽観的なストーリーにしたいですね」と述べています。これには、『心ゆたかな社会』(現代書林)で「『パンデミック宣言』は『宇宙人の襲来』と同じかもしれません。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を『ワンチーム』にする存在なのです」と書いたわたしは嬉しかったですね。

最後の「新型コロナウイルスが人類に与えた最大の教訓とは?」という質問に対しては、劉慈欣は「私はよく宇宙人をテーマに小説を書きます。我々が直面する最も不確実な要素の1つだからです。1万年たっても現れないかも知れないし、明日出現するかも知れない。でも、いったん出現したら、人類の運命はどうなるか予測がつきません。私がいま唯一予測できることは、『未来は予測できない』ということだけです。我々はこれほどまで不確実な世界に住んでいるのだと、全人類が心の準備をしなければならない。これが新型コロナが我々に与えた最大の啓示だと思います」と述べるのでした。

第二部「ウィズコロナを読み解く」の「コロナ後の世界を創る意志」では、ボストンコンサルタンティンググループ(BCG)のシニア・アドバイザーの御立尚資氏は、混迷の時代のリーダー像として、日本の後藤新平の名前を挙げます。「後藤新平というリーダー」として、「1894年に始まった日清戦争が終わりに近づくと、日本へ帰還する軍人のための検疫が問題となった。失敗すれば伝染病が日本に広がる恐れがあるなか、検疫事業を指揮した後藤は瀬戸内海の島を切り開き、帰国船のすべてを寄せて検疫をさせた。ドイツのヴィルヘルム2世が『この方面では世界一と自信をもっていたが似島の検疫所には負けた』と感嘆するほどの大事業であったが、当初は反対の声も上がった。しかし医師でもあった後藤はさまざまなステークホルダーを見事に説得して、日本を感染症から救ったのだ」と述べています。

また、御立氏は「後藤はのちに台湾統治で重要な役割を果たし、南満州鉄道総裁や東京市長として辣腕を振るうが、描くグランドデザインのあまりのスケールの大きさから『大風呂敷』と揶揄されることもあった。それでも彼は大きいプロジェクトを前に、必ず論理とデータ、そして感情と想像力を武器に果断に挑んだ。だからこそ周囲を巻き込めたのであり、その姿から学ぶべき点は多い」とも述べています。

「経済活動は『1/100作戦』で守れる」では、京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授の宮沢孝幸氏が、「新型コロナウイルスはどれほどの脅威なのか」として、「私たち人類は、これまでにウイルスのみならず、細菌、真菌、原虫、寄生虫などに痛めつけられてきた。たとえば、ペスト(細菌の一種であるペスト菌の感染症)は世界的に大流行し、14世紀には、当時の世界人口(4億5000万人)の22%にあたる1億人が死亡したともされる。19世紀末に原因菌が突き止められ、流行は治まったものの、ペストは現在も一部の地域で流行している。結核は『結核菌』の感染によるものであり、紀元前から存在していた。明治時代末までは、日本においても結核はおそろしい病であり、いまの人口に換算すると毎年24万人もの人が亡くなっている」と述べています。

「1/100作戦による感染予防」として、宮沢氏は「この国難を回避するためにも、私は国民の多くが、正しいウイルスの知識を身につけ、ウイルス感染回避策を実施することを心から願っている。何も難しいことはない。飛沫感染・空気感染予防においては、マスクをして、部屋の換気に留意する。接触感染予防においては、手を顔につけない、手洗いをこまめにする。手洗いも100%のウイルス除去ではなく、ウイルス量を1/100に減らすことを考える」と述べます。

そして、宮沢氏は「1/100を目指すなら手洗いも毎回、石鹸や洗剤を使用して念入りに洗わなくても、水洗いで十分である。水洗いが難しい外出先においては、濡れたハンドタオルやウエットティッシュで強く拭き取ることでも感染防御効果は大いに期待できる。ウイルス感染の原理原則さえ理解して、適切な行動をとれば、多大な経済的損失をもたらす接触機会削減政策をとらずとも、感染の拡大を阻止することも可能なのである。敵は存続をかけて飛び回ってはいるが、人類の知識を前にすれば、極めてか弱い存在である。この戦いにもし人類が負けるとしたら、それは、あまりに愚かである」と述べるのでした。これは、誰にでも実行できる、きわめて現実的かつ有効なアドバイスでであると思いました。

「私たちは『人間らしさ』を問われている」では、作家の瀬名秀明氏が、「インフォデミックの時代」として、「新型コロナウイルスと11年前の新型インフルエンザによるパンデミックを比較したとき、もっとも大きな違いは、多くの識者が指摘するようにグローバル化でしょう。いまや半日あれば、たとえば中国でコウモリに接触した人が日本に来て買い物や食事をすることが可能です。一方、情報共有がグローバル化により急速に進んだ側面もあります。これには功罪両面あり、情報が早く伝達されるのはメリットですが、毎日のように刻々と状況が変わるいま、ワイドショーで専門家と称する人びとの解説が日によって異なり、かえって国民に混乱を招いてしまう。インフォデミック(インフォメーション+パンデミック)という言葉も用いられていますが、情報の氾濫も含めてパンデミックを捉える必要があります」と述べています。

瀬名氏は、「不安に駆られてお上を非難するだけでいいのか」として、光明を見出すとすれば、世の中が一部「戦争モデル」を採るなかでも、本当の戦時下とは異なり精神的自由は担保されていることを指摘し、「『夜の街に出歩くな』といわれたときに、公衆衛生の観点から行動は制限されますが『そうか、そこまでいわれなきゃいけないのか』と感じる心の動きは保証されている。先の大戦ではそうした精神性や思想までもが統制されていましたから、その点では『人間らしさ』が完全に失われているわけではない。私たちはその事実に自信をもつべきです。非常事態下で身体の制限はされていても、心を上手に働かせることでバランスをとることこそが、まさに『人間だからこそ』できる危難の乗り越え方ではないでしょうか」と述べるのですが、これはまったくその通りでだと思います。

いくらコロナ禍が大変だと騒いでも、戦争に比べれば絶対にマシです。また、一条真也の読書館『コロナ後の世界を生きる』で紹介した岩波新書や『コロナ後の世界を語る』で紹介した朝日新書は、やたらと安倍政権批判が目立ち、中にはテーマから逸脱したような発言もりましたが、PHP新書である本書はニュートラルな立場でバランスが取れていたと思います。

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