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2021.01.08
吉本興業がお笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦(38)、藤森慎吾(37)とのマネジメント契約を昨年12月31日をもって終了しました。今年から2人は独立して活動します。
その中田敦彦の著書『幸福論』(徳間書店)を読みました。「『しくじり』の哲学」というサブタイトルがついています。著者は1982年生まれ。2003年、慶應義塾大学在学中に藤森慎吾とオリエンタルラジオを結成。04年にリズムネタ「武勇伝」でM-1グランプリ準決勝に進出して話題をさらい、ブレイク。またお笑い界屈指の知性派としてバラエティ番組のみならず、情報番組のコメンテーターとしても活躍。14年には音楽ユニット「RADIO FISH」を結成し、16年には楽曲「PERFECT HUMAN」が爆発的ヒット、NHK紅白歌合戦にも出場した。 マルチな活動はとどまるところをしらず、18年にはオンラインサロン「PROGRESS」を開設。さらに19年からはYouTubeチャンネル「中田敦彦のYouTube大学」の配信をスタートし、わずか1年あまりでチャンネル登録者数が250万人を突破。現在の登録者は、330万人以上。いま、最も注目されるトップ・ユーチューバーです。
本書の帯
本書の帯には著者の上半身の写真とともに、「成功≠幸福」「後悔しない生き方」「芸人として挫折して、YouTuberになってわかったこと。はじめて語る、家族のこと」と書かれています。帯の裏には、「オリエンタルラジオ中田敦彦」「栄光と挫折の目まぐるしい浮き沈みのなかで目にしたものとは。赤裸々な哲学的自叙伝」と書かれています。
本書の帯の裏
カバー前そでには、「夢がかなおうが、かなわなかろうが、本当のところはどっちでもいいのである。それよりも、プロセスを味わい尽くした者の勝ち。ぼくはそう信じている」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
1 ひと口のジュース
2 時間は嘘をつかない
3 二番目に手を挙げる
4 「知」は最高のエンターテインメント
5 アイデアは準備された心に降り立つ
6 「前言撤回」精神
7 「光」の魔力
8 「自分」とは現象の蓄積である
9 ひとりでは生きられない
10 なぜ「武勇伝」はウケたのか
11 最強にして万能の武器は、言葉
12 ぼくは「駄菓子」でありたい
13 ドラクエはレベル0から15までが楽しい
14 インプットとアウトプット
15 良書には「知識」「思想」「感情」
のすべてがある
16 絶対勝者なんて存在しない
17 座右の書
18 普通ということ
「おわりに」
4「『知』は最高のエンターテインメント」では、著者がYouTubeをはじめたころ、講談師の神田松之丞(現・神田伯山)が広く人気を博すようになりました。著者は、「落語から学ぶ」として、「歴史を切り分けて、いわゆる庶民の暮らしのおもしろ話をするのが落語家で、軍記物などをやるのが講談師だということのよう。ということはぼくも、文学や偉人伝などを取り上げるときは落語っぽく、歴史を扱うときは講談っぽく演じたらいいのではないかと考えて、良きお手本としている」と述べています。
また、ユーチューバーというと、やっていることがすごく新しそうですが、著者のようなタイプの場合、内容自体はトラディショナルなものだとして、「落語や講談、もっと遡れば琵琶を弾きながら物語を伝えた琵琶法師とか、『古事記』を丸ごと口承していた稗田阿礼みたいな存在と、やっていることは同じかもしれない。そう、言葉だけを武器にして世界のことを広く伝えることに着目すれば、教育係ユーチューバーの元祖は稗田阿礼なのかもしれない。古代から続く伝統芸能を受け継ぐつもりで、ぼくも日々、言葉を紡いでいる」と述べています。
5「アイデアは準備された心に降り立つ」では、「読書のハードルを取っ払う」として、著者は「本を読み、内容を理解し、それを噛み砕いて伝える。そういう行為を日々反復していて強く感じるのは、本というメディアの情報密度の濃さだ。それはもうカルピスの原液みたいな状態としてそこにある。ほかのどんなメディアよりも的確で確実な情報が凝縮して詰まっている。物事の根幹になるリソースは、ここから求める以外にないと感じさせるほど、それは確固たるものだ」と述べています。
ただし、あまりに凝縮度が高いゆえ、本には柔らかさがない。食べやすくない。結局、受け取る側の消化力が問われる事態となってしまうとして、著者は「それなりの読解力や語彙がなければ、本からしっかり情報を取り出すことができないのだ。本を活用するには、多少の素養が必要である。日本語はまた、話し言葉と書き言葉でかなり違いがあるので、書き言葉を正確に理解しようとすると細かいルールまで押さえる必要が出てくる」と述べます。
読書のハードルをかぎりなく下げる、それが『YouTube大学』の目指すところであるとして、著者は「果物でいえば皮をむいて一口大に切ってひとつずつ楊枝にさして、あとは口に運べばおいしくいただける状態にまで、それぞれの本を加工してあげる。正直、それをするにはかなり手間はかかる。本を読み込み、要点をまとめ、わかりやすく伝わるようなアプローチのしかたを考える。情報を展開する順序や、語句のわかりやすさにも気をつける。とにかく入念に準備をこなすしか手はない。ぼくは日々、その作業にひたむきに取り組み続けているつもりだ」と述べるのでした。
11「最強にして万能の武器は、言葉」では、「世界は言葉でできている」として、著者は「ひとは言葉によって動かされる面が多分にある。最初は買うつもりもなくぼくの話だけ聞いていたひとが、話が終わるころにはTシャツを手にしているということは、ひとの言葉によってひとの行動が変化したということ。ひとは言葉によって意思を変えられてしまったり、楽しくなったり悲しくなったり、感情がどんどん突き動かされる。ひとをこんなに自在に操れるものを、ぼくは言葉以外に知らない」と述べています。
たとえば宗教というものは強大な力を持ちますが、基本的には言葉で神や天国や地獄の存在を人に知らしめているといいます。真理はこうだと、言葉によって信じさせるのだ、と。著者は、「言葉が世界を設定し、ひとを動かしているのは事実だ。だからこそぼくは言葉を武器にしたいと思ったし、その武器をもっともっと磨きたいと日々考え続けている」と述べます。
15「良書には『知識』『思想』『感情』のすべてがある」では、「『当たり』本のインパクト」として、著者は「おもしろい本の共通点も、なんとなく見えてきた気がする。それはまず、『ああ、そうなんだ』と知らない知識を教えてくれるところがあること。そして『なるほど』と新しい考え方を提示して驚かせてくれる面があること。さらには、『わかるなあ……』と思わず共感してしまうようなエモーショナルな部分がしっかり描かれていること。それらの要素がどれも満たされている本は、きっとおもしろいとわかってきた」と述べています。
続けて、知識、思想、感情という3つを一挙にインプットできるというのは、考えてみればすごいことだと指摘し、著者は「いい本に当たるというのは、これ以上なくお得な体験だ。『当たり』の本から充実したインプットができると、自分のアウトプットにも間違いなくいい効果が期待できる。というのも、ぼくらはまさに『当たりの本』がもたらしてくれるようなアウトプットがしたいと思っているからだ」と述べます。
さらに、著者は「知識、思想、感情。この3つを綯い交ぜにして一挙に伝えられれば、相手に『そうなんだ』『なるほど』『わかる、わかるよ!』という体験をすべて届けることができる。それが実現できたら、最高のアウトプットといえるではないか。本を大量に読むことによってぼくは、最良のアウトプットとはどういうものかを実地に学ぶことができたのである」と述べるのでした。
「『古事記』の底知れなさ」では、『YouTube大学』で紹介した本の中で著者自身がとくに深い感銘を受けたものを挙げるとすれば、まずは『古事記』であるとして、著者は「『古事記』とはつまり、日本の神話集だ。これがもう単純にエピソードとしておもしろい。話の内容や展開は、現代を生きる私たちからすれば、かなりむちゃくちゃである。え、ここでそんなことする? そっちに話が展開するの? といった驚きの連続。大昔の話ゆえ、常識がかけ離れているのだ。物語として読むのなら、それくらい荒唐無稽なほうがおもしろい。現代には、理路整然とした話なら溢れ返っている。意味はよく通じるが、心になかなか残らない話はもうたくさん。せっかく古典を読むのだ、ここは破綻だらけの話の妙味を楽しみたい」と述べています。
アマテラス、スサノオ、ツクヨミの三神は、ギリシア神話でいうゼウス、ポセイドン、ハデスという神々とキャラクターが酷似していると指摘する著者は、「アマテラスとゼウスは最高神で、その身内であるところのスサノオとポセイドンはともに海の神。ツクヨミは月と闇の神でハデスは死と冥界の神。太陽、海、月の三すくみ状態が日本とギリシアの神話でまったく同じというのは、ひとの考えることは地域や時代を超えて根本は変わらないことを示しているだろうか」と述べます。
続けて、「ただし日本の神話のほうでは、アマテラスが女性である。最高神が女性という特徴はどこから来たのかなどと考えていくと、お話としても歴史としてもたいへん興味深く感じられてくる。ストーリーにのせてなんらかの物事を伝え、受け継いでいくということの原点が、古典にはある。『古事記』に宿る力を借りながら、ぼくもいっそういい動画をつくっていけたらと意を新たにした。古典から学ぶべきことは本当に多い」と述べるのでした。
「『源氏物語』の現代性」では、『源氏物語』について、著者は「あの作品はもともと、紫式部が周囲のひとを楽しませるために書いていたもので、いわばラブコメである。それが評判となり、ひとの知るところとなって、姫君のために書き続けてほしいというヘッドハンティングの話が舞い込んだ。それがさらに書き継がれていったものだという。いわば平安時代の『見出された連載小説』。現代でいえばさしずめ、SNSで漫画をアップしていたら注目され、商業誌に引っ張られてそのまま大ヒット連作にまでなったようなものだ」と述べています。
また、著者は『源氏物語』について、「ラブだけじゃなくて、リアルな出世バトルの要素もたっぷり盛り込んであるから、半沢直樹のような雰囲気もあり、男ウケもいいと思う。ただし、クライマックスのバトルが『絵合わせ』で行われるところなど、さすが雅な平安貴族らしくて時代を感じさせる。当時の知識や情報、人々の考え方、そして登場人物たちの抱いた感情を、手に取るようにして味わえる。そういう要素をすべて兼ね備えていれば、千年も読み継がれるものにもなるのだと思えば、ぼくらがコンテンツをつくるうえでも『源氏物語』は大いに指針となり目標となってくれるものなのである」と述べるのでした。
16「絶対勝者なんて存在しない」では、そもそも、この世のどこにも「絶対勝者」みたいな存在などいないとして、著者は「羽振りがよさそうなひとでも、けっこう実はひどい目に遭っていたり、苦しんだりしているもの。それを知ることで、ほっと息をつけるひとも多いかもしれない。『こうすればいいよ』『これやってみたら?』と言われても、いやもう立ち上がれないんだよ……という状況のひとだっているだろう。そういうひとには、『いや、そのままでいいんじゃない?』と言いたい。基本的には生きていさえすればだいじょうぶ、と伝えたい」と述べています。
18「普通ということ」では、自分の思うように人生が運ぶ人など、きっと一人もいないとして、著者は「ならば、自分がどうにかできる、手の届く範囲のことに対しては、できるだけのことをしたほうがいいじゃないか。自分にはどうしようもないことが多いのならば、それは受け入れたうえで、目の前のことに夢中になるのがいい。人生をひとつの祭りとみなして、それを楽しみ尽くす。自分にできることをすべてやって、家族を愛し、仲間と笑い、社会にお返しする」と述べています。
そして、「おわりに」では、著者は「光を何度も浴びたのに、本当に照らされたい部分は闇に包まれていた。もう自分を縛るものはないのに、自由である気がしなかった。いつもなにかに追われているような気がしていた。ずっと疲れていた。うすうす感づいていたことだった。この獣道の先に幸福はない。幸福なんて、そんなたいそうなもんじゃない。道の果てに燦然と輝いているもんじゃない。そこらへんに転がっているありふれたものだ。ありふれているからこそ、それは存在を主張しない。駆け抜ける者の目には映らない」と述べるのでした。
最近の子どもに「将来、何になりたいか?」と聞くと、最も人気があるのがユーチューバーだというのは笑い話でもなんでもなく事実です。そのユーチューバーの中でも頂点をきわめた著者が、「成功」と「幸福」は同じではないと喝破する姿勢には説得力があり、非常に好感が持てました。『古事記』や『源氏物語』といった古典中の古典についての見方もユニークですし、何よりも著者の座右の書が渋沢栄一の『論語と算盤』とサイモン・シンの『フェルマーの最終定理』だというのは、趣味が良すぎて嬉しくなりました。つねに学び続ける著者は、これからもさらなる高みを目指して進んでいくことでしょう。