No.2251 オカルト・陰謀 『嘘みたいな本当の話はだいたい嘘』 ロマン優光著(コア新書)

2023.06.27

『嘘みたいな本当の話はだいたい嘘』ロマン優光著(コア新書)を読みました。陰謀論についての本ですが、何はさておいてもタイトルが抜群に良いですね。著者は、1972年高知県生まれ。早稲田大学第一文学部中退。ソロパンクユニット「プンクボイ」で音楽デビューしたのち、友人であった掟ポルシェとともに、ニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ(のちにロマンポルシェ。)」を結成。ディレイ担当。著書に『音楽家残酷物語』(ひよこ書房刊)、『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』『90年代サブカルの呪い』(ともにコアマガジン刊)などがあります。

本書の帯

帯には、「貴方に忍び寄る…陰謀論」「ズル賢いバカに利用されないための指南書(安倍元首相と山上徹也、小林よしのり、神真都Q、参政党、統一協会、Qアノン、三浦春馬の闇、ひろゆき、ガーシー)etc.」と書かれています。帯の裏には、「”誰よりも正しいミュージシャン”ロマン優光、日本の未来を心配する!」とあります。

本書の帯の裏

カバー前そでには、「コロナ以降、ウサン臭い『陰謀論』が大流行している。ワイドショーでも『陰謀論』という単語がでまくりだ。どうして人は『陰謀論』にハマるのか。ていうか『陰謀論』とは何なのか。『みんな気づくかな~ 気づくかな~ 仕組み』山田孝之(人気俳優)もそう語っている。そう、誰しもが『陰謀論』に陥りやすいのだ!……この本は『陰謀論』まみれの社会への警告である」と書かれています。

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「まえがき」
第一章 安倍晋三と山上徹也

第二章 キツすぎ陰謀論の世界

第三章 混沌・三浦春馬まとめ

第四章 コロナで湧いた陰謀論集団

第五章 小林よしのりの迷走

    『コロナ論』

第六章 陰謀論に騙されがちな

    ミュージシャン

第七章 ガーシー的ありかた

第八章 小山田圭吾の炎上
「あとがき」

第一章「安倍晋三と山上徹也」の「陰謀論が数々噴出」では、クライシスアクターが取り上げられます。クライシスアクターというのは、本来は警察署や消防署の訓練の際に被害者・被災者役を演じる人を指しますが、ここで言われているのは有名な陰謀論者ベンジャミン・フルフォード氏が主張していることでお馴染みの陰謀論に関する話で、「世界で起きてる事件・事故の多くはヤラセであり、その証拠に同じ人物が不自然に様々な事件・事故現場で確認され、その人物は雇われた役者である」という陰謀論であり、そのような人物をクライシスアクターと呼んでいるわけです。著者は、「ようするに、事故や事件の画像や動画から似ている人を見つけては同一人物判定をしているだけなんですが、今回もそういう人を見つけて勝手に騒いでるということですね」説明します。

「自民党=統一協会?」では、統一協会と自民党の関係について色々なことが囁かれていますが、彼らが色々な問題がある宗教団体であるというのはその通りだと思うとして、著者は「カルト宗教と見なされるような勧誘や霊感商法、信者からの過剰な献金問題、それらによる家庭の破壊という問題を抱えた国民に被害を与える団体があり、それを弁護士から指摘されていたのにも関わらず、政権与党が付き合いを保っていたことは普通におかしなことです。あと、統一協会系のメディアであるワシントン・タイムズが、アメリカ合衆国議会議事堂占拠に関わるデマをはじめ、陰謀論を誘発させ、意図的に分断を煽るような悪質な記事を数多く掲載してきたことだけでも、本当にひどい団体だと個人的には思ってます」と述べます。

自民党といえば、神社本庁とも密接な関係があることで知られています。国家神道の流れを組む神社本庁と、皇室を文鮮明の下においたり、日本を韓国への奉仕国扱いするような統一協会は本来なら対立する主張を抱えているとして、著者は「日本会議や神社本庁がしめす国粋主義的発想と韓国発祥の新宗教である統一協会は普通は対立してないと変です。本当に統一協会が自民党を支配しているのなら、神社本庁や日本会議が自民党に食い込むことを許さないのではないでしょうか。これらの団体は敵対するような点を互いの理念の中に持ちながら、同性婚や夫婦別姓問題のような主張、保守的な社会観では共通する点も持っています。現状、そういう利害が一致する部分では共闘しているんでしょうね」と述べます。

第二章「キツすぎ陰謀論の世界」の「偽史・偽書を参考にする人々」では、偽史・偽書の中には国家権力と結びついてしまった、あるいはそのために作られたものもあるとして、著者は「たとえば満州にユダヤ人を受け入れようとした河豚計画(幻に終わったが)には、日ユ同祖説という偽史の影響があったという説もあるわけです。最悪のケースは『シオンの議定書』です。帝政ロシア時代に反ユダヤのプロパガンダのために国の関係者によって創られたという偽書がヨーロッパ中に広がって、ヒトラーに影響を与え、ああいう結果をもたらしたというのは恐ろしいことです。元が嘘でも信じるものがいれば現実は動いてしまうのです」と述べています。

「奇説!木村鷹太郎の『新史学』」では、陰謀論や偽史にのめり込んでいく人の中には自己のコンプレックスや不遇感を解消するためにそこに向かってしまった人が紹介されます。たとえば、明治・大正期に活躍した文筆家の木村鷹太郎氏などが代表例だといいます。バイロンやプラトンの翻訳でも知られる彼ですが、かつて日本民族が世界を支配していたとする『新史学』の提唱者としての姿の方が今では言及されることが多いのではないかとして、著者は「東京帝国大学出身の超エリートの彼がそのような妄言を主張するようになったのは、彼の中の欧米コンプレックスや不遇感によるものでしょう。木村鷹太郎氏の例もそうですが、教養のある人が『真実』を発見して、陰謀論に陥ることも珍しくはないのです。結局は知識とかではなくて、心の中の問題なのだから」と述べます。

木村鷹太郎は主張は、「自分(自国)は本来はもっと高く遇されるべきである→なのに、実際はそうなっていない→それは世界の方が間違っている→それを証明しなければならない」とこういうことであると指摘し、著者は「これが歴史に向かうと偽史になり、それが同時代に向かうと陰謀論になってくるわけですが、密接に関わっているのは先程述べたとおりです。明治の超エリートであり知的怪物である木村氏などは能力値が高いので積極的に現実を収集しては、脳内で新しい『真実』を創っていくわけです」と述べます。『新史学』にしても、自分だけが「真実」にたどり着けたという自負でいっぱいだったろうと推測し、著者は「陰謀論というのは社会的負け犬がはまるものという考えもありますが、客観的に恵まれていようが、本人の主観として不遇であれば関係ないわけで、必ずしもそうではないのです。ただ、自分の思い通りにならないと我慢できない我が儘なタイプであり、反社会性の強いタイプなのかなと思いま」と述べるのでした。

「間違いを指摘すると黙る」では、リアルでも、ネットでもそうですが、変な主張をしている人の論理的な矛盾や事実の誤認識を逐一指摘した場合、何の反応もなくなることってあるとして、著者は「陰謀論レベルのことに限らず、思い込みや憶測に基づいて何か言ってくるレベルの人もそうなのですが。あれはどういう心理状態で起こってることなのか、よく考えるのですが、単純に言って自分が間違っていることを認められないけど、反論もできないので黙ってしまってるということでいいんだと思います。自分が信じていることが真実のはずなのに、何故か反論ができなくされているという現実がある。それを認めたくなくて、黙ってその場をやりすごし、なかったことにしているのだと思います」と述べています。

第三章「混沌・三浦春馬まとめ」の「巨大な闇の勢力の存在」では、自死した三浦春馬が所属していた芸能事務所アミューズに関する噂が取り上げられます。それは、アミューズの持っている保養所である豊島保養所で人身売買で集められた子供たちを小児性愛者が弄んでおり、それを三浦氏が告発しようとした話です。著者は、「まともな根拠はまったくありません。三浦氏がインスタに投稿したカジキマグロが豊島保養所の形と似ていた。離れ小島がエプスタイン島に似ている。イルミナティ関係者のキアヌ・リーブス(これ自体も陰謀論)が訪れたことがある。そういったレベルの話が根拠としてあげられています。日本にエプスタイン島と同じディープ・ステートの小児性愛者の鳥があるがそれが豊島保養所と言われているという話もありますが、それをどこの誰が言っていたのかもわかりません。日本のどこかにディープ・ステートの拠点の鳥がある話と三浦氏を結びつけて作った話なのではないでしょうか」と述べています。

第四章「コロナで湧いた陰謀集団」の「陰謀論を信じて逮捕者続出」では、コロナ禍が陰謀論の世界に及ぼした影響というのは本当に強いものであると指摘し、著者は「アメリカ大統領選を巡るひどい騒動もコロナの蔓延がなければ、あそこまでにはならなかったでしょう。日本でも極右傾向のある人たちの一部がそれまでの歴史修正主義や排外的なデマといったものから一歩踏み出し、ディープ・ステートのような壮大なスケールの陰謀論と関わるようになりました。ディープ・ステートのような荒唐無稽な話を信じる人が今までにないくらいの規模で増えたのも、コロナ禍の原因とディープ・ステートを結びつけた言説からです」と述べています。

第六章「陰謀論に騙されがちなミュージシャン」の「なんでもCIAのせい」では、ミュージシャンには陰謀論者が多いという説について検証します。ミュージシャンの中の陰謀論者の割合が世間に比べて特に高いとは思わないとしながらも、著者は「音楽や音楽に携わる環境の中には陰謀論との親和性の高い部分もあります。ロック以降のポピュラー音楽の世界は演者の個性が評価される世界です。人と違った感性を持っていることが作品の結果につながりやすいというのもあり、ある意味、変人や奇抜な発想が尊ばれる世界です。ジャンルにもよりますが、世間的には受け入れられないような奇行が伝説として持て囃されるようなところもあります」と述べています。

ミュージシャンの中には常識を疑う心、反骨精神といったものが表現活動をやっていく上で重要な要素になっていることも多いと指摘し、著者は「人前に立って何かやろうと思うぐらいですから、目立ちたがりの人も多いですし、見る人へのサービス精神が豊富な人もいます。ミュージシャンというものは、そういった要素のいくつかを多かれ少なかれ確実に持っているわけです。しかし、こういう要素は、まかりまちがうと陰謀論の方にたやすく向かいがちな要素でもあります」と述べるのでした。著者自身がミュージシャンということもあり、この「陰謀論とミュージシャン」というテーマは非常に興味深かったです。

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