No.1969 人生・仕事 | 書評・ブックガイド 『希林のコトダマ』 椎根和著(芸術新聞社)

2020.11.14

『希林のコトダマ』椎根和著(芸術新聞社)を読みました。「樹木希林のコトバと心をみがいた98冊の保存本」というサブタイトルがついています。2018年9月に逝去した女優の樹木希林さんは、一条真也の読書館『一切なりゆき~樹木希林のことば~』『樹木希林120の遺言』で紹介した著書からもわかるように言葉の感性の鋭い人でしたが、その背景には豊かな読書体験がありました。本書は、彼女が最後まで手元に置いた本たちを紹介した本です。著者は1942年、福島県生まれ。早稲田大学卒業。作家。「婦人生活」「平凡パンチ」「anan」編集部勤務、「週刊平凡」「popeye」編集長、「日刊ゲンダイ」「Hanako」「Olive」「COMICアレ!」「relax」などの創刊編集長として一貫して編集畑を歩きました。著書に、『popeye物語』『オーラな人々』『完全版平凡パンチの三島由紀夫』『フクシマの王子さま』などがあります。

本書の帯

カバー表紙には、「希林級決定版‟心機”の雑記帳も」と書かれています。帯には、故人の顔写真とともに、「樹木希林さんの本棚に残った最後の‟100冊”を初公開!――自筆の雑記帳も」と書かれています。

本書の帯の裏

カバー裏表紙には、希林の直筆が書かれた原稿用紙の写真が使われています。帯の裏には、「十数年前、樹木希林とこんな会話をした。本というのは、雑誌を含めて、溜りだすとすぐ大繁殖して家のなかを汚す。自分の家は、いつも整理整頓、余分なものはなにも置かない、絵も写真も飾らない主義の希林さんに、本をどういう具合にしているのか、とたずねた。答えは簡単だった。『百冊以上は、家に置かないの。あたらしく気に入った本、手元に置きたくなった一冊がでてきたら、百冊のなかの一冊を、人にあげてしまうの。だから、いつも百冊』という返事だった。――本書まえがきより」と書かれています。

ものを持たない、買わない生活をしていた樹木希林さんは、所有する本を100冊と決めていました。「まえがき」には、「ジャンル関係なく、自分の気に入った本しか読まない、大読書家で大女優のシンプルな考え方による蔵書システム。その遺された100冊のうち98冊を読んでみて、18歳の頃から亡くなるまでの57年間に、希林が手元に保存した本たちは、ひとつの赤い線で、つながっていた。簡単にいえば、希林が、『ことだま(言霊)』を感じた本しか保存しなかったということ。コトダマとは、ことばに宿っている不思議な霊感を感ずること。日本人は、大昔からそう信じていた。昔の人は、ことばの霊妙な働きによって幸福がやってくる、とも考えていた。なにか文章を頼まれると、希林は、『神さびの梅』などと、コトダマをこめた新語を考えだした」と書かれています。

98冊の中で、最初に目を引いたのは、『洟をたらした神』吉野せい著(弥生書房)です。本書には、「昭和50年頃、大量消費というプチ贅沢感をもたらした高度経済成長も小休止し、オイルショックという最初のグローバル化の荒波をかぶった日本で、”貧乏百姓たちの生活の真実のみ”を綴った『洟をたらした神』が大ベストセラーになった。作者は福島県の農民詩人の妻、吉野せい。山肌を夫とふたりで、クワとスキと手だけで開墾し、畑をつくり、自給自足的な生活をしながら、6人の子どもを育てた、血と汗と涙の50有余年の”書きたいものを書く”という覚悟で、この本が奇跡的に出版された」と書かれています。

吉野せいの生活は、食べるものがない日々、着るものも布団も満足にない、寒風がふきこむ掘立小屋の家、過重な税、貧困さから子どもが病気になっても医者を呼ぶことをためらい、死なせるといった具合でした。著者は、「毎日の過酷な労働と農作業。東京では主婦たちがトイレットペーパーの奪いあいをしてるというのに、ここは900年前と同じような生活レベル。この頃、希林は、世界一のカメラフィルム会社になったフジカラーのCMで、その独特なキャラクターとセリフで人気が急上昇中。希林は、この本を手にして、自分とはまったくちがう生き方をしてきた吉野せいの16篇の物語に、神の啓示のような感動を受けとったのだろう」と述べています。

また、遊び道具も何もない子どもたちは、自分で工夫しておもちゃを作りました。『洟をたらした神』には、「土台おもちゃは楽しいものでなければならない筈だから。大量生産されたものには、整った造型の美、研究された運動の統一した安定があるだろうが、この幼い子の手から生まれたものには、無からはじめた粗野があり、危なっかしい不完全があっても、確かな個性が伴う」と書かれていますが、希林はそこに傍線を引いていました。著者は、「希林も、生まれ出た娘、也哉子に、いっさい市販のおもちゃを買い与えなかった。だから、あれほど見事な個性を持つ娘に育った」と述べます。せいの夫、吉野義也の詩の「なげくな たかぶるな ふそくがたりするな」のくだりにも希林は傍線を引いています。著者は、「呪文のようなこの句は、希林の言葉のように読める。希林は、泣いただろう。泣かせられただろう。そして、そう生きた」と述べるのでした。

次に、『神(サムシング・グレート)と見えない世界』矢作直樹、村上和雄著(祥伝社新書)。著者は、この本について、「”希林保存本”中、いちばん多くの赤い傍線が引かれていた。なんと96ヵ所以上。希林がこの本を手にしたのは13年。つまり『全身がん』を公表した年である。残り10年の命と宣告されて、彼女は、死とこころと魂に、向いあわざるをえなくなった。その動揺が、96ヵ所にあらわれた。著者の矢作は、当時、東京大学大学院医学系研究科教授。村上は、筑波大学名誉教授、遺伝子の世界的権威。対談ではなく、ふたりが交互に、(見えない)霊・魂の存在と遺伝子の関係を解説した」と説明しています。

また著者は、「矢作は、「上の世代の義務に 『自らの死を見せる』ということがあります」と説き、大家族時代は、家族が自宅で死ぬ様を遺族が見守るというのは『大切な教育機会』という。希林は、そのようにして、自分の死に様を、娘や孫に、さりげなく見せた。村上は、新医療システムとして『健康院』を創設したら、と提言する。すると希林は、健康院のわきに赤線を引き、赤い文字で、『病院デナク』と書き入れているところが、可愛い」とも書いています。

さらに、「第5章『人間はどこに向かうのか?』の村上の主張が面白い。希林の赤線もこの章で急激に増えている。そのなかでも『それに、臓器移植は霊という存在を否定するものです。人間を単なる”入れもの”として見る思想です。そもそも肉体じたい、自分のものではなく借りものなのに、貸し主である神の許可もなく、”又貸し”するのは、神意に反した行為です』と。希林は、この又貸しの文字を線ではなく赤丸でかこんだ。霊魂の話に不動産用語がでてきたので、うれしくなったようである」とあります。

矢作氏と村上氏の対談本である『神(サムシング・グレート)と見えない世界』が出版されたのは2013年2月ですが、同年6月には矢作氏と小生の対談本である『命には続きがある』(PHP研究所)が刊行されています。『命には続きがある』のサブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」で、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長だった矢作氏とわたしの「命」と「死」と「葬」をめぐる対談が収められています。矢作氏の代表作である『人は死なない』(バジリコ)とわたしのグリーフケアの書である『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の2冊の本がクロスオーヴァーした内容です。

当時の矢作氏は「時の人」で、矢継ぎ早に多くの方々と対談本を出していますが、最も売れて、最も多くの読者を得たのは『神(サムシング・グレート)と見えない世界』と『命には続きがある』の2冊だとされています。ということは、希林さんが『命には続きがある』を求めて読んで下さった可能性もあるわけです。そうなると、わたしは葬儀の話をたくさんしていますし、 一条真也の新ハートフル・ブログ「おくりびと」で紹介した希林さんの娘婿である本木雅弘さんが主演した映画の話題にも言及していますから、同書を読んだ希林さんが自身の葬儀観についての考えを示した可能性も高かったと言えます。その意味では、まことに残念でした。なお、『命には続きがある』はこのたび、PHP文庫化されることが決定。文庫化によって、多くの方々に「死」と「命」の真相が知れ渡ることを願っています。

「死」と「命」の真相といえば、『希林のコトダマ』には、矢作直樹氏と同じく医師が書いた本も紹介されています。『死ぬときは苦しくない』永井友二郎著(日本医事新報社)という本です。「著者、永井友二郎は、昭和17年に海軍軍医中尉に任官。すぐ、戦史に残るミッドウェー海戦にかりだされ、”戦死”を目撃する。同期生の軍医は、戦死。はじめて”人間の死”を考えはじめる。第3次ソロモン海戦に従軍、そこでも戦死する兵隊を見る。次に『伊175号潜水艦』でキスカ島撤収作戦にあたる。また異動命令で、潜水母艦『平安丸』へ。永井のかわりに『伊175』に乗った三島有朋軍医は、すぐ『伊175』が轟沈され、三島も戦死。永井の乗った『平安丸』も、トラック島で爆撃され沈没。爆弾が艦に命中した瞬間に、永井は意識を失う。どれぐらい時間が経過したのか、気がつくと、手と顔に、ガラス片が無数に刺さっていた。海に飛びこみ、カッターに引き上げられた、その時、永井は、『これだけの怪我をしたのだから、このまま死ぬのかもしれない』と考えたまま、また意識を失う。永井は、医師としてはじめて『人間の肉体と意識』というものを考えはじめた。その戦闘体験と多数の戦死者の状況を見て、『人間は死ぬとき、意識が先に消え、痛くも苦しくもない』ということに気づく」と説明されています。

また椎根氏は、「戦争から戻った永井は、開業医としてくらす。その経験から、『実地医家のための会』を設立し、開業医の『終末期医療』は、どうあるべきかを考える。永井の結論は、『末期の病人に対して、不自然なことはできるだけやめてもらいたいものである』と。永井は、ソロモン海戦後、一時帰省を許され、1日だけ生家に戻る。その時に感じたのが”末期の目”。『残された時間の少なくなった人間の特殊な心情である。人間はこのとき、すべての欲望から離れ、親しかった人たちには勿論、まったく見ず知らずの人にさえ、心をよせ、手をにぎり、話しかけたくなり、別れを惜しみたくなる、そういう純粋な心の状態である。人間愛といってもいい』」と紹介しています。そして、「希林が、自分のがんを公表したのは、平成17年。強がりでいってしまったが、心細い心境の毎日だった。それを救ったのは、この本だった。平成20年、是枝裕和監督『歩いても 歩いても』の撮影時。その映画のテーマは『生老病死』。この本は、永井から手渡された。永井医師とおだやかな顔の希林が撮られた写真、二葉も、はさみこまれてあった」と結んでいます。

希林が最後に残した98冊は宗教についての本や詩集などが多いのですが、中には小説もありました。『永い言い訳』西川美和著(文藝春秋)です。椎根氏は、「希林は、いつも、映画の原作をさがしていた。筆者(椎根)も、なにかいい原作ないかと希林にいわれて、ラテンアメリカを代表する作家、ガルシア・マルケスの『大きな翼を持った老人』をコピーして渡した。しかし、亡くなるまで一度も、マルケスの短編の話の返事はなかった。筆者は、もし映画化するのであれば、海のそばで暮らす老夫婦の話なので、亭主の方は高倉健、女房は、希林が演ったらどうだろう。ただし、マルケスは、ノーベル賞作家だから、原作料はバカ高いと思う、といいそえた」と書いています。

椎根氏は、「15年、西川美和は完成した脚本をたずさえて、本木雅弘に出演依頼の話をした。本木はその脚本を希林に読んでもらい、アドバイスをうけた。『成熟できない人間のほころびのようなものを演じるようになると役者がもっと楽しくなる』と。西川の映画『永い言い訳』は、16年の10月に公開された。主演は本木雅弘」と書いています。そう、「おくりびと」と同じく、この映画も希林の娘婿が主演したのでした。映画については、一条真也の新ハートフル・ブログ『永い言い訳』をお読みください。

本書には、 一条真也の読書館『超訳古事記』で紹介した宗教哲学者の鎌田東二氏の著書も登場します。椎根氏は、「本書は、日本最初の本といわれる『古事記』を神道学者の鎌田東二が、”超学術”的に、再現したもの。古事記は、稗田阿礼が『誦習』した言葉を、太安万侶が漢字で書き起こした文書のこと。鎌田が、稗田に憑依して、鎌田の口からもれた古事記話を、編集者の三島邦弘がメモするカタチでつくられた。だから、『大きな流れや大意は『古事記』に沿っているけれども、一文一文の訳は自分なりの訳であり、自由訳、といえるでしょう』と、あとがきに記されている。超訳されたのは上巻のみ。悪逆非道の神、須佐之男命が、大蛇を退治して、美しい后を得て、『八雲立つ 出雲八重垣……』と歌ったことを、鎌田は『愛の言霊』をかなでた、と記した」と説明しています。「愛の言霊」といえば、サザンオールスターズの名曲「愛の言霊 ~Spiritual Message~」を連想しますが、じつは鎌田氏はこの曲のことを知りませんでした。昔、小倉のカラオケボックスで、わたしが「言霊の歌がありますよ」と鎌田氏に教えてさしあげ、ついでに歌ってさしあげたのでした(笑)。なつかしい思い出です。

『希林のコトダマ』には仏教関連の本が多いのですが、神道にも関心があったようで、椎根氏は「希林は、14年(平成26年)にドキュメンタリー映画『神宮希林 わたしの神様』(伏原健之監督)に出演する。この撮影で、はじめて伊勢神宮に御参りした。撮影に入る前、筆者(椎根)は、希林に会うたびに、古事記の上巻の”神物語り”にでてくる神様について質問された。筆者は、かねてより、原田常治(故人)の”神物語り”の本『古代日本正史――記紀以前の資料による――』を愛読していたので、それに准じて古代の神々についての話をした。原田の主張は、実地調査での推断により、他の学者の説とは、異なっていた。たとえば、”日本建国の祖は素佐之男尊だった”、”今の天照大神は素佐之男尊の現地妻だった”、”神武天皇は婿養子だった”、”邪馬台国は宮崎県西都市だった”などなどの新しい解釈であった。原田説で、もっとも特徴的なのは、邪馬台国の女王、卑弥呼は、日向(現、宮崎県)の大日霊女貴尊のことであり、のちに天照大神となった。その夫は、素佐之男尊という説」と書いています。

98冊の中で変わりダネでは、『したくないことはしない――植草甚一の青春――』津野梅太郎著(新潮社)があります。椎根氏は、「学生のデモが、さきごろの香港のように猛威をふるって東京の盛り場、新宿、銀座、六本木、60すぎのファンキーな雑文書きのおじさんがいた。まだ雑誌と本が大好きな青年たちが多数残っていた。そういうデモ騒ぎを別世界のこととして、植草甚一は、毎日毎日、東京中の古本屋をめぐり歩いて、自分ひとりでは持てないほど大量の古本を買っていた。”ぼくは散歩と雑学が好き”とか、”雨降りだからミステリーでも勉強しよう””ぼくは自由と安ものが好き””モダン・ジャズの発展――バップから前衛へ””映画だけしか頭になかった”などという、雑であり軽い思想が、自閉症気味の若者のココロを捕らえた」と紹介しています。

また、椎根氏は「植草の雑文のファンは男性が多かった。それも独身者か、妻帯者でも、妻とうまくいってないで、自分ひとりの小世界を持ちたいと妄想している、おとなしい夫というイメージがある。好きだという女性をあまり知らない。女性は本能的に、こんな男と結婚したら、汚れた古本に家中を占領されて、自分の理想のインテリアでみたされた家には一生、住めない、と感じていたのだろう。この『希林の100冊』が出版されることになったのは、希林との会話で、植草の家の惨状を見ていた筆者(椎根)が、本好きの人の家は汚くなりますね、読書家の希林さんは、どういうふうに整理しているのですか、と尋ねたことからはじまった。清潔好きで、読書家の希林の”100冊以上は置かない”という答が、きっかけだった。筆者は、平凡パンチ誌で68年から植草担当編集者だった。何度も、植草の家へ行った」と書いています。いやあ、面白いですね!

そして、最後に紹介する本が『柔らかな犀の角』山崎努著(文春文庫)です。椎根氏は、「週刊文春に、8年間にわたって連載された俳優、山﨑努の『私の読書日記』を単行本化したもの。大巨編を一気に読ませてしまう筆力と、読む者を疲れさせない、漬け物みたいな魔力を持った山﨑の構え方。新聞の書評にはあまり載らないタイプの本が、ところどころに散りばめてあって、その奇人変人、高齢者、落伍者が光彩をはなち、書物の発する、うっとうしい気分を雲散してくれる」と紹介しています。

山崎努氏といえば、わたしのお気に入りの俳優の1人でした。冠婚葬祭業界に身を置く者なら、氏の姿をスクリーンで見ていない人は少ないでしょう。なにしろ、「お葬式」(1984年)、「おくりびと」(2008年)という二大葬儀映画に重要な役で出演しているのですから。特に、「おくりびと」での納棺会社の社長役は素晴らしく、社長室でフグの白子を焼いて食べるシーンは最高の名場面でした。でも、わたしにとっての山崎努は、わたしが誕生した1963年に公開された黒澤明監督の名作「天国と地獄」(1963年)での犯人の青年役や、泉鏡花の幻想世界を見事に再現した「夜叉ヶ池」(1979年)の主人公の旅の僧侶役のイメージが強いです。本当に、「この人がいなくなったら、日本映画はどうなるのか」と思わせる名優だと言えるでしょう。

希林も山崎努の大ファンだったようで、椎根氏は「希林が、文学座に入った頃、彼女の”憧れの役者”は、山﨑努だった。人生のオシマイが近くなっても”憧れの山﨑努”。研究生の時から57年後、つまり希林が亡くなった年に、ふたりは、はじめて共演した。それが熊谷守一夫妻が主人公の映画『モリのいる場所』(沖田修一監督)だった。18年の暑い夏、がんは進行していた。それでも希林は自分で車を運転して、連日、鎌倉まで、でかけた。

一条真也の読書館『柔らかな犀の角』でも紹介したのですが、この本には一条真也の読書館『聖地感覚』で紹介した鎌田東二氏の著書も取り上げられています。山崎氏は、「そこにいるだけで、何となく緊張が解け、リラックスできる所がある。旅に出ると、あちこちぶらぶら歩き回って、そういう場所を探す。ここだ、と手応えがあったら、その地点に居坐り、うつらうつらしたりしてのんびりと過ごす(以前、南の島でそれをやり、日射病で死にかけたことがあるが)。そんなスポットを僕はいくつか持っている。鎌田東二著『聖地感覚』(角川学芸出版)に依れば、そのような場は、その人の『聖地』なのだそうだ」と述べています。

また、「聖地」をめぐって、山崎氏は「人はなぜ聖地を求め、巡礼をするのか? そこに決まった答えはない。人生がそうであるように『巡礼』も各人各様の理由とかたちをもっている。これからもくりかえし実践され、つづいていくに違いないと鎌田は言う。そう、アキバも冬ソナも軽々に扱ってはいけない。鰯の頭も信心から、その人にとってそれがかけがえのない信仰の対象であるならば(よほど悪質なものでない限り)認めてやらなければいけない。そもそもわれわれの『信仰』は、立場を異にする者から見ればすべて鰯の頭なのである」と述べ、さらには「古くから聖地、霊場として崇められている土地には、人間の聖なる感覚を刺戟し増幅させる自然の霊気が強くあるのだろう。三輪山、熊野、出羽三山等々を巡り歩いた鎌田のフィールドワークの記録が興味深い。湯殿山での滝行の描写など、臨場感があって紀行文としても優れている」と書いています。

山崎氏は、鎌田氏にいたく興味を抱いているようで、「著者鎌田東二は、宗教哲学、民俗学、日本思想史と、幅広い分野で研究を続けている学者である。この本の最大の魅力は、彼の底抜けに奔放なキャラクターが存分に発揮されているところだ。巻末の略歴紹介の欄に、石笛、横笛、法螺貝奏者、フリーランス神主、神道ソングライターとあって、笑ってしまった。おもむくままにやりたいことをやっている。毎朝、祝詞、般若心経を上げ、笛、太鼓、鈴、その他計十数種類の楽器を奉納演奏するので『時間がかかり、忙しいのだ』とぼやいている。お子さんに『お父さんはアヤシすぎる』と言われるそうだ。カバー折り返しに、著者近影の全身写真が載っている。カメラを意識してやや硬くなっているポーズがチャーミング。しばし見惚れた。『スピリチュアル・パワー』がメディアで安易にもてはやされている当節、鎌田の仕事は貴重である。彼のユーモアを大切にする柔らかなセンスに注目したい」とも書いています。

わたしは、この文章を読んだとき、本当に嬉しくて仕方がありませんでした。わが義兄弟のことを日本を代表する名優がこれほど高く評価してくれたのですから。また、鎌田氏に対する分析はまことに的を得ており、山崎氏の人間を観る目には只ならぬものがあります。ちなみに、この文章の初出が「週刊文春」に掲載されたとき、鎌田氏は大変喜ばれ、わざわざメールで知らせて下さいました。ちなみに、鎌田氏と小生の往復書簡集である『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)が絶賛発売中です! 鎌田氏の魅力が満載ですので、ぜひ、ご一読下さい!

『希林のコトダマ』に話を戻しましょう。巻末に置かれた「本を呼ぶ希林のコトダマ」で、椎根氏は、物理学者のヴォルフガング・パウリと心理学者のカール・ユングが協力しあって見つけた「シンクロニシティ(共時性)」という考え方を紹介します。「ココロと物質は、ひとつの共通の秩序からあらわれてくるものだ」という考え方ですが、一般的には「意味のある偶然の一致」とされています。椎根氏は、希林の身に起こったある偶然の一致を取り上げ、これを「250年という時空を超えて、シンクロニシティのストーリー」ととらえます。そして、「そこで大事なのは、いつもココロと言葉をみがいていた希林だからこそ、招きよせたシンクロニシティだ、ということです。人生には、言うべき時に、言いだせなくて、後で後悔することが、しばしばあります。しかし、希林は最高のタイミングで、どうするの? と言う鋭い判断力がありました」と述べるのでした。

また、椎根氏は「余談ながら、ユングとパウリがシンクロニシティを探求していたころ、ふたりのまわりで、よくポルターガイスト(騒霊)現象が起こりました。73年、W・フリードキン監督は、このポルターガイストと悪魔をむすびつけて映画『エクソシスト』をつくります。最高の学者ふたりが、真剣に騒霊解明に取り組んでいた、という話が、ホラー映画製作のきっかけになったのかもしれません。『エクソシスト』は世界中で大ヒットしました。そういう霊が引き起こすものに世界中の人々がひそかに興味を持っていたという事実……」とも述べています。

さらに、またしても鎌田東二氏が登場します。
椎根氏は、「もうひとつ、もう1冊の話。鎌田東二『超訳古事記』。鎌田は、稗田阿礼に憑依して、自分が語り部になりきって、”自分の古事記”を新しく書きおこしました。須佐之男命が大蛇を退治して、美しい娘と結ばれます。そして日本初のラブソングをつくりました」と述べ、「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」の歌を紹介します。椎根氏は、「鎌田は、その和歌を『愛の言霊』と記しました。この本も、希林の磁力=コトダマの力によって、100冊の本に、飛びこんできたものです」と述べます。鎌田東二、すごい! ところで、「愛の言霊」はわたしが鎌田氏にお教えしたことは書きましたっけ?

最後に、「あとがき」で、椎根氏は「ひとりの女優が、この世から消えて、1年と6ヵ月が過ぎた。その18ヵ月の間、無数といってよいほどの樹木希林にまつわる本が世の中にあふれた。娘の也哉子さんは、体を壊さんばかりの気苦労で、もう母に関する本は、このへんで終わりにしようと決心していた。そこに、私が、希林さんの100冊の蔵書を全部読んで、希林さんが見つけ出した言霊を、読んでみたい、と無理にお願いした。一周忌が終わった直後だった。也哉子さんは、希林さんと私の交誼を知っていて、やむなく許諾してくれた。それまで誰にも教えたこともない、見せたこともない、重い引戸のうしろにしまいこまれてあった100冊を借り受け、読みはじめた。そこには、日本人の心とカラダに関する事柄が、古事記から現代にいたるまでの、それは、本当に血が噴きださんばかりの、真の人間の激情にあふれていた」と述べるのでした。「その人の蔵書を見れば、その人の内面がわかる」とはよく言われることですが、本書を読んで、樹木希林という方がいかに「心ゆたかな」方だったのかがわかりました。近いうちに、わたしは『心ゆたかな読書』という本を上梓したいと思っています。

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