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2021.03.13
『コロナとバカ』ビートたけし著(小学館新書)を読みました。一条真也の読書館『弔辞』で紹介した本に続く、著者の最新刊です。著者は、1947年東京都足立区生まれ。漫才コンビ「ツービート」で一世を風靡。その後、テレビ、ラジオのほか映画やアートでも才能を発揮し、世界的な名声を得る。97年「HANA‐BI」でベネチア国際映画祭金獅子賞、2003年「座頭市」で同映画祭監督賞を受賞しています。
本書の帯
本書の帯には、著者の顔写真とともに、「政治家、芸能界、そしてコロナ騒動……毒全開で一刀両断!」「ウイルスより、よっぽどヤバいぞニッポン人」「警告 この本の内容を無闇に口外すると非常に危険です」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には、「コロナを舐めるヤツも、過剰に怖れるヤツも、冷静さを失っている。いつからこの国はこんなに薄っぺらになっちまったんだ?」「志村けん、渡哲也さん……同じ時代を生きた”戦友たち”へのメッセージも完全収録!」と書かれています。
カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「2020年、新型コロナウイルスは我々の日常を一変させた。そして、これまで隠されていたニッポン人の『愚かさ』『醜さ』をも炙り出した――。パフォーマンス先行で右往左往する政治家たち、感染拡大でも『五輪』『万博』にすがる経済界、不倫報道に一喜一憂の芸能界、そして世界の動きに見て見ぬふりのニッポン人。ああ、どこを見渡してもバカばかり。『おいおい、この国本当に大丈夫か』――天才・ビートたけしが語る毒だらけの現代評論」
アマゾンには<本書に登場する残念な人たち>として、「●国民に外出自粛をお願いしておいて、自分の妻には言えない前総理大臣●スイーツやコミック好きをアピールして「かわいいオジサン」ぶる現総理大臣●政権批判ブームが終わったとたん、すっかり黙りこんでしまった芸能人●総理大臣が辞めるとなった途端、ご祝儀で支持率をアップさせる日本人●世襲なのに「自分の手柄」と勘違いしている政治家●コロナでも営業しているパチンコ店を実名公表して宣伝してしまった府知事●パフォーマンスばかりで実際は何にもやってない都知事●交通事故で人を死なせておいて、「車の誤作動だった」と言い張る老人●手間と時間をかけて「GoToイート錬金術」で小銭を稼ぐ貧乏人●SNSで人を叩くくせに、面と向かっては何も言えないネット民●大谷翔平や藤井聡太を見て、「自分の子も」と考える親●小学生の「あだ名」を禁止して、イジメを止めたと思ってる教育委員会。まだまだ出てくるバカばかり。ああ、こんなニッポンに誰がした!」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
第1章 コロナが炙り出した「ニッポンのバカ」
第2章 さよなら、愛すべき人たちよ
第3章 ニュース・テレビの「お騒がせ事件簿」
番外編 これぞ”不要不急”の爆笑企画!
2020年「ヒンシュク大賞」を決定する!
「おわりに」
「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「2年前、世界がここまでガラリと変わるなんて、誰も想像できなかったはずだ。もしもタイムマシーンで2019年に戻って、『新型のウイルスのせいで会社や学校に行けない毎日がやってくる』『外国に行くこともできなければ、外国からの旅行者も来られなくなって、ニッポンが鎖国状態になる』『2020年の東京五輪は延期になるから、必死になってチケットなんて取らないほうがいいぞ』なんて話したって、誰もロクに信じやしないだろう。『今頃、ノストラダムスの大予言にでもかぶれたか』って、鼻で笑われちまうのがオチかもしれない。だけど、これはすべて2020年に本当に起こった話だ。それくらい、コロナは日常を一変させた」
第1章「コロナが炙り出した『ニッポンのバカ』」の「『死ぬことなんて怖くない』オイラがリモート出演を決めたワケ」では、「『予防』の拒否は『自分らしさ』じゃない」として、「俺はマスクをしない主義だ」と主張して、公共の場で騒ぎを起こすような人物がいると指摘し、そんなものは「自分らしさ」とは言わないとして、著者は「『自分が迷惑をかけられても他人を責めたりしないけれど、自分が他人に迷惑をかけることだけは避ける』――誰かに注意されたり、世間の目を気にしてやるというより、それが自由に生きるための最低限の社会へのマナーになってきてるんだよな」と述べます。
「世界で露呈した『民主主義の限界』。利口な1%が99%のバカの犠牲になっている」では、「民主主義を信じるな」として、「どこの国民だって、政治家の言うことを「その通り!」と鵜呑みにするのはただのバカ。だけどそういうヤツが100人のうち90人以上を占めていると思ったほうがいい。『それはおかしい』と言える頭があるヤツは、多く見積もっても両手で数えられるくらいだ。だけど、そういう利口なヤツが9割のバカの犠牲になるのが『正しい民主主義』なんだ」と述べます。
そもそも民主主義なんてものを信用していないという著者は、「人間をまとめる万能な政治システムなんて存在しない。いつの時代も民主主義か、独裁かでグルグル回ってるだけなんだ。独裁者を許すな、ファシズムを許すなと言ってるヤツラが作った共産主義や社会主義の国が、より独裁的になってしまうことも歴史が証明してる。中国しかり、北朝鮮しかりね。だからこそ、大事なのは『自分で考えられる頭』を持つことだ」と述べるのでした。いやあ、痛快ですね!
「ニッポンは五輪や万博に頼る『お祭り依存体質』から抜け出さないと、世界から取り残されちまうぜ」では、「各国が五輪を押しつけ合う」として、著者は「そろそろニッポンは『お祭り依存体質』から抜け出したほうがいい。サッカーやラグビーのワールドカップにオリンピック、万博、カジノ誘致と、楽しげな”お祭り”をコンスタントに持ってきて、ドンドン経済のカンフル剤にしないと経済が持たなくなってきてる。これじゃあ、いつか弾が尽きちまうだろ」と述べています。
それに、イベントそのものの経済効果も疑問だとして、著者は「前回の1964年東京五輪のような高度経済成長の時代なら、国威発揚の意味もあっただろうけれど、これから人口がドンドン減っていくニッポンにおいて、五輪みたいなイベントはどこまで意味があるだろうか。きっと今回のコロナをきっかけに、今後は五輪開催に名乗りを上げる国が減っていく。2022年の冬季五輪が中国・北京で、24年のフランス・パリ、28年のアメリカ・ロサンゼルスまでは決まっているけど、それ以降はなかなか手をあげにくいんじゃないか」と述べます。
さらには、「もっとカネを使うべきことがある」として、著者は「五輪にしろ、万博にしろ、みんな自分の現在の生活に不安を抱えているのに、大企業や政治家ばかりが潤うようなお祭りに税金をガンガン注ぎ込むなんて許されないよそんなカネがあるなら、コロナで倒産した会社の社員を助けるとか、またこういうパンデミックが起きたときに備えて病院や研究所を充実させるとか、地震や水害みたいな災害に備えて各地に避難所を作るとか、先にやるべきことがあるだろうよ」と述べるのでした。その通り! 大賛成!
「ニッポンのタレントの政治批判なんて『赤信号みんなで渡れば怖くない』だっての」では、「一過性だった『政治に物申す』ブーム」として、くだらない政治に国民が立ち上がるのはいいが、安倍政権の末期になって突然いろんな芸能人が政治に意見し始めたのは違和感だらけだったとして、著者は「どうもニッポンの芸能人の政治批判のほとんどは覚悟が足りない気がするぜ。大体、なんであのタイミングでみんな揃って雨後のタケノコみたいに批判を始めたんだよ。モリカケ問題やら、桜を見る会やら、コロナ問題の対応やらそれまでも批判すべきことはたくさんあったはずなのにさ。安倍政権が調子いいときは楯突く度胸なんてなかったのに、安倍さんがいっぱいしくじって叩きやすくなったから、『このタイミングならやってもいいかも』って流行に乗っかってるようにしか見えなかったね」と述べています。
また、普段は政治と距離を置いて自分の意見なんて言わないほうが得だと思ってる人間が、世間の雰囲気を見て、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに突然アピールし始めるとして、著者は「だから胡散臭いんだっての。結局、多数派につくことしか考えてないんだよな」と述べ、それより芸能人にとって大事なのは「国家や政治家に利用されないこと」であるとして、「これはオイラの持論なんだけど、芸人ってのは『とんでもないヤツだ』『非常識極まりない』と言われているうちが華で、『意外とマトモなこと言ってるじゃないか』『マジメな普通のヤツだな』なんて評価されるようになっちゃ終わりだよ」と述べます。
「喜怒哀楽で一番不要不急なのが『笑い』だ。だけど、そこには代えがたい快感がある」では、「エンタメは無力なのか」として、2011年の東日本大震災の直後、著者が「こんなときに”被災地に笑いを”なんて戯れ言だ」と言ったことを回想しながら、「今まさに悲しみの渦中にある人を、ギャグで笑わせることはできない。笑いというのは、衣食住が満ち足りたときにこそ享受できるものだ。今回のコロナには、あのときと同じかそれ以上にエンターテインメントの無力感を感じさせられた」と述べています。
では、今回のコロナ禍の中で、わたしたちは何をするべきでしょうか。「こんなときだから『蓄積』を」として、著者は「こんなときに何をすべきか。この歳になったから言えることだけど、本や音楽、とくに『古典』の世界に没頭するのがいいだろうね。落語もそうだけど、『古典』と言われるものには生き残ってきただけの理由がある。漫才なんてのは現在でも形を変えて進化し続けてるけど、落語は古今亭志ん生さんを超える若手なんていない。もうずいぶん前から芸として完成してるんだよな。そういう普遍的なものを勉強しとくと、きっともう一度世界が元通りに動き始めたとき、まるで違ってくると思うぜ。それはオイラみたいな芸人じゃなくても同じでさ。『教養』ってのはどの世界でも共通して役に立つと思うよ。若い人はスマホにかじりついてる時間があったら、ダマされたと思って『世界名作全集』でも読んでみたほうがいいんじゃないか」と述べています。この発言には感動しました。素晴らしい!
第2章「さよなら、愛すべき人たちよ」の「SNSの誹謗中傷を見て『死にたい』と嘆く前にスマホをぶっ壊す勇気を持ってほしい」では、「スマホは根性無しの悪意のはけ口」として、著者は「今だってオイラはテレビでの発言の一部を切り取られて、ネットニュースのネタにされてるけどさ。でもオイラは自分がネット上でどう批判されてるかなんて気にしないし、どうでもいい。芸能人やアスリートがSNSやネットの掲示板を見るなんて、狭いニワトリ小屋に自分から入っていくようなもんだよ。リンチみたいにいろんなところから突かれまくって、ボロボロにされちまう。損することはあっても、得することは何もないんだよな」と述べています。
また、スマホについて、著者は「ずっと言ってることだけど、スマホは現代の『年貢』だし、『手錠』だよ。みんな四六時中それに縛られてるし、おまけに毎月の通信費まで取られてる。今後いくら菅首相が通信費を下げることができたとしたって知れてるよね。儲かるのは依然、電話会社とネット企業ばかりだ。こんなもんに依存するより、電源を切ってリアルな世界とちゃんと向き合ったほうがよっぽど建設的だよ」
第3章「ニュース・テレビの『お騒がせ事件簿』」の「もう『テレビが王様』の時代は終わった ニッポンのエンターテインメントは、世界に置いてけぼりだ」では、「『わかりやすさ』ばかり評価されるニッポン」として、著者は「映画監督をしていて、いろんなインタビューを受けるんだけど、一番『バカか』と思うのは、『この映画で一番言いたかったことは?』とか『この映画のテーマは?』とか言ってくるヤツ。一言じゃ言えないようなテーマを感じ取ってほしいから、カネも手間暇もかけて2時間の映画を作ってるのに、言葉ひとつで表現されちゃ敵わない。そんな当たり前のことすらわからないヤツが多いんだよな」と述べています。
また、「『泣ける映画』は簡単に作れる」として、もうひとつ著者が気になるのは、流行のドラマや映画の「面白さ」の基準が、どうも「泣けるのかどうか」ってことに寄りすぎちまってることだと言います。著者は、「『泣く』っていうのは、自分の心が洗われる感じがする。言ってしまえば、泣かせる物語というのは、一時的に自分を『いい人にさせてくれる』という快楽なんだよ。それを作るのはそれほど難しい作業じゃない。『貧乏だけど他人の温かみに触れた話』とか『親子の無償の愛』とか『報われない悲恋』とか、古典の時代からある程度定型化されているから、それに当てはめていけばいい」と述べます。泣かせる物語というのは、一時的に自分を「いい人にさせてくれる」快楽であるという指摘は鋭いですね。さすがです!
実は、世間的には評価されていなくても、「人を笑わせる」という作業のほうがよっぽど難しいとして、著者は「こっちのほうが、自分や社会を客観的に見る能力が必要になってくるからでさ。実は笑いってものは『他人との違い』の中から生まれてくることが多い。普通じゃないことを言うから笑えたり、みんなが内心思ってても口にしないことを言うから笑えたり。つまり『差別』と紙一重っていうところがあるんだ」
さらに、笑いについて、著者は「『嘲笑する』っていう言葉があるくらいで、実は笑う人間の心の奥には『罪悪感』がほんの少しある。だから『泣かせる芸』は崇高に見られるけど、笑いは『くだらない』と蔑まれる。笑いが『不謹慎だ』『くだらない』と差別される理由は、そんなところにあるとオイラは見ている。『笑い』のほうがエンターテインメントとしては上だとオイラは信じている。だけど、今回のコロナみたいな非常時とか、葬式みたいな厳かな場所では最初に排除されちまう。お笑いってのは、そんな不条理を常に抱えてるんだよな」と述べます。この分析も鋭いですね。
「おわりに」では、コロナ騒ぎで明け暮れ、毎日のコロナ感染者や死者の数に一喜一憂する日本人について、著者は「よく街の交番を見ると、『昨日の交通事故』ってボードに死亡者・負傷者の数が貼り出してある。コロナの感染者、重症者の扱いも、そのうちこんな風になっていかなきゃいけないと思う。まだ人類が克服できていないウイルスが相手なんだから、絶対に油断しちゃいけない。だけど、ギャンギャン過剰に反応したって仕方がない。『安全運転を心がける』『シートベルトを締める』ってのが当たり前になっているように、粛々と今、自分たちができることをしていきゃいいんだよ」と述べるのでした。本書は、わずか190ページ足らずの新書本ですが、著者が速射砲のように次から次に吐き続ける毒舌の中にも鋭い指摘が多くて、大変興味深く読みました。