- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
2023.07.18
『猛き黄金の国 二宮金次郎』上下巻、本宮ひろ志著(集英社)を読みました。上巻は「グランドジャンプ」(集英社)の2021年22号~22年4号、下巻は22年5号~11号まで連載されたものが収録されています。コミックを読んだのは、一条真也の読書館『真の安らぎはこの世に泣く』1で紹介した本を読んで以来です。同書は仮面ライダーという架空のヒーローの物語ですが、本書は二宮金次郎という実在のヒーローの物語です。命を救った人間の数は、仮面ライダーよりも金次郎の方がはるかに多いです。
上巻の帯
本書の上巻カバーには、儒教書の『大学』(本当はここは『大学』ではなく、『中庸』であるべきなのですが)を腰紐に差し込んで薪を背負っている少年の絵が描かれています。……。カバー裏には、「国土の正確な姿を探し求めた賢人・伊能忠敬が偶然出会ったのは、二宮金次郎と名のる少年であった。薪を背負い、思想書『中庸』を読むその少年は貧しかった。父を亡くし、母さえも失った二宮兄弟たちは親戚の家にバラバラに預けられ……。後の大革命家・二宮尊徳となる物語」と書かれています。上巻の帯には、「薪を背負い、『中庸』を貪り読んだ少年は、赤貧の中、生きた。」「日本資本主義の原点 二宮金次郎の物語」と書かれています。
下巻のカバーには、すっかり成長して青年になった金次郎が薪を背負いながら『大学』(これは『大学』でよろしい)を読んでいる絵が描かれています。カバー裏には、「金言名句”小事を務めて怠らなければ、大事は必ず成就する””凡世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし”」「小を積んで大となす圧倒的概念を有する金次郎。戦前戦後の大物実業家らにもその哲学や手法が手本とされた、日本の資本主義の原点思想がここにある」と書かれています。
下巻の帯
下巻の帯には「”苦楽も善悪もひとつの円の中”」「己の信じる道を全力で突き進んだ革命家。」「今こそ、二宮金次郎の教えたる理念を知れ!」と書かれています。『猛き黄金の国』とは、もともと1990年から1992年まで、集英社「ビジネスジャンプ」に連載された本宮ひろ志の漫画で、主人公は三菱グループの創業者・岩崎弥太郎でした。その後、『猛き黄金の国』を題名に冠した漫画を「ビジネスジャンプ」や「グランドジャンプ」(集英社)で連載。その主人公は、斎藤道三、柳生宗矩、伊能忠敬、二宮金次郎、由利公正、高橋是清となっています。
『猛き黄金の国』を題名に冠した各作品も最初は相互に関連しているわけではありませんでしたが、『猛き黄金の国 伊能忠敬』(2020年)以降は年代が近く、序盤で前作主人公とのつながりも見られます。本書『猛き黄金の国 二宮金次郎』でも、第一話「農民」の冒頭に、いきなり伊能忠敬が登場します。日本全国を測量するために小田原を歩いていた忠敬が出会ったのは、二宮金次郎と名乗る少年でした。12歳の金次郎は薪を背負い『中庸』を読みながら歩いていました。『中庸』とは、『論語』『孟子』『大学』と並んで「四書」と呼ばれる儒教の最重要書です。『中庸』の次は『大学』を読むのが一般的でした。
ところが、忠敬は金次郎に「どうだ、『大学』を読む前に『経典余師』を読んでみては?」と薦めます。『経典余師』は、江戸中期の経書の簡明な注釈書です。儒者の渓百年が著者で、天明元年(1781年)に全10巻で刊行れました。四書の本文を解釈したもので、上欄に仮名で読みを記してあります。忠敬から米の握り飯をご馳走になりながら、金次郎は「『経典余師』僕も読みたいと思っていますが、高くて買うお金がありません」と言います。そんな金次郎に忠敬は「『経典余師』は大学・中庸・論語・孟子を読む前に読んでおくと、四書を読むのが楽になる。『中庸』を読み終えたら、大学まで読み始めそうだな、君は…」と言うのでした。
伊能忠敬から貴重なアドバイスを受けた金次郎は、『経典余師』を読んでから『大学』を読み始めます。薪を運びながら『大学』を読んでいたある日、金次郎は1人の老人に声をかけられます。「あんたの読んでいるその本は『大學』だろう」と問う老人に「はい」と答えると、老人は「だったら、『経典余師』を読んでおくとよいぞ」と言います。「はい、昔ある人にその本を教わり、買いました」と答える金次郎に、老人は「本物じゃのォおぬし……『大學』を読むのに『経典余師』を読んでおるか」と感心するのでした。金次郎が名を尋ねると、老人は「本好きのじじいじゃ」とだけ言って去っていきますが、彼は小田原藩の儒学者である宇野椎之進でした。
後に城内で金次郎と対面した椎之進は、「わしはただの学問屋じゃ。その学問をどう実際の世で使うか。それの何一つやれていないわしは、ただのクソじゃよ、二宮金次郎君」と言います。それを聞いた金次郎は「そっそんな!」と絶句しますが、この椎之進の言葉は真実だと思います。「尊徳」と名のった晩年の金次郎は、「学者と坊主」が嫌いだったそうです。「理論や教説よりも、現実を良く変えなければ意味がない」よ考えていたのでしょう。わたしも大の本好きで、子どもの頃から本ばかり読んでいたので、6歳下の弟からは「兄ちゃんは二宮金次郎みたいだ」と言われたこともありますが、父から「学者になるな。評論家になるな。実践しなければ、本など読んでも意味がない」と言われ続けてきました。そんなことを思い出しました。
二宮金次郎は、貧しい農民たちが豊かに生きていくのはどうすればいいかを考え続け、実践し続けた人ですが、具体的な方策として「五常講」というものを発案しました。しかし、彼の名前ではなく宇野椎之進の名で発表します。自分のような名も地位もない人間よりも、宇野のような大学者の名前で発足した方が効果的であるという実践的な考えからでした。金次郎の頼みを受けた椎之進は、五常講について「五常とは仁義礼智信…儒教が重んじる5つの徳目を言う。この人倫五常の道によって、余裕のある者は仁をもって金を貸し出し、借りる者は義をもって講より借り入れをする。礼をもって貸してくれた者に感謝し、誠実かつ一日でも努力工夫する。貸した者に借りた者が相互に信頼しあうのが信だ。これを実行に移す小田原藩服部家の中で互いを助け合うという制度として、名づけて五常講じゃ」と言うのでした。
この五常講についての説明は、互助会の理念そのものでもあります。互助会のルーツは二宮金次郎にあったのかもしれません。小田原藩に五常講を開設するとき、藩主に対して金次郎は「農民は武家と違い、損得がわかりやすい所にいます。武家と違い、身分的、社会的な出費は少ない。働いた分、物は入って出る。それをわきまえ、私の望むべきところは農民を大いに豊にする事です。武家はやせ我慢も多く、常に銭の都合に苦しんでおります。それを互いが助け合う為、五常を重んじ、相互扶助を原則として、お互いが金を都合仕合う組織を作りたいと思います」と堂々と述べています。ここに出てきた「相互扶助」という言葉は「互助会」の根本理念です。
『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)
わたしは、二宮金次郎という人に多大な関心と深い尊敬の念を抱いてきました。2021年1月に上梓した『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)は大きな反響を得ましたが、その中でも「鬼滅の刃」が日本人の「こころ」の奥底に触れたために社会現象にまで発展する大ブームになったという部分に共感してくれた読者が多かったようです。そして、わたしは「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎には日本人の「こころ」を支える三本柱である神道・儒教・仏教の精神が宿っており、二宮金次郎のイメージに重なると書いたのですが、大変な反響がありました。妹の禰豆子を背負う炭治郎の姿は薪を背負って読書する金次郎の姿を連想させますが、外見的に似ているだけではなく、金次郎もまた神道・儒教・仏教の精神を宿した人でした。
二宮金次郎は、戦前の国定教科書に勤勉・倹約・孝行・奉仕の模範として載せられ、全国の国民学校の校庭には薪を背負い本を読む銅像が作られました。わたしの書斎には、尊徳の銅像のミニチュアが鎮座しています。金次郎は長じて、尊徳と名乗りました。幕末期に、農民の出身でありながら、荒れ果てた農村や諸藩の再建に見事に成功させた人物として知られます。内村鑑三が名著『代表的日本人』の中で、西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、日蓮と並んで二宮尊徳を取り上げていますが、明治以降、近代日本を創り上げていった人々が尊徳を「師」と仰ぎました。先月紹介した渋沢栄一をはじめ、安田善次郎、御木本幸吉、豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫といった偉大な成功者たちも、みな尊徳を信奉していました。さらには、戦後進駐してきたGHQの高官も尊徳を「真の自由主義者」と激賞しています。彼は人々の心を燃え立たせる徳の人であると同時に、世界に先駆けてマイクロクレジットの仕組みを生み出した創意工夫の人でもありました。
道徳、勤労、積小為大、推譲といった尊徳思想のキーワードについて、『教養として知っておきたい二宮尊徳』(PHP新書)を書いた松沢成文氏は、「これらの教えは、日本人の社会規範や道徳としての精神的価値の基盤になっているといっても過言ではない。尊徳ほど、独創的な考え方や創造的な生き方を通じて社会を変革した人はいない。尊徳の生きざまや思想を学ぶことは、混迷を続ける世相のなか、私たちが日常の家庭や職場、地域社会で生きていくうえで、あるいは日本や国際社会にとっても、有益な指針を得ることになるはずである」と述べています。尊徳は、「勤倹・分度・推譲」の思想を唱え、600以上の大名旗本の財政再建および農村の復興事業に携わりました。彼は同時代のヘーゲルにも比較しうる弁証法を駆使した哲学者であり、ドラッカーの先達的な経営学者でもありました。尊徳は日本が世界に誇りうる大思想家だったのです。
尊徳は自らの実践を通じて「至誠」「勤労」「分度」「推譲」「積小為大」「一円融合」などの改革理念や思想哲学を生み出し、人々を導いてきました。これらの教えは、日本人の社会規範や道徳としての精神的価値の基盤になっています。尊徳ほど、独創的な考え方や創造的な生き方を通じて社会を変革した人はいないと言っても過言ではなく、松沢氏は「尊徳の生きざまや思想を学ぶことは、混迷を続ける世相の中、わたしたちが日常の家庭や職場、地域社会で生きていく上で、あるいは日本や国際社会にとっても、有益な指針を得ることになるはずである」と述べています。尊徳がやったことは、経営学の祖・シュンペータやドラッカーのいうところの個々の事例に即した問題発見と問題解決の手法にほかなりませんでした。江戸時代の後期という時代にすでに、現代経営学が編み出した手法を実践していたのですから、尊徳は時代のはるか先を行っている「未来人」だったのです。
その尊徳は、石田梅岩が開いた「心学」の流れを受け継ぎました。心学の特徴は、神道・儒教・仏教を等しく「こころ」の教えとしていることです。日本には土着の先祖崇拝に基づく神道がありました。中国で孔子が開いた儒教、インドでブッダが開いた仏教も日本に入ってきました。しかし心学では、この三つの教えのどれにも偏せず、自分の「心を磨く」ということを重要視したのです。尊徳の代表作である『二宮翁夜話』第二三一条には、「神道は開国の道、儒教は治国の道、仏教は治心の道である。わたしはいたずらに高尚を尊重せず、また卑近になることを嫌わずに、この三道の正味だけを取ったのである。正味とは人間界に大事なことを言う。大事なことを取り、大事でないことを捨て、人間界で他にはない最高の教えを立てた。これを『報徳教』という。遊び心から『神儒仏正味一粒丸』という名前をつけてみた。その効用は広大で数えきることができないほどである」と書かれています。
尊徳は、常に「人道」のみならず「天道」を意識し、大いなる「太陽の徳」を説きました。それは大慈大悲の万物を慈しむ心であり、尊徳の「無利息貸付の法」も、この徳の実践でした。その尊徳の心の中心にあった「天道」の名を冠した研修施設が、北九州市小倉の「 天道館」です。現在、天道館では、実践礼道小笠原流の礼儀作法を取り入れ、サンレー社員としての基本的なスキルを学ぶ場になっています。また、ご近所の皆様が気軽に集える「公民館」や「市民センター」のような施設として、ご利用いただいています。さらには、高齢者同士が隣近所付き合いを活性化させ、共に支え合う社会を目指していく拠点ともなっています。わたしたちは、「天道」をつねに意識しながら、「 天下布礼」に励みたいものです。
また、わたしは『コンパッション!』『ウェルビーイング?』(ともに、オリーブの木)というツインブックスを上梓しました。わたしは、思いやりを意味する「コンパッション」と健康・幸せを意味する「ウェルビーイング」という2つの考えが陰陽の関係にあると考えていますが、江戸時代に「コンパッション村」「コンパッション藩」「コンパッション共同体」と、そこにおける「ウェルビーイング」の実現を図ろうと社会実践をしていたのが、二宮尊徳だという説があります。宗教哲学者で京都大学名誉教授の鎌田東二先生が唱えておられます。二宮尊徳こそ、江戸時代における「コンパッション都市」づくりの先駆者だというのです。彼の思想は、すべての事象は根本的に陰陽の関係にあり、それが「相生」するか、「相克」するかの違いに帰着します。「コンパッション」は重要な思想ですが、もしそこに、押しつけがましさとか強制とか共感支配とかがあると、それはもはや「相生」ではなく「相克」になる可能性があり、その場合、「共感都市」が、「相克的叫喚・受苦受難都市(共同体)」になる可能性もあるというのが鎌田先生の考えです。ここのあたりをよく考え、常に現実がそのような陰陽のダイナミズムに引っ張られることを注意していく必要があります。
二宮尊徳は、終生、コンパッションの精神をもって農民のウェルビーイングに尽力し続けた人でした。そのため、武士階級と衝突することが多々ありました。反抗的な尊徳を殺そうとする武士が「おのれは武士をなめすぎておる。この国は武士が治めているのだ」と言う場面が『猛き黄金の国 二宮金次郎』下巻の第十二話「言葉」にありますが、その武士に対して尊徳は毅然として「あなたにとって国を治めるとは民になめられるな! それが第一ですか? 民の上に君臨するだけですか?」と言い放つのでした。尊徳は「農民に過酷な年貢の要求を増すぐらいなら、まずは武士の俸禄を下げよ」とも言っています。当時としては、信じられないほど過激で人道的な発言でした。
今また、尊徳の発言が思い出される現実があります。政府税制調査会が増税対象として「通勤手当」をリストアップしたとして、一部で報じられています。また、税調の答申では「退職金増税」なども挙げられているといいます。それに対して、「サラリーマン増税」より「政治家増税」が先であるという意見があります。月額100万円の文通費、政治資金への課税は当然ながら、居眠り税、失言税、まともに質問に答えない税などを徴収すべきであるというのです。「真面目に働いて国を支えてくれる人達より、政治家こそ率先して多くの税金を納めるべきだ」との意見が多いようですが、わたしもまったく同意見です。かつての武士は政治家、農民はサラリーマンであると考えれば、今こそ二宮尊徳の思想を思い起こす必要があります。
尊徳のように実践を目指します!
でも、政治家のすべてが悪いわけではなく、中には『教養として知っておきたい二宮尊徳』を書かれた松沢成文氏(参議院議員・元神奈川県知事)のような尊徳の志を受け継がれた素晴らしい政治家もおられます。じつは、同書を引用させていただいた拙著『コンパッション!』を松沢氏に献本させていただいたところ、丁重な礼状を頂戴いたしました。そこには、「ぜひ一度、お会いしましょう」と書かれていました。わたしも、お会いしたいです。二宮尊徳による御縁で新しい物語が始まる予感がしています。
『猛き黄金の国 二宮金次郎』上巻より
最後に、わたしが最も尊徳を尊敬する点は、心の底から農業に誇りを持っていたことです。『猛き黄金の国 二宮金次郎』では、極貧の中にあっても、少年・金次郎は「父ちゃん、母ちゃん、おいらを農民に生んでくれて、ありがとう!」と田んぼに向かって叫びます。わたしは、この場面に一番感動しました。人間の幸せとは、どんなに辛くとも生まれてきたことに感謝し、自分の仕事に誇りを持つことではないでしょうか。まことに不遜ではありますが、冠婚葬祭業という礼業に対するわたしの想いは、農業に対する尊徳の想いに通じていると、本書を読んで思いました。