心理・自己啓発 『「鬼滅の刃」流 強い自分のつくり方』 井島由佳著(アスコム)

2020.12.25

メリー・クリスマス! 今年の子どもたちのクリスマス・プレゼントは、「日輪刀」をはじめ、『鬼滅の刃』関連グッズが大人気だそうです。
『『鬼滅の刃』流 強い自分のつくり方』井島由佳著(アスコム)を紹介します。2020年4月24日に刊行された本です。著者は、大東文化大学社会学部社会学科助教、心理・キャリアカウンセラー。1970年東京生まれ。東京家政大学大学院家政学研究科人間生活学専攻修了。博士(学術)。専門は教育心理学、キャリア心理学。『鬼滅の刃』や『ワンピース』、『NARUTO』などマンガを活用した講義・研修・セミナーが人気だそうです。

本書の帯

本書のカバー表紙には、「なさけない自分、弱い自分に今日でさよなら!」と大書され、「炭治郎を強くした『誰かのために』という思い」「あなたは、鬼にもやさしさを向けられるか」「毎日の積み重ねが、心も体も強くする」「炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助…このマンガは折れない心をつくる教科書!」と書かれています。

本書の帯の裏

また、カバー裏表紙には、「強い自分をつくるために必要なもの」「あきらめない心」「素直さ」「自信」「仲間を信じる心」「優しさ」「使命感」「正直さ」「『鬼滅の刃』で、あなたも、最強の自分を手に入れよう!」と書かれています。

さらに、カバー前そでには、こう書かれています。
「炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助が、どんどん強くなれるのはなぜか…大切な人を守るため、敵を倒すため。思い通りにならないことがあっても、投げ出さずに立ち向かう。強い心のつくり方を『鬼滅の刃』から学ぼう!」

そして、アマゾンには。「●『鬼滅の刃』は強い自分を作るための教科書になる」として、以下のように書かれています。
「私たちが生きている現実世界は、過酷です 思い通りにならない。やりたいことは自由にできない。欲しいものはすぐに手に入らない。自分はなんて弱いんだ、もうダメだと思い知らされることが多いことでしょう。生き抜くためには、強い自分をつくりなさい、とよくいわれると思います。でも、どうすれば強くなれるのか、多くの人が考えあぐねています。それは、誰も「こうすれば強くなれる! 」とはっきりと答えられないからでしょう。『鬼滅の刃』では、それがわかりやすく示されます。竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助、富岡義勇、胡蝶しのぶ、煉獄杏寿郎…どうすれば、人は強くなれるのか。強いといわれる人は、どうふるまうのか。何を考えているのか。キャラクターを通して、描かれます。キャラクターの必殺技や攻撃は、現実にはまねすることはできませんが、心の持ち方や自分の高め方は、私たちもまねできます。『鬼滅の刃』には、リアルに通じる教えが描かれています。みんなが誰かに教わりたかった、強く生きるための教えが詰まっています。この本では、『鬼滅の刃』に込められたメッセージを、キャラクターのセリフや印象的なシーンを紹介しながら、ひも解いていきます。鬼たちの言動も反面教師として紹介していきます。みなさんが強い自分を手に入れて、どんな困難に直面しても、自分の手で未来を切り開き、夢をかなえるための一歩を踏み出す、お手伝いができれば、幸いです」

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
『鬼滅の刃』の対立図
本書で紹介する『鬼滅の刃』のストーリーの主な登場人物
第1章 強い自分づくりに

    欠かせない、

    たったひとつの心がけ
~「積み重ね」がひとりの炭売りの少年を変えた~
第2章 折れない心のつくり方
~炭治郎はなぜあきらめないのか~
第3章 強い人がやっている

    自分を強くする習慣
~炭治郎が強くなった理由~
第4章 仲間を引きつける

    「強さ」の秘けつ
~炭治郎の優しさは真の強さの表われ~
第5章 人間の弱さを鬼に学ぶ
~鬼は人間の反面教師だった~
「おわりに」

「はじめに」で、著者は、「『鬼滅の刃』が教えてくれる『強さ』とは」として、「どうすれば、人は強くなれるのか。強いといわれる人は、どうふるまうのか。何を考えているのか。キャラクターを通して、描かれますたとえば、主役の竈門炭治郎。彼は、本当に強い人です。でも、炭治郎は、力や技だけが強いわけではありません。炭治郎の強さは、炭治郎の人となりが支えています。たとえば、自分に厳しく、他人に優しくできるところ。良いと思うことに対しては「良い」、悪いと思うことに対しては「悪い」とはっきり言えるところ。とにかく家族思いで、仲間思いなところ。それでいて、人間の敵である鬼に対してまでも慈悲の心を持っているところ。恨まない。妬まない。引きずらない。素直で、純粋で、ひたすら相手の良い部分を探し、そこに目を向け、認めようとするところ……」と述べています。

『鬼滅の刃』はストーリーが面白いだけでなく、キャラクターそれぞれに強い個性があって、人生のお手本にしたいと思わせるところも、この作品が幅広い層の心をつかむ一因となっていると指摘し、著者は「大人も子どもも、みんなが誰かに教わりたかった、強く生きるための教えが、このマンガには詰まっています。だから、みんなの心に刺さり、みんなを熱くさせるのです」と述べています。わたしは、「修行」や「修養」や「修身」といった、かつての日本人が大切にした精神文化が『鬼滅の刃』の中には描かれていると思います。

「失っても失っても生きていくしかないです。どんなに打ちのめされようと」(2巻 第13話「お前が」より)
これは、婚約者が鬼に喰われたことを知り、ショックで自分を見失った状態になっている和巳という青年に、炭治郎がかけた言葉です。著者は、「相手のことを気づかいつつも、ここで立ち止まらずに前を向くことの重要性を、自分にも言い聞かせるように説いています。理不尽な現実は変えられないことを受け入れ、それに絶望せずに次の一歩を踏み出そうとする、炭治郎の強さをまさに象徴しているセリフといえるでしょう」と述べています。

また、舞台が大正時代ということもあり、古き良き日本人の美しい心を大切にしているところが感じられるとして、著者は「目標達成には努力の積み重ねが欠かせないこと。人間は決して1人では生きていけないという現実。相手を認め、敬い、大切にしようとする姿勢の重要性。『鬼滅の刃』は、私たちが当たり前のように思っていながらも、ふだんなかなか意識することのできない”人生の真理”のなんたるかを、人間の強さをこれでもかというほど示してくれます」と述べるのでした。

第1章「強い自分づくりに欠かせない、たったひとつの心がけ~『積み重ね』がひとりの炭売りの少年を変えた~」では、「炭治郎を変えたあのときの覚悟」として、著者は「私たちが炭治郎に強い自分のつくり方を学べるのは、刀さえまともに振ったことがない炭売りの子が、技術だけでなく、タフな心も必要な剣士になっていく成長過程を見ることが出来るからです。炭治郎は、小さいころから剣士のエリートとして育てられてきたわけではありません。その道のりは順風満帆とはいきませんでした。だからこそ私たちには学べることがたくさんあるのです」と述べています。

また、著者は第1話で、炭治郎が鬼殺隊の水柱である富岡義勇と戦ったけれども惨敗したことに触れ、「炭を売っていた少年が鬼を斬る。義勇との実力差を知れば、その目標がとてつもなく高いものであることはわかります。それでも、その目標に対する思いが強ければ、人間は前を向いていけるものです。そして、その思いが目標を達成する可能性を高めてくれることもあります。これを、『達成動機』といい、失敗を恐れずに目標に向かって挑戦し続ける強い気持ちの原動力になります」

「これは俺の型だよ 俺が考えた俺だけの型」(17巻 第145話「幸せの箱」より)
わたしたちは、炭治郎や善逸のように特殊な才能を持っているわけではありません。でも、ひとつのことに徹底して取り組むことによって、自分なりの型を見つけることはできるとして、著者は「コツをつかむ。効率の良い方法を見つける。自分がやりやすいように工夫する。そう考えるとわかりやすいでしょうか」と述べます。

また、茶道・華道・書道(もしくは香道)の「三道」といわれる日本の伝統芸能、あるいは武道などに通じる「守破離」という考え方があることを紹介し、著者は「これは、茶道千家流の始祖である千利休の『規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな』という教えから広まったものといわれ、基本をベースにしながらひとつのことに真剣に向き合えば向き合うほど上達し、その経験から独自の個性が生まれるというものです」と述べいます。

「人との絆は積み重ねることで深くなる」では、著者は「家族間の絆は、生まれたときにすでに存在するものであり、自分1人の意思で簡単に断ち切ることはできません。最近は、愛し合ったり支え合ったりできない家族が増えてきていることが気になりますが、それでも人生のあらゆる局面でかかわり合いを持つことになります。そこにいて当たり前、今さら気恥ずかしいという意識がどうしても生じるため、朝起きて目が合ったら『おはよう』、なにかを手伝ってくれたら『ありがとう』という、基本中の基本の言葉が出てこない人もいます」と述べています。

でも、著者は「その殻を破ってみてください。竈門家とまったく同じようにはいかなくても、家族全体が、そしてみなさんの心が、今よりもずっとあたたかく幸せな気持ちに満ちあふれるでしょう。これに対し、他人との絆というものは、最初はありません。同じ時間を何度も共有し、会話を交わし、関係を深めていかない限り生まれないものです」と述べるのでした。

『鬼滅の刃』は、仲間との友情や信頼、すなわち絆というものがなければ、絶対に乗り越えることのできない壁があるということを教えてくれるとして、著者は「人間は1人では生きていけません。必ず家族以外の人とかかわりを持つシーンが訪れます。学校や会社がその際たる例で、合う合わない、好き嫌いに関係なく、誰かと一緒に行動することが求められます。もちろん、どんな人ともうまくいくとは限らないでしょう。むしろ、うまくいかないことのほうが多いかもしれません。だから、いじめが起こったり、陰で互いのグチや悪口を言い合ったりすることが、残念ですが、なくならないのです」と述べています。

続けて、著者は「しかし、嫌なことから逃げてばかりで幸せになれるでしょうか? 自分が思うような人間関係ではないからという理由で、その場から立ち去ったり、会社を辞めたりする人は、次の場所でも同じような問題を抱え、なかなかひとつのところに定着できないものです。このような状態を青い鳥症候群といいます」と述べるのでした。

第2章「折れない心のつくり方~炭治郎はなぜあきらめないのか~」の「『誰かのために』という思いは人を強くする」では、著者は「もし、禰豆子もろとも竈門家の全員が鬼に惨殺されていたら、炭治郎はここまで強くなることができたでしょうか?」とたとえ話をした後で、「これは強引なたとえ話です。禰豆子が最初に死んでしまったら、『鬼滅の刃』という物語が成立しません。ですが、それを承知のうえであえて想像をめぐらせると、その後、鬼殺隊の剣士として成長する炭治郎の姿はなかったと思います。状況的に、仇討ちに燃えていたかもしれませんが、自分しか残されていないという無力感がどこかで先に立ち、鬼舞辻にたどり着くことはとうていできなかったのではないでしょうか」と述べています。

また、著者は以下のようにも述べます。
「鬼化してしまったとはいえ、まだ生きている禰豆子がいるから。禰豆子のために人間に戻す方法を突き止めたいと心底思ったから。炭治郎は数々の試練に立ち向かい、乗り越えることができたのです。このように、『自分のため』だけでなく、『誰かのため』という思いを持っていると、人間はさらに大きなパワーを発揮することができます。なぜなら、人は誰かのためになにかを達成したときのほうが、満足感が高くなるからです」

日本人はとくに他人に対して無関心、それも都会に住む人ほどその傾向が強いといわれていることを紹介した後で、著者は「それでも、人は誰でも思いやりの心を持っており、他人のために行動を起こすことはできるものです。他人に気を配ること、他人を助けてあげることを、心理学用語で『援助行動』や『向社会的行動』というのですが、それができる人は、できない人よりも強い心を持てるようになります」と述べます。

「自分を鼓舞すれば、心の炎が消えることはない」では、炭治郎を筆頭に、鬼殺隊のメンバーは自分を鼓舞するため、あるいは律するための言葉を、よく口にしたり、心の中で念じることに言及し、著者は「頑張れ、やれる、できる、怯むな、落ち着け、集中しろ、あきらめるな、喰らいつけ、負けるな、という具合です」と述べています。

「頑張れ 炭治郎 頑張れ! 俺は今までよくやってきた!! 俺はできる奴だ!! そして今日も!! これからも!! 折れていても!! 俺が挫けることは絶対に無い!!」(3巻 第24話「元十二鬼月」より)
これは、元十二鬼月・響凱との戦いの際に、炭治郎が叫んだ言葉ですが、強力な敵に立ち向かうべく、全力で己を鼓舞しています。まさに言葉には力があるという「言霊」の思想を実践していると言えるでしょう。

「確固たる使命感があれば迷いも焦りも消え失せる」では、鬼殺隊のメンバーたちが使命感を得ることによって、迷いや焦りを断ち、まっすぐに行動できるという、プラスの効果を感じさせるシーンを『鬼滅の刃』からたくさん見ることができるとして、著者は「その最たる例が、炎柱の杏寿郎と上弦の参の猗窩座が対峙するシーンでしょう。猗窩座から鬼になることを誘われた杏寿郎は、それを突っぱね、猛攻撃をしかけられて窮地に立たされたときにこう言い放ちます。

「俺は俺の責務を全うする!! 
 ここにいる者は誰も死なせない!!」(8巻 第64話「上弦の力・柱の力」より)
著者は、「死ぬかもしれないという状況に追い込まれながらも、この毅然とした態度。杏寿郎が、自分が柱という立場にいることを認識し、圧倒的な使命感を得ているからこそ言えるセリフだったと考えていいでしょう。使命感は、確実に人間を強くしてくれるものなのです」と述べています。まったく同感です。

第3章「強い人がやっている自分を強くする習慣~炭治郎が強くなった理由~」の「目の前の課題に素直に取り組む」では、著者は「炭治郎はなぜここまで強くなることができたのでしょうか? 私は、ばか正直といっていいほどの素直さ、愚直さが、その大きな要因のひとつになっていると思います。素直に人の言うことを聞く。素直に前を向く。素直に相手の強さを認める。この姿勢が、炭治郎が強くなる源泉になったのは間違いありません。炭治郎の素直さは、本当にまぶしい。心の底からうらやましくなるほどです」と述べています。

「『お前には負けない』が行動力につながる」では、負けたり失敗したりしても、悔しがらない若者が増えてきているということを大きな問題として取り上げ、著者は「人と競うことが行動に対するモチベーションにならない人が多くなってきました。教育の現場にいると、とくに最近は強く実感します。負けても失敗しても『スルー』する感じです。適当にやっていれば適当に生きられる世の中になってしまったからでしょうか」と述べます。 続けて、著者は「とにかく意欲や向上心を持たない人が目立つようになってきました。別に一番じゃなくていい。カッコイイ車は別にいらない。家を建てなくてもいい。結婚はしてもしなくても別にどちらでもいい。可もなく不可もなしの人生で構わない。人と比べず、自分は自分だから、と」とも述べています。

さらに続けて、著者は「その一方で、好きなアニメは観たいとか、応援しているバンドのライブに行きたいとか、そういう欲はあります。また、損得勘定は持っているので、『これをやらないと損をするな』とわかれば、多少はやる気が出るようですが、それまでで、こうしたいとか、こうなりたいとか、そういう思いはありません。本当につかみどころがないのです」とも述べるのでした。この著者の指摘は、まったくその通りですね。

第4章「仲間を引きつける『強さ』の秘けつ~炭治郎の優しさは真の強さの表われ~」の「あなたも炭治郎のように鬼にも優しさを向けられるか?」では、著者は以下のように述べます。
「炭治郎はボロボロと崩れゆく亡骸を前に手を合わせ、どうか成仏してほしいと念じます。さらにその直後に現れた、鱗滝やその弟子たちと深い因縁のある手鬼を倒した際は、先輩剣士たちの憎き仇であるにもかかわらず、差し出された手をぎゅっと握りしめ、こんな言葉を投げかけます」

「神様どうか この人が今度生まれてくる時は 鬼になんてなりませんように」(2巻 第8話「兄ちゃん」より)
著者は、「炭治郎は、とにかく優しいのです。彼と戦った多くの鬼たちは、死ぬ間際に人間だった頃の記憶を取り戻し、鬼になってしまったことに対して懺悔の念を抱きます。『遅い!』といってしまえばそれまでですが、憎悪に満ちたまま死ぬよりははるかにましでしょう。ある意味、炭治郎が美しい最期を用意してくれたと考えてもいいかもしれません」と述べます。

「あなたは誰かを心から応援できるか?」では、著者は「炭治郎は、他人を助けることにかけて天下一品ですが、同時に他人を全力で応援することもできる人です。『頑張れ』が口癖ですし、同期の善逸や伊之助と一緒に鬼と戦っているときは、くどいくらいにはっぱをかけています。応援されたほうは、絶対に悪い気はしませんし、さらにやる気にもなります。場合によっては、その人の運命を変えるきっかけになることもあります」と述べています。

ここで、考えさせられるのは「頑張れ」という言葉です。東日本大震災以来、「頑張れ」という言葉は上から目線とか、本当に困難に直面している人への配慮が足りないなどなど、すっかり悪役になってしまった感があります。うつ病やグリーフケアの世界でも禁句に近い言葉です。しかし、人はピュアに人を励ましたいとき、「頑張れ」というのではないでしょうか? 東日本大震災の被災地を去るとき、自衛隊員たちが思わず口にしたのも「頑張って下さい」という言葉だったそうです。わたしは、いずれ、「頑張れ」という言葉について徹底的に考察し、この素晴らしい言葉を復権させたいと思っています。

第5章「人間の弱さを鬼に学ぶ~鬼は人間の反面教師だった~」の「鬼は利己主義の塊である」では、著者は、炭治郎をはじめとする鬼殺隊のメンバーと鬼との最大の相違点を以下のように指摘します。
「それは、鬼が『分よりも他人』いう考え(鬼舞辻に対する忠誠心は除く)はいっさい持っておらず、ひたすら『自分のため』に行動している点でしょう。そこにあるのは我欲のみ。利己的で、身勝手で、自分さえよければ相手は死んでも構わないというスタンスをとっています」

「鬼は優しさの記憶が欠落している」では、本来、優しさを持っている人でも、自分のことしか考えられなくなると、ものごとの本質を見失ってしまうとして、著者は「『鬼滅の刃』で描かれている鬼は、つらい現実から逃れるために鬼舞辻に魂を売ってしまった人たちです。彼らは鬼になったことにより、人間時代に持っていた感情(優しさや他人を思いやる気持ち、感謝する気持ちなど)が欠落しています。これは裏を返すと、どんな人でも、ものごとの本質を見失うと鬼(のよう)になってしまうということを、この作品が示しているということです」と述べています。

「鬼の絆には恐怖と憎しみと嫌悪の匂いしかない」では、「絆」という言葉が固い信頼関係で結ばれた人と人とのつながりを意味するとして、著者は家畜をつないでおくための綱がその語源であり、もともとの意味は、信頼関係というより、どちらかというと支配関係を表す言葉なのだそうです。そういう意味では、鬼舞辻と部下の鬼たちとの関係や、下弦の伍の累がつくった疑似家族の関係は、綱の絆で結ばれた状態といえるのかもしれません」と述べます。

さらに著者は、「恐怖でつながっている絆はもろく、必ずどこかでほころびを見せるものです。それを証明するような例は、私たちが暮らす現代社会でも、いくつも見ることができます。社員が会社にがんじがらめになっているブラック企業。部員が上の人の言いなりになっているクラブやサークル。上下関係、主従関係がはっきりしていて、上に立つ者の力が強すぎると、得てしてこういう大問題に発展するものです。炭治郎の言うように、恐怖に支配された関係に信頼で結ばれた絆は存在しません。鬼舞辻と部下の鬼たちとの関係と、なんら変わりはないのです」と述べるのでした。本書は、『鬼滅の刃』を教育心理学の視点から読み解いた好著であると思います。

近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

最後に、わたしは新年早々に『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を上梓します。経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質を明らかにしました。今回のブームには、漫画の神様の存在や、現代日本人が意識していない、神道や儒教や仏教の影響を見ることができます。わたしは、今回の現象は単なる経済的な効果を論じるだけではない、大きな転換点を感じています。新型コロナウイルスの感染におびえる現代人にとって「こころのワクチン」とでもいうべき存在が『鬼滅の刃』であると断言できます。多くの『鬼滅の刃』関連本では語られてこなかった(作者自身も気が付いていないかもしれない)大ヒットの秘密を開陳したいと思います。

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