No.2174 書評・ブックガイド | 歴史・文明・文化 『奇書の世界史2』 三崎律日著(KADOKAWA)

2022.09.17

『奇書の世界史2』三崎律日著(KADOKAWA)を読みました。一条真也の読書館『奇書の世界史』で紹介した本の続編で、「歴史を動かす”もっとヤバい書物”の物語」というサブタイトルがついています。人気動画シリーズを大幅に加筆修正し、書き下ろしを加えて書籍化。著者は1990年、千葉県生まれ。会社員として働きながら歴史や古典の解説を中心に、ニコニコ動画、YouTubeで動画投稿を行っています。代表作「世界の奇書をゆっくり解説」は人気コンテンツとして多くのファンを持っています。前作に続いて、本書もリベラルアーツの「名著」でした。

本書の帯

本書の装丁は、前作と同じく、三森健太氏が手掛けられています。カバー表紙には2人の女性が書類を読む絵画が使われ、帯の両面には、さまざまな奇書の書名と紹介文とともに、「ベストセラーシリーズ第2弾」「小説よりも奇なり。」「書物に潜む真実を知ったとき、『歴史って面白い』ではすまされない…」と書かれています。

本書の帯の裏

カバー前そでには、「奇書を奇書たらしめるものは、読み手の価値観である。」として、「人は時代に合わせて『信じたいもの』を選択してきた。時には、嘘にまみれた書物を受け入れて過ちすら犯す。過去は変えられないが、奇書の歴史を学びとし、未来をどう生きるのか」とあります。

本書の「目次」は以下の構成になっていますが、紹介されている各書の解説動画と一緒にご覧下さい。
「はじめに」

01 ノストラダムスの大予言
ミシェル・ド・ノストラダムス著
~世界一有名な占い師はどんな未来も
お見通しだった!……のか?

02 シオン賢者の議定書
~かの独裁者を大量虐殺へ駆り立てた
人種差別についての偽書

03 疫病の詫び証文
~伝染病の収束を願って創られた、
疫病神からのお便り

番外編01 産褥熱の病理
イグナーツ・ゼンメルワイス著
~ウイルス学誕生前に突き止めた
「手洗いの重要性」について

04 Liber Primus
Cicada3301
~諜報機関の採用試験か? ただの愉快犯か?
ネットに突如現れた謎解きゲーム

05 盂蘭盆教
竺法護 漢訳
~儒教と仏教の仲を取り持った「偽経」

06 農業生物学
トロフィム・デニソヴィチ・ルイセンコ著
~科学的根拠なしの「”画期的な”農業技術」について

番外編02 動物の解放
ピーター・シンガー著
~食事の未来を変えるかもしれない、
動物への道徳的配慮について

「おわりに」
「参考文献」

「はじめに」の冒頭を、著者は「歴史は、しばしば『織物』にたとえられます。ある要素を経糸、別の要素を横糸とし、それらが織りなす複合的な関係の豊かさを指して”人の歴史”と呼ぶことは、その魅力をよく表しているといえます。しかし、歴史がタペストリーのような2次元の姿だけで収まりきれるかといえば、いささか簡略化が過ぎるという見方もできます。政治、経済、戦争、文化、芸術というように、実際は経と横どころではなく、多次元的にあちらこちらから張り巡らされた糸たちが、あるところでは重なり、別の場所では結びつき、またあるところでは繭玉を形作るといった、3次元にすら収まらない複雑な構造を成しています」と書きだしています。

著者は、昨今多く見られる「○○の世界史」という名の書籍群は、そんな超構造の織物のなかから1つのタペストリーを見出す手がかりとして役立つと指摘します。人の認知では想像することすら難しいほど気が遠くなる「長い歴史」から、「〇〇」という断面だけを見せることで、ようやく豊かな文様として眺めることができるというのです。そして、著者は「奇書が示す歴史の軸とは、一覧的な『面』ではなく一本の細い『糸』です。1章につき1本の歴史を貫く糸でもって、歴史の概形をあやどるのが本書の試みです。紹介する歴史は時に残酷であり、時に滑稽であり、そして時に今の私たちに新たな視点を授けてくれます。そしてそれらを糸のように手繰れば、未来の視座もまた得られるでしょう」と述べるのでした。

01『ノストラダムスの大予言』の冒頭には、「『ノストラダムスの大予言』とは、正式名を『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』といいます。フランスの医師にして占星術師であった、ミシェル・ノストラダムス、本名、ミシェル・ド・ノートルダムによって書かれた四行詩集です」と説明されています。

「かの教祖も予言集に傾倒する」では、ヒトラーの台頭、第二次世界大戦の勃発、広島への原爆投下、これらをすべて16世紀の時点で「予言」していた者がいるとして、著者は「今思えば、すべて後出しじゃんけん的な解釈に基づくものです。しかし「科学ではわからないことがある」という当時の触れ込みは、「科学万能の」が枕詞のように語られることに違和感を持つ人々をどうしようもなく惹きつけました。折しも、ユリ・ゲラーなどによって巻き起こった「超能力ブーム」も相まって、『超常+滅び』を包括した『ノストラダムス』は、サブカルの枠から巷間の話題のトップへと躍り出たのです」と述べています。

02『シオンの議定書』の冒頭には、「『シオン賢者の議定書』とは、1897年8月29日~31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた、「第1回シオニスト会議」における議定書、という体で書かれた書籍です。『ユダヤ人の他民族に対する優越性」「ユダヤ人による世界支配の計略」などが全24項目にわたって露悪的かつ挑発的な文体で書かれており、読む者にユダヤ民族の脅威を感じさせる内容です』と説明されています。

「なぜ議定書は世界に普及したか」では、ロシア帝国国内において、レーニンらによる社会主義革命運動が始まると、当局側はこれに対抗すべく様々な世論操作を行ったことを紹介し、著者は「その一環としてポグロムの風潮を反革命運動に利用すべく一計を案じるのです。すなわち『国内の不和を生む革命運動は、すべてユダヤ人によって先導されている』というプロパガンダです。そして、その根拠とすべく作成されたのが本項で紹介する奇書『シオン賢者の議定書』なのです」と述べます。

「フランスで加速する反ユダヤ主義」では、ロシア秘密警察のパリ支部長を務めていたピョートル・ラチコフスキーが勤務していたフランスでは、すでに反ユダヤ主義的な風潮が高まっていたことを指摘し、著者は「フランス革命によって王制が打倒されるという歴史的事件は、その裏に『巨大な意思』の存在を人々に感じさせていました。フリーメイソンのフランス支部には、革命を牽引したメンバーが多く在籍していたことから、その巨大な意思の主体であると噂されていたのです」と述べています。

フリーメイソンとは中世に活躍した石工職人のコミュニティを前身とする組織で、16世紀ごろ主にイギリスを中心に、知識人や貴族らの友愛団体として成立しました。著者は、「フランス支部の者たちは、前身となった石工職人の起源をあろうことかソロモン王の神殿を建設した石工の棟梁にまでさかのぼると主張。ここで『フランス革命』と『ユダヤ人』が『陰謀組織』という糸で結ばれてしまいました。権力から自由を獲得した革命が、実は別の巨大な権力によって仕組まれたものだったという不信感は、そのままユダヤ人への不信感となってくすぶることになります」と述べています。

1894年にはユダヤ人将校のアルフレド・ドレフュスがスパイの冤罪を着せられ、民衆の「ユダヤ人ドレフュスを殺せ!」という怒号のなかで剣を折られて公職を剥奪されるといった「ドレフュス事件」が起きています。ドレフュス事件に伴い、反ユダヤのための書籍が数多く出版されるなど、19世紀末のフランスは、ユダヤ人迫害のためのタネをかき集めるために最適な場所であったと指摘します。著者は「当時ドレフュス事件の取材を通じて国内の反ユダヤの風潮の高まりに強い危機感を覚えたユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツルは、西欧におけるシオニズム運動の発起人となりました。ヘルツルはのちにスイスのバーゼルで、『第1回シオニスト会議』を開催します。しかし、この会議の存在が『議定書』の根拠とされてしまうのは皮肉というほかありません。会議内容は後ろ暗いものではなく、一般公開のうえでユダヤ人以外も参加可能でした」と述べるのでした。

実際の「詫び証文」

03『疫病の詫び証文』の冒頭では、「『疫神の詫び証文』とは、関東近県に分布する古文書群の1つです。詫び証文はその名のとおり、なにがしかの謝罪の折に書かれる証文のこと。謝罪とともに、同じ過ちを二度としない旨を約束し、本人の署名捺印がなされます。有名なものでは、赤穂浪士の大高源吾が残した証文のほか、天狗や河童が人間に宛てたとする証文まであります。疫神の詫び証文も天狗や河童の類と同様に、いわゆる『戯文』として創作されました」と説明しています。

「伝染病は疫病神のしわざ」では、感染症への対処法が確立する以前の医療において、流行り病、特に感染力、致死率が高い疱瘡(天然痘)や麻疹などの病は治療が困難であったことを指摘し、著者は「否応なしに罹り、多くの命を奪っていく”見えない敵”は、民草にとって抗いがたく畏敬の対象でした。「病気は疫神がもたらすもの」と特別視するしか道はなく、ひたすら快方を願うしかなかったのです。日本には古来より擬人化、ないしは擬神化文化が根強くありますが、厄災から逃れる際にも活用していたことがうかがえます。ところが『疫神の詫び証文』はこうした風潮とは一線を画し、民が疫神に対して”攻め”の姿勢で抗った逸話を持ちます。文書の大筋は、疫病で悪さをした疫神が人間に向けてお詫びの言葉をつづったものです」と述べています。

「疫神を『迎え撃つ風習』と『迎え入れる風習』」では、各地に伝わる疫神への対応は様々であり「詫び状」のように攻めの姿勢でもって災難に立ち向かう勇敢な考え方はむしろ少数派であると指摘し、著者は「日本において、多くは『一度罹った疫病が穏便に平癒することを祈る」ような、受け身の姿勢で疫病とつき合ってきました。日本には鹿児島県のみ伝わる『疱瘡踊り』があります。儀式は、疱瘡が出た際に祭り囃子と踊りに乗せ、『疫神をもてなし、満足して去ってもらう』ことを促す。2020年4月、薩摩川内市入来町では新型コロナウイルスの早期収束を願い、『入来疱瘡踊』が披露されています』と述べます。

予言獣としてこれまで有名だったのは、人と牛が一体になった姿の「件」でした。しかし近年、にわかに注目を集めているのは3本脚で突き出た口を持つ「アマビエ」です。「予言獣『アマビエ』」では、妖怪研究家の湯本豪一氏が、アマビエとは「アマビコ」の誤記である可能性があると指摘していることが紹介されます。天保14年に出現したとされる「あま彦」と名乗るこの異形は、全身が毛で覆われた猿のような姿をしており、3本脚であるのがアマビエと共通しています。アマビエが「描いて人々に見せよ」とするのに対し、あま彦のほうは「私の姿を描いて見た者は、無病長寿となる」とご利益まで言い切っているのが特徴だといいます。

番外編01『産褥熱の病理』の冒頭には、「『産褥熱の病理』とは、正式名を『産褥熱の病理、概要と予防法』といいます。1861年、オーストリアの医師イグナーツ・ゼンメルワイスによる論文で、産褥熱の感染制御法に関する研究をまとめたものです」という説明がされています。

「出産を病院で行うまでの歴史」では、欧州ではもともと、お産は助産師とともに自宅で行うのが基本でしたが、16、17世紀にかけて吹き荒れた魔女狩りにおいて、女性である助産師は生死や血にかかわることからそのターゲットにされたことを指摘し、著者は「助産師への迫害によって、技術が途絶え、担い手が失われるケースが増加することになり、出産にかかわることがなかった男性の外科医が次第に現場に介入するようになりました。また、同時期のキリスト教では堕胎が禁じられていたこともあり、お金のない未婚の女性が私生児を殺めてしまう事件が社会問題となっていました。そのため、貧乏であっても出産の補助を受けられる仕組みとして、病院内に産科が整備されるようになったのです」と述べています。

「医学とキリスト教の合流」では、イエス・キリストの伝承には数多くの「癒しの奇跡」が伝えられていることが紹介されます。盲人の目を自身の唾液を混ぜた泥を塗ることで視えるようにしたり(「ヨハネによる福音」9章)、ハンセン病患者を触れるだけで完治させたり(「マルコによる福音」1章、「ルカによる福音」17章ほか)と、キリストを神の子として印象づけるエピソードにはこうした「奇跡」がよく挙げられるとして、著者は「教会や修道院は、その奇跡を担う場所として医療の技術が集積していきました。ヒポクラテスの流れを汲む医師たちは、患者の家に往診する形式でした。これに対し、教会や修道院など特定の場所に患者自身が出向く形式は、『病院』という概念を生み出します。また、隣人愛や無私の奉仕といった考え方によって、それまで市場原理の上にあった医療に、『福祉』という文脈も持ち込まれるのです」と述べます。

「顕微鏡の登場」では、観察可能な範囲を大きく(正確には、小さく)前進させたのはガリレオだと紹介し、著者は「ガリレオは、遠くにある物体を大きく見せる器具『望遠鏡』を一般に広めたことで知られますが、実は、その逆も行っていたのです。つまり目の前にある小さな物質を大きく観測する器具『顕微鏡』の開発です。発明自体はガリレオが最初というわけではありませんが、ガリレオが優れていたのは、自身の知名度と影響力です」と述べます。

ガリレオが「望遠鏡」で星の世界を覗いたとき、教会側から大きな反発を招いたことは有名です。ではその逆ともいえる「顕微鏡」はどうか。著者は、「精巧に形作られた極微の造形は、むしろ『神の御業の完璧さに触れることができる具体的手段』として教会側から称揚されるのです。愛好家も、神の御業の徴の顕れを見ただけで満足し、せいぜい身内で回し見る程度で、依然として学問と結びつくことはありませんでした」と述べます。しかし、その後、レーウェンフックという名の顕微鏡マニアが近代医学の扉を開いたのでした。

「医学×社会学で、公衆をもっと健康に」では、現在、「病理学の祖」と呼ばれるカール・ルドルフ・ウィルヒョウもまた、既存の医学体系に対して疑問を持っていた者の1人であることが紹介されます。彼は、幼い頃より「神様から石ころに至るまで自然に関する知識全般」を修めることを目指しており、広範な知識と興味は医学のあり方をも塗り変えます。ウィルヒョウは「すべては細胞より始まる」と主張し、それまで体液のバランスの乱れによって生まれるとされた病気を「細胞の異常」と看破しました。

ウィルヒョウの目には、人体が「細胞を市民とした民主国家」と映り、その医学的な知見を社会学にまで応用しようとしました。後に彼は政治家として、医学を基盤とした社会構築に取り組みました。特にドイツ国内でチフスが流行した際には、下水道の整備による衛生環境の改善を行い、患者を激減させることに成功しています。著者は、「今では当たり前のように捉えられている、『病気にはその要因となっている箇所がある』という考え方や、社会と医療を接続した『公衆衛生』という概念を実践した功績はまさに革命といえます」と述べています。

そして、『産褥熱の病理』の著者であるイグナーツ・ゼンメルワイスが登場します。本書には「ゼンメルワイス、手洗いの重要性を説く」と書かれていますが、これだけを見て、彼の壮絶な人生をうかがい知ることはできません。著者は、「歴史に名を残す人物とは、多かれ少なかれ歴史を『以前』と『以後』で区切った人といえます。しかしその功績も、『以後』の世界に生きる人々の目にはアタリマエとして映ってしまうのもまた事実です。ゼンメルワイスは晩年、自身と医師の罪を訴えるために街頭演説を行っていますが、そこに居合わせた聴衆はこう返します。『本当にそんな簡単なことで病気が防げるのなら、えらいお医者さんたちがやってないわけがないじゃないか!』銀の弾丸とは、案外鉛色を装って転がっているものなのかもしれません」と述べるのでした。

05『盂蘭盆教』の冒頭には、「『盂蘭盆経』は、日本の盂蘭盆会、つまり『お盆』という行事の由来となったことでも有名な経典です。竺法護によって漢訳されたとされます。経典とは、主にブッダこと釈迦の教えを弟子が書き写した書物です。多くは『仏説』『如是我聞』、つまり『私は(釈迦から)こう聞いた』という言葉で始められています。釈迦の教えを直接ないしは、近い伝聞で伝えられた教えであるという体裁です」と説明されています。

「『お盆』の由来」では、仏教の基本となる死生観は「輪廻転生」であるとして、著者は「人は死んだあと別のものや人に生まれ変わり続ける定めです。迷いを断って『悟り』の境地へ至ることで、この輪廻を抜け出し『解脱』することができます(宗派によって解脱への道は様々)」とし、「死後、別のものへと生まれ変わっているはずの霊がなぜ、お盆に限り戻ってくるのか――。これは、仏教が日本へ伝来した際に神道の祖霊信仰と混ざり合った結果、現在のようなお盆の形となったといわれています。しかし仏教には『盂蘭盆会』という、お盆の素地となった催事がすでにありました」と述べています。

「儒教と仏教のつじつま合わせとして誕生」では、盂蘭盆経が創作されたのは、中国に仏教が伝播してから400年ほどのち、おおよそ5世紀頃であったと紹介されます。当時中国で主流だったのは「儒教」の思想であったことを指摘し、著者は「儒教が重視している徳の1つに、『孝』という教えがあります。孝とは『親孝行』の孝で、父母や年上の人間、ひいては目上の人を敬うことを重要視します。なかでも孝の要綱を説いた『孝経』には、『身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀損せざるは孝の始めなり』と記述があります。出家剃髪をその道の第一歩とする仏教からすれば、伝播に向けての初手から詰んでいる状況といえるでしょう」と述べています。

東晋の孫綽は、同じく孝経の先に挙げた言葉に続く「身を立てて道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕かにするは孝の終わりなり」を根拠に、出家して身を立てることは親の名をあげることにつながり、これこそが孝の極致であると反論しています。しかし、それでも仏教と儒教はどうしても相容れない部分があり、両者の「緩衝材」となる思想が必要だったとして、著者は「『在家』の道徳を説く儒教が根づいていた中国の人々に対して、『出家』の思想である仏教であっても『孝』の教えがある――。こうしたエクスキューズのための裏づけとして『盂蘭盆経』は創作されたのです。

「嘘も方便」というように、釈迦自身、相手の立場に合わせて言葉を変えつつ説法を行っていたという来歴があるとして、著者は「実際に大乗仏教の経典は、釈迦の教えの本質を取り違えないのであれば、『仏説』という前提で、新たな経典が創作されることがあります。日本で最もポピュラーなお経の1つ『般若心経』も結集ののち、大乗仏教の成立によって生まれました。見方によっては盂蘭盆経と同様、偽経ともいえるでしょう。ただしそれは、般若心経が『仏説』ではないことを意味しません」と述べています。わたしも『般若心経』こそは日本人にとっての最重要の教典であるととらえ、『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。

「現代のお葬式も、儒教と仏教の折衷」では、著者は「私たちは『仏教式の』儀礼として死者を弔う際、ご遺体を荼毘に付し、お骨を墓に納め、法事の際には焼香をあげ、日ごと位牌に手を合わせます。しかし、仏教において本来重視されるべきは「魂」であり、それが抜けた肉体に大きな意味はありません。加えて、その魂はどこか別の場所へ転生します。仏教的に、ただの「物」となったお骨を守るというのも奇妙な話です。いわんや、ただの木の板に手を合わせることに対して、「仏教的な」意味づけを見出すことは困難です」と述べています。

ではなぜ、「仏教式の」祭礼にこのような儀式が取り入れられているのかというと、儒教の成立以前の古代中国に伝わる死者への祭礼を見てみると、死生観において、現世は輪廻するものでなく、そのまま「帰ってくる場所」だったからです。ちなみに、このあたりのくだりは、わが国における儒教研究の第一人者で大阪大学名誉教授の加地伸行先生と小生の共著である『論語と冠婚葬祭』(現代書林)の中で詳しく説明されています。

古代中国の死生観自体は、古代エジプトのミイラなどにも代表される「招魂思想」と似ています。しかし、この祭礼で依り代となるのはミイラではなく「死者の頭蓋骨」でした。子孫たちは先祖の頭蓋を祀り、命日にはその頭蓋を生者にかぶせて形代とし、そこに魂魄を招こうとしました。著者は、「重要なのは、『魂魄を呼び戻す子や孫』が必要であるという点です。儒教における『孝』の思想や、家を守るという教えは、この『自身の招魂を行ってくれる子孫』の存在を保証するということが発端の1つです。仏教はその伝来の過程で中国を通過し、儒家的思想を多く取り込みました。結果として私たちは死者の『骨』に敬意を払い、お墓に手を合わせ、さらには先祖の『招魂』のために篝火を焚くことになったのです」と述べています。このあたりは、加地伸行先生の名著『儒教とは何か』(中公新書)に詳しく書かれています。以上、『奇書の世界史2』を存分に堪能しました。さらなる続編に期待します!

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