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No.1976 コミック 『鬼滅の刃(最終巻)』 吾峠呼世晴作(集英社)
2020.12.04
12月4日、漫画『鬼滅の刃』の最終巻となる第23巻が発売されました。初版395万部にもかかわらず、紙版のコミックがいきなり品薄でどうしても予約できず、アマゾンには「現在在庫切れです。この商品の再入荷予定は立っておりません。Kindle版(電子書籍)もあります」の表示が出るのみ。仕方ないので、生まれて初めてKindleで購入、iPad-miniで読みました。Netflixへの加入といい、鬼滅のおかげでまたしても初体験をしました。
生まれて初めてKindleで購入
一条真也の読書館『鬼滅の刃』でも紹介したように、「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載された吾峠呼世晴氏による大ヒット漫画です。シリーズ累計発行部数1億2000万部突破の大人気漫画の最新刊にして最終巻となる第23巻のタイトルは「幾星霜を煌めく命」。この巻には、ジャンプ掲載時にカットされた漫画8ページと6ページがそれぞれ作中に描き足されている他、吾峠氏の描き下ろしイラスト4ページ、特別漫画8ページ、あとがき文章2ページ、幕間に鉛筆が11ページの合計描き下ろしが26ページとなっています。
全国5紙の朝刊に掲出された広告
本日、「朝日」「読売」「毎日」「日経」「産経」新聞の全国5紙の朝刊に、『鬼滅の刃』単行本の累計発行部数1億冊突破を記念した「1億冊感謝記念広告」が掲出されました。「夜は明ける。想いは不滅。」のキャッチコピーで、主要15キャラクターが各紙3人ずつ3面にわたって登場。さらに作者の吾峠氏からの「応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。たくさんの方に助けていただき、支えていただきました。皆さまの歩く道が幾久しく健やかで、幸多からんことを心から願っております。」という読者へのメッセージも1面を使って掲載され、計4面の広告が各紙に展開されました。わたしも広告業界の出身ですが、こんな凄い新聞広告、生まれて初めて見ました。正直、度肝を抜かれました。
第1巻と第23巻(最終巻)の表紙
さて、最終巻の表紙は優しい笑顔を見せる竈門炭治郎と禰豆子。第1巻の表紙と並べると、二人の表情のあまりの違いに泣けてきます。内容紹介ですが、「鬼の始祖・鬼舞辻無惨と炭治郎たちの戦いは最終局面へ……!珠世が身を挺して投与した四種類の薬が、無惨を衰えさせ、追い詰めていく。炭治郎と禰豆子、そして鬼殺隊の運命は!? 永きにわたる鬼との闘争、ついに決着の刻!!」となっています。
ネタバレを承知で書くと、炭治郎ら鬼殺隊はついに鬼舞辻無惨を滅ぼし、「鬼のいない世界」を実現。最後は、大正時代から現代へと一気に時間が飛びます。そこには鬼殺隊の面々の子孫らしき人々、そして生まれ変わりらしき人々が暮らしています。推察するに、炭治郎はカナヲ、善逸は禰豆子、伊之助はアオイと結ばれたようです。これを知って、わたしはホッコリとした気分になりました。こんなにも悲惨な運命の数々を描いた物語がハッピーエンドで本当に良かった!
『結魂論』(成甲書房)
特に、これだけの大ヒット漫画が結婚をイメージさせる終わり方をしてくれたことが嬉しかったです。なんでも、作者の吾峠氏は現在31歳の女性で、福岡で婚活中だとか。ぜひ、良きお相手に恵まれることをお祈りしています。日本人の離婚が1年間で30万件を超え、なお増え続ける一方です。さらに最近では、「コロナ離婚」まで登場しました。しかし、結婚を否定しては日本という国家も存続しませんし、人類そのものも滅亡してしまいます。拙著『結魂論』(成甲書房)にも書きましたが、そもそも「縁」があって結婚するわけです。「浜の真砂」という言葉があるように、数十万、数百万人を超える結婚可能な異性の中からたった1人と結ばれるとは、何たる縁でしょうか!
最後は、最強の「夫婦」たちが誕生!
結婚とは最高・最大の「縁」だと言えますが、「縁」はよく「絆」と近藤されます。しかしながら、「縁」と「絆」は似て非なるものです。わたしは「縁」とは人間が社会で生きていく上での前提条件であり、「絆」とはさまざまな要因によって後から生まれるものだと考えています。「縁」のない人はいませんが、誰とも「絆」を持てない人はいます。いわば、「縁」とは先天的であり、「絆」は後天的であるとも言えるでしょう。そして、極限体験を共有した者の心の「絆」は強固です。「きずな」という字には「きず」の字が入っています。痛み、苦しみ、悲しみ、不安、恐怖といった心の傷を共有した者たちの絆は強く結ばれていますが、その意味では戦友の絆は最強だと言えます。炭治郎とカナヲ、善逸と禰豆子、伊之助とアオイも鬼を相手に共闘した戦友であり、最強の絆で結ばれた夫婦なのです。
『唯葬論』(サンガ文庫)
『鬼滅の刃』のラストには主要登場人物たちの子孫が描かれたわけですが、この物語には彼らの両親や祖父母、さらには先祖たちも登場します。主人公である炭治郎の竈門にも豊かなファミリー・ストーリーがありました。先祖とは「死者」です。この物語は、ずっと死者の気配に満ちていました。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。わたしは、これは教育上にも良い漫画だと思いました。さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。そう、鬼ももともとは人間であり、哀しい存在なのです。
「サンデー毎日」2016年10月9日号
教育上にも良いといえば、子どもたちは『鬼滅の刃』で「死」そのものを学んだような気がします。かつて、わたしは小学生の頃にテレビの洋画劇場で「風と共に去りぬ」を観ましたが、「よく人が死ぬなあ」とも思ったものです。南北戦争で多くの兵士が死に、スカーレットの最初の夫が死に、2人目の夫も死に、親友のメラニーも死ぬ。特に印象的だったのが、スカーレットとレットとの間に生まれた娘ボニーが落馬事故で死んだことです。わたしは「映画というのは、こんな小さな女の子まで死なせるのか」と呆然としました。わたしは人生で最初に鑑賞したこの映画によって、「人間とは死ぬものだ」という真実を知ったといえます。それと同じ役割を『鬼滅の刃』の漫画やアニメが果たしたのではないでしょうか。
「死のポルノグラフィー」などと言われて久しいですが、わたしの社会では「死」が隠されています。特に、東日本大震災以降は、テレビなどに遺体は絶対に映らなくなってしまいました。子どもたちの読む漫画からも残虐な殺人シーンなどは忌避されています。そんな中で、鬼と鬼殺隊の死闘における残虐シーンも満載な『鬼滅の刃』に子どもたちが接することによって、彼らが「死」を学んだような気がします。子どもから「死」を排除する考え方には、わたしは絶対に反対です。「死」を知らない子どもは、「死」を知らない大人に成長してしまいます。それは不健康でしかありません。ちなみに、童話の世界に初めて「死」が持ち込まれたのはアンデルセンの『人魚姫』であり、それに続く『マッチ売りの少女』だとされています。
『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)
いま、「遺体」と言いましたが、『鬼滅の刃』のラストには、炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助の遺体が登場します。どういうことか。中国哲学者で儒教研究の第一人者である加地伸行氏によれば、「遺体」とは「死体」という意味ではありません。人間の死んだ体ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」というのが、「遺体」の本当の意味です。つまり遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子であり、孫であり、子孫なのです。このように、『鬼滅の刃』には主要登場人物たちの先祖も子孫も描かれています。拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書きましたが、わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちなのです。
『命には続きがある』(PHP研究所)
さて、登場人物たちの遺体=子孫だけでなく、『鬼滅の刃』のラストには登場人物たちの生まれ分かりとおぼしき人々の姿も見ることができます。じつは、ここは鬼滅ファンの間に大きな賛否両論を呼んだようです。というのも、「一度失われた命が蘇ることはない」と考えた読者が多かったようなのです。生まれ変わりとは「輪廻転生」のことですが、ここは作者の死生観が完全に反映していると言えるでしょう。その死生観とは、「命には続きがある」ということです。わたしは、2013年に、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長(当時)だった「勇気の人」こと矢作直樹氏と対談本『命には続きがある』(PHP研究所)を上梓しました。対談の中でも「輪廻転生」について大いに語り合いましたが、同書がこのたびPHP文庫化されることになり、一条真也の真ハートフル・ブログ「対談には続きがある」で紹介したように、先月20日に再対談しました。その内容も収録した文庫版は2月4日に発売予定です。
『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
生まれ変わりという考え方は、グリーフケアにおいても大きな力を発揮します。拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、生まれ変わりは、古来から人類のあいだに広く存在した考え方です。世界には、輪廻転生を認める宗教がたくさんあります。ヒンドゥー教や仏教といった東洋の宗教が輪廻転生を教義の柱にしていることはよく知られていますが、イスラム教の神秘主義であるスーフィーの伝統でも、詩や踊りの中で輪廻転生が美しく表現されています。ユダヤ教では、何千年も前から柱の一つとして、輪廻転生を肯定する「ギルガル」という考え方がありました。ユダヤの神秘思想である「カバラ」も輪廻転生に多く言及しています。約二世紀前に、近代化をはかった東欧のユダヤ人によってこの考え方は捨てられましたが、今でも、一部の人々の間では輪廻転生の思想は生きています。
そして、キリスト教は輪廻転生を否定していると思われています。もちろん、現在はそうです。しかし、過去は違いました。キリスト教も初期の頃は輪廻転生を認めていたのです。もともと『新約聖書』には輪廻転生の記述がありました。それが、紀元四世紀、コンスタンティヌス帝がキリスト教をローマの国教としたときに削除したのです。紀元6世紀には、コンスタンティノープルの宗教会議において、公式に輪廻転生は異端であると宣言されました。いずれも輪廻転生という考え方が帝国やキリスト教会の安定を脅かすと思われたからです。前世や来世があるという考えでは、救済されるまでに時間がかかりすぎます。一回きりの最後の審判というおどしによって、信者に正しい行動をさせる必要を感じたのです。それでも、輪廻転生を信じるキリスト教徒もいました。イタリアと南フランスにいたカタリ派の人々です。しかし、彼らは異端として虐殺されました。12世紀のことです。
日本でも、生まれ変わりは信じられてきました。江戸時代の国学者である平田篤胤は、「生まれ変わり少年」として評判だった勝五郎のことを研究しました。文化・文政年間に武蔵国多摩郡で実際に起きた事件ですが、勝五郎という名の八歳の百姓のせがれが「われは生まれる前は、程窪村の久兵衛という人の子で藤蔵といったのだ」と言い出しました。 仰天した祖母が程窪村へ連れていくと、ある家の前まで来て、「この家だ」と言って駆け込みました。また向かいの煙草屋の屋根を指さして、「前には、あの屋根はなかった。あの木もなかった」などと言いましたが、すべてその通りでした。これが日本で最も有名な生まれ変わり事件です。西洋の歴史をみると、ピタゴラス、プラトン、ミルトン、スピノザ、ゲーテ、ビクトル・ユーゴー、ホイットマン、イプセン、メーテルリンクといった人々は、みな輪廻転生を肯定する再生論者でした。
さらに『鬼滅の刃』には、超高齢社会を生きる日本人への大切なメッセージも込められています。最終巻では、鬼の祖である鬼舞辻無惨がついに太陽光に滅せられますが、その死に至るまでの悪あがきにはすさまじいものがありました。彼は老いることと死ことを異常に恐れ、「不老不死」を得て、「完全な生物」をめざします。最後は、炭治郎に自身の血を与えて鬼と化します。無惨は炭治郎を「完全な生物」の後継者にしようとするのでした。無惨の「不老不死」「完全な生物」への夢は、部下である鬼たちも共有しています。一条真也の真ハートフル・ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した映画では、「上弦の鬼」である猗窩座と「炎柱」である煉獄杏寿郎との死闘が描かれます。猗窩座は練り上げられた武と共に、強者に対しての敬意を持ちます。
精神も肉体も強靭な煉獄にリスペクトの念を抱いた猗窩座は「お前も鬼にならないか?」「俺はつらい 耐えられない 死んでくれ杏寿郎 若く強いまま」などと言います。彼にとって、人間とは老いて死すべき不完全な存在であり、不老不死である鬼こそが完全な存在なのです。しかし、煉獄は「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ」と言います。このセリフには100%共感し、感動しました。わたしも、人間の醍醐味は「老いる」ことと「死ぬ」ことにあると考えています。また、生物とは「死ぬ」から生物なのであり、死なない生物がいたとしたら、それが「完全な生物」ではなく、逆に「不完全な生物」であると思います。
わたしは、「完全な生物」という夢を見る鬼舞辻無惨から秦の始皇帝を連想しました。始皇帝は古代中国を統一した英雄です。現代中国の力の源泉は、14億という膨大な人口にあります。では、なぜこれほどの人が暮らす広大なエリアを、中国の歴代帝国は何度も統一し支配することができたのか? そのような場所は、人類史上、中国大陸以外に存在しません。答えは初の統一帝国・秦にあります。秦が採用した統治のノウハウが2000年にわたって引き継がれたために、中国は繰り返し統一されたのです。大ヒットした漫画『キングダム』では、秦の真実がエンターテインメントとして見事に描かれています。始皇帝は、度量衡を統一し、「同文」で文字を統一し、「同軌」で戦車の車輪の幅を統一し、郡県制を採用しました。そのうちのどれ一つをとっても、世界史に残る難事業です。その難易度たるや郵政民営化などの比ではない。始皇帝は、これらの巨大プロジェクトをすべて、しかもきわめて短い期間に1人で成し遂げたわけです。
それほど絶大な権力を手中にした始皇帝でしたが、その人生は決して幸福なものではありませんでした。それどころか、人類史上もっとも不幸な人物ではなかったかとさえ私は思います。なぜか。それは、彼が「老い」と「死」を極度に怖れ続け、その病的なまでの恐怖を心に抱いたまま死んでいったからです。始皇帝ほど、老いることを怖れ、死ぬことを怖れた人間はいません。そのことは世の常識を超越した死後の軍団である「兵馬俑」の存在や、徐福に不老不死の霊薬をさがせたという史実が雄弁に物語っています。いくら権力や金があろうとも、老いて死ぬといった人間にとって不可避の運命を極度に怖れたのでは、心ゆたかな人生とはまったくの無縁です。
『ハートフル・ソサエティ』(三五館)
逆に言えば、地位や名誉や金銭には恵まれなくとも、老いる覚悟と死ぬ覚悟を持っている人は心ゆたかな人であると言えます。どちらが幸福な人生かといえば、疑いなく後者でしょう。心ゆたかな社会、ハートフル・ソサエティを実現するには、万人が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つことが必要なのです。そのことを兵馬俑をながめながら、考えました。ある意味では、異常なまでに「老い」と「死」を怖れたからこそ、現実的にはあれほどの大事業を遂行するエネルギーが生まれたのかもしれません。始皇帝は天下を統一し、皇帝となりましたが、それまで誰もが使っていた「朕」という言葉を、皇帝以外は使ってはいけないとするなど、皇帝の絶対化を図りました。皇帝の絶対化は国家を運営していく上で必要なことでしたが、始皇帝は次第に自分を絶対的な存在であると考えるようになっていったのです。
『心ゆたかな社会』(現代書林)
天下統一の大事業を成し遂げた自分は、普通の人間ではない、絶対者であるという気になっていったのです。絶対者とは、具体的に言えば、不老不死の人間、つまり神や仙人のような存在です。『史記』に「死を言うを悪む」とありますが、始皇帝は「死ぬ」と言うのを非常に嫌いました。そして、「群臣あえて死の事を言うなし」、家来たちも「死ぬ」というようなことは口にしません。それは禁句になっていたのですが、いくら禁句にしても死は迫ってきます。死から逃げ回った生涯でしたが、とうとう河北省の沙丘というところで死の恐怖にうちまみれながら始皇帝は死んでいったのです。拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)心ゆたかに生きるには、「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持たなければならないのです。そして、心ゆたかな社会とは、人々が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」、つまりは死生観をもっている社会であると言えるでしょう。『鬼滅の刃』には、超高齢社会を生きる日本人へ「死生観を持て」というメッセージを発信しているような気がしてなりません。
ラスト・メッセージは「命には続きがある」!
そして、『鬼滅の刃』という作品のラスト・メッセージは、「命には続きがある」でした。死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、その別れは永遠のものではありません。大切な人とは、いつか、また必ず会えます。たとえば、風や光や雨や雪や星として会える。夢で会える。あの世で会える。生まれ変わって会える。そして、月で会える。いずれにしても、必ず再会できるのです。ですから、死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものだと思います。先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。それだけのことなのです。この日、わたしは京都へ向かい、全互協の副会長として共に頑張ってきた戦友の通夜に参列します。56歳という若さでの突然の別れに呆然とするばかりですが、いつか、また故人と必ず会えることを信じて、心より御冥福をお祈りしたいと思います。